蜷川幸雄『千のナイフ、千の目』~批評とは何か、その重さについて考える。鋭い言葉が満載の名著!

名作の宝庫・シェイクスピア

蜷川幸雄『千のナイフ、千の目』概要と感想~世界のNINAGAWAの演劇に対する思いとは。鋭い言葉が満載の名著!

今回ご紹介するのは1993年に紀伊國屋書店より発行された蜷川幸雄著『千のナイフ、千の目』です。

早速この本について見ていきましょう。

本書は、自伝的エッセイと自身の演劇に対する姿勢を書きつづった短編とから成る。タイトルは「客席に千人の青年がいるとしたら、彼らは千のナイフを持っているのだ」という本文から取られている。七十七歳になった今でもその言葉の呪縛から逃れられないと語る蜷川の、若き日の決意と情熱がほとばしりでるエッセイ集。本音を語る魅力あるエピソードは、時を経ても古びない。

Amazon商品紹介ページより

私がこの作品を手に取ったのは現在公演されている彩の国シェイクスピア・シリーズ、『ジョン王』がきっかけでした。

彩の国シェイクスピア・シリーズは蜷川幸雄演出によるシェイクスピア演劇で、私も昨年『ヘンリー八世』も観に行きました。このシリーズについて公式HPでは次のように紹介されています。

1998年のスタート以来、芸術監督・蜷川幸雄のもとでシェイクスピア全37戯曲の完全上演を目指し、国内外に次々と話題作を発表してきた彩の国シェイクスピア・シリーズ。2017年12月、シリーズ2代目芸術監督に就任した俳優・吉田鋼太郎が演出する『アテネのタイモン』でシリーズが再開され、2019年2月に『ヘンリー五世』、2020年2月に『ヘンリー八世』を上演。

彩の国シェイクスピア・シリーズ、『ジョン王』HPより

蜷川幸雄さんが2016年に亡くなられた後、芸術監督を引き継いだのが吉田鋼太郎さんになります。私は蜷川幸雄さんが演出した舞台を生で観たことはありませんが、その魂を引き継いだこのシェイクスピア・シリーズに私は心打たれました。

こんな素晴らしい演劇シリーズを生み出した蜷川幸雄さんについてもっと知りたい。そんな思いで手に取ったのが本書『千のナイフ、千の目』でした。

この本、タイトル通りかなり切れ味抜群です。鋭いです。

前半では蜷川さんの若き日を知ることができます。戦後から高度経済成長、学生運動の時代の壮絶な空気感を感じることになりました。私は1990年生まれで、バブル期のことすらわかりません。そんな私にとって社会闘争のバチバチの雰囲気は未知の世界です。しかも蜷川さんのいた演劇の世界は特にラジカルな場所だったようでその真剣さ、厳しさには驚かされました。今と全く違う世界がそこにあったんだとこの本を読んで感じました。

タイトルの由来になった「千のナイフ」事件もすさまじいです。今では考えられません。あの当時、いや今もかもしれませんが「演劇の世界」、特に蜷川さんの世界の厳しさを目にすることになりました。

そして後半のはじまりのインタビュー記事なのですがこれがまた鋭いのなんの・・・!少し長くなりますがぜひこれは紹介したいと思います。

―あなたはプログラムに、演出者の意図とか演出家の言葉というのを書いていませんね。普通はどの公演をみにいっても、買ったパンフレットに演出家の、その公演の意図というものはなんらかのかたちで書いてありますよ。

ええ、ぼくは書きません。たとえば演出の意図とか、自分の舞台を説明している文章を読んでから、観客が舞台をみますね。するとそんなものはなにひとつ舞台上にはなくて、パンフレットの文章だけが厚顔にもそこにあるという風景にうんざりしていることがままあるからです。ぼくは、はじめて演出したときから、その種の欺瞞に苛立っていましたから、パンフレットで自分の演出意図を説明することは拒否してきました。舞台の上にすべてはあるのだ、と思いこむことで、観客に意図が伝わるだろうかというぼく自身の不安を解消してきました。多くの場合演出者の言葉というのは、観客にたいする啓蒙か、出来の悪い舞台の弁解なんです。パンフレットを読んではじめてわかるとか、読んでも理解できない舞台の氾濫です。

―では、あなたは自分の演出した作品が正しく伝わらなくてもいいのですか。

正しく伝わるということの意味がわかりません。考えてみてください。観客にとって演劇をみる契機はさまざまです。千人の観客がいれば千の動機があり、千の人生があるのです。なにかが伝わるというのは、実に重く遠いのです。そして作品はどのように理解されようと、ぼくがとやかくいうべきことではありません。それは他人の人生に注文をつけることになります。ぼくはそういうのは嫌いです。日常も生活も人も重いのです。

―演劇雑誌の取材は拒否していると聞きましたけれど、本当ですか。

本当です。事実ここ八年ぐらい演劇雑誌を読んでいませんし、取材も断っています。演劇雑誌の評論も批評も、ぼくの仕事の労苦にみあっていないと思ったときから、無関心になりました。ぼくは演劇業界とはつきあいがありません。週刊誌や女性誌のインタビューは喜んでやりますけれどね。新聞や雑誌の劇評を読んでみりゃわかりますよ。業界内言語の氾濫と、自分を疑ったことのないいい気な言語がのさばり歩いています。みんな一度生活者になって、一つの芝居をみるということが生活者にとってどういうことなのかを考えてみればいいんです。とにかく、自分で切符を買いに行くことから始めてみたらどうでしょうか。

紀伊國屋書店、蜷川幸雄『千のナイフ、千の目』P101-102

演出の意図を書かないというのは独特ですよね。たしかに蜷川さんの言うこともわかるのですが、私個人としてはある程度観劇の道筋を教えて頂いた方が、現場で混乱しなくても済むので助かります。蜷川さんからすれば、「その混乱から自分で考えよ」ということなのかもしれませんが、この辺のバランスは本当に何とも言えないですよね。たしかに蜷川さんの言うようなうんざりする欺瞞や啓蒙、弁解に陥る劇もあるかもしれませんが、この言葉は蜷川さんだからこそ言える言葉なのではないかと思います。

そして二つ目の質問の答えにあった「日常も生活も人も重いのです」という言葉。これも印象に残りました。蜷川さんの演劇に関する他の本でも、観に来てくれる観客の目線を大切にしていることが書かれていました。蜷川さんというと派手な大スペクタクルのイメージがあったのですが、実は一人一人の生活を大切に見ているのだなということを知り驚きました。

そして何と言っても最後の質問とその答えは強烈ですよね。この後の章では「いつかあいつらを撲ってやる」というタイトルのエッセイも飛び出してくるほど批評家や演劇業界に怒りをぶちまけています。その一部を見ていきましょう。

―最近、頭にきたり腹のたつことってありましたか?

ありました、ありました。ぼくは自分を芸能する者だと思っていますから、芸能にかぎって言いますけど、またまた演劇批評家と称する奴らが、なんの根拠もなしに偉そうに御託宣を書いたり、しゃべったりしはじめました。例えば、ある雑誌の座談会で「世界の劇場」についてその連中がしゃべっているのを読むと、恥を知れと言いたくなりましたね、ぼくは。

紀伊國屋書店、蜷川幸雄『千のナイフ、千の目』P146

蜷川さんはなぜここまで批評家に怒りを感じているのか、その理由を最もはっきりと語っているのが「すべては舞台の上にあるー朝日劇評との闘争記」という章になります。ページ数で言いますと11ページにわたって書かれていてぜひ全文を紹介したいのですがさすがに分量的に厳しいです。ですので一部中略しながら引用していきたいと思います。私にとってこの章はこの本の中で最も印象に残った箇所です。少し長くなりますが、この記事を書く私自身のためにもしっかり書き残していきたいと思います。

〈朝日新聞の「展」氏の劇評と「ニナガワ新聞」の発行について蜷川幸雄氏に聞く〉

―失礼ですが、蜷川さん現在おいくつですか?

蜷川 五十二歳ですけれど、それがどうかしましたか。

―劇作家の清水邦夫さんが、蜷川も元気だなぁと笑っていたもんで。

蜷川 なんのことだろう?

―六月七日の朝日新聞の夕刊に、蜷川さんの演出したスパイラル・ホールでの『ハムレット』の劇評がでましたね。「展」という署名のその劇評に激怒した蜷川さんは、「ニナガワ新聞」というのをつくって、劇場のロビーに張出したそうですね。劇場へきたお客さんは、ポスターの裏にマジックで書かれたその「ニナガワ新聞」を読もうと黒山の人だかりだったとか。酷評されたのに怒ってすぐにそういう行動することを、多分清水さんは元気だなぁといったんだと思いますよ。

蜷川 ああ、あのことですか。『ハムレット』に対する新聞の劇評は、相談でもしたんじゃないかと思うくらい似ていましたね、否定の仕方が。でも酷評されたり、否定されたって、正直にいって愉快ではないけれど、そんなに怒りませんよ。

―じゃあ、なぜ「二ナガワ新聞」をつくってまで反論したんですか。なぜ朝日新聞の劇評にだけ反応したんですか。

蜷川 ああ、俺ね。あの劇評をなぜか、いやらしい、と感じたんだよ。この人は、一度でも現在の自分を疑ったり、劇評を書く自分に恐怖を抱いたりしたことがあるんだろうかと思ったら、ほら、中日の星野監督が審判のジャッジに怒って真先にべンチを飛び出して、審判を撲りそうになる場面をテレビで見たことがあるでしょう。あれと同じように、ぼくもべンチを飛び出してたんですよ。

―突然、野球の例をもちだされてもちょっと。もう少しくわしく話してもらえませんか。星野監督が審判にくってかかるとき、おそらく選手たちが見ていることを意識しているでしょう。蜷川さんも俳優たちを意識していたってことですか。

蜷川 俳優たちは、ぼくの演出プランを信じて一緒に仕事をしているんですから、ぼくは彼らを守る義務があります。彼らを意識しないで、演出なんてやれません。プロ野球ならぬプロ演劇ではね。あなたは朝日新聞の劇評、のようなものを読みました?

―いや、実は読んだんですけれど、明確に覚えてないんで、すみません。

蜷川 ぼくは、そういうプロフェッショナルじゃない仕事の仕方って、好きじゃありません。でもいいや、ここにコピーがあるから読んで下さい。

ーすいません。

 〈蜷川幸雄の演出は、独創的な舞台作りにいつも感嘆させられるが、東京・青山のスパイラルホールで見た『ハムレット』には、正直なところ、がっかりして疲れ果てた。その原因は何よりもセリフの語られ方にある。ハムレット役の渡辺謙など、早口にしゃべりまくっていることの半分は聞き取れず、あとの半分は右の耳から入って左の耳から出ていくだけで、心に触れてこなかった。この『ハムレット』で、蜷川はデンマーク王の宮廷を七段飾りのヒナ壇に見立てている。国王クローディアス(夏八木勲)と王妃ガートルード(二宮さよ子)が内裏ビナだ。興味深い発想で、王とその家臣たちを日本中世の宮廷人にしたほかは、現代服やらいつの時代とも分らぬ服装が交じり合う。

 彼らの語る言葉を、蜷川は坪内逍遙訳の古めかしい言いまわしと、小田島雄志訳の現代的な表現の中から、俳優に自由に選ばせたという。これもおもしろい実験だが、ニつの訳が違和感なく共存したかどうか判断するには、俳優たちのセリフが勝手気まますぎる。

 二宮さよ子、夏八木勲、荻野目慶子、それに亡霊役の麦草平のセリフは、ともかく明りょうに分かったが、それ以外は、ホレーシオの松重豊がまずまずだったくらいだ。これは俳優の責任というよりも、演出家の方に問題があるだろう。

 ハムレットが倒れたとき、次の時代を担う者として登場するノルウェー王子フォーティンブラスとその軍隊は、旧日本陸軍を思わせる軍服に、ぼろぼろになった黒旗を持って現れた。蜷川は、これで破壊と暴力の勝利を象徴しようとしたのだろうか。舞台の上で暴力が渦巻くのを見たあとで(それはハムレットや国王など多くの登場人物の死という芝居の中身だけでなく、シェイクスピアのセリフの暴力的な破壊も含めてのことだが)この軍服と黒旗があざ笑うように立つ姿を見て、やりきれない気持だった。(展)〉

なるほど、これを読んだ蜷川さんはさっきおっしゃったように、いやらしいと考えられて「ニナガワ新聞」をつくったんですね。

蜷川 そう。いい気なもんだと、ぼくは思ったわけ。ぼくの仕事の労苦とこの文章はみあっていないとも思ったよ。毎日新聞の劇評も似たようなものだったけれど、ぼくは新聞における演劇ジャーナリズムの象徴として朝日新聞を選んだんです。「展」という署名の文章にどのように反論するかいろいろ考えて、結局ぼくは「ニナガワ新聞」という一部しかない一種の壁新聞をつくって、劇場のロビーに展示しようと思ったわけです。朝日新聞の八百万部に対してたった一部しかなく、しかも個人の名前で責任をとる新聞ならば誰にも迷惑をかけないし、ちょっと滑稽な感じがして芸能人っぽいでしょう。

―確かに八百万部対一部しかない新聞の喧嘩というのは面白いですね。

蜷川 演劇というメディアは、上演している劇場一カ所でしか見ることはできません。テレビや映画のような映像のメディアや、新聞や雑誌のような活字のメディアのように、同時に何百万、何千万、あるいは何十万の人たちが見ることや読むことができるメディアとは決定的にちがうのです。上演している劇場、そこでしか見ることのできない演劇は、新聞にたとえれば一部しか売っていない新聞と同じだと、ぼくは考えました。芸能する者としてのぼくは、反論するにしても一部の新聞に固執することが、ぼくの仕事の本質なんだと考えたわけです。

―少し判ってきました。八百万部のメディアにかかわる者には、それだけの責任と恐怖心をもって欲しい、いい気になるなよといいたいんですね。

蜷川 まあね。

紀伊國屋書店、蜷川幸雄『千のナイフ、千の目』P122-126

批評家を名乗る人間が大きなメディアを用いて語る言葉の実態。

そのことを強く指摘する蜷川さん。では蜷川さんが作った「ニナガワ新聞」とはどのようなものだったのか、引き続き見ていきましょう。

―で、「ニナガワ新聞」の内容はどうだったんですか。

蜷川 それも読んでないでインタビューしてるの?

―いや読んでますけど、劇場へいってない人に、その内容を知ってもらうには蜷川さんに語ってもらうほうがいいと思ったもんですから。

蜷川 ほんとかよ。まあ、いいや、読みます。

 〈ニナガワ新聞、第一版、一九八八・六・一四。朝日新聞の〝展〟という署名の劇評(?)が威張っていて面白い。〝朝日という名の電車〟に乗って座席にふんぞりかえっている。〝展〟こと宮下展夫は、一度として演劇のコンセプトを理解したことはない。彼は「ハムレット」の印象文でも科白が聴こえないと言う。あたりまえでしょう。聴こうともせず、見ようともしないものに、なにがとどくのだろうか。

 ピーター・ブルックや外国の演劇の言語は耳にとどくこの男は、外国語の名人であり、日本語になると難聴になるという病気にかかっているのだろう。本来演劇なんてお客様がどんな印象をもって帰ろうと、文句を言うべきではない。しかし劇評めかしたこの男の、自分はなにかを見おとしたかもしれない、なにかを聴きおとしたかもしれない、コンセプトが自分の体験をこえるものであったのかもしれぬ、という自分への一切の疑いを排した文章は、「朝日」に載せることによって社会化されたのだと、私は考える。社会化されたものには、当然反撃すべきだと、私はこの「新聞」を発行することにした。名づけて「ニナガワ新聞」。宮下展夫さん、人生には聴こえる言葉もあれば、聴こえぬ言葉もあるのですよ。それが私の世界なのだ。

「がっかり」などせず、観劇印象文などやめて、生活者になって、自分で切符を買っていらっしゃい。人生は変わり、断定することの恐怖を知るようになるでしょう。
                          ―演出界のとんねるず又は内田裕也〉

―どうですか、落ち着いてから自分の文章を読んでみると。

蜷川 文章も上手くないし、論旨に飛躍がありますね。でもその瞬間の怒りとか不快感はよくでてますね。しかし、ぼくは文字を書くことによって世界とつながろうと決意した人間ではないのですから、宮下さんのように書くことによって自分の存在証明をしようという人の土俵にのるというのは、本当は恥ずかしいしいやなんです。だいたいぼくは、パンフレットにも自分の演出意図を文章によって説明しておくということは原則としてしないようにしています。すべては舞台の上にある、あるいはこめられているのだと思いこむことで、ぼくは演出家としてのスタートをきりましたし、劇評にも耐えてきました。でも壊れたブラウン管には映像はうつらないんだ、といってやりたい演劇記者も多いんですよ。ほとんど毎日のように劇場へいって芝居をみる仕事というのも、大変だと思いますよ。一日のうちに昼は東宝、夜は松竹というように二本もみなけりゃならないこともあるでしょう。疲れていることもあるでしょう。でもね、彼らにとっては毎月みる何十本という芝居のなかのたとえ一本に過ぎなくても、ぼくにとっては何カ月もかけてつくりあげ、現在の思いの全てをいれこんだ一本なんです。

―でも、上演される作品もまた社会化されるわけですから、なにを言われようと書かれようと仕方ないんじゃありませんか。

蜷川 そうですよ、確かに。でもね、生活する普通の観客というのは、今月はどんな芝居をみようかとか、これをみにいっている間亭主や子供の御飯をどうしようかとか、さまざまな日常をくぐりぬけた後に、劇場へ来るわけです。ですから、観客にとって演劇はいつでも「ハレ」の日なんです。その選択こそ重いと思いませんか。八百万の読者をもつ新聞に劇評を書く記者は、八百万の人々の思いによって、自分を点検することこそ義務だと思いませんか。演劇業界に出入りするうちに、いつしか自分が特権的人間になっていると錯覚しているとしか思えない劇評の氾濫ですよ。人々にとっての「ハレ」の日だ、という思いで新鮮に劇場へくる記者なんて、数えるぐらいしかいませんよ。

ぼくは批判されることなんて、平気ですよ。いつだったか電車のなかで隣の男の人の夕刊をのぞいたら、「蜷川幸雄の失敗作」というタイトルの文字が飛込んできてびっくりして、急に恥ずかしくなったことがありましたけどね。あの劇評も凄かったなぁ。でもぼくは黙ってたんだから。

紀伊國屋書店、蜷川幸雄『千のナイフ、千の目』P126-128

「「がっかり」などせず、観劇印象文などやめて、生活者になって、自分で切符を買っていらっしゃい。人生は変わり、断定することの恐怖を知るようになるでしょう。」

「彼らにとっては毎月みる何十本という芝居のなかのたとえ一本に過ぎなくても、ぼくにとっては何カ月もかけてつくりあげ、現在の思いの全てをいれこんだ一本なんです。」

「観客にとって演劇はいつでも「ハレ」の日なんです。その選択こそ重いと思いませんか。」

「八百万の読者をもつ新聞に劇評を書く記者は、八百万の人々の思いによって、自分を点検することこそ義務だと思いませんか。演劇業界に出入りするうちに、いつしか自分が特権的人間になっていると錯覚しているとしか思えない劇評の氾濫ですよ。」

重い・・・重すぎます。一つ一つの言葉があまりに重い。これは劇評だけではなく、あらゆる分野にも言える言葉なのではないでしょうか。

そしてこの直後から語られる箇所、これが批評というものの本質を突いた決定的な文章になります。これは特に注意して読んでいきたい箇所です。

―ところで、「世界のニナガワ」とかいわれていい気になってるところを酷評されて、カッときたんじゃないかと思っている新聞記者も多いんじゃないかと思うんですが。

蜷川 あなたも恐ろしいことを平気でよくいいますね。俺ね、そう思われることが一番恥ずかしいから週刊文春のグラビアにも写ってんだよ。「ニナガワ新聞」の前に座って笑っているあの写真は、俺の必死のパフォーマンスさ。べルイマンやピーター・ブルックがあんなことをやるかい?俺は自分を演出という仕事をする芸能人だと思ってるだけだよ。

―じゃあ、芸能人のニナガワさん、外国の新聞記者の劇評と日本の記者の劇評は違いますか。

蜷川 去年『NINAGAWA マクべス』というシェイクスピアの作品をロンドンで英国国立劇場と東京の帝劇で上演したんですけれど、そのときの劇評をそれぞれ読むから比較して下さい。いっときますけれど、褒められたからうれしいとか、貶されたからくやしいとかの問題ではないよ。舞台をみるということの愛情と理解の深さの問題だよ。じゃ聞いてて下さい。日本側は例によって朝日新聞の劇評。

 〈九月にロンドンのナショナル・シアターで上演され評判を呼んだ『NINAGAWA マクべス』が、東京・丸の内の帝国劇場で上演されている。国内では昭和五十五年以来の再演にあたる。シェイクスピアの原作を、演出の蜷川幸雄が持ち前の剛腕によりジャポニカの味付けで料理した大作である。

 何よりも注目すべきは、妹尾河童による舞台装置であろう。巨大な仏壇を思わせる装置が、帝劇のプロセニアムいっぱいに造られた。劇の進行を舞台の両そでから観客とともに見守るふたりの老婆が十メートルはあるこの仏壇を開くと、悲劇の幕が切って落とされる仕掛けだ。

このプロセニアムを囲う仏壇は、通常は開け放たれているが、時には扉の内側に仕込まれた引き違い戸の格子を通して惨劇をかいま見せもする。観客と舞台との時空間の関係が扉と引き違い戸によって、三段階に変化するわけだ。装置が単なる背景にとどまらず、積極的に劇の進行に関与している点を高く評価したい。

 蜷川はこの装置を十二分に活用して、骨太い構成を前面に押し出していく。出演者は時代劇の扮装。マクべス(津嘉山正種)と僚友のバンクォー(瀬下和久)が、魔女(嵐徳三郎ら)と出会って、「マクべスは王になる」との予言を聞かされる場面の導入部などでは、格子越しに妖しく幻想的な風景が展開される。野心的なマクべス夫人(栗原小巻)が情愛にからめて、王の殺害に二の足を踏む夫をそそのかす場面では、客席に向かって舞台はさらけ出され、現実の生々しさが描写される。

 もっとも、しばしば蜷川が陥る癖だが、骨格の太さに対して、心理的な描写は決して十分とは言えない。魔女などデテールの描写は綿密なのだが、骨格と微細なデテールの間をつなぐ登場人物の性格の肉付けが物足りない。そのため、筋が随分と手際よく運ぶ印象がある。

 平幹二朗の病気休演で、ロンドン以来、マクべスをつとめる津嘉山は、美丈夫で剛直なマクべス像を作り上げている。平とは持ち味が違うが、強さともろさを併せ持ったマクべスの表現に結びついて好ましい。それに対して、栗原のマクべス夫人は、もう少し気品が欲しい。悪事を運ぶにあたっての夫婦の心理の綱引きが、王位を狙おうかという人物の気高きを伴って表現できれば欲におぼれて身を滅ぼすマクベスの悲劇は、もっと真に迫ったものになったであろうからだ。(M)〉

ーなるほど。Mという署名は宮下展夫さんのMですか

蜷川 ちがいます。松葉さんというそれまで建築にたいする評論などをやっていて、演劇の批評などもやるようになった記者です。

―へぇー。たまんない話だ。まるでおせんべいが今日から私はクレープですって言うようなもんだ。

蜷川 なんですかそれは。じゃあ、今度はマイケル・ビリントンという署名入りの「ガーティアン」紙の劇評を読むよ。

 〈リトルトン劇場でいま上演中の蜷川幸雄演出『マクべス』ほど、痛いような美しさを見せる舞台に接したのは、劇場に通い続けた今までの人生でも初めてのことだった。彼の手によるこの劇は、「悪の解剖」というよりは、はやり立つ野心の不毛と破滅への哀歌である。古代ローマの詩人ウェルギリウスが「やがては滅びる全てのものに涙する思い」と呼んだあの感覚が、終始舞台に漂う。

 劇は、伝説を今ふたたび物語るという形で眼前に展開される。二人の老婆は、カーテン代わりの壁を左右に開いてから、舞台の両極端に座り、魔法瓶などを傍らに置いて、事の成り行きを見守る。もっとよく見ようと首をのばし、また、分別を失ったマクべスが愚かにもマクダフの妻子殺しの残虐行為に及ぶとき、身も世もなく泣き崩れる。彼女らは人間の欲の空しさを嘆く無言のコーラス役、注釈者である。英国におけるシェイクスピア悲劇上演方法との驚嘆すべき相違は、圧倒的な抒情性にある。物語の背景は十六世紀日本に設定されている。戦国武将間の争いも消耗点に達し、新たに生まれた秩序と団結を示すかのように、ダンカンを頂点としてその足下に侍たちが居並ぶ。

 観客は舞台上の多くを半透明の格子幕を通して見る。そこを支配するイメージは、血の色をした太陽、王座として使われる金色の甲冑、そしてあの有名な満開の桜と風に散る花びら。これは、はかなさと美の象徴である。それに加えて蜷川は、引いては押し寄せ、もの悲しく鳴り響く背景音楽を使う。

 英国の観客は、暗い地獄の雰囲気が強い『マクべス』上演に慣れているのだが、蜷川の舞古は、色と光に満ちている。しかし、秀でた絵画像を見せてくれるだけなのではない。彼は、世の権力の無常という観点から劇を捉えているのだ。空しく王位を求める者を笑うかのように、甲冑の王座は舞台後方段上に仏壇の中心点として据え置かれている。マクべス自身も、高い位から転落する英雄として捉えられ演じられている。彼は最初、戦闘に疲れた白馬にまたがって登場する。勇敢な騎士として完璧な姿だ。その最後においても、十数人の敵を相手に次から次へと無造作に切り倒してゆく。マクべスは、通常われわれが見慣れている狂暴な精神病質者ではなく、権力への意思に蝕まれた偉大な男だったのだ。

 しかし、言葉の障害を越えて伝わって来る演技を一人だけ選ぶとすれば、それは栗原小巻のマクべス夫人であろう。若く美しく艶やかな黒髪のマクべス夫人は、明白な意味を込めて夫の刀の柄を愛撫する。セックスと支配が彼女においては一体となっているのだ。だが、彼女がもっとも感動的なのは、その凋落における演技であろう。バンクオー暗殺前、マクべスとの短い一場、彼女は円形の鏡に映る青ざめた自分の顔を虚ろに見つめながら座っている。偽りの顔を装う必要があること、目は魂の窓であることを痛切に訴えかけてくる姿である。そしてあの夢遊病の場では、病んで青白い両の手は絶えず観客の眼前にあり、光を求めて高く天上へと差しのばされていく。水で洗い落とせないならば神への嘆願によって血を消し去ろうとするかのように。

 しかしながらこの舞台の偉大さは、人間の狂気、愚考を悔やみ嘆く思いと地上の美の意識とを結びつけたところにある。マクべス夫人が夫の手から血まみれの短刀を取るとき、夜明けの小鳥たちが鳴きはじめる。バーナムの森は、満開の桜の林となってダンシネーンに押し寄せて来る。マクべスが絶望のどん底に落ちるとき、火のような太陽の天球は瞬時に燃え尽きて灰の色となる。

 単なる道徳的断罪ではなく、この舞台は、すべての人間の営みと努力が時の移ろいの下にあるという詩的瞑想を与えてくれる。マルカムが終幕の演説を終える前に老女たちがカーテンを閉めるとき、永遠の相の下には、彼の善政もまた一瞬の輝きに過ぎないであろうことを私は悟るのである。〉

―なるほど・ニつの劇評をこうして比較してみると、知性の差どころか人間の差なのだという気がしてきましたね。

蜷川 褒められるとか、貶されるとかの問題じゃなくてね、ぼくは自分の舞台を本当の意味で理解されたがっているのさ。

紀伊國屋書店、蜷川幸雄『千のナイフ、千の目』P128-134

いかがでしょうか。比べてみるとその違いには驚くしかありませんよね。

そして私は蜷川さんの、

「いっときますけれど、褒められたからうれしいとか、貶されたからくやしいとかの問題ではないよ。舞台をみるということの愛情と理解の深さの問題だよ。」

「褒められるとか、貶されるとかの問題じゃなくてね、ぼくは自分の舞台を本当の意味で理解されたがっているのさ。」

という言葉に強く打たれました。

作品に対する愛情と理解の深さ。これが批評の原点なのだと。もちろん、悪い点や改善すべき点を率直に述べるのも批評の役目であるでしょう。忖度忖度のなあなあの関係になってしまってはおしまいです。ですが批評の原点とは何かということは忘れてはならないと思います。

そして私はこの蜷川さんの言葉を読み、あっと思いました。ちょうど私はこの記事を書く直前にジョージ・ステイナー著『トルストイかドストエフスキーか』という本を読んでいました。そしてこの本にまさしく「批評」というものについての言葉が書かれていて、これが蜷川さんの言葉と恐ろしいほど相通じているのです。せっかくですのでこちらも見ていきましょう。

作品に惚れこまなくては文学批評などということはできるものではない。詩でも劇でも小説でもいいが、文学作品が私たちの想像力を捕える、その捕え方は明白だが同時にまた神秘なものだ。一冊の本を読み終わったとき、もはや私たちはその本を読む以前の自分ではないのである。

文学以外のものから例をとってみよう。セザンヌの絵をほんとうに理解した人はもう以前と同じようにりんご、、、や椅子を見たりはしない。偉大な芸術作品は嵐のように私たちの中を通り抜け、頭脳の扉を開け放ち、いわば私たちの信仰やら信条やらで築き上げられた建築物をゆさぶって変形してしまうのだ。

私たちはその衝撃を書きとめ、ゆさぶられた私たちの建物を新しい姿で作り変えようとしたり、私たちの経験を他人に語って心から共感しあおうとする。ほかの人たちにも同じ気持ちを味わってほしいと考え、説得を試みることから批評という仕事のほんとうの洞察力が生まれてくるのである。

わざわざこんなことを言ったのは、今日の批評はたいていこういうことを目ざしていない別のタイプの批評だからだ。あら捜しをしたり、奇抜な意匠をこらすかと思えば、哲学的な系譜やら複雑な方法論に浮き身をやつす現在の批評の行き方は、作品を称賛するよりも葬ることになってしまいかねない。
※一部改行しました

白水社、ジョージ・ステイナー、中川敏訳『トルストイかドストエフスキーか』P7

「作品に惚れこまなくては文学批評などということはできるものではない」

「私たちはその衝撃を書きとめ、ゆさぶられた私たちの建物を新しい姿で作り変えようとしたり、私たちの経験を他人に語って心から共感しあおうとする。ほかの人たちにも同じ気持ちを味わってほしいと考え、説得を試みることから批評という仕事のほんとうの洞察力が生まれてくるのである」

いかがでしょうか。まさに蜷川さんが述べられていることと重なってきますよね。蜷川さんの「舞台をみるということの愛情と理解の深さの問題だよ」という言葉をまるで補足するかのようなジョージ・ステイナーの解説です。

そしてそれに対して相手をけなすための批評は何をもたらすのか。最悪、その批評は芸術家の生活を破壊してしまうのです。

私はこのことを思うとチェコの音楽家スメタナのことを思い出さずにはいられません。

『モルダウ(ヴルタヴァ)』で有名なスメタナですが、彼も批評家による執拗な攻撃に苦しめられた音楽家でした。

彼は批評家たちによって誹謗中傷や仕事上のあからさまな妨害を受け、精神的にどんどん追い詰められていきました。

彼はストレスと緊張でもはや人が変わってしまったかのようになってしまい、やがて発疹や発熱に苦しめられ、強度の幻聴、耳鳴り、めまいにも襲われるようになりました。

そしてさらに悲惨なことに、この病状は一気に進行し彼はこの後完全に聴覚を失うことになります。聴覚を失った作曲家といえばベートーヴェンが有名ですが、スメタナも同じ運命を辿ることになってしまったのです。

また、私が学んできたドストエフスキーも文壇や批評家たちからの言葉に悩まされ続けていました。ただ、ドストエフスキーが幸運だったのは、妻アンナ夫人のおかげで『作家の日記』という個人雑誌を発行し、それを読者に直接届けることができた点にあります。この作品のおかげでドストエフスキーは読者からたくさんの手紙を受け取ることになりました。つまり、ドストエフスキーは読者からの声を直に聴くことができたのです。

これまで文壇や批評家から散々理不尽な攻撃を受けていたドストエフスキーにとって、こんなに嬉しいことはなかったでしょう。「自分を愛してくれる読者がこんなにいたのだ」とたくさんの手紙から実感することができたのです。現にドストエフスキーはその手紙を大切にし、丁寧に返事を書いています。

文壇や批評家の悪意ある人間は「ドストエフスキーをわかろう、愛そう」という気持ちなどはなから持ち合わせていません。攻撃することが前提なのです。そしてそれが大きなメディアに掲載され、それを基に多くの人がドストエフスキーを評価した。売れ行きにも明らかな影響があります。

思えばこれはスメタナやドストエフスキーだけではなく古今東西あらゆる天才たちが通ってきた苦難の道ではないでしょうか。トルストイもツルゲーネフもバルザックもユゴーもゾラもメンデルスゾーンもみんなそうです。

悪意ある批評が軽々しく飛び交うことは人類にとってとてつもない損失なのではないでしょうか。

蜷川さんの「舞台をみるということの愛情と理解の深さの問題だよ」という言葉は批評を考える上で非常に重い言葉なのではないかと思います。

かなり長い記事になってしまいましたが、私にとってもこの「批評の重さ」という問題はとても大きなものがあります。

「舞台をみるということの愛情と理解の深さの問題だよ」

愛から生まれた言葉を私は大切にしたい。そう思ったのでありました。

以上、「蜷川幸雄『千のナイフ、千の目』~批評とは何か、その重さについて考える。鋭い言葉が満載の名著!」でした。

次の記事はこちら

前の記事はこちら

関連記事

HOME