ロバート・サーヴィス『レーニン』―世界的に評価されたレーニン伝の傑作

ソ連とドストエフスキー

ロバート・サーヴィス『レーニン』―世界的に評価されたレーニン伝の傑作

ロバート・サーヴィス著、河合秀和訳『レーニン』は2002年に岩波書店より発行されました。

これまでこのブログで読んできたヴィクター・セヴェスチェンの『レーニン 権力と愛』と比べると、より硬派で伝記らしい語り口が特徴となっている1冊です。

早速この本の内容を見ていきましょう。

レーニン研究およびソヴィエト・ロシア現代史研究で世界的な評価を獲得してきた著者による決定版レーニン伝。

レーニンのやり取りした書簡、医者・護衛による報告、非公開の議事録など、ソ連崩壊後初めて公開された秘密文書を綿密に点検しつつ、これまで知られることのなかったレーニンの出自や性格、教育、結婚、女性関係をはじめとする個人的事情から、指導者間に人間関係やイデオロギー批判、想像を絶するソヴィエト内部の激しい権力闘争等々にいたるまでを紹介。20世紀を大きく動かした革命家・思想家の等身大の姿を、渉猟した膨大な資料を駆使しつつ巧みな叙述で浮き上がらせる。

上巻では、恵まれた環境にあったレーニンが、革命運動に身を投じ、流刑、亡命の生活を送ることを与儀なくされた前半生を、豊富なエピソードとともに描く。

岩波書店、ロバート・サーヴィス著、河合秀和訳『レーニン』上巻表紙裏

1917年、ついにロシアは革命の時を迎えた。レーニンは、社会主義革命実現のために非情なまでに強権的な手段を弄する一方で、「四月テーゼ」『国家と革命』を相次いで発表。革命のための戦略と理論を提示するとともに、強烈な自負をもって妥協を排し、並みいる政敵を斥けて最高指導者としての地位を確立する。10月革命の成功とそれに生き続く反革命内乱、戦時共産主義体制の確立と革命拡大の失敗、新経済政策の導入とイデオロギー闘争ーレーニンはその時々の状況を見据え、常に革命の中心に座り続ける。そして最晩年の後継者問題の過程で生じたスターリンとの生々しい確執。最高権力内部の真相を伝えるレーニンの遺稿は極秘文書として封印され、ひとりの政治家が国家イデオロギーの象徴へと聖化されていく。ソ連崩壊によってはじめて可能になった迫真のレーニン伝。

岩波書店、ロバート・サーヴィス著、河合秀和訳『レーニン』下巻表紙裏

この本の中で特に印象に残った箇所を一つだけここで紹介します。それがこちらです。

ほとんどの基準に照らしてみて、レーニン程に内戦を戦うのに不向きな政治家はいなかつた。未亡人の年長の息子であったがために、帝国軍隊での軍役を免除されていた。彼は自分に軍隊経験がないことを匿しもしなかった。

たしかに彼は、クラウゼヴィッツの古典的著作『戦争論』を読んではいた。しかし、彼の『戦争論』のノートは奇妙なノートであった。戦争をすることについてクラウゼヴィッツからレーニンが引きだした結論は、戦争はますます単純な技術的問題になりつつあるということであった。彼は戦争が複雑なものになるとは予想しなかった。

党が権力を掌握すると、彼は軍事の細々とした実務は他人に委せ、赤軍には近づかなかった。レーニンは護身用に黒いブラウニング拳銃を身につけていた。しかそれを射つことはなかった。彼がもっとも軍人めいた行動をしたのは、モスクワ郊外で銃を手に狩に出かけ、鴨や狐を射った時だけであった。彼自身の直接の暴力と言えばその程度のことであった。

ニつの人間集団の間の大規模な武力紛争についての彼の経験は、いつも間接的なものであった。旧ロシア帝国内のあちらこちらで激発しつつある内戦がどれほど激烈なものになるかについても、ほとんど見通しらしいものを持ってはいなかった。

しかし少なくとも一つの意味で、彼は戦争の準備をしていた。物静かで未経験ではあったが、レーニンは軍事カの行使を命令することには何の躊躇も感じなかったし、結果として生じた流血を気に病んで眠れぬ夜を過すといったこともなかった。

作家のマキシム・ゴーリキが彼に、どれだけの兵力を使うべきかどうやって分るのかと尋ねたことがあった。ゴーリキの意見では、レーニンはチェーカ(非常委員会)と赤軍とを動員するのにあまりにも性急であった。しかしレーニンはそれを悔いてはいなかった。

「特定の戦いでどれだけの打撃を加える必要があり、どれだけが余計か、どんな尺度で計るというのか。」レーニンにとっては、戦いに勝つことが重要であった。暴カの程度を細心に計測したりするのは、空論家にすぎない。レーニンは、敵が攻撃に耐えて生き残る危険を冒すよりは、攻撃はしすぎるぐらいの方がよいと思っていた。
※適宜改行しました

岩波書店、ロバート・サーヴィス著、河合秀和訳『レーニン』下巻P165-166

革命という目的の達成のためには暴力も厭わないという方針だったレーニン。

しかしそのレーニン自身が暴力とはほとんど無縁だったというのが私にはとても印象に残っています。彼は自らの手を汚したことはほとんどありません。目の前の人間を自分の手で殺すという生々しい感覚を彼は持っていないのです。

飛び散る血やもがき苦しむ断末魔のうめき声、血のにおい、自分が殺したという感触を彼は味わっていないのです。

彼にとって暴力や殺人は頭の中における理論以外の何物でもないのかもしれません。

殺人の実感がない人間がひたすら殺人の命令を下すということの恐怖を感じました。

18世紀の啓蒙思想家の影響とマルクス、レーニン

一九世紀の偉大な理論家たち―ハーバード・スペンサー、オーギュスト・コント、ジョン・スチュアート・ミル、ジェレミィ・べンサム、カール・マルクス、フリードリッヒ・エンゲルスなど―は大抵、一八世紀啓蒙思想の相続人であった。彼らの人間の文化、組織、行動にたいする理解の仕方は、人間は基本的に合理的で、したがって予測可能であるという想定と結びついていた。しかし、すべてのことがこのような想定で説明された訳ではない。トマス・カーライルは、大抵の社会で大半の人々はカリスマ的指導者から方針を与えられなければ合理的で目的にかなった行動はできないと提唱している。

神学者のセレン・キェルケゴールと小説家のフョードル・ドストエフスキーは、人間の行為の動機には奥深くて暗い隅があることを指摘した。一九世紀末には、シグムント・フロイトをはじめとする心理学者たちが、意識的にしようとしていないことを人にさせる無意識の力が精神にはあると唱えた。哲学者のフリードリッヒ・ニーチェは、啓蒙思想のよって立つ進歩の観念を拒否した。

岩波書店、ロバート・サーヴィス著、河合秀和訳『レーニン』上巻P270

ここは非常に重要な指摘であると思われます。マルクスの思想は「人間は基本的に合理的で、したがって予測可能であるという想定」と結びついた思想です。しかもマルクスはヘーゲルをはじめとしたドイツ観念論の強い影響を受けています。つまり、個々の人間性よりも、頭の中で構築した人類全体という抽象理論の積み重ねをその思想の基礎としているのです(ここは様々な解釈があるのであくまでひとつの見方としてのお話です)。

ドストエフスキーはこうした抽象的、合理的な人間理解を嫌いました。

それが最も端的に描かれているのが上に挙げた『地下室の手記』という作品です。『罪と罰』以降のドストエフスキー作品も基本的には人間の合理的理解をノーとする彼の主張が色濃く反映されています。

レーニンという巨大な存在と比較することで、よりドストエフスキーの特徴を感じられたのでこの箇所も非常に興味深く読むことになりました。

読み物として驚くほど面白かったヴィクター・セヴェスチェンの『レーニン 権力と愛』とはまた少し違った視点から語られるレーニンをこの本では知ることとなりました。

やはり同じ人物について違う伝記を読むと言うのはとても参考になります。

レーニン伝の決定版としてこの本は世界中で評価されています。硬派な、伝記らしい伝記です。こちらもおすすめな伝記となっています。

以上、「ロバート・サーヴィス『レーニン』―世界的に評価されたレーニン伝の傑作」でした。

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