(22)ノアの箱舟の聖地アララト山と時が止まったかのような修道院目指して隣国アルメニアへ

秋に記す夏の印象~パリ・ジョージアの旅

【アルメニア旅行記】(22)ノアの箱舟の聖地アララト山と時が止まったかのような修道院目指して隣国アルメニアへ

前回の記事ではスターリンの生地ゴリの町を紹介した。

そしてこれからジョージア滞在最大の目的地コーカサス山脈に向かう前に、私は隣国のアルメニアを訪れることにした。

ノアの箱舟で有名なアララト山と『ギルガメシュ叙事詩』

アルメニアの首都エレバンからはあのノアの箱舟で有名なアララト山を望むことができる。

エレバンから見たアララト山 Wikipediaより

私がアルメニアに興味を持ったのもまさにこのアララト山の存在があったからだった。

私は2019年に聖書に説かれた聖地を巡るためにイスラエルを訪れている。

聖書に出てくる世界が実際に目の前に現れた時の感動は今でも忘れられない。

トルストイとカフカースについて知るためにジョージアのことを学んでいた私だったが、なんとそのすぐ隣に「あのアララト山」があるではないか!そう思うと居ても立ってもいられなくなり私はアルメニアのことに関心を持ち始めたのだった。

そしてアルメニアについて調べているうちに森和朗著『乗っ取られた箱舟 アララト山をめぐるドラマ』という本と出会うことになった。そしてこの本の中に驚くべきことが書かれていたのである。

アララト山は『旧約聖書』で「ノアの箱舟」が漂着した場所として知られる聖地中の聖地だ。

だがその「ノアの箱舟」の物語が実は紀元前3000年から2600年頃に繁栄したメソポタミア文明のシュメール神話『ギルガメッシュ叙事詩』から着想を得ていたというのだ。

ノアの箱舟の大洪水の話は、キリスト教徒以外にもよく知られているが、私たちはそれをただの神話のようなものだと思っているのではないか。

しかし、キリスト教徒、とりわけアメリカ人には、それを歴史的な事実だと受け取っている人が多いようだ。聖書は神から聴いた言葉をそのまま記したものであるから、そこに架空の話が紛れ込んでくるはずがない。いや、ノアの箱舟はまだスケールの小さな方で、無限の宇宙そのものが神の創造によるものだと信じている人が、アメリカ人の半分以上もいるということだ。二〇一五年に世界中から投票を募るコンピューターのサイトが、「世界の創造は神によるものか、それとも、ビッグバンによるものか」というアンケートをしたところ、神による創造を支持する割合が、アメリカ人では突出して高くて、五八パーセントにものぼったという。

このように神が世界を創造したと信じるなら、その神は世界を滅亡させることもできると考えるのは、自然であろう。神が送り込んだ大洪水で人間が絶滅したとしても、ノアとその一族だけは箱舟に逃げ込んで助かったという旧約聖書の記述を、それほど心理的な抵抗感もなく読むことができるだろう。

それでは、聖書のなかでノアの箱舟と大洪水がどのように記されているか、見てみることにしよう。

「創世記」の六章にはこう書かれている。―「主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。主は地の上に人を作ったのを悔やみ、心を痛め、『私が創造した人を地からぬぐい去ろう』と言われた。」

こう決意したものの、神にもいくらか気が咎めたのか、人間のなかでも例外的な善人であるノアだけにはそっと告げ口して、「自分は間もなく人類を滅ぼす大洪水を地球にもたらすが、お前は今すぐ箱舟を作って家族とともに乗り込め」という特別の忠告を与えた。ノアがそれを実行して、人間が滅亡した後も彼とその一族だけは生き残ったという話は、あまりにも有名であるから、くどくど書くまでもない。

ところが、神すらも予測することができなかった、青天の霹靂のようなことが起こった。神が禁じておいた知恵の木の実を人間がたらふく食べたために、知恵がつきすぎてしまって、十九世紀ともなれば、科学なるものが神を置き去りにして、どんどん独り歩きするようになってしまったのだ。

色々な科学が競い合うように発展していったが、そのなかにはのろま、、、の部類に属する考古学も加わっていた。地中深く埋まった遺跡を発掘したり、そこから見つかった粘土板や羊皮紙に書かれた文字を解き明かす技術が、急速に発達していったのだ。

そして、ついに来るべき時が来たのである。

時は一八七二年、ロンドンの大英博物館に勤めていて、粘土板に刻まれた楔形文字がかなり読めるようになったジョージ・スミスは、古代アッシリアの首都ニネヴェの王宮書庫から出上した粘土板文書を調べていて、あっと驚くような発見をした。後になって『ギルガメッシュ叙事詩』と呼ばれるようになったものの一一番目の書版のなかに、聖書のノアの箱舟の記述に細部までよく似たことが書かれていたからである。

スミスが自分の発見を聖書考古学協会で発表すると、当然のごとくセンセーションを呼び起こした。これまで聖書は神の言葉を書きとめたものだ信じ込んでいた、欧米のキリスト教徒たちは、聖書のなかの最も有名な挿話の一つに種本があると指摘されて、開いたロがふさがらなくなっただろう。

鳥影社、森和朗『乗っ取られた箱舟 アララト山をめぐるドラマ』P17-19

「聖書もかつての宗教から様々なモチーフを借用して書かれていた」。これは宗教とはそもそも何なのかを考える上で非常に重要な指摘である。

この本ではここから詳しく聖書と『ギルガメッシュ叙事詩』について見ていくことになる。この記事では紹介できないがものすごく興味深いことが語られていく。

『ギルガメッシュ叙事詩』は難しそうなイメージがあるが、驚くほど読みやすい作品だ。しかも文庫本サイズで手軽に読める分量でもある。ストーリー展開もドラマチックで、こんな優れた物語が5000年も前に作られていたのかと驚くしかない。

こうした面からも私はアララト山により興味を持つようになったのである。

最古のキリスト教国アルメニアと時が止まったかのような修道院

そしてもうひとつ、アルメニアに来てみたかった大きな理由がある。

アルメニアは西暦301年に国教化した最古のキリスト教国と言われていて、アルメニア使徒教会という、カトリックともプロテスタントとも正教とも違う独特の信仰を持ったキリスト教を信仰している。

さらに、時が止まったかのような修道院が各地に残っていることでも有名だ。

これはマトサヴァンク修道院というもはや廃墟のような修道院なのだが、まさに異世界に入り込んだような不思議な教会をアルメニアではこれから目にすることになる。

旧ソ連時代を今もなお引きずるアルメニア

こうした独特な教会建築について私が特に興味を持ったのは篠野志郎著『アルメニア巡礼 12の賑やかな迷宮』という本を読んだことが大きい。篠野志郎氏の本はこれまでもいくつか読んでいたのだがこの本はその中でも圧倒的な面白さがあった。

そしてこの本を読んでいてアルメニアという国がかつて共産圏だったということに改めて気付かされることになった。

これまで私は旧共産圏がソ連崩壊後どんな苦難の道を歩んでいるかということを様々な本を通して見てきた。

ソ連末期の共産圏諸国の実態は悲惨なものがあった。

行政組織は腐敗し、産業もぼろぼろ。日常品すらない状態。

そんな中、人々はソ連から独立したら自由に繁栄できるようになると思っていた。

しかし、現実はもっと悲惨になっていくばかりだった・・・

そして旧共産圏と言えば中欧や東欧がよく語られる。ポーランドやチェコ、ハンガリーなどがその例だ。それらの国は旧共産圏といえど急激な成長を見せ、いまや観光地としても非常に賑わいを見せている。

今作で紹介されているアルメニアも一応はそれらの国と同じように旧共産圏だ。

だが同じ旧共産圏でもポーランドやチェコなどと比べたらアルメニアは圧倒的に経済で後れをとっている。

ひとえに旧共産圏と言ってもその内実はそれぞれ全く異なるのだ。

この本を読んで旧共産圏らしい雰囲気がもっとも残っているのがこの国なのではないかと思ったくらいだった。まるで時が止まったかのようなアルメニア事情をこの本で目の当たりにすることになる。

その中でも特に印象に残った箇所をここで紹介したい。この箇所は著者がこの作品の中で「作家」と呼んでいる現地ガイドの言葉から始まる。

コノ国デハ九〇ぱーせんと以上ノ者ガ、貧困二苦シンディル、コノ国二希望ナンテモノハナイ。ニ〇〇五年以降になると作家はきまってそう吐き捨てた。朝早く人通りの絶えたエレヴァンの町並みをゆったり歩くのを日課としていた男は、人通りの絶えた薄汚れた古い町並みを愛しながらも、きらびやかに繁栄を謳歌する再開発の町並みや、そこにたむろするアルメニアの成功した者達やその子弟を嫌悪していた。不正は経済の問題であり、腐敗は心の問題だった。その違いが多くの成功者達やその子弟には、区別がつかなかった。

彩流社、篠野志郎『アルメニア巡礼 12の賑やかな迷宮』P199-200

かつて前向きに人生を歩んでいた「作家」がいつしか「コノ国二希望ナンテモノハナイ」と絶望するようになっていった。別の箇所では「コノ国は腐ッテイル」と「作家」は話す。著者と「作家」の20年来の付き合いの中で移り変わっていくアルメニアと「作家」の人生・・・

上の箇所にもあるように、首都エレバンには資本が流れ込み、一部の人は経済的に潤うことになった。

しかし著者が研究する教会建築はそのほとんどが廃墟と言ってもいいような僻地にある。アルメニア国土のほとんどが活気を失い、まるで廃墟のようにどんよりと沈んでいる・・・そんな雰囲気がこの本ではとにかく伝わってくる。

そしてもうひとつ強烈な印象を受けた箇所がある。著者が感じたアルメニアの現状を最も象徴している箇所とも言えるかもしれない。この箇所はナゴルノ・カラバフにも近いゴリスという町の宿泊地での話だ。少し長くなるがこの本の雰囲気がよく感じられる箇所なのでじっくり読んでいきたい。

地方都市にしては珍しく、一〇階くらいある白亜のRCの建物で、一階は店舗が入っていたのか、大きな一枚もののガラスが柱間を埋めていたが、大概はガラスが半分以上無くなっていた。上階はアゼルバイジャンからのアルメニア人難民が住み着いており、もともとホテル施設であることもあって、寝泊まり以外の設備は基本的に無いので、ベランダで食事の仕度をするせいで、四階から上は白い壁が煤ですっかり無くなっていた。

階段も床もなぜか傾いており、歩いている内に身体が壁に擦り寄り、平衡感覚を著しく妨げられた。もちろん、各室には便座も無ければ水もでない浴室が、ホラー映画でよくあるような赤身のある照明に照らされ、ゴミの浮いた汚れた水が浴槽に湛えられていた。トイレを使用した時に、柄杓で流す水だった。奇妙なほどに湿ったべッドが、ご多分に洩れず、部屋の壁に沿って鈎型に配置されていた。

まずすべきことははっきりしていた。壁や床や天井の取り合い箇所に空いた隙間にガムテープを貼って、鼠の出口を塞ぐことだった。ここでも本も読めないほどの明るさだったが、電球の傘にモスクワ・オリンピックのマスコットである熊のミーシャのシールが貼られていることに、世界との繋がりを理解し、痛く感動したのを覚えている。

一〇時半頃に小さなテーブルを囲んで、多分、タマネギとジャガイモとべーコンを和えた料理が鍋ごとテーブルに置かれ、各自スプーンで無言のまま、黙々と食べた。作家もこの惨状に、さすがに腐り切っていた。

からばふは好キジャナイ。この惨状を予想してか、飛ばし屋の伯母の家に泊まりに行った建築家が、カラバフの税関を通った後でロにした言葉を思い出した。奇妙な戦争だった。カラバフはアルメニアのものだ、とほとんどのアルメニア人がロにしたが、カラバフが好きだというアルメニア人には滅多にお目にかからなかった。アゼリ人にしても、アルメニア人にしても、アゼルバイジャンやアルメニアに住む自らの同胞よりも、近在の異民族の方がより親しみを感じると、カラバフ紛争を取材した記者は報告している。

ゴリスもそうだが、エレヴァンでも多くのカラバフからの難民が、ホテルや空き家となったアパートに暮らし、在住のアルメニア人の反感を少なからず買っていた。こうした確執は私達の調査とは何の関係も無かったが、カラバフからアルメニアに戻った時になって、それまで道端に転がる錆びついた装甲車や砲台の吹き飛んだ戦車を目にしても、戦争の傷跡程度の他には印象として何も感じなかったのに、何故かカラバフ紛争の重苦しさをゴリスのホテルで経験することになった。食事の間中、誰も何も喋らなかった。傾いた床のホテルで、ヤカンが沸騰する音をノイズのように耳に留めながら、鍋からジャガイモをつつき、水で流し込んだ。上の階で生活する難民達の息遣いが、重く伸し掛かってくるように感じた。

施設的な老朽化と欠陥には目を瞠るものがあったが、ゴリスのホテルのような精神を締め付けられる重苦しさは、他の地域では無かった。ゴリスの後で投宿したセヴァン湖の作家組合のリゾート施設では、感電と低体温症に苦しめられたが、痛みは肉体に限られていた。

しゃわーヲ浴ビル前二、電源ハ必ズ切レ、湯沸カシ器が漏電シテイル。作家はシャワーの横に据えられた湯沸かし器を指さして、忠告した。言われた通り、湯沸かし器のスイッチを切り、シャワーを浴びたが、シャワーの金属の把手を持っている間、握った手に痛みが走り、何故かお湯を浴びながら痙攣する身体を止められなかった。

ニ〇〇三年には同じ施設で、何が起こっても素早くシャワーを済ませられるように、まずはちゃんとシャンプーを始めとして体中に石鹸を塗りたくり、シャワーを浴びようとすると、湯沸かし器そのものが壊れていたのか、水しか噴き出さなかった。気温は一〇度前後である。裸のままべッドに潜り込んで、歯の根をカチカチ鳴らしながら、一時間ほど震えが止まらなかった。

その後、トルコやシリア、かなりのレべルのホテルに投宿したが、ゴリスのあのホテルに較べると、肉体的な苦痛には精神をもって対処できると感じ、何とは無しに許せる気分になった。
※一部改行した

彩流社、篠野志郎『アルメニア巡礼 12の賑やかな迷宮』P247-249

ホテルの老朽化や、感電するホテルのエピソードも凄まじいが、ナゴルノ・カラバフ紛争の重苦しさを私たちも著者の言葉を通して感じることになる。

この作品はわかりやすい観光名所的な地を巡る本ではない。楽しくてキラキラした旅行先としてのアルメニアとは明らかに異なるダークな雰囲気が漂ってくる。それは著者自身に帰するものもあるだろうが、著者が関わることになった世界、人々の実態がまさにこうしたものを感じさせるのではないかと思う。

それに対しG・ポゴシャン著『アルメニアを巡る25の物語』はまさにこの本の対極をなす本だ。

この本は「アルメニアはいいところですよ!ぜひ遊びに来て下さい!」というキラキラした作品だ。

私は篠野志郎氏の作品とこの作品とのギャップにとまどうしかなかった。正直、今も戸惑い続けている。どちらが本当なのか。いや、きっとどちらも本当なのだろう。ただ、見る視点、置かれた境遇によって全く異なる世界がそこにあるのではないだろうか。

『アルメニア巡礼 12の賑やかな迷宮』はソ連崩壊後取り残された旧共産圏の姿を知る上でこの上ない作品だと思う。日本ではありえないインフラ事情がどんどん出てくる。あまりに異世界過ぎてかなりショックを受けた。先程はホテルの話を引用したが、他にも驚きの内容がどんどん出てくる。

もちろん、アルメニアの教会建築を知る上でもこの本はすばらしい参考書だ。私はこの地域のキリスト教文化に関心があったのでそういう面でもこの本はとてもありがたい作品だった。

というわけで私はアララト山、教会建築、旧ソ連とのつながりという3つの点からアルメニアを見てみたいと思い、この地に向かったのであった。

いざアルメニアへ

陸路での国境越えはやはり緊張感がある。

入国審査の列が全く進まず、あぁやはりこういうところにも旧ソ連的なところが出てくるのだろうかと勘繰ってしまう。まぁ、ヨーロッパのどこに入国しても入国審査の列がスムーズに行くことはそんなにない。たぶん私の先入観がそうさせたのだろう。

ジョージア・アルメニア国境でドライバーとガイドも交代。ここからは別のメンバーでアルメニアを移動する。

さて、アルメニアに入国である。走ってすぐに山、山、山。そしてぽつぽつある廃墟。

いくつかの町を通り過ぎたが明らかに旧ソ連的な雰囲気を感じる。

くすんだ茶色、灰色の世界。ジョージアとは全く違う。

世界遺産ハフパッド修道院へ

最初に訪れたのはハフパット修道院という場所。

とんでもない山の上にぽつんと立つ修道院。うねうねの急カーブを回りながら上っていく。あぁ、四国のお遍路を思い出す・・・景色もなんとなく似ている気がしてきた。

これから私は四日ほどかけて修道院巡りをするわけだがこうなってしまえばまさにお遍路だ。そんなことを考えると笑えてくる。結局私はどこに行ってもやっていることは同じなのだ。

さて、ハフパット修道院に到着だ。

中に入ってすぐに驚く。なんだこの廃墟感は・・・!

本当にここだけ時間が止まっているかのようだ。

今もこの修道院は使われているそうだが、申し訳ないがそんな雰囲気は感じられない。

祭壇もあるし、ロウソクも立っているし、椅子もある。だがどうしてもここで祈りが捧げられていることを実感できない。

ソ連時代は宗教が禁止されていたため全ての修道院が閉鎖されていたそう。だがそれでも人々は教会に来ていたらしいが、実際のところはどうだったのだろう。

ジョージアは今なお信仰が強いのをかなりはっきりと感じられた。参拝者も多く、何よりガイド自身が教会に入る時に頭にスカーフを巻き、常に十字を切っていた姿が印象的だった。

ジョージアの教会では祈りの空気というか、精神性を強く感じた。

だがアルメニアはどうだろう。たしかに柱の重厚さや、この空間の荘厳な雰囲気は素晴らしい。しかし圧倒的に勝ってしまうのが廃墟感なのだ。歴史に置いていかれたままになってしまった悲しき痕跡・・・

本で読んだアルメニアそのままだ。

「ここでかつて人々は祈りを捧げていた・・・」

この言葉がこれほど似合う場所があるだろうか。

もちろん、これは私の先入観であり、偏見でもある。ここは今でも祈りの場として機能しているのだ。問題は私がそれを感じることができなかったという点なのである。これまで私は世界中の様々な宗教施設を訪れたがこの感覚は初めてだった。アルメニアで訪れた最初の教会にしてすでに私はとまどってしまった。「アルメニアはわからない」。この念に私はこの後も苦しめられることになる。

改めて自分がとんでもないところに来てしまったことを感じる。まるでゲームの世界だ。

旧ソ連時代に繁栄したアラヴェルディという町に廃墟の虚しさを感じる・・・

そして次の目的地サナヒン修道院へ向かう途中、アラヴェルディという町を通り過ぎた。ここはかつて銅山が有名でソ連時代に繁栄していたそう。

だが今やソ連も崩壊し、この銅山や工場も廃墟と化している・・・

ソ連時代の廃墟。話には聞いていたが実際に生で見ると強烈この上ない。もう今にも崩れ落ちそうなのだ。辺り一帯がくすんだ茶色一色。モノクロ写真を見ているかのような気分になる。これが「なれの果て」なのだと否が応でも思い知らされる。ここに住んでいる人はどうやって生きているのだろうと不思議になる。

どこもかしこもソ連的。ジョージアとは全く違う。

ソ連的空気が未だに残っているというのは本当だったのだ。どうしようもない「どん詰まり感」を感じてしまう。気分が重くなる風景だった・・・

この地域のもうひとつの世界遺産サナヒン修道院

こちらも山の中にある修道院。黒系の色をした重厚感のある外観だ。

では、その中に入っていこう。入り口の段階ですでに雰囲気がある。

私はここに入った瞬間思わず息を呑んでしまった。なんだこの圧倒的廃墟感は・・・!ハフパッドよりもさらに廃墟感が強い。床の石が崩れていてぼこぼこだ。気をつけて歩かないと転んでしまう。柱も壁も床も、すべてが遠い昔を連想させる。完全に時が止まっている。一体何なのだアルメニアは!

ここにももちろん祭壇はある。ここも現役の祈りの場なのだ。

だが、この時が止まったかのような場所で現代人が祈りを捧げているというのがどうしても私にはしっくり来ない。ここまで違和感を感じたのは本当にない。いよいよアルメニアという国がわからなくなってきた。

最後にこの教会内部と道中の映像をご紹介してこの記事を終えたいと思う。

次の記事ではこれら修道院をさらに上回る廃墟感を醸し出すマトサヴァンク修道院をご紹介する。そこに行くまでは山の中を一時間ほど歩かねばならない。今思い返しても難儀な道中であった。

続く

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