(12)自由奔放で過激な青年ビール知識人とマルクス・エンゲルスのつながりとは
前回の記事まででシュトラウス→ブルーノ・バウアー→フォイエルバッハという、「青年ヘーゲル派」・反体制派思想の流れを見ていきました。
そしてこの記事では若きエンゲルスがベルリン時代に付き合っていた「ビール知識人」なる存在についてお話ししていきます。
実はマルクスもこのビール知識人の一員で、エンゲルスとは入れ違いで会うことはありませんでしたが、二人は同じグループで若き日を過ごしていたのでありました。
前回の記事まででシュトラウス→ブルーノ・バウアー→フォイエルバッハという、「青年ヘーゲル派」・反体制派思想の流れを見ていきました。
そしてこの記事では若きエンゲルスがベルリン時代に付き合っていた「ビール知識人」なる存在についてお話ししていきます。
実はマルクスもこのビール知識人の一員で、エンゲルスとは入れ違いで会うことはありませんでしたが、二人は同じグループで若き日を過ごしていたのでありました。
若きマルクス・エンゲルスに絶大な影響を与えたシュトラウス、ブルーノ・バウアー、フォイエルバッハの流れについてこの記事ではお話ししていきます。
マルクスの「宗教はアヘンである」という有名な言葉は、ここで紹介するフォイエルバッハの思想から来ています。
マルクス・エンゲルスは無から思想体系を創造したのではなく、当時活躍していた思想家たちの理論を吸収しながら練り上げていったというのがよくわかりました。
ヘーゲル哲学はなぜこんなにも歴史に大きな影響を与えたのか。
そしてヘーゲル右派、青年ヘーゲル派(左派)とは何なのか。
この記事では有名なヘーゲルの弁証法が革命運動へと結びついた理由を見ていきます。
エンゲルスはベルリンで兵役を務めながらもこっそり抜け出して、学問の中心ベルリン大学へと通っていました。
そして彼がそこまでして通い詰めたベルリン大学というのが、当時、ものすごい場所だったのです。
なんと、そこにはあのキルケゴールやバクーニンがいて、エンゲルスは彼らと机を並べてヘーゲルを学んでいたというのです。しかもこの数年前にはこの大学でマルクスとツルゲーネフも学んでいます。恐るべし、ベルリン大学。
無神論というと、何も信じていないかのように思われがちですが実は違うパターンもあります。
この記事で語られるように、無神論とは何も信じないことではなく、従来のキリスト教の信仰を否定し、新たな信条に身を捧げることでもありました。
当時、キリスト教の世界観を否定し、ヘーゲル思想に傾倒していった若者はたくさんいました。そのひとりがエンゲルスであり、マルクスでもありました。
エンゲルスを無神論へと向かわせた決定的な契機とは何だったのでしょうか。
この記事ではそうした問題を考えるべく、シュトラウスの『イエスの生涯』という作品とエンゲルスの出会いをお話ししていきます。
『イエスの生涯』は当時の急進的な青年たちに絶大な影響を与え、無神論へと導きました。これはマルクスも同じです。マルクスもこの作品から絶大な影響を受けています。
エンゲルス18歳の時に発表された『ヴッパータールだより』。
後にお話しすることになりますが、この『ヴッパータールだより』のスタイルは後の『イギリスにおける労働者階級の状態』にも引き継がれ、そしてそれはそのままマルクスの『資本論』にも直結していきます。
ギムナジウムを退学し、大学にも行けなかったエンゲルスですが、やはり歴史を変える天才は何かが違います。マルクスの影に隠れてしまいがちですがその片鱗はすでにここに現われています。
想像力豊かで詩を愛していたエンゲルスが、自分の家業のために無理やり退学させられ、大学進学もあきらめなければならなかった。そして家業とはいえ、やりたくもない仕事の見習いを強制されられる日々。
こうした青年時代がエンゲルスの反抗心をさらに高めることになったのでした。
エンゲルスが政治活動にのめり込むきっかけをこの記事ではお話ししていきます。
18世紀、19世紀のドイツ思想界に絶大な影響を与えたドイツロマン主義、疾風怒濤とはいかなるものなのか。
ゲーテ、シラー、ヘーゲル、ホフマン、ベートーベン、グリム兄弟など錚々たる顔ぶれが世に現れたこの時代の特徴をこの記事では見ていきます。
マルクス・エンゲルスもこうした時代の子として生れてきています。彼らの思想背景を知る上でも非常に重要なものとなっています。
エンゲルスが育ったドイツの工業都市バルメンの宗教事情ははまさしくヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で語られることと重なっています。
ドイツにおいてエンゲルスがこうした環境の中で育っていたというのは驚きでした。
この記事ではそんなバルメンの宗教事情とエンゲルスの家庭環境、若きエンゲルスの宗教に対する見方をお話ししていきます。