(22)ノアの箱舟の聖地アララト山と時が止まったかのような修道院目指して隣国アルメニアへ
はるばるジョージアまでやって来た私でしたが、せっかくここまで来たのだからコーカサス山脈に行く前にどうしても行きたい場所がありました。
それが隣国アルメニアでした。
最古のキリスト教国アルメニア、時が止まったかのような修道院、そして今なお旧ソ連の空気が残る国・・・
知れば知るほど興味深い国です。この記事ではそんなアルメニアについてお話ししていきます。
はるばるジョージアまでやって来た私でしたが、せっかくここまで来たのだからコーカサス山脈に行く前にどうしても行きたい場所がありました。
それが隣国アルメニアでした。
最古のキリスト教国アルメニア、時が止まったかのような修道院、そして今なお旧ソ連の空気が残る国・・・
知れば知るほど興味深い国です。この記事ではそんなアルメニアについてお話ししていきます。
私がジョージアにやって来たのはトルストイを学ぶためであることを前回の記事でお話ししました。
ですが、せっかくジョージアに来たのならどうしても行きたい場所がありました。
それがスターリンの生まれ故郷ゴリという町です。
この記事ではスターリンの若き時代やスターリン博物館を訪れた私の体験をお話ししていきます。
皆さんの中にはきっとこう思われている方も多いのではないでしょうか。
「それにしても、なぜジョージアまで来なくてはならなかったのか。ドストエフスキーとトルストイを学ぶためと言ってもそのつながりは何なのか」と。
実際私も出発前に何度となくそう質問されたものでした。「何でジョージアなの?」と。 たしかにこれは不思議に思われるかもしれません。ドストエフスキーとトルストイを学ぶために行くなら普通はロシアだろうと。なぜジョージアなのかという必然性が見当たらない。 というわけでこの記事ではそのことについてお話ししていきます
前回の記事ではフェルメールの傑作『デルフトの眺望』をご紹介しました。
そしてこのマウリッツハイス美術館にはもうひとつ、フェルメールファン必見の名画があります。
それがあの『真珠の耳飾りの少女』です。
実は私はこの絵にそこまでの期待をしていませんでした。私は『デルフト』が一番好きなのであって、この絵には元々あまり興味がなかったのです。
ですが、そうした私の思いはこの日を境にがらっと変わりました。こんなにすごい絵だったとは!
この記事ではそんな『真珠の耳飾りの少女』の魅力をお話ししていきます。
とんでもなく複雑で難しい薔薇戦争というテーマは、普通なら読み進めるのも大変な書物になってしまうでしょう。ですがこの本は違います。たしかに一読して全てを理解するのは難しいとしても、この戦乱の全体像を把握しながらすんなりと最後まで読み進めることができるのです。このこと自体がものすごいことだと思います。
実際この作品を読んでから『ヘンリー六世』や『リチャード三世』を読み直したのですが、前回とは全く違った印象を受けることになりました。話の流れが見えるのです!やはり時代背景や話の流れはある程度分かっていた方が楽しめること間違いなしです。
フェルメールの町デルフトから電車で30分もかからぬ距離にあるデン・ハーグという街。
ここにフェルメールの代表作『デルフトの眺望』と『真珠の耳飾りの少女』が展示されているマウリッツハイス美術館があります。
私がオランダにやって来たのも、デルフトの町を見てみたいという思いもありましたがやはり1番は私の大好きな『デルフトの眺望』や、フェルメールで最も有名なあの『真珠の耳飾りの少女』を観てみたいというのがその最大の目的でした。この記事ではその『デルフトの眺望』についてお話ししていきます。
実は、私はこの作品を実際に手に取るまではその内容を勘違いしていました。
巷に溢れる、「〇〇の真実」、「誰も知らない〇〇」「真の〇〇」という刺激的なタイトルの作品たち。「我こそは真の〇〇を語っている!これまでの通説は嘘だ!」のような、そんな流れの本のように私はこの本も見てしまっていたのです。
ですが、いざこの本を読んでびっくり。なんとこの本はそんな巷に溢れる「〇〇の真実」的なゴシップ、陰謀論的なものに真っ向から立ち向かった最高にハードボイルドな作品だったのです!これには驚きでした。
この記事ではオランダを代表する光の画家フェルメールのゆかりの地デルフトをご紹介します。
フェルメールは生涯のほとんどをこの町で暮らし、数々の名画を生み出しました。そんなデルフトには今も残るゆかりの地がいくつもあります。
また、フェルメールと全く同じ1632年にこの町で生まれたもう一人の天才レーウェンフックについてもこの記事でお話しします。顕微鏡で微生物を発見したことで有名な彼とフェルメールはご近所さんでした。レンズを通して「見えない世界」を探究した二人の偉人の存在には驚くしかありません。
本紹介にもありましたように圧倒的な数の演劇、演劇人と触れ合ってきた著者の経験はすさまじいものがあります。
私はこの本を読んでいて、そのシェイクスピア演劇の奥深さと言いますか、無限の幅を感じました。「あ、ここはそう理解していけばいいのか!」「なるほど、ここはそうやって作られていったのか!」「え?そこからそういう解釈の演劇もありなんだ!」という目から鱗の発見がどんどん出てきます。
シェイクスピア作品を私は舞台に観に行ったり、本で読んでいるわけですが、舞台と本の違いということを特に意識させられた読書になりました。
パリを出発した私が向かったのはベルギー国内にある古戦場ワーテルローの地。
ここは1815年にナポレオンが最終決戦の末に敗れ、彼の栄光に終止符が打たれた場所として知られています。
そしてここは『レ・ミゼラブル』を書き上げたユゴーにとっても非常に重要な場所でした。
この記事ではそんなナポレオンとユゴーのゆかりの地ワーテルローについてお話ししていきます。