マルクス主義とは何か、その批判と批判への反論をざっくり解説

マルクスは宗教的な現象か

マルクス主義とは何か、その批判と批判への反論をざっくり解説

カール・マルクス(1818-1883)Wikipediaより

前回の記事「マルクス主義者ではない私がなぜマルクスを学ぶのか~宗教的現象としてのマルクスを考える」でマルクスについてお話ししましたが、当ブログではこれよりしばらく、マルクスについての記事を更新していくことになります。

そこでこの記事では改めてマルクス主義というのはそもそも何なのかということを見ていき、それへの批判と批判への反論も見ていきます。

この記事を書くのにあたって参考にしたのは神野正史著『世界史劇場 ロシア革命の激震』です。

なぜ私がマルクスの参考書ではなくこの本を用いたのかと言いますと、この本の著者は河合塾の世界史の講師であり、この本においてはマルクス主義に対して批判的なスタンスで解説をしているからです。

マルクス主義者が書く「マルクス主義」は、どうしてもマルクス礼讃的なものになってしまいます。

そうではなくて、一般的にマルクス主義はどう受け止められているのかということを知るには、マルクス主義者ではない人による解説の方が良いのではないかと私は思ったのです。

そしてその上でマルクス主義者がどのように反論していくかを見ていった方がそれぞれの立場がより明確になるのではないでしょうか。

このふたつを見ていくことでそれぞれの主張の要点や、互いの弱点、問題点が見えてくると私は考えています。

神野氏の解説はマルクスの知識が全くない人向けに書かれているのでとてもわかりやすいです。

これを読むことでマルクス主義とは何かということをざっくりと学ぶことができます。

今回は長い引用ばかりになってしまいますが、マルクス主義のことを短く簡単にまとめすぎてしまうと逆にわかりにくくなってしまいますので、長くはなってしまいますが丁寧に読んでいきたいと思います。

では、早速始めていきましょう。

※ちなみにマルクスの参考書については以下の記事で改めて紹介していますのでこちらもご覧ください。

そもそも社会主義とは何か?空想的社会主義と科学的社会主義の違いとは。

そもそも、近代的な社会主義ソシアリズムは、資本主義キャピタリズムを”親”として生まれながら、その”親”に反発し、これを喰い殺そうとする”子”のような存在です。

資本主義キャピタリズムは、近世に入ったばかりの16世紀のヨーロッパにおいて、宗教改革とともに息吹きはじめ、18世紀にイギリスで興った「第1次産業革命」の進展とともに成長していきました。

たしかに、この産業革命は社会に莫大な富をもたらしました。

しかし、それにより社会全体が潤ったのかといえば、そうではありません。

個人を重んじ(個人主義インディヴィデュアリズム)、自由を重んじる考え方(自由主義リベラリズム)を基盤とする資本主義キャピタリズムの中で「ただただ資本家ブルジョワだけがその富を独占し、労働者プロレタリアは痩せ衰えていく一方となります。

―富める者はますます富み、貧する者はますます貧す

・・・という聖句を地でいく社会問題が急速に深刻化していきました。

これを受けて、19世紀に入ると、この社会矛盾を解決すべく、改革の声を上げる者がつぎつぎと現れます。

イギリスからはRロバート.オーウェン、フランスからはSサン.シモン伯爵、Cシャルル.フーリエ、そしてPピエール.Jジョセフプルードン。

当初、彼らの考え方は「共産主義コミュニズム」と呼ばれることもありましたが、それは「急進的」「非現実的」「過激派」「危険思想」というマイナスイメージがつきまとい、世間に浸透しにくい側面がありました。

そんなとき、Pピエール.ルルーという人が主張します。

―我々は、これまで「社会の中に生きる人々のひとりひとり(個人)を重視し、個人個人の皆が幸せになれば、ひいては社会全体がうまくいくはずだ」という”個人主義”を実践してきた。
しかし、それはすぐに利己主義へと転化してしまい、うまくいかない。そこで、最近では逆転の発想で「社会そのものをすばらしいしくみにすれば、その社会の中に生きる人々のひとりひとりが幸せになれるはずだ」と叫ぶ者たちが現れてきている。これを「社会主義」と呼ぶことにしようではないか。

共産主義コミュニズム」という危険な臭いのする呼ばれ方を嫌っていた彼らは、この耳当りのよい「社会主義ソシアリズム」という言葉に飛びつき、以後、「社会主義者ソシアリズム」を自称するようになります。こうして、1830年代ごろのフランスを中心として、近代的な社会主義ソシアリズムが産声をあげました。

ーみんな、聞いてくれ!
世の中がこんなに荒んでしまった元凶は、すべて「私有」のせいなのだ!
「私有」さえなければ、貧富の差もないのだから。よって、私有制のない社会、すべての財産を社会全体の共有にした社会を建設すれば、世の中はすばらしいものになるはずだ!

しかし。

お題目はご立派ですが、「では、具体的にどうやったら、その‟理想社会”とやらを建設できるのだ?」という、きわめて根本的な問題に、彼らは答えることができませんでした。

―ま、そこはそのホレ、資本家ブルジョワの恩恵と慈悲にすがってだな…

一社会全体で、みんなが兄弟の如く親睦援助し合うことさえできれば…

どれもこれも、あまりにも空想的、妄想的、非現実的。

そもそも、資本家ブルジョワに”恩恵と慈悲”などという気持ちがあるなら、最初からこんな”餓鬼が死肉を貪る”がごとき悲惨な社会になっていません。

社会全体が”兄弟の如く親睦援助し合う”ことができるなら、最初から共産化する必要すらありません。

まったく以て、本末顧倒はなはだしい。

生まれたばかりの社会主義ソシアリズムは、この程度のきわせて幼稚なものでした。

彼らがこのような「妄想」に耽っているうちに、やがて「第2次産業革命」が興り(1870年代~)、これに伴い、資本主義キャピタリズムも第三段階の「独占(金融)資本主義」へと移行していきます。

資本主義キャピタリズムがバージョンアップしたことによって、社会はいよいよ紊乱し、貧富の差はさらに悪化のー途を辿っていきます。

キャピタリズムがバージョンアップしたのですから、自分たちソシアリズムもバージョンアップしなければ!

こうした社会背景の要請から生まれたのが、「科学的・・・社会主義」です。

Fフリードリヒ.エンゲルスは叫びます。

ーこれまでの社会主義者の主張はきわめて「空想的ユートピアン」である!
彼らは、単に、頭の中で妄想した”理想像”を社会に押しつけようとしているだけだ!
これからの社会主義は、もっと理性的・論理的・科学的に、どうすれば社会主義が実現できるかを具体的に考えていかなければならない!

こうして、Kカール.マルクスとFフリードリヒ.エンゲルスの両名によって、社会主義は「空想的ユートピアン」から「科学的サイエンティフィック」へとバージョンアップし、それがやがてロシアへと導入され、メンシェヴィズム・レーニニズム・トロツキズムと枝分かれしていくことになるのです。


ベレ出版、神野正史『世界史劇場 ロシア革命の激震』P17-22

社会主義、共産主義は何が違うのかなかなかわかりにくいものがある中で、この解説は非常にわかりやすくありがたいものでした。

こうした思想上の歴史があった上でマルクス、エンゲルスが生まれてきたのでありました。

マルクス主義とは~そのはじまり

空想的社会主義の「非現実性」への反駁として生まれたのが「科学的・・・社会主義」でした。そして、この科学的社会主義の濫觴たる思想が「マルキシズム」でり、20世紀に世界各地で起こった社会主義革命は、すべてマルキシズムか、そこから派生した亜流にすぎません。

したがいまして、繰り返しになりますが、マルキシズムの理解なくして、ロシア革命、そして20世紀の理解もまたあり得ません。そこで、本幕では、マルキシズムとは、いったいどのようはイデオロギーなのかについて詳しく見ていくことにいたします。

本幕の主人公・K. H.マルクスは、ドイツ生まれドイツ育ちのユダヤ人でした。

24歳の若さで『ライン新聞』の編集長になるも、その記事が「反政府論調」だったため、危険思想の持ち主として政府から目を付けられ、翌年に社を追われ、祖国を追われ、パリへと亡命します。

当時のパリは、「空想的社会主義」揺籃の地。

彼ら空想的社会主義者との親交を深める中で、彼らに対する不信感も募っていくことになります。

また一方で、生涯の盟友F.エンゲルスと出会ったのもこのころでした。

しかし、パリ亡命後も反政府的な言動をやめなかったため、その後も、各国政府から追われ、パリからブリュッセル、二月革命でふたたびパリに舞い戻ったかと思うと、すぐにケルン、三たびパリ……といった具合に各地を転々とする亡命生活を強いられます。

そうして、最後に辿りついたのがロンドン。

ロンドンに落ち着いてからの彼は、毎日のようにロンドン図書館に通い詰め、朝から晩まで経済書を読みあさり、研究に没頭します。

さて。

マルクスは、ロンドン図書館で日夜イギリス経済学を研究するうちに、あることに気がつきました。

ーむ? 時代が新しく生まれ変わるとき、いつも革命を伴っているぞ!?
これは偶然だろうか?

そこで、この点について、もう少し詳しく見ていきます。

西欧では、中世が去り、近世が幕開けるとともに、その政治システムは「封建制」から「絶対主義体制」へと移り変わりましたが、この政治システムの変革に伴い、経済システムも引きずられるようにして「商業・・資本主義」へと移行しています。

本書ではあまり詳しく説明しませんが、この近世初頭に現れた政治システム「絶対主義」と、経済システム「商業・・資本主義」は、ふたつでひとつ、表裏一体、いわば「双頭の鷲」ともいうべき存在。

したがって、時代のうねりの中で、やがて「絶対主義」が倒れ、「自由主義」へと移行すると、それを追っかけるようにして、経済システムも「商業・・資本主義」から「産業・・資本主義」へと移行していきます。

その際、絶対主義から自由主義へと移り変わるときには「市民革命」、
商業・・資本主義から産業資本主義へと移り変わるときには「産業革命」、
ともに「革命」を挟んでいます。

では、この次の段階はどうでしょうか。

第1次産業革命から数えてちょうど100年後、米・独から第2次産業革命が興り、それに伴い、経済システムが「産業・・資本主義」から「独占・・(金融)資本主義」へと移行していきます。

今回も前回同様、「産業革命」を挟んで、経済システムが新しい段階へと移行しています。すると、やはりこれに引きずられるようにして、政治システムも「自由主義」から「帝国主義」へと移行していきます。

ここで、K.マルクスは考えます。

ーひょっとして、経済システム・政治システムが次の段階へ移行するとき、かならず革命を伴うのではないか?

さまざまな想いや知識が交錯し、彼の頭の中で、そのことと若いころ心酔したへーゲル哲学の弁証法とが結びつきます。

ベレ出版、神野正史『世界史劇場 ロシア革命の激震』P34-38

マルクスとヘーゲルの弁証法とマルクス主義への反論

ーそうか!
そういうことだったのか!!

彼は開眼します。へーゲル弁証法に拠れば、物事すべて、発展・成長・変化するものはかならず、「テーゼアンチテーゼジンテーゼ」で進展していくという。

そこに例外はないのだから、現在、人々を苦しめている「独占資本主義もまた然り!」ということになります。

商業・・資本主義が「正一反一合」という運動を繰り返しながら産業・・資本主義を産み落とし、
その産業・・資本主義も「正一反一合」を繰り返しつつ独占・・資本主義を産み落としたにすぎなかったのだ、と。

つまり。

ひとつの時代・制度が生まれれば、それはかならず、「発展」「成熟」、そして「混乱」という道筋を辿っていくが、その「腐敗と混乱」こそが、次の新時代を生む「エネルギー源(反)」となるのだ、と彼は考えたのです。

警えるなら、「卵」から「雛」がかえり、雛が成長して「鶏」となり、それが成熟してようやく次の「卵」が産まれるのと同じです。

「雛」がいきなり「卵」を産むことがないのと同じように、
人間がどんなに「新時代」の到来を望もうが、努力しようが、決起しようが、まだ発展段階にある制度がいきなり次の段階へ進むことはない。

逆に、成熟した「鶏」はかならず「卵」を産むように、人間がどんなに「旧時代を護り通したい!」と願おうが、武装しようが、
腐敗と混乱が進んで、一定以上の「エネルギー」が溜まった状態になれば、何人たりとも新時代の到来を止めることもできない。

そこに、「願望」や「理性」や「精神」などという観念的なものが入り込む余地などまったくないのだと。

人間が望もうが望むまいが、努カしようがしまいが、新時代が生まれる条件さえ整えば新時代はやってくるし、条件が整っていなければけっしてやって来ない。

ただ機械的・物理的に動く。そういうものなのだ、と。

これを整理すると、

テーゼ・・・旧時代(旧制度)

アンチテーゼ・・・時代の末期に起こる腐敗と混乱から生れる反発のエネルギー

止揚アウフヘーベン・・・革命

ジンテーゼ・・・新時代(新制度)

・・・といった感じでしょうか。

K.マルクスは考えます。

一現在の「独占資本主義」がすでに成熟期を越え、腐敗と混乱の末期的症状の中にあることは明らかである!
見よ!
今まさに、社会の隅々にまで不満と怨嗟の声(反)が渦巻いているでないか!
時を経ずして、止揚は「革命」という形となって現れるであろう!

では、来たるべき「革命」は、具体的にどのような形を伴って現れるのでしょうか。

そこはそのほれ、社会主義者の彼ですから、
ーもちろん、「社会主義革命」という形となって現れるであろう!
・・・と結論づけます。

彼は、一般的に「市民革命」と呼ばれるものを「ブルジョワ民主主義革命」、来たるべき「資本主義を倒す革命」のことを「プロレタリアート社会主義革命」と呼んで、こう結論づけます。

ーこうして、「プロレタリアート社会主義革命」を乗り越えたとき、まもなく差別も階級も支配者も搾取も戦争も貧富の差もない、未来永劫につづく地上の楽園、「共産主義段階」が訪れるであろう!

ただ、さしものご都合主義者の彼も、一足飛びに「地上の楽園」が現出するとは思わなかったようで、

一資本主義と共産主義の間には、それを橋渡しする「過度的な段階」を挟むだろう。

・・・と考えました。

こうした彼の言葉は、辛く苦しい生活を強いられていた労働者に夢と希望を与えます。

「そうか!もうすぐか!
もうすぐそこまで‟地上の楽園”が近づいているんだ!」

しかし。

残念ながらというべきか、彼の理論は労働者の期待に副うような代物ではなく、ツッコミどころ満載の、自己矛盾に充ち満ちたものでした。

すでに何度も触れてまいりましたように、そもそも彼の理論の根本理念は「弁証法的唯物論」です。

すなわち、‟人の心(精神)”や、その動きである”希望・願望”、それが行動となって現れる”努力″などというものは、社会の発展段階を語る上で、何ひとつ関係はない。

社会は、ただ「正一反一合」の弁証法で機械的に動くのみ。

ところが、その考え方を突き詰めると、どうしても「マルクス理論」自体が存在意義がないことになってしまいます。

なぜなら、マルクス理論が存在しようがしまいが、世に出ようが出まいがその理論を人々知ろうが知るまいが、その理論に基づいて人々が革命を起こそうが起こすまいが、そんなこととはまったく関係なく、社会は弁証法に基づいて無機質に動くのみ、ということになってしまうからです。

まだ「来たるべき時」が来ていなければ、人々がどれほど熱望し、希求し、努力し、マルクス理論に基づいて革命を起こそうとも、すべてはムダだし、
逆に、「その時」が来れば、マルクス理論なんかがこの世に存在しなくても、かならず革命は成功します。

マルクスが人生をかけて構築した理論が、この世に存在する意義・意味がまったくないのです。

完全なる自己存在否定です。

また、過去の経験則から、
商業・・資本主義段階から「革命」を経て、産業・・資本主義段階へ
産業・・資本主義段階から「革命」を経て、独占・・資本主義段階へ
・・・という法則性を見いだし、ならば近い将来、「独占資本主義段階から『革命』を経て、社会主義段階へ移行するであろう!」
・・・と予言したのは理解できますが、それならば、当然つぎの段階でも、
社会主義段階から「革命」を経て、共産主義段階へ!
・・・となるはずです。

にもかかわらず、マルクスは、
「そこだけは革命を経ずに、平和裏に移行する」と言います。

それまでの”大原則″を自ら否定してしまっているのですから、そこには明確な論拠が必要になってきますが、その理由については語られません。

さらに。

こうして実現した共産主義段階は、
「差別も階級も支配者も搾取も戦争も貧富の差もない、未来永劫につづく楽園」
・・・と主張しているのですが、これも自身の理論を自己否定しています。

マルクス理論では、人類史の開闢以来、延々と
「正→反→合」を繰り返しながら「成立→発展→成熟→混乱」を経て、つぎの段階へと昇華してきたのだ、と主張しています。

ならば、当然、共産主義段階も、

「正→反→合」を繰り返しながら「成立→発展→成熟→混乱」を経て、さらに新しい段階へと止揚するはずです。

なぜ、共産主義段階だけが、その唯ーの例外として、弁証法を無視して「永遠につづく」のか。

当然、共産主義社会のしくみを科学的に分析・考察した上で、その理由を明示しなければなりません。

ところが、そのことについても、K.マルクスはなんら答えていません。

というより。

驚くべきことに、彼は、そもそも「共産主義社会の科学的分析」自体をまったくしていないのです。

「科学的」を自称しているのですから、当然、資本主義と共産主義のシステムを科学的・・・に分析し、比較対比し、「共産主義システムのどこがどのように資本主義より優れているのか」という考察くらいしているのか、と思いきや。

ただただ、

「差別も階級も支配者も搾取も戦争も貧富の差もない、未来永劫につづく楽園」

・・・という”魅惑的な言葉”をチラつかせるのみ。

なぜ、差別も階級も支配者も搾取も戦争も貧富の差もなくなるのか?

なぜ、未来永劫つづくのか?

その説明は一切ありません。

このように、彼の理論は、

1.都合のいい箇所に都合のいい法則を別々に当てはめ、

2.それによって生じた自己矛盾には一切触れられていない

・・・・というきわめて不完全なものでした。

しかし。

それでも、彼の書物に書かれた「予言」がことごとく当たったのなら、上のような「批判」も吹き飛ぶことでしょう。

じつは、彼は、『資本論』の第1巻が出版されたあと、膨大な遺稿を残して亡くなっていますが、彼の死後、その遺稿を元に出版された第2巻・第3巻は、盟友のF.エンゲルスが、遺稿を”解読”しながら出版したものにすぎません。

それらの批判についての明確な答えは、その「遺稿」の中にちゃんと書かれていたのに、ひょっとしたらエンゲルスが”解読”できなかっただけ・・・かもしません。

では、彼の「予言」は的中したのでしょうか。

彼の死から数えて34年後の1917年。

ついに、ロシアにおいて社会主義革命(十一月革命)が勃発し、資本主義は打倒されました。

まさに、彼の予言通りです。

しかし。

革命が起こった国がいかにもまずい。

彼は、

「社会主義革命はイギリスやフランスなどの”もっとも成熟した資本主義社会″から起こる!」

・・・と予言していました。

何度も何度も繰り返し述べておりますように、社会というものは、
「正→反→合」と弁証法的展開を繰り返しながら、
「成立→発展→成熟→混乱」を経て、ようやくつぎの段階へと昇華するはずです。

道はこの一本のみです。

全世界のすべての国において、例外なくこの道を辿るはずであり、第二・第三の道はまったく考えられない、というのがマルクスの根本理念です。

まだ「成立」したばかりの状態から、一足飛びにつぎの段階へ止揚するなど、マルクス理論の立場からは「断じてあり得ない」ことでした。

しかし。

その「断じてあり得ない」ことが、いきなり「ロシア革命」で現実に起こってしまいました。

当時、ロシア革命の成功が伝わるや、世界中のマルキシストは「マルキシズムの勝利!」と熱狂して喜びましたが、じつは、このロシア革命こそが、マルキシズムの「墓標」だったのです。

マルクスに拠れば、
ーひとたび社会主義革命が成功してしまったが最後、
あとは、社会主義段階を経て、理想郷へ一直線!!
そこに、脇道など一切ない!!

・・・はずでしたから、このロシア革命の成功を皮切りに、「我もつづけ!」とばかりに、世界中で社会主義革命が起こりました。

こうして、わらわらと現れた社会主義国家は、ことごとく阿鼻叫喚の地獄絵図のような様相を呈し、そこに「理想郷」など、影も形もありません。

このような「歴史的事実」によって、マルクス理論は根底から間違っていたことが、20世紀いっぱいをかけて白日の下にさらされることになったのです。


ベレ出版、神野正史『世界史劇場 ロシア革命の激震』P38-49

そしてこの直後に著者はコラムとして、次のように総括します。

マルクスの過ち、間違いはどこにあったのか

マルクスの過ち

マルクスはいったい”どこ”で間違ったのでしょうか。

ひとつには、本幕でも見てまいりましたように、マルクス理論が「唯物史観」に基づいていたことです。

ー歴史というものは、「人の心」「意志」「願望」など一切無視して、ただ機械的物理的に動くのみである。

こんな世迷ごと、現在ではまともな歴史家は誰も相手にしないようなものですが、そんなものを基盤としてマルキシズムが構築されたところに、そもそもの「過ち」がありました。

つまり。

マルキシズムは、その「出発地点から間違っていた」と言えます。

さらにいえば。

そもそも、この唯物史観はへーゲルの「弁証法」を基盤としており、その弁証法は「理性主義」を基盤としています。

「理性はすばらしい!」「理性は万能である!」「理性に不可能はない!」

マルクスが、自らの「理性」のみをフル活用し、自分の頭の中だけで”思考実験”を繰り返してマルキシズムを構築したのも、こうした「理性主義」思想が根底にあったからです。

しかし。

それはまったく以て”買いかぶり”というものです。

たしかに、人間の理性も”棄てたモンじゃない”かもしれません。

しかし、絶賛するほどご立派なものでもありません。

人ひとりが頭の中だけで考えたことなど、「穴」だらけに決まっていますが、「理性万能主義」を盲信していたマルクスには、そんな簡単なことすら理解できませんでした。

マルキシズムは、「出発地点から間違っていた」というより、むしろ「出発地点に立つずっと前からすでに間違っていた」のです。

ベレ出版、神野正史『世界史劇場 ロシア革命の激震』P 50

神野正史氏のマルクス主義解説、批判とそれに対して考えられるマルクス主義側からの反論について

かなり辛辣な批判も込められてはいましたが、神野氏の解説を読めばマルクス主義の大まかな概要は掴めたのではないでしょうか。

ですが、これまで当ブログとお付き合いして頂いた方にはわかって頂けると思いますが、私は一方の側の見解のみを鵜呑みにすることはなるべく避けたいという思いでここまで読書を続けてきました。

たしかに神野氏の解説はわかりやすいです。

ですがそれをそのまま鵜呑みにしてしまっては大事なものを見落としてしまうかもしれません。(実際にこの解説にもいくつか疑問点もあります)

重要なことは、ここで語られたことを手掛かりにして、そこからさらに違った視点からマルクスを眺めてみることです。神野氏も「歴史を鵜呑みにせず、自分で考えることが大切である」とこの世界史劇場シリーズで述べています。

私はマルクス関連の書籍を昨年の2021年の夏頃から読み始めています。

マルクス主義側からの反論で多いのは、

「マルクスは無罪であって、レーニン、スターリンなどはマルクスを利用しただけあり、悪いのは彼らであって、ソ連である。ソ連が強制収容所を作り多くの人を粛清したり、ソ連が崩壊したからといってもそれはマルクスの責任ではない。彼らはマルクスを誤用しているし、世の人々は真のマルクスを知っていない。真のマルクスの教えは今も間違いを犯していない」

というものです。

これは1973年に日本でも発行されたジョン・ルイス著『マルクスの生涯と思想』でもそうですし、2002年に出たフランシス・ウィーン著『カール・マルクスの生涯』もそうです。最近の日本でも斎藤幸平著『人新世の資本論』などがこの立場です。

マルクス主義はソ連の崩壊によって失敗が証明されたと、神野氏をはじめ多くの人が述べています。他にもマルクスの理論そのものを批判したり、その矛盾を問うたりしています。

しかし実際に経済恐慌が来て人々の生活が苦しくなってくると、必ずマルクス主義は息を吹き返します。その度にマルクス主義側は「真のマルクス主義とはこうである。これまでは間違ったマルクス主義者がいただけで、我々が伝えるマルクス主義こそ真のマルクス主義であり、マルクスが本当に言わんとしていたことなのだ。この教えに従わなければ世界は崩壊する。だからマルクス主義こそ正しいのだ」と宣言します。

こうした流れは明らかに存在していて、今の日本もマルクス関連の書籍が売れているという事実があります。

神野氏の解説によれば、マルクスは現代では全く信ずるに足らない思想家ということになります。

ですが、実際には今もなお多くの人を惹きつけている。これは一体どういうことなのでしょう。

さらに言えば、仮に「現代においては信ずるに足らない」とされていても、かつては世界中で本気で信じられていたわけです。当時の人たちにおいては信ずるに値する魅力的な理論であり、世界観だったのです。なぜマルクスの教えはこんなにも人の心を惹き付けたのでしょうか。

それを考えていくのがこれから当ブログでやろうとしていることです。

神野氏の解説は非常にわかりやすいです。とても参考になりました。ですがそれを鵜呑みにして終わりにするのではなく、実際にマルクス主義とはどういうものなのかを時代背景も含めてじっくりと考えていきたいと思います。

今段階で結論を述べることはできませんが、私個人としてはマルクス主義を「イデオロギー」として利用することには賛成できません。

ですが19世紀ヨーロッパに生きた思想家として、その人生や思想はやはり桁外れのスケールであると思います。

彼の思想や生涯を学ぶことを通して見えてくるものは必ずあると考えています。

これより先当ブログでは「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」というテーマで記事を更新していきます。その第1回目の記事が以下になります。

全69回をかけてじっくりとマルクスとエンゲルスの生涯と思想背景を見ていきます。引き続きお付き合い頂けましたら嬉しく思います。

以上、「マルクス主義とは何か、その批判と批判への反論の一例をご紹介」でした。

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