バルザック『幻滅』あらすじと感想~売れれば何でもありのメディア・出版業界の内幕を赤裸々に暴露!衝撃の作品!

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バルザック『幻滅』あらすじと感想~19世紀フランスの売れれば何でもありのメディア・出版業界の内幕を赤裸々に暴露!衝撃の作品!

今回ご紹介するのは1837年から45年にかけてバルザックによって発表された『幻滅』です。私が読んだのは2000年に藤原書店より発行された野崎歓、青木真紀子訳の『幻滅ーメディア戦記』です。

早速この本について見ていきましょう。

純朴で美貌の文学青年リュシアンが迷い込んでしまった、汚濁まみれの出版業界を痛快に描いた傑作。「出版という現象を考えても、普通は、皮膚の部分しか描かない。しかしバルザックは骨の細部まで描いている。」(山口昌男氏評)

藤原書店商品紹介ページより

この作品は19世紀中頃のフランスメディア、出版業界の実態を暴露した驚くべき作品です。バルザック自身が出版業界で身を立てていたこともあり彼はこの業界の表も裏も知り尽くしています。この作品ではそんなバルザックの容赦ないメディア批判が展開されます。もちろん、それは単なる批判ではなくバルザックの悲痛な願いでもあります。本当にいいものがきちんと評価される世の中になってほしいという思いがそこににじみ出ています。

さて、この作品で語られるメディア業界について、前回の記事で紹介した小倉孝誠著『『パリの秘密』の社会史』では次のように述べられていました。『幻滅』との関わりがわかりやすくまとめられた箇所ですのでじっくり読んでいきます。

メディアの種類と規模は時代によって異なる。十九世紀フランスは活字メディアの時代であった。映画、テレビ、ラジオはもちろんまだなく、文学をとりまくメディアとしては書物、新聞、雑誌など活字で印刷された出版物が主流だった。

口承文学の伝統は一部の地域に残っていたが、活字文化の支配は押しとどめがたい趨勢だったのである。それまで長いあいだ手書きによる写本しかなかっところに、十五世紀のグーテンべルクが活版印刷術を発明し、それが後の西欧文化のさまざまな領域に決定的なインパクトをもたらしていった過程は、やはりマクルーハンが『グーテンべルクの銀河系』(一九六二)で強調している。

しかも、十九世紀前半から中葉にかけてのフランスは産業革命の時代にあたり、それが印刷・出版の世界に技術革新をもたらし、その結果として活字文化のあり方を大きく変えることになったのである。他の製品と同じように、文学作品もまた生産、流通、消費という経済メカニズムから完全に自由ではありえない、ということがはっきり自覚された時代であった。

そのことを鮮やかに示してくれる象徴的な作品が、バルザックの『幻滅』(一八三七-四五)である。王政復古期(一八一四-三〇)のパリを舞台にする第二部では、文学的栄光を夢みる青年リュシアンが作家、出版社、印刷業者、書籍商、新聞の経営者などから構成される首都の文壇に入りこもうとして苦闘する。

その文壇は、真実や美や革新を犠牲にしてまでも、作品をひとつの商品に、能力を金儲けの手段にしようとする世界である。友人ダルテスのように真の才能に恵まれた者は沈黙を強いられて孤高のなかに逃避し、リュシアン自身は闘いに敗れてパリを後にする。初版の序文(一八三九)のなかで、バルザックは次のように書き記していた。

「新聞界」の風俗は一冊の書物や、一篇の序文だけでは片づかない巨大なテーマのひとつである。この作品で筆者は、今やすっかり進行してしまった病いの初期症状を描いた。一八二一年の「新聞界」は一八三九年の状態に比べれば、まだ無垢の衣をまとっていた。筆者はこの災厄をすべての面で語ることはできなかったかもしれないが、少なくとも怖れることなく直視したつもりである。

同じ序文のなかで作家がさらに「癌」と名づけもする新聞界。一九世紀フランスで、それは文学や作家とも密接な繋がりをもつ空間であった。『幻滅』は、みずからジャーナリストであり、同時に不幸な印刷業者でもあったバルザックによる、業界の裏事情を物語る暴露小説としての側面が強い。『人間喜劇』に特有の誇張があることは否定できないにしても、作家自身の体験を映し出しているだけに濃厚な臨場感がただよう。
※一部改行しました

新曜社、小倉孝誠『『パリの秘密』の社会史 ウージェーヌ・シューと新聞小説の時代』P24-25

「文壇は、真実や美や革新を犠牲にしてまでも、作品をひとつの商品に、能力を金儲けの手段にしようとする世界である。友人ダルテスのように真の才能に恵まれた者は沈黙を強いられて孤高のなかに逃避し、リュシアン自身は闘いに敗れてパリを後にする。」

この作品はまさに「手っ取り早く出世するやり方」と「実直に最高傑作を追求するやり方」の対比が見事に描かれています。

『幻滅』はストーリーの流れ的には『ゴリオ爺さん』の続編的な位置づけにあります。

『ゴリオ爺さん』の主人公ラスティニャックは恋愛を用いて社交界に殴り込みをかけ、手っ取り早く社会上昇を目論みました。そのラスティニャックも今作に登場します。

そして今作のリュシアンもその美貌と才気によって社交界に打って出ます。そして恋愛だけではなく彼は詩人、ジャーナリストとして出版・メディア業界でも成功を収めようとしました。

しかし田舎者リュシアンは大都市パリの恐るべき姿を痛いほど学ぶことになります。社交界でダンディーとして栄誉を得ることや、出版・メディア業界で成功するとはどういうことなのか。綺麗事では済まされない衝撃の事実を私たちは知ることになります。

この辺りの事情についてはフランス文学者鹿島茂著『馬車が買いたい!』でも詳しく解説されていますので、ぜひこちらの本もおすすめです。

私が初めてこの作品を読んだのは『ゴリオ爺さん』を読んだ直後でした。つまり二年前(2020年)のことです。

これを初めて読んだ時の衝撃は忘れられません。あまりにどぎつく出版・メディア業界の闇が暴露されていたのでこれは凄まじい作品だなとショックを受けたのを覚えています。

ですがショックを受けたのと同時に、「あぁ、やはりフランスもそうだったのか」という既視感もあったのも事実でした。

と言うのも、こうしたメディアや出版業界の華やかな世界の裏側を暴露した作品を私はすでに読んでいたのです。

それが何を隠そう、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』です。

この作品の主人公はフリーのライターで、自身の仕事を「文化的雪かき」と言ってのけるほど達観してこの業界を眺めています。この主人公の目を通して華やかな世界の裏側を私たち読者も見ていくことになるのですが、私は『幻滅』を読んでまさしくこの作品を連想したのでありました。

『ダンス・ダンス・ダンス』は私も大好きな作品ですので、次の記事で改めて紹介したいと思いますが、この作品を好きな人はきっと『幻滅』を読んでも「おっ!」と思うでしょうし、『幻滅』から入った方も『ダンス・ダンス・ダンス』を読めば「おぉ~!」となると思います。

『ダンス・ダンス・ダンス』は暴露が目的の作品ではないので『幻滅』とはテーマが違うのは当然その通りなのですが、親和性の強い作品だなと個人的には思います。

バルザックの『幻滅』はあまりにどぎつく、さらに真面目で誠実な天才たちが食い物にされていく様は読んでいてかなり辛くなります。正直この本は「面白いのでぜひ読んで下さい!」とは薦めにくいです。ですが世の中を生きていく上でこの作品に書かれていることと向き合うのは本当に大切なことなのではないかと私は思います。

「辛くなるけどぜひ読んでみてほしい作品」

それがバルザックの『幻滅』です。

今回の記事ではあまり作品の内容に触れることができませんでしたが、とにかく強烈な作品です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「バルザック『幻滅』あらすじと感想~売れれば何でもありのメディア・出版業界の内幕を赤裸々に暴露!衝撃の作品!」でした。

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