ナポレオンのロシア遠征を詳しく知るならこの1冊 コレンクール『ナポレオン ロシア大遠征軍潰走の記』

ドストエフスキーとフランス

ナポレオンのロシア遠征を詳しく知るならこの1冊 コレンクール『ナポレオン ロシア大遠征軍潰走の記』

前回まででナポレオンとは何者かをテーマにお話ししてきましたが、本日は時事通信社出版の小宮正弘訳、コレンクール『ナポレオン ロシア大遠征軍潰走の記』をご紹介します。

ナポレオンの生涯におけるロシア遠征はその運命を決める決定的な出来事になりました。

そしてそれはロシアを祖国とするドストエフスキーにとっても重要な事件でありました。

この本はそのロシア遠征をナポレオンの側近中の側近が記した記録であります。

訳者あとがきを引用します。

本書は、ナポレオン皇帝の側近で、フランス全軍軍馬の整備にかかわる最高責任者であった馬事総監ヴィサンス公コレンクールの回想録である。(中略)

馬事総監とは、駿馬の育成をはじめ全軍軍馬の統轄にかかわる総責任を負うとともに、おのずから軍令伝達の責任を兼ねるもので、当時の軍事戦略の実態からすれば、文字どおりの要職であった。そして戦場にあっては、常にナポレオン皇帝の馬の左傍にピタリと随行することが義務づけられており、万一戦闘で皇帝騎乗の馬が倒れれば、すぐさまみずからの馬を代替として提供しなければならない。昼夜をわかたぬ皇帝の軍令に即応するため、常時、皇帝の身辺に起居をともにすることにもなる。

時事通信社出版 小宮正弘訳、コレンクール『ナポレオン ロシア大遠征軍潰走の記』P316-317

著者のコレンクールはナポレオンのロシア遠征を最も近くで見ていた人物です。

この本ではロシア遠征においてナポレオンが何を考え、どう行動したかを知る上ではこの上ない記録です。

特に、書名にもありますようにナポレオン軍のモスクワからの無残な敗走の姿をこれでもかと描写しています。

その中でも印象に残った箇所を引用します。

辿りゆく道の右も左も、先行の部隊や合流してくる分遣隊に踏み荒され、食い潰され、掠奪しつくされている。道をゆく車輛のようすがどんなであったか、ひとはある程度は想像しうるであろう。すでに避難民、女、子供を満載したうえ、モスクワを発つと同時にウィンコヴォの戦傷兵を、ついでマロ・ヤロスラーヴェツの戦傷兵を収容しつつ、それに加えてさらに、さきほど触れたごとく、モジャイスクの傷病兵まで搬送しなければならなかったのである。彼らは、ありとあらゆる場所に押し込まれた。屋上席に、前車に、後尾に、トランクの上に、御者台に、馬糧運搬車に取り付けた板の上に、また、収容場所のない有蓋車ではその車蓋の上まで利用された。したがって、ひとはまた、輸送の光景そのものも、ある程度想像しうるのではあるまいか。ちょっとした振動で、居場所の悪い者はすぐに振り落される。そして御者は、そうしたことにまったく意を払わなかった。後続の御者も、睡魔にとらわれていたり放心しているような場合でなくとも、あえて馬を立て直そうなどとせず、振り落された不運な者の体を、無慈悲にもそのまま轢いていったりしたのだ。止まることや隊列からはずれるのをひたすら惧れたのだ。ましてや、さらにあとに続く車輛からも、そうした者は一顧だにされなかったのである。

時事通信社出版 小宮正弘訳、コレンクール『ナポレオン ロシア大遠征軍潰走の記』P192-193

モスクワからの撤退はすでに食料も尽き、装備もないままで極寒のロシアの地を行軍しなければなりませんでした。

自分で歩ける者はまだしも、傷病者は馬車に乗せられて搬送されるしかありません。しかし傷病者に対する配慮すらこの時のナポレオン軍には失われていたのでありました。

モジャイスクを過ぎてから四八時間ほどの行程における光景ほど恐ろしいものを、私はこの眼でいまだかつて見たことはない。飢えて死ぬことへの恐怖心、物資をはち切れんばかりに積み込んだ車輛を失うことへの惧れ、疲労と栄養不足で衰えきった馬を死の手に譲り渡すことのこわさ、そうしたものが人々から慈悲の心を根こそぎ奪い去っていってしまったのだ。私は次のことをここで物語るだけでも、怒りで今なお身が震えてくる。御者たちはでこぼこの道に出ると全速で馬を駆って積み上げられた可哀そうな者たちを振り落とそうとしたのだ。そして振動で彼らが転げ落ちるたびに会心の笑みをもらしたのである。その不幸な者たちがやがて馬の蹄にかけられるか車輛に轢かれるか、いずれそうした運命に見舞われることを御者たちは知っていた……。みんなが自分のためを思い、また、自分のことしか考えなかった。いくばくかの貯えを隠し込んだちっぽけな車輛を何としてでも手放さぬことに自分の命がかかっていると、みんなが信じた。その最後の財宝を引きずってゆく痩せ馬を痛めないためなら、二〇人の人間の命を犠牲にすることすら、ひとは辞さなかったろう。

時事通信社出版 小宮正弘訳、コレンクール『ナポレオン ロシア大遠征軍潰走の記』P193

直接は書かれていませんがこの辺りの描写を読んでいると、ロシアの陰鬱な冬の道に死者の骸が無造作に打ち捨てられている情景が目の前に浮かんでくるようです。

馬車の荷台からは次々と力尽きた傷病者が振り落とされ、一瞬宙に舞い、どさっとした音を立てて地面に叩きつけられていく…

そして誰もその死体に気を配ることすらしない…

それにそもそも自分の足で歩けた者もほとんどがその行軍の最中に命を落としています。

ナポレオン敗走の道は想像を絶するほどの死屍累々であったことでしょう。

著者のコレンクールはナポレオンと共にその死臭漂う死の道を撤退していったのでありました。

この本ではナポレオンのロシア遠征の流れを知る上では最適の書です。

コレンクールは何度も何度もロシアの冬を甘く見てはいけませんと進言しますがナポレオンは聞く耳を持ちません。さらには50万以上の大軍をいかに動かすかということについても、その無謀さを諫めます。

こうしたやりとりもすべて赤裸々に綴られています。

ナポレオンの人柄を知る上でもこの本はとても興味深いものになっています。

ナポレオンのロシア遠征について興味のある方にはとてもおすすめです。

以上、 コレンクール『ナポレオン ロシア大遠征軍潰走の記』 でした。

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