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ジーン・ベネディティ『スタニスラフスキー伝』あらすじと感想~『俳優の仕事』で有名なロシアの伝説的な俳優・演出家のおすすめ伝記

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ジーン・ベネディティ『スタニスラフスキー伝 1863-1938』概要と感想~『俳優の仕事』で有名なロシアの伝説的な俳優・演出家のおすすめ伝記

今回ご紹介するのは1997年に晶文社より発行されたジーン・ベネディティ著、高山図南雄・高橋英子訳の『スタニスラフスキー伝 1863-1938』です。

早速この本について見ていきましょう。

チェーホフやゴーリキー作品の初めての演出家として、モスクワ芸術座の共同創立者として、「スタニスラフスキー・システム」の考案者として、今なお世界の演劇人を触発してやまないスタニスラフスキー。しかしその人物像は、いまだ謎に包まれている。旧ソ連崩壊による新資料をもとに、隠されていた事実を明らかにし、スターリン時代につくられた像に書き換えをせまる。革命と強大な国家権力の波に洗われながらも、演劇が、真に力をもちえた時代。孤独に徹しながら情熱をもって生きた演劇人の、生涯を伝える決定版評伝。

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コンスタンチン・スタニスラフスキー(1863-1938)Wikipediaより

私がこの本を手に取ったのは前回の記事で紹介した井上ひさしの『ロマンス』がきっかけでした。

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この作品の中で次のようなナレーションが書かれていたのです。

①「お役人も軍人さんもお坊さんも、偉くなればなるほど、自分を金ピカの金モールで飾り立てるのが好きだ。」

②「さて、そのころ金モールの製造を一手に引き受けていた会社があって、そこの若社長は、スタニスラフスキーという芸名で芝居に狂っていた。」

③「チェーホフとは顔見知りの劇作家で演出家のネミロヴィチ=ダンチェンコは、この裕福な若社長を誘って新しい劇団を結成した。これがのちのモスクワ芸術座である。」

④「二人は、モスクワで一番のホテル、スラビャンスキー・バザールでよく会っていたが、そこには舞台のついたレストランがあった。」

集英社、井上ひさし『ロマンス』P98

何の変哲もないナレーションのように見えるかもしれません。ですが私はこれを読んで思わず「あっ!」と声を上げずにはいられませんでした。「スタニスラフスキーってこのスタニスラフスキーだったのか!」と。

と言いますのも私は最近シェイクスピアの流れから蜷川幸雄さん関係の本を読むようになったのですが、その中でよくスタニスラフスキーの名を目にすることがあったのです。ですが私は「ほぉ、そういうすごい演出家の人がいたのか」というくらいにしかヒットせず、ピーター・ブルックやブレヒトの方に気が向いてしまっていたのでした。

ですがそのスタニスラフスキーがまさかあのチェーホフの『かもめ』を大成功に導いた人物だったとは!

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上の井上ひさしさんの戯曲を読んで、チェーホフ、ダンチェンコ、モスクワ座でピンと来たのです!頭の中で電流が走りました。

と言いますのも私はちょうど2年前頃にチェーホフを学んでいました。その時私はチェーホフの伝記をいくつも読んでいたわけです。『かもめ』の初演が大失敗に終わり失意に沈むチェーホフ。ですがこの作品の真価を見出し、彼を説得して講演許可をもらい大成功させたのがモスクワ芸術座でした。チェーホフ晩年の四大劇が生まれたのもまさにこのモスクワ芸術座の類まれな演技のおかげだったのです。そのことを私は二年前に学んだのでした。

そしてその記憶はやはり残っていたようで、ここについに繋がったのです。さすがにスタニスラフスキーのことは忘れていましたが、あのモスクワ座の演技を引っ張っていたのがこの人物だと知ると、それはそれは興味が湧いて仕方ありませんでした。

という訳で手に取ったのが本書『スタニスラフスキー伝 1863-1938』だったのです。前置きが長くなってしまいましたが、私の興奮が伝わってくれたら何よりです。

さて、この本ではそんな名俳優スタニスラフスキーの生涯を見ていくことになります。スタニスラフスキーは『俳優の仕事(旧訳は『俳優修業』)』という本で有名で世界の演劇界において凄まじい影響力を持ち、日本でもバイブルのように読まれていたそうです。その演劇論は「スタニスラフスキー・システム」と呼ばれ、今でもその影響力は健在なようです。

この本の「はじめに」で、著者は次のように述べています。

わたしは、この本をまとめるひとつの課題として、その芸術や人生の背景、とりわけロシア時代をおさえながら、スタニスラフスキーの創造性が深められてゆく流れを描きたかったのだ。ここにはロシア人のものの見方があふれている。それは芸術や政治、社会についての当時の人々の見解を示していると同時に、スタニスラフスキーをきちんと理解するうえでも、彼がそのつど採択してきた芸術的な考え方を理解するうえでも欠かすことのできたいものだ。

晶文社、ジーン・ベネディティ、高山図南雄・高橋英子訳『スタニスラフスキー伝 1863-1938』P11

ここで著者が述べるように、この本は単にスタニスラフスキーの生涯をなぞるのではなく、当時の時代背景も掘り下げていきます。そしてその時代背景においてスタニスラフスキーをはじめとした演劇人がどのように動いていたのかを知ることができます。帝政末期のロシアからソ連へと移っていく激動の時代。そしてレーニン・スターリンとソ連的イデオロギーが確立していく時代。演劇が政治やイデオロギーと繋がっていたことがよくわかります。そしてそれが日本における演劇受容の歴史にも関わってくることを強く実感しました。こうした時代の空気感を知る上でもこの本は非常に貴重な資料となっています。

そしてこの本の前半ではロシア文学と演劇が繋がる興味深い箇所がありました。少し長くなりますがロシア文学好きの方にはきっと「おぉ!」となる箇所だと思います。

当時、マールイ劇場は、心理的なリアリズムの拠点であった。劇場がつくられた一八二三年当時、プーシキンは真実性という問題と取りくんでいた。劇場ではいったいなにが信じられるのか?観客はどうやって芝居の世界にひき込まれてゆくのか?本の読者は、まわりを無視してでも本の世界に没頭するものだ。しかし観客は、客席と舞台とがはっきり区分された空間で、ほかの二千人の観客と席を並べながら、いったいどうやって、眼の前に進行する舞台の出来事を本当のこととして信じることができるのか?この時代はまだ上演中に客席には煌々と灯がともり、観客は暗がりに我を忘れていられるような状態ではなかったのだ。

プーシキンは、劇の中に歴史的な事実を扱っても演劇に真実性を与えることはできないと思った。というのは、シェイクスピア、ラシーヌ、コルネイユ、そしてカルデロンといった古典作家も当時ではあきらかに時代遅れと思われていたからだ。『ジュリアス・シーザー』では、時計は打たないのか。それではほんとうらしく見えるものとはなんだろう。どこにそれがひそんでいるのだろう。プーシキンは、こう結論づけた。古典作家の関心をひいた唯一の真実はまさに、役の人物とその状況の真実性である、と。つまり、ありうべき状況でのありうべき行為ということである。そして一八三〇年に起草され、生前には出版されなかった、歴史劇についての未完の論文の中で、このようにその見解をまとめている。のちに、格言として知られるようになったものだ。

情熱の真実、すなわち与えられた状況のもとで体験する感情の真実性、これこそわれわれの知性が作家に求めるものである。
(『プーシキン全集』六、三一八頁、一九七六年、モスクワ)

ゴーゴリは、この心理的効用の視点をさらに掘り下げていった。「『検察官』をいかに演じるかについての覚え書」で、彼は俳優たちに、外側の役づくりにかかわる前に、まずは役の核となるものに近づくように要求している。

知的俳優ならば、役のつまらない癖やうわべのおもしろさをとらえようとする前に、「万人に共通する」特徴をとらえようとすべきだ。役の目的、その人物の信条、根底に抱いている関心事をよく考えなくてはならない。たとえば、なにがその人生を支配しているのか、ふだんどんな考えにとらわれているか、抜きがたい固定観念はなにか、などだ。このことを把握して、徹底的に役に同化するようにつとめなければならぬ。そうすれば役の人物の考え方や目標として努力しているものが自分自身のものとなり、上演中決して脳裏を離れることはなくなる。……まずは、うわべを飾るのではなく、役の魂をつかみとることだ。
(『ゴーゴリ論文選集』、三ニ四頁、一九八〇年、モスクワ)

ことさらに戯画化して、それだけを露骨に示すようなことは、避けるべきだ。彼がほかの箇所でも言っていることだが、俳優は、「見せるのではなく伝達すべき」なのだ。

晶文社、ジーン・ベネディティ、高山図南雄・高橋英子訳『スタニスラフスキー伝 1863-1938』P30-31
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やはりプーシキン、ゴーゴリはすごい!

彼らはロシア文学に決定的な影響を与えただけでなく演劇にも巨大な影響を与えていたのです。そしてそれは演劇だけでなく、音楽や絵画においてもそうだと言えるでしょう。

この伝記を通して改めて両巨頭の存在の大きさを確認したのでありました。

そして最後にもう1点お話ししたいのが、チェーホフの『三人姉妹』『桜の園』におけるスタニスラフスキーとチェーホフの衝突についてです。

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以下の引用は『桜の園』を巡ってのやり取りです。

ネミローヴィチ(※ブログ筆者注、ダンチェンコ)は十一月五日に最終決定の配役を発表した。登場人物やその関係についての下打ち合わせは、九日にはじまった。だが、配役の問題は片づいていったが、もっと深刻な不一致が生じた。またもや戯曲の本質にかかわることだ。『三人姉妹』はみんながドラマと呼んでいたが、それでもチェーホフは喜劇だと言い張った。今回は、『桜の園』は喜劇だと言うと、チェーホフは笑劇だと主張した。疑いもなく彼は、笑劇を書きたかったのだ。一九〇一年四月二十二日付のクニッぺルへの手紙で「芸術座用の四幕のヴォードヴィルか喜劇」の執筆について述べているが、一九〇三年暮れには手渡す予定だった。あきらかにチェーホフにはそれまでに仕上げる自信があった。一九〇三年九月十五日付のリーリナへの手紙で、こう伝えている。

書かれた作品は、ドラマではなくて喜劇だし、ほとんど笑劇と言ってもいいくらいです。ウラジーミル・イワーノヴィチ(ネミローヴィチ)に影響されたようで気がかりだが。(『チェーホフ書簡集』十一、二四三頁)

スタニスラフスキーはこの定義にはどうしても納得ゆかなかった。

これは、あなたが書かれた喜劇でもなければ、笑劇でもありません。どれほどよりよい人生を望んでいても土壇場には手放してしまうという悲劇です。(全集七、二六五頁)

晶文社、ジーン・ベネディティ、高山図南雄・高橋英子訳『スタニスラフスキー伝 1863-1938』P182-183

チェーホフは『三人姉妹』を喜劇として描きましたが、演じるモスクワ座の面々はその意図がどうしても理解できませんでした。彼の本を読んでも何が笑いになるのかさっぱりわからなかったのです。そして最新作の『桜の園』も同じように、それが「笑いの劇」であることがどうしてもわかりませんでした。スタニスラフスキーにしても、これはどう読んでも悲劇にしか見えないと困惑してしまったのでした。

チェーホフが悲劇ではなく笑いを求めて劇を書いていたということについては前回の記事で紹介した『ロマンス』にもこれでもかと書かれています。記事の中でも解説を引用してこの顛末を詳しくお話ししました。

チェーホフの『三人姉妹』と『桜の園』を巡る解釈の違い。これによってチェーホフとスタニスラフスキーは不仲になってしまいました。そしてこの本はスタニスラフスキーの伝記です。ですので、どうしてもスタニスラフスキー寄りになってしまいます。というわけでこの本ではチェーホフが若干悪役のように書かれています。チェーホフの伝記ではあまり見ない一面をこの本で見ることになりました。

「『三人姉妹』はみんながドラマと呼んでいたが、それでもチェーホフは喜劇だと言い張った」

この「言い張った」という言葉にもそうした立場は現れていますよね。

『ロマンス』を書いた井上ひさしはこうしたチェーホフの喜劇的な側面をわからない人々を批判しました。

ですがスタニスラフスキー側からすればチェーホフの言い分こそ無理があると主張しました。

このねじれが実に興味深い。

せっかくですので『ロマンス』の巻末解説を見ていくことにしましょう。

「チェーホフ劇の本質は喜劇、それも娯楽性に富むボードビルにある」というのが、チェーホフ劇に対する井上の見方だが、ここには明らかに喜劇作家としての井上自身とチェーホフとの意識的で切実な重ね合わせがある。しかも、感心したのは井上がこの劇自体をボードビルのスタイルで書いて見せたことである。つまり、ボードビル風寸劇の連鎖。これは「抱腹絶倒」の喜劇作家として出発した井上ひさしだからこそ出来たことで、しかもその挑戦はかなり成功している。

劇は南ロシアの港町で始まる。少年時代のチェーホフ(井上芳雄)は、未成年者の入場が禁止されていたボードビル、つまり「バカバカしいだけの唄入りのドタバタ芝居」に熱中する。そして、「一生に一本でいい、うんとおもしろいボードビルが書きたい」と願う。

モスクワ大学の医学部を卒業したチェーホフは、滑稽小説の書き手として人気を集めるが、やがて「ブンガクブンガクした小説」で評価を高め、「現代ロシア最高の短篇小説家」と呼ばれるようになる。

だが、諦めかけていたボードビルへの夢を、「舞台で叶える」ように薦めたのは女優オリガ・クニッペル(大竹しのぶ)だった。こうしてチェーホフは「辛味のきいたボードビル」としての傑作『三人姉妹』を書き上げ、オリガと結婚する。

劇中でチェーホフはこう言う。

「ひとはもともと、あらかじめその内側に、苦しみをそなえて生まれ落ちる」。だが、「笑いはちがいます。笑いというものは、ひとの内側に備わってはいない。だから外から……つまりひとが自分の手で自分の外側でつくり出して、たがいに分け合い、持ち合うしかありません。もともとないものをつくるんですから、たいへんです」。

このセリフには、チェーホフの、そして井上ひさしの、「ひとの内側に備わってはいない」笑いを生み出すための「たいへん」な苦闘の体験がたっぷりと込められている。だから劇中で弾ける笑いは幸福感を伴って、深く私たち観客の胸にしみこんでくる。

劇の後半、晩年のチェーホフ(木場勝己)が自作の『三人姉妹』を「上等なボードビル」と呼び、これに対して演出家スタニスラフスキー(井上芳雄)がこの「戯曲の本質そのものは美しい抒情詩」と主張して、激しく対立する場面がある。

激高する二人の間に割って入るのが老作家トルストイ(生瀬勝久)で、「苦しみを和らげるための十二ヵ条」と称して、「指にトゲが刺さったら、『よかった、これが目じゃなくて』とおもうこと」などという珍妙な処世訓を大真面目に延々と語って、客席の爆笑を誘う。シリアスな雰囲気を一気にボードビルに変換してしまう愉快な場面である。

この場面を見ながら思い出したのは、劇団民藝の演出家・俳優だった故・宇野重吉(一九八八年死去)の著書『チェーホフの「桜の園」について』(麦秋社、一九七八年)である。これはチェーホフ最後の戯曲『桜の園』(一九〇四年)を、リアリズム演劇の立場から、ソ連での現地調査も含めて綿密に解釈した著書で、新劇人の「勉強好き」が存分に発揮された本だった。

チェーホフは『桜の園』について「喜劇四幕」と明記している。だが、約三十年前、宇野の本を読んで私が違和感を覚えたのは、宇野が「喜劇」というチェーホフの規定にかなり抵抗していることだった。宇野はまず、ゴーリキーがこの劇を「悲喜劇」と呼んだ例を挙げる。そしてチェーホフは「喜劇」と書き添えることで、「『何故これが喜劇コメディなのか』と、演出者や俳優に疑問をもたせ逆らわせることで戯曲の読み取りを深めさせようとしたのではなかったか」と書く。

これはチェーホフの規定をあえて曲解してみせる不思議な文章だ。『桜の園』=「喜劇」というチェーホフ自身の規定に反し、この戯曲の本質は実は「悲劇」、あるいは「悲喜劇」なのだ、と宇野は示唆しているのだから。

つまり、宇野の立場は、『ロマンス』の中で、『三人姉妹』を「ボードビル」と呼ぶ作者チェーホフに抵抗するスタニスラフスキーの「悲劇」志向の姿勢と基本的に一致している。『桜の園』では名家の没落、男女のすれ違いなどなど、さまざまな出来事が起きるが、それらをあえて冷徹に相対化し、すべては私たちと同じ等身大の「おろか者」たちが引き起こす、おかしな「喜劇」として見るべきだとしたチェーホフの意図(二十世紀の演劇はここから始まった)を、宇野は結局、感受性として理解できなかったのだろう。

集英社、井上ひさし『ロマンス』P239-242

正直、『ロマンス』を読む前は私もチェーホフの『三人姉妹』や『桜の園』をゲラゲラ笑える作品のようには思えませんでした。ですがこの本を読んでチェーホフの笑いに対する思いに目が開かれるような思いになりました。

ですがこの『スタニスラフスキー伝』を読んで私はまた思ってしまったのです。

「やっぱりこれを喜劇として読むのは難しくないか?」と。

戯曲と舞台は違います。

シェイクスピアでもそうなのですが、戯曲で読むとさっぱり面白くないのに演出次第で笑える作品になるということが多々あります。シェイクスピアの『間違いの喜劇』では特にそれを感じました。本で読んでもさっぱり面白くないのに蜷川幸雄さん演出の舞台DVDを観たらこれが面白いのなんの!ものすごく笑えたのです!本と舞台でこんなに変わるのかとそれこそ度肝を抜かれた体験になりました。

チェーホフの劇は悲劇と喜劇が紙一重だと言われます。であるならば受け取り手次第でどちらに傾いてもおかしくありません。

チェーホフの人生観がなければ、あるいは笑いを作れる人でなければあの戯曲は喜劇にならないのではないか。

チェーホフは、初めから舞台上の笑いを意識して戯曲を書きます。ですが、戯曲には具体的なしぐさや声のトーン、動きなどは書かれていません。それをイメージできるのは作者のチェーホフだけです。

完成した戯曲を読む演出家や俳優は本に書かれたことから想像するしかありません。チェーホフが想像した笑いの要素はそこに書かれていないのです。

ですがチェーホフからすれば、「いやいや、そこをわかってくださいよ」となります。

しかし読み手は皆が皆チェーホフと同じ価値観、思想、目的を持った人間ではありません。

井上やすしさんがチェーホフの喜劇的側面を強く捉えることができたのは、井上さん自身が喜劇を作れる人であり、そうした感性を持ち、それを目指していたからです。

ですが私も含めてですが、喜劇制作の経験がなかったり、その感性が弱い人にはどうしてもそうした面白さが見えてこないのです。戯曲に書かれていないことを読み取り、創造するのは一人一人の読み手です。その読み手に喜劇的感性がないならばチェーホフ戯曲からその笑いを想像することもできないのです。

このことにチェーホフがもっと意識的であったなら、彼はその笑いの部分を積極的に劇団に伝えるべきでした。ですが彼の性格や、結核で病んだ身体ではそれも叶いませんでした。

う~ん、なんとも残酷な運命・・・

チェーホフが「これは喜劇だ」と言えば、それはたしかに喜劇なのでしょう。ですが、どう喜劇にすればいいのかは現場に任せざるをえなかった。これではなかなか厳しいものがあったのではないかと思ってしまいます。そもそも笑いって何なのだろうという根本的な問題まで私の中で浮かんできました。

現代と違って当時は演劇そのものが探り探りの試行錯誤の時代でした。「新しいものを生み出したい」とスタニスラフスキーたちはそれこそもがいていたわけです。今となっては私達は完成された演劇を観ることができます。ですが彼らが生きた時代はまだその笑いそのものが想像もできず、理解もされないような時代だったのです。

この伝記を読めばそうした演劇界の試行錯誤の戦いも知ることになります。今私たちが当たり前のように観ている演劇も、最初から今のような形で上演されていたとは限らないのです。「演技とは何か」と真剣に探究していた人たちの歩みがあるからこその今なのだなということを感じました。

いやぁ、この本にはいろんなことを考えさせられました。他にもお話ししたいこともあるのですが長くなってしまうのでここまでとさせて頂きます。チェーホフにしろシェイクスピアにしろ、本当に奥が深い・・・

戯曲と舞台の違いということを改めて考えるきっかけとなった読書でした。

以上、「ジーン・ベネディティ『スタニスラフスキー伝』~『俳優の仕事』で有名なロシアの伝説的な俳優・演出家のおすすめ伝記」でした。

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スタニスラフスキー伝: 1863-1938

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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