H・カレール=ダンコース『レーニンとは何だったか』~レーニンをもっと知るならこの1冊

レーニン・スターリン時代のソ連の歴史

H・カレール=ダンコース『レーニンとは何だったか』概要と感想~レーニンをもっと知るならこの1冊

ウラジーミル・レーニン(1870-1924)Wikipediaより

今回ご紹介するのは2006年に藤原書店より出版されたH・カレール=ダンコース著、石崎晴己、東松秀雄訳『レーニンとは何だったか』という本です。

早速この本の内容について作中の「序」より引用します。

共産主義が拒絶され、闘争が放棄された現在、偶像にはもはや存在理由はない。ソ連邦は〈歴史〉の中に入ってしまった。レーニンは今後は、政治的必要性や要請にとらわれずに、人物の功績と出来事を評価しつつじっくりと考える人々のものとなる。

今日、レーニンに関して次のような重要な問いを発し、自分に問いかけることが可能である。レーニンとは何者であったのか。二十世紀最大の恐るべき悲劇の一つについて責任を負うべき犯罪者なのか。あるいは〈歴史〉の突然の転換の犠牲者であって、やがていつの日か新たな、恐らくは最終的な転換が訪れて、正しさが認められることになるのであろうか。

政治的行為と政治的生成の中では、人物とその国を切り離すのは困難なものだが、その中でどれほどの部分を、レーニンという人間の人格に帰すべきなのか。彼の選択とその結果の中で、政治的背景ーロシアの遅れ、ロシアの外での革命の遅れーが占めた部分はどれほどのものであったのか。

レー二ンは、人間への軽視が恒常的であった恐ろしい世紀を具現する者だったのか。あるいは人類に対して平和で穏やかな未来への道を描いてみせたーもしかしたらあまりにも早すぎたかも知れないがー予言者なのか。

本書の念願とするところは、レーニンをイデオロギー上の情念から引き離し、終末を迎えようとしている二十世紀の歴史の中に彼を然るべく位置付けることに貢献しようということである。この世紀は望むと望まざるとに拘わらず、なによりも彼の思想と意志に支配されていたということになるだろうから。
※一部改行しました

藤原書店、H・カレール=ダンコース著、石崎晴己、東松秀雄訳『レーニンとは何だったか』14-15

この本の特徴は書名にもありますように「レーニンとは何だったか」という大きな問題提起にあります。レーニンはなぜレーニンたりえたのか、その要因はどこにあったのかということを探究していきます。

訳者解題では次のようにこの本の特徴について述べられています。

著者エレーヌ・カレール=ダンコースは、フランスにおけるロシア=ソ連研究の第一人者で、すでに一〇点ほどの著作が邦訳されており、その名声は日本でも轟いているが、すでに一九七九年に、Lénine, la Révolution et le Pouvoir『レーニンー革命と権力』と題する本を刊行している。したがって、本書は著者の二作目の『レーニン』ということになる。(中略)

前作に対して、本書の特徴の最大のものは、もちろん、これがソ連邦崩壊後の研究であるという点である。前作は、ソ連研究という複雑な作業に課されるさまざまな制限と顧慮から完全に自由ではいられなかったと思われるが、今回は、いかなるタブーからも解放され、多くの秘密文書が研究者にとって接近可能となったという条件を十分に活用している。

そしてカレール=ダンコースは、スターリンがでっち上げた伝説のヴェールをはぎ取って、レーニンという人物の実像に迫ろうとする。「善良なレーニン」の神話によってレーニンは、二十世紀に君臨した数多の独裁者(スターリン、ヒトラー、ムッソリーニ等々)と異なり、その死ののち長い間、偶像崇拝の対象となって霊廟に祀られ、失墜を免れて来たのだったが……
※一部改行しました

藤原書店、H・カレール=ダンコース著、石崎晴己、東松秀雄訳『レーニンとは何だったか』P623-625

この本はソ連研究の大家であるカレール=ダンコースがソ連崩壊によって新たに閲覧可能になった資料を用いて書かれたものです。そしてこれまで偶像視されていたレーニンという人物の実像に迫っていきます。

本書の示唆する最も重要な命題は、スターリニズムの名で糾弾される多くの要素は、レーニンによって、あるいは少なくともレーニンの指導の下で形成された、ということであろう。

一九一七年の十一月、政権奪取の直後に早くも創設されたチェカー、「首を吊るせ、銃殺しろ」との冷徹な指示、要求に従わない農民を銃殺できる権利を付与された食糧調達のための兵労分遣隊による「鉄拳」徴発の実態、「農民の反抗には報復によって反撃し、村を焼き、反抗農民を銃殺し、家族全員を人質に取り、処刑しなければならない」との命令、クロンシュタットの反乱の凄惨な鎮圧戦、そしタンボフの農民反乱を鎮圧し、家族まで抹殺するための窒息性毒ガスの使用、等々、これらのこともさることながら、その最も驚くべき確証は、強制収容所であろう。それはすでに一九一八年から機能しており、クロンシュタットの反乱の鎮圧を契機にさらに多数の収容所が増設されて拡大して行くのである。

レーニンとスターリンの間にあるのは、革命の理想に献身するあまり、時に不法で残酷な手段に訴えざるを得なかった誠実な革命家と、個人的権勢欲に燃える粗暴な野心家という決定的な差異ではなく、せいぜいがニュアンスの差、むしろ継続性と発展であるということになるであろう。

この冷厳な確認以外にも、ここに描かれるレーニン像は、われわれの意表を突き、伝説を徹底的に裏切る。
※一部改行しました

藤原書店、H・カレール=ダンコース著、石崎晴己、東松秀雄訳『レーニンとは何だったか』P625-626

先ほどもお話ししましたがこの本はタイトルの通り、「これまで偶像化され崇拝されてはいたが、実際にはレーニンとは何者だったのか」というスタンスで進んで行きます。この引用の最後にもありますように、これまでのソ連時代のイメージとはまったく違ったレーニンの姿を私たちは知っていくことになります。

読み物としての面白さからいえば、以前紹介したこちらの『レーニン 権力と愛』が一番面白く、読みやすさの点からもおすすめです。

ですがよりもっと突っ込んでレーニンのことを知りたいという方にはカレール=ダンコースのこの作品がおすすめかなと思います。先に『レーニン 権力と愛』を読んで大まかな流れを掴んでから、『レーニンとは何だったか』を読むと、レーニンについての復習や新たな側面も知れたり、両書を比較することでより深く彼について考えることができます。レーニンに興味のある方にはセットで読むことをお勧めします。

以上、「H・カレール=ダンコース『レーニンとは何だったか』レーニンをもっと知るならこの1冊」でした。

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