(19)フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』のオリジナルは想像をはるかに超えた傑作だった

秋に記す夏の印象~パリ・ジョージアの旅

(19)フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』のオリジナルは想像をはるかに超えた傑作だった

前回の記事「(18)マウリッツハイス美術館でフェルメールの『デルフトの眺望』を観る」ではフェルメールの傑作『デルフトの眺望』をご紹介した。

そしてこの美術館にはもうひとつ、フェルメールファン必見の名画がある。

それがあの『真珠の耳飾りの少女』だ。

『真珠の耳飾りの少女』Wikipediaより

青と黄色のターバンを巻いたこの少女はあまりにも有名だ。そのオリジナルがここマウリッツハイス美術館に展示されているのである。

前回の記事でも紹介したが、この美術館はフェルメールの町デルフトにも近いデン・ハーグという街にある。

フェルメールの最高傑作と彼の故郷が近くにあるというのは、フェルメール巡礼をする私たちにとっては非常にありがたいことである。

さて、では『真珠の耳飾りの少女』とご対面といこう。

この絵は『デルフトの眺望』と同じ部屋に飾られていて、ちょうど互いに向き合う形で展示されている。

想像よりも大きく感じた『デルフトの眺望』と違って『真珠の耳飾りの少女』は思っていたよりも小さく感じた。

そしてこの写真を見て頂ければわかるように、なぜか人が少ない。この美術館自体が人数制限をかけているのもあるのだろうがそれにしても人が少ないことには私も驚いた。もちろん、時間によっては混雑もするがそれも許容範囲のレベル。これだけの名画をこんなにじっくりと落ち着いて見られるのは本当に貴重だと思う。

ここで私は告白しなければならない。

実は私は『真珠の耳飾りの少女』にそこまでの期待をしていなかったのである。私は『デルフトの眺望』が一番好きなのであって、この絵には元々あまり興味がなかったのである。

だが、そうした私の思いはこの日を境にがらっと変わった。こんなにすごい絵だったとは!

パッと見た時、最初はこの絵の魅力がわからなかった。だからすぐに観るのをやめてすぐ後ろの『デルフトの眺望』に戻った。

だが改めてこの絵を見返したときに何かが変わった。それも正面よりも少し右側から見た瞬間、それは起こった。「ん?目が離せないぞ?」・・・この位置、絶妙に目が合うのだ。

静謐な動き。永遠の静寂。そんな言葉があったっけ。

でも、まさしくそれだ。

この絵を見ていると、ふとこの少女がこちらを振り向いたというのがよくわかる。

こちらを向いたその瞬間が完璧に切り取られている。さらに言えば、こちらを向こうとするまでの動きも見える。そして目があった瞬間!

永遠とは時間の静止のことなのか。

わからない。何か理解を超越した感覚がここにある。

そもそも、フェルメールの絵で背景が真っ黒というのが珍しい。

でも、この虚無の黒がよけい永遠というか、時間と場所の感覚を置き去りにする。

生きている。見れば見るほどこの少女が実在しているように見えてくる。

写真や画像よりもはるかに生きているように見える。何なのだこれは!

細かく見れば光の技法やその意味の観察などもできるだろう。『デルフト』のように。

だが、そうした部分部分の分析を吹き飛ばすような何かがある。

この絵は全体として観るべきものなのだ。

あそこはこうで、ここはそうした技法が使われているというような解剖的な見方が一切通用しない。

こういう見方があるのか・・・!いや、無理やりそこに引き込む恐るべき絵なのか・・・

まさしく引き込まれた。吸引力。そんな言葉が浮かんできた。

これはすごい!私はどうもフェルメールに関して随分と分析的な方向に傾いていたようだが、そんな観念を吹き飛ばす作品だった。「御託はいいからとにかく見ろ!感じろ!」そう言われたように感じた。

『デルフト』の素晴らしさは来る前から期待していたのである意味想定内であったが、『真珠の耳飾りの少女』にはとにかく驚かされた。

少し右側から見るこの角度が私のお気に入り

私は翌日もマウリッツハイス美術館を訪れこの少女をじっくりと鑑賞することにした。

やはり素晴らしい・・・!

ふとした瞬間。でも何かが通じ合う決定的な瞬間。

フェルメールはこの少女の魅力を決定的に感じ取った。

夫婦愛が強かったであろうフェルメールなので恋愛関係ではないと信じたいが、この少女の魅力がこの一瞬、まさしくその瞬間に通じたのだ。

だが、それにしても不思議だ。少し斜めから見た角度が一番魅力的。正面ではないのである。

右から見るとまさにこちらを振り向いたという動きが最も見える。だが正面より左だと動きが感じられない。ポーズを取るために静止しているように見える。

こちらを振り向く動きと、その瞬間を切り取った静止の描写。この動きと静止こそこの絵の一番の魅力だと思う。

あぁ、それにしてもこの背景の黒。黒の背景は日常を吹き飛ばす引力ということだろうか。

『デルフトの眺望』を描いた風景描写の達人があえてそれを描かない。背景を描かずに真っ黒に塗りつぶした。ここに大きな意味があるのではないだろうか。

この少女の振り向きの瞬間は特定の時間と空間を超越する。

文字通り、二人の視線がぶつかった瞬間、世界が吹っ飛んだのだ。

そして無限・永遠の吸引力がそこに存在する。

それがこの絵なのだ。ものすごい絵だこれは。

オリジナルを見るというのはやはり違う。

オランダまで来てこの絵を見れたのは私にとって本当に嬉しいものとなった。絵というものに対する考え方がまたがらっと変わった気がする。理解や分析を吹き飛ばすような絵があるということを知ったオランダでの体験であった。

続く

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