(60)マルクスはロシアでの共産主義革命についてどのように考えていたのだろうか

マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ

マルクスはロシアでの革命についてどのように考えていたのか「マルクスとエンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(60)

上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯・思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。

これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。

この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。

当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。

そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。

この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。

一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。

その他参考書については以下の記事「マルクス伝記おすすめ12作品一覧~マルクス・エンゲルスの生涯・思想をより知るために」でまとめていますのでこちらもぜひご参照ください。

では、早速始めていきましょう。

マルクス・エンゲルスとロシア革命

彼はまたロシアで革命が起こる見込みについても、関心を向けるようになった。一八四〇年代にパリで過ごした草創期から、マルクスとエンゲルスはプロレタリア革命を、産業と経済がある程度のレべルに達し、それにつづいて階級意識、階級闘争、および変化をもたらすその他あらゆる前触れがもたらされることで偶発的に生じるものだと考えていた。

いちじるしく発展途上の帝政ロシア―あの反動的で封建的な自給自足経済―はとうていその候補地には思えなかった。

それでも、つねづね楽観主義であったエンゲルスは、一八七四年にロシア革命を「表面的に現われている以上にはるかに追っている」と考えた。一年後にはそれは「近い将来」になり、一八八五年には「いずれそのうち、勃発するのは必至、、である。いつ起こるやもしれない」と確信していた。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P352-353

マルクス・エンゲルスの革命理論によれば資本主義が成熟し、経済が崩壊した後にプロレタリアート革命が起こるということだったのですが、この頃にはそうした理論もあまり重要視しなくなっていたのでしょうか。資本主義が全く成熟していないロシアでプロレタリアート革命が起こるとエンゲルスは自信満々に述べます。これでは必ず通るであろう「歴史の法則」という概念そのものが成立しなくなっているように思えるのですがどうなのでしょう。

続けて見ていきましょう。

ロシアにおける革命思想の二つの潮流

マルクスとエンゲルス、およびロシアのマルクス主義運動全体を悩ませた問題は、革命がどのような形態をとるのかであった。

十九世紀末の数十年間には、この問題に関してニつの思想の学派があった。

一つ目は、ゲオルギー・プレハーノフが率いる労働解放団のもとで、正統派の路線に沿って、ロシアは西欧の漸進的産業化、労働者階級の貧困化、そして階級意識の発達という過程をたどらなければ、プロレタリア革命は起こりえない(それが結局は、ロシアの小作農の大衆によって支援される)と主張するものだった。

二つ目のアプローチは、ナロードニキもしくは〈大衆主義者〉が採用したもので、ニコライ・チェルヌイシェフスキーの著作に感化され、ロシアにはオプシチナとして知られる独特な原始的村社会の伝統があり、それは別の道筋を通って社会主義に到達できることを意味すると示唆するものだった。

西洋の資本主義のもとでの移行という恐ろしい事態に耐えるよりは、それなら―とくに若干のテロ的な暴動に誘発されれば―共同土地所有、共同生産関係と基本的な農業社会主義の伝統にもとづいて築かれた、共産主義の将来に向かって加速させることができるだろう。

アレクサンドル・ゲルツェンとピョートル・トカチョーフは、ロシアの小作農は実際には、社会主義によって選ばれた民で、生まれながらの共産主義者であり、不精なヨーロッパ人に取って代わることを運命づけられているとすら考えるようになった。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P352-353

チェルヌイシェフスキーは19世紀後半のロシアの歴史、文化を考える上では避けては通れない存在です。

ニコライ・チェルヌイシェフスキー(1828-1889)Wikipediaより

ここでは詳しくはお話しできませんが、あのレーニンもチェルヌイシェフスキーに強烈な影響を受けた一人です。

レーニンが革命家としての道を進んだのもこの人物の影響が非常に大きなものがありました。また、この記事ではレーニンとマルクス主義の出会いについてもお話ししていますのでぜひご参照ください。

マルクス・エンゲルスの反応

それ以前には、マルクスとエンゲルスは農村部の共同生活の形態などは、まるで眼中になかった。インドやアジアだけでなく、アイルランドに関する著作物においてすら、彼らは村の共同体を「東洋的専制政治」に付属する後進的なもので、社会主義に向かう地球規模の行進を遅らせる時代錯誤のものとして非難していた。

しかし、一八七〇年代になって、西欧における革命の見込みが薄れ、どちらも人間の古代史への関心が強まるにつれて(とくにアメリカの人類学者ルイス・へンリー・モーガンが一八七七年に発表した影響力のある研究『古代社会、または野蛮から未開を経て文明へとたどる人類の進歩の道筋に関する研究』で彼らが読んだ氏族や部族、共同体的な暮らしの時代)、彼らは原始共産制の政治的な可能性について見直すようになった。

反スラヴ的偏見を捨てて、エンゲルスは急にロシア型の革命はもはや無視すべきではないと考えるようになった。「この形態の社会をより高度なものへ押しあげる可能性は紛れもなく存在する」と、彼は一八七五年の小論に書いた。

「ロシアの小作農にとっては、ブルジョワ的な小自作農という中間段階を経る必要もない」。そこには一つの条件があった。「しかしながら、これが起こりうるのは、共同所有の形態が完全に崩壊する前に、西欧でプロレタリア革命が成功して、ロシアの小作農がそのような移行をするために不可欠な前提条件が生みだされた場合のみである」
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P353-354

ロシアでプロレタリアート革命が起こる可能性があるとエンゲルスは考えたのですが、それは「先に西欧でプロレタリア革命が成功したら」という条件付きのものでした。

ですが、この条件は未だ果たされていません。だとしたらソ連の革命は何だったのでしょうか・・・?

引き続き見ていきます。

マルクスのザスーリチ宛ての手紙~ロシアにおける革命についての根拠としてよく用いられる重要文献

マルクスとエンゲルスは一八八ニ年に出版された『共産主義者宣言』のロシア語版第二版の序文で、この手順をさらに書き改めている。「ロシア革命が西洋におけるプロレタリア革命の前兆となり、それによって両者が相互に補えれば、現在のロシアにおける土地の共有制は、共産主義の発展のための出発点となりうるかもしれない」。

マルクスはロシアの社会主義者ヴェーラ・ザスーリチ宛の手紙で、限りなく書き直されながら、結局送られずじまいになった書簡のなかで、再びそれを指摘している。

理論的に言えば、ロシアの「田舎のコミューン」は、それが基盤とする土地の共有権を発展させることで、またそれがやはり示唆する私的所有の原則を排除することによって、共同体そのものを保存することができます。それは近代社会が進んでゆく方向の経済制度へまっすぐに向かう出発点となりうるのです。自殺から始めることなく再出発できるわけです。資本主義の生産が人類を豊かにした果実を、資本主義体制をくぐり抜けることなく、手に入れられるのです。しかも、資本主義体制ときたら、それが継続しうる期間という観点からのみ考えれば、社会の歴史のなかでほとんど取るに足らないものなのです。

マルクスは明らかに晩年には、資本主義による社会経済的進歩の統一過程がすべての民族に当てはまるという論点を、強調しなくなっていたのだ。

しかし、エンゲルスはこうした考え直しを残念に思い、二人のあいだの哲学的相違が明らかになるわずかな例のなかで、当初のマルクス主義の理論的枠組に立ち戻っている。

自分の良識に逆らって、一度はナロードニキのカリスマ性に惹かれ、帝政ロシアをひどく反動的な専制政治だと見なし、ブランキ主義のテロリズムですら革命を起こすためには正当化されるかもしれないと考えたこともあった。

だが、一八八〇年代が過ぎるにつれ、いまや着実に産業化しているロシアの社会は、イギリスやドイツ、アメリカとなんら変わりがなく、まったく同じ経済的発展の悲惨な過程を経ねばならないのではないかと、エンゲルスはますます確信するようになった。

「残念ながらオプシチナ[コミューン]は過去の夢として扱い、将来においては資本主義のロシアを考慮しなければならないだろうと思う」と、彼は『資本論』をロシア語に翻訳したニコライ・ダニエリソーンに語った。

何百年ものあいだ存続してきたロシアのコミューンは、前向きに発展する気配はほとんどなく、現実には小作農の進歩の「足枷」となっているのだった。

そのうえ、彼はこのころには共産主義革命が「西欧のプロレタリアートの闘争からではなく、ロシアの小作農のいちばんの奥地から生ずる」かもしれないという考えを、「子供じみている」として退けるようになった。

「経済的に低い発達段階では、まだ生じていないか、はるかに高い段階になるまで生じえない謎や衝突を解決することは、歴史的に起こりえない」のであった。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P354-355

ロシア革命の正当性や、マルクス思想の正当性を語るためによく用いられるこの手紙ですが、マルクスはこの手紙の中で「資本主義体制をくぐり抜けなくてもロシアでも革命は起こりうる」と述べていたのでありました。

「マルクスはロシアで革命が起こることを認めていたからロシア革命は何ら矛盾ではない」とマルクス主義者が言うのは理解できるのですが、そうなってくると別の問題が浮かんできます。「ではそもそもマルクスの革命理論は絶対的なものではなく、場当たり的に変わっていくものなのか」という疑問です。

マルクスは『革命は「歴史の法則」である』と述べましたが、場当たり的に言うことが変わるのならそれはもはや普遍的な「歴史法則」とは言えないのではないかと思ってしまいます。

この件についてはマルクスの記事を更新し始めた頃に紹介した記事「マルクス主義とは何か、その批判と批判への反論をざっくり解説」で取り上げていたことです。

こうしてマルクスの生涯と思想背景を辿ってきて改めて考えてみると、上の記事で述べられていたマルクスへの批判はやはりある程度妥当なのではないかと思ってしまいます。皆さんはどう思われるでしょうか。ぜひこの記事を参照して頂きたく思います。

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