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小倉孝誠『『パリの秘密』の社会史』あらすじと感想~ドストエフスキー、マルクスにも影響を与えたウージェーヌ・シューの新聞小説とは

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小倉孝誠『『パリの秘密』の社会史 ウージェーヌ・シューと新聞小説の世界』概要と感想~ドストエフスキー、マルクスにも影響を与えた新聞小説とは

今回ご紹介するのは2004年に新曜社より発行された小倉孝誠著『『パリの秘密』の社会史 ウージェーヌ・シューと新聞小説の世界』です。

早速この本について見ていきましょう。

『パリの秘密』という小説をご存知ですか。19世紀フランスの社会派大衆小説の先駆者ウージェーヌ・シューの一世を風靡した新聞小説です。当時、その人気はバルザック、ユゴーを嫉妬させ、トルストイ、ドストエフスキーにも大きな影響を与えたといいます。かつて邦訳(部分訳)もされましたが、いまでは本国はもとより日本でもまったく入手困難です。本書は、この名のみ高くほとんど読まれることのない小説の内容を興味深い挿絵とともに紹介し、その背景となるメディア状況などを絡ませながら、シューが生きた時代と思想を浮き彫りにします。

Amazon商品紹介ページより

私がこの本を手に取ったのはマルクスの『聖家族』という作品がきっかけでした。

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マルクスはこの作品の中で何度もウージェーヌ・シューの『パリの秘密』に言及しています。ですが私はこのウージェーヌ・シューという人物が何者かがほとんどわからず、非常に気になる存在になったのでした。

そこで見つけたのが本書『『パリの秘密』の社会史 ウージェーヌ・シューと新聞小説の世界』になります。

ありがたいことに、この本の冒頭でウージェーヌ・シューとは何者かということがまとめられていましたのでここに引用していきます。少し長くなりますが重要な箇所ですのでじっくり見ていきます。

ウージェーヌ・シュー(1804-1857)Wikipediaより

ウージェーヌ・シューとは誰か?

もしあなたが仏文科の学生でなく(あるいはかつて仏文科の学生であったこともなく)、フランス文学の教師でもないのにウージェーヌ・シューの名前を知っているとすれば、さらに彼の作品の表題をいくつか挙げられるとすればなおのこと、あなたは相当の文学通と呼ばれてしかるべきである。

もし文学に格別の関心を抱いていないにもかかわらずシューの名前に親しんでいるとすれば、あなたは社会思想、とりわけ十九世紀フランスの社会主義思想に精通していると想像できる。おそらくマルクスの愛読者だろうし、少なくとも彼の『聖家族』(一八四五)という著作を読んだ経験があるにちがいない。

あるいはまた、漠然と現代思想と呼ばれているものに興味があり、それを代表する思想家、たとえばミシェル・フーコーやウンベルト・エーコの著作を繙いたことがあるだろう。

一見なんの関係もなさそうなこれらの知の領域を横断して喚起されたシューとはいったい何者なのか。
※一部改行しました

新曜社、小倉孝誠著『『パリの秘密』の社会史 ウージェーヌ・シューと新聞小説の世界』P7-8

いきなりマルクスの『聖家族』が出てきましたね。私もここを読んでびっくりしました。

では続けて読んでいきましょう。

十九世紀フランスの作家ウージェーヌ・シュー(一八〇四-五七)は、社会派大衆小説の先駆者と見なされている。その代表作である『パリの秘密』(一八四二-四三)は、文学史や文学事典の類においてかならずといっていいはど言及される作品になっている。

しかしわが国では、一部の専門家を除けばほとんど未知の名前であろう。『パリの秘密』が一九七一年に不完全なかたちで邦訳されたのを最後に、翻訳はまったく出てないし、それもすでに絶版だから、日本の読者が書店や公共図書館でシューの名を目にすることは皆無なのである。

一八〇四年生まれのシューは歴史家ミシュレ(一七九ハ-一八七四)、作家のバルザック(一七九九-一八五〇)、ユゴー(一八〇ニ-八五)、デュマ・ぺール(一八〇ニ-七〇)、そしてジョルジュ・サンド(一八〇四-七六)らと同じロマン主義世代に属し、作風は異なるものの彼らと同時代に活躍した。これらの作家たちが研究者から評価され、今日でも多くの読者に恵まれ、邦訳も数多く刊行されているのに対し、シューの場合はそうではない。また文学史の記述において、シューの位置づけはきわめて慎ましやかなもので、せいぜい新聞小説の書き手としてその名が挙げられる程度にすぎない。

しかしシューは七月王政期(一八三〇-四八)にもっともよく読まれ、もっとも高く評価された作家の一人であり、その名声は西欧諸国にあまねく轟いていた。とりわけ一八四二年から翌年にかけて『ジュルナル・デ・デバ』紙に連載され、洛陽の紙価を高めた『パリの秘密』が、彼を一躍、流行作家の地位に押し上げた。

サンドやデュマ・ぺールは最上級の賛辞を呈し、バルザックはシューへの対抗意識を露わにして『現代史の裏面』(一八四八)や『娼婦盛衰記』(一八四三-四七)を書き、ユゴーはシューの作品に触発されながら『レ・ミゼラブル』(一八六二)を上梓する。

サン=シモン派やフーリエ派といった社会主義者たちは、シューが労働や貧困という社会問題に世論の注目を向けさせたことに機敏に反応した。

さらにロシアの文豪トルストイはシューの愛読者であり、ドストエフスキーのいくつかの作品(たとえば、作者のシべリアでの獄中体験を語る『死の家の記録』)には、下層社会や犯罪者の習俗を語った『パリの秘密』が濃密に反映していると言われる。

二十世紀に入ると、一九三〇年代の数年間パリに住んだアメリカのへンリー・ミラーは、十九世紀フランスの作家たちに深い敬意を抱き、『わが読書』のなかでシューの小説が「ぼくら子供にとって、不思議な世界だった」と回想している。
※一部改行しました

新曜社、小倉孝誠著『『パリの秘密』の社会史 ウージェーヌ・シューと新聞小説の世界』P8-9

ここを読むだけでもウージェーヌ・シューがいかに巨大な人物だったかがわかりますよね。

そして驚きなのはあのトルストイやドストエフスキーにも大きな影響を与えていたということでした。私もここを読んですぐに『評伝ドストエフスキー』を読み返してみたのですが、たしかにウージェーヌ・シューについての記述がありました。『評伝ドストエフスキー』では『死の家の記録』ではなく『虐げられた人びと』の解説で彼の名前は出てきていましたが、いずれにせよあのドストエフスキーにも大きな影響を与えていたというのはたしかなようです。

また、『パリの秘密』がなければユゴーの『レ・ミゼラブル』もなかったかもしれないというのも驚きでしたし、サン・シモン派フーリエ派とも繋がってくるというのもびっくりでした。

「影響を与え過ぎだろう!」と突っ込みたくなるほどの影響力を持っていたのがこのウージェーヌ・シューという人物だったようです。

ですがなぜそれほどの大人物が現在、日本で知られていないのでしょうか。

このことについて著者は次のように語ります。ここも長くなりますがこの本の内容がわかりやすくまとめられている箇所ですのでじっくり見ていきます。

私は以前からウージェーヌ・シューのことが気にかかっていた。しばしば論じられ、よく読まれる作家だからではない。本国フランスでもシューに関するモノグラフイは数えるほどしかないし、『パリの秘密』と『さまよえるユダヤ人』が廉価版の叢書に収められているのを除けば、今日出版市場に流通している作品はない。

一般読者への流布の度合いを示すと思われるポケットブック版になると、文字どおりまったく入っていない。要するに、フランスでも日本でもほとんど読まれない作家ということだ。

気にかかっていたというのは、十九世紀フランス文学史においてはかなり重要な名前であるにもかかわらず、このように読まれなくなったのはなぜかという素朴な疑問がわだかまっていたからであり、それと同時に、生前は絶大な名声と人気を博した彼の作品がいったい何を物語っているのか、文学研究者として好奇心が刺激されたからである。

文学史のなかでは一般に、シューは「大衆小説」あるいは「新聞小説」の発達という歴史的文脈て触れられる。一八三〇年代に始まった新聞の連載小説は、四〇年代に入るとデュマ、シュー、ポール・フェヴァルら才能に恵まれた作家たちが登場してきて、最初の隆盛期を迎える。

とりわけ『パリの秘密』と『さまよえるユダヤ人』は、パリの下層社会を描き、富と貧困、善と悪を鋭く対比させながらブルジョワ社会の偽善性を告発した作品として、べストセラーとなった。

同世代のデュマが『三銃士』や『王妃の首飾り』など歴史冒険小説のジャンルで成功を収めたのに対し、シューはみずからが生きた時代を観察、分析し、その病弊を抉り出した、とされる。これは正しい指摘なのだが、しかし文学史の記述にはそれ以上の説明はないから、シューの文学世界の具体的な特徴についてはよく分からない。

『パリの秘密』という作品にはさまざま逸話と伝説が付着して、その神話性を高めているのも事実である。たとえば、人々は作品が連載されていた『ジュルナル・デ・デバ』紙を争うように買い求めたので、新聞の発行部数はケタ違いに伸びた。買えない人は、新聞が置いてあった貸本屋の前に長蛇の列をなした。その人気の沸騰ぶりには、あのデュマやバルザックでさえ激しく嫉妬したと伝えられる。しかも、シューのもとには連載中から数多くの「ファンレター」が舞い込んだのである。作家自身、読者との交流に魅了され、ついにはみずからを主人公ロドルフに見立て、パリの貧しい界隈をめぐり歩くようになったという。

つまり文学史的にはなかば伝説的な作品であり、少なくとも十九世紀フランス文学に親しんでいる者にとっては周知のタイトルということである。わが国で刊行される十九世紀フランス文学関係の研究所でも、ときにシューへの言及を目にすることはある。

しかしそれはたいてい、ジャーナリズム史やメディア史との関連で逸話的に語られるのであって、シューの小説がどのようなテーマをどのように扱い、どのような構造をもっているのかについてはほとんど触れられていない。換言すれば、シューの作品は文学としてではなく、もっぱら社会現象として語られてきたということである。そして読まれるより前に(あるいは読まれることなしに)語られ、論じられるより前に判断を下されてしまったのだ。

これは不幸な情況だと思う。

たしかに、大衆文学は同時代の読者の心をとらえた度合いが強いほど、その時代が過ぎ去ったときに古びた印象をあたえることがある。古さの原因は作中人物の造型や、物語の布置や、心理描写や、風俗などに求められるかもしれない。そして『パリの秘密』のなかに、そうした意味で古びたページがあることを私は否定しようと思わない。

しかしそのような避けがたい制約を超えて、文学史的、社会史的に見とき、この作品はきわめて興味深い細部に満ちあふれている。本書はその細部に注意深く視線を向けながら、シューの作品をさまざまな観点から読み解こうとする試みにほかならない。

『パリの秘密』はデュマの「モンテ=クリスト伯」や、バルザックの『娼婦盛衰記』や、ユゴーの『レ・ミゼラブル』としばしば比較される。いずれも読者の意気を阻喪させかねないほどの大長編であり、十九世紀フランスの闇の世界を照射している。

しかし現在ではフランスにおいても日本においても、この三作に比してシューが読まれ、論じられることはあまりに少ないし、読者や研究者の側からの関心も低い。『モンテ=クリスト伯』や『レ・ミゼラブル』が繰り返し映画化されたり、舞台にかけられたりして大衆的な認知度が高いのに反し、『パリの秘密』はそうした幸運と無縁だった。

しかし端的にいって、シューの作品がなければ『娼婦盛衰記』や『レ・ミゼラブル』は書かれえなかっただろう。それくらい文学史的には価値の大きい作品なのである。それにデュマ、バルザック、ユゴーの長編小説を愛読し続けているわが国の読者には、『パリの秘密』を受容できる文化的素養がそなわっていると私は思う。

シューの作品は、時代や国境を越えて長いあいだ読み継がれてきた古典と異なり、人間性をめぐる深遠な考察や、世界に関する普遍的な問いかけをいくらか欠いているだろう。シューはバルザックやプルーストではない、というのは改めて確認するまでもないことだ。

しかしながら、大衆小説や新聞小説というレッテルを貼りつけることによって事足れりとし、シューの作品を文学の大衆性や辺境性のなかに閉じ込めてしまうのは、あまりに狭隘な考え方である。同時代の社会と心性にできるかぎり密着しようとしたこの作品は、どんな作品にもまして豊かな意味をはらんだ夾雑物をもっている。その夾雑物を、大衆文学に固有の余剰な細部、あるいは無用な逸脱として排除してしまうのは、作品を貧しくしてしまうことにつながる。私はこれからそうした夾雑物と、一見したところ過剰なまでの細部を読み解いていこうと思う。
※一部改行しました

新曜社、小倉孝誠著『『パリの秘密』の社会史 ウージェーヌ・シューと新聞小説の世界』P9-13

「シューの作品は文学としてではなく、もっぱら社会現象として語られてきたということである。そして読まれるより前に(あるいは読まれることなしに)語られ、論じられるより前に判断を下されてしまったのだ」

なるほど、こういう背景があったのですね。

ですがここで著者が述べるように、本書ではそんなウージェーヌ・シューの作品を見ていくことでこの人物がいかに優れた業績を残していたかを目の当たりにすることになります。

十九世紀フランスの出版事情やメディア業界の裏側も知れるものすごく刺激的な作品となっています。これは面白いです。ぜひぜひおすすめしたい作品となっています。

フランス文学だけでなく、ロシア文学やイギリス文学、マルクスを考える上でも非常に興味深い指摘が次々と出てきます。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「小倉孝誠『『パリの秘密』の社会史』概要と感想~ドストエフスキー、マルクスにも影響を与えたウージェーヌ・シューの新聞小説とは」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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