上田隆弘『秋に記す夏の印象~パリ・ジョージアの旅』記事一覧~トルストイとドストエフスキーに学ぶ旅
上田隆弘『秋に記す夏の印象~パリ・ジョージアの旅』記事一覧~トルストイとドストエフスキーに学ぶ旅
2022年8月中旬から9月の中旬までおよそ1か月、私はジョージアを中心にヨーロッパを旅してきました。
フランス、ベルギー、オランダ、ジョージア・アルメニアを訪れた今回の旅。
その最大の目的はジョージア北部のコーカサス山脈を見に行くことでした。
私は「親鸞とドストエフスキー」をテーマにここ三年間研究を続けてきました。そして今年に入ってドストエフスキーをもっと知るために正反対の存在と言われるトルストイのことも学ぶことになりました。
そしてその過程で知ったのがこのコーカサスの山々だったのです。
上の記事の中でお話ししたようにコーカサスの山々はトルストイに巨大な影響を与えました。
トルストイといえば『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』などの大作が連想されますが、これらの作品にも彼のカフカース体験は大きな役割を果たしていますし、晩年の非暴力主義もこの時の経験がその根っこにあったのではないかと思われます。
だとしたらぜひ私もそのカフカースの山々を見てみたい。トルストイはここで何を感じたのだろうか、ぜひそれを考えてみたいと私は思ったのでありました。
この記事では全31記事を一覧にして紹介していきます。『秋に記す夏の印象』の目次として使って頂けましたら幸いです。
では早速始めていきましょう。
(1)ドストエフスキーとトルストイの眼で眺めるパリ~彼らはパリに対してどんな思いを持っていたのだろうか
ドストエフスキーは1862年、トルストイは1857年にそれぞれパリを訪れています。
彼らはそこで目にした出来事やそれらに対する思いを書き残し、後の作家活動の糧としていました。
この記事ではそんな二人を通して今回の私の旅についての思いをお話ししていきます。
(2)パリ最初の散歩。コンコルド広場からセーヌ川へ。パリジャンのさりげないオシャレ感にたじろぐ
パリに着いて初めての散策。私はコンコルド広場を通ってセーヌ川へ向かいました。 コンコルド広場はルイ16世やマリーアントワネットが処刑された場所としても知られています。 そしてホテルのフロントのパリジャンにすっかり影響を受けた私でありました。
ドストエフスキーやトルストイのように「さぁパリの街よ覚悟しておくがいい」という気概で臨むはずがいきなりそれをくじかれてしまった形。これから1週間私はパリに滞在します。私はこの街に何を思うのでしょうか。
(3)シャンゼリゼ通りから凱旋門へ~パリの王道コースと凱旋門からの眺望
パリ滞在も始まりこれからいよいよパリの街を散策に出掛けます。となればやはりまず訪れたいのは凱旋門。定番中の定番ですが、まずはここを訪れ凱旋門の上からパリを眺めてみようという趣向であります。 この記事では凱旋門に絡めてナポレオンやバルザック、エミール・ゾラについてもお話ししていきます。
(4)パンテオンでフランス人の雄弁をからかうドストエフスキー~そして私はゾラとユゴーの墓参り
この記事ではドストエフスキーも訪れたパンテオンについてお話しします。 ここにはヴォルテールやルソーなどの哲学者やゾラやユゴーなど国民的な文学者のお墓があります。 そしてドストエフスキーは『冬に記す夏の印象』でこのパンテオンでのエピソードを記しています。これがすこぶるユーモアが効いていて面白いのでこの記事で紹介していきます。 ドストエフスキーというと暗くて厳めしいイメージがあるかもしれませんが、実は茶目っ気もある人物です。雄弁に酔いしれるフランス人とのやりとりは思わずくすっと笑わずにはいられません。
(5)ナポレオンの墓があるアンヴァリッドへ~知れば知るほど存在感が増すナポレオンというカリスマについて
パンテオンでルソーやヴォルテール、ゾラ、ユゴーのお墓参りをした後に私が向かったのはアンヴァリッド。ここにはあのナポレオンが葬られています。 それにしても、アンヴァリッドの堂々たる立ち姿にはため息が出るほどです。これほどの建築物がある意味ナポレオンの墓石なわけです。そう考えるとナポレオンという人物がいかに巨大な人物だったかを思い知らされます。 この記事ではそんなナポレオンについてお話ししていきます。
(6)パリ、バルザックゆかりの地巡り~ブローニュの森、バルザックの家、ペール・ラシューズ墓地へ
この記事では『ゴリオ爺さん』で有名なフランスの文豪バルザックゆかりの地を紹介していきます。 小説中で重要な意味を持つブローニュの森、そしてバルザックの家と、彼のお墓があるペール・ラシューズ墓地を順に見ていきます。 特にバルザックの家では彼愛用のステッキやコーヒーポッドも見れて大満足でした。
(7)パリ下水道博物館~レミゼのジャン・ヴァルジャンが踏破した怪獣のはらわたを体験!その他ゆかりの地についても
今回のパリ散策において、マニアックながらも一般の方にぜひおすすめしたいスポットがあります。 それが今回ご紹介するパリの下水道博物館になります。 私の大好きな『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・ヴァルジャンはこのパリの下水道を踏破しマリユスを救います。 ですが当時のパリはすさまじい悪臭と汚物の都市として知られていました。しかも下水道はほとんど迷宮と化し人が立ち入ることさえ危険な魔窟でした。ジャン・ヴァルジャンが踏破したこの闇と汚染の世界を少しでも感じられるならと私はこの博物館に向かったのでありました。
(8)ゾラのルーゴン・マッカール叢書ゆかりの地を一挙紹介~フランス第二帝政のパリが舞台
今回の記事では私が尊敬する作家エミール・ゾラの代表作『ルーゴン・マッカール叢書』ゆかりの地を紹介していきます。 『ルーゴン・マッカール叢書』はとにかく面白いです。そしてこの作品群ほど私たちの生きる現代社会の仕組みを暴き出したものはないのではないかと私は思います。 ぜひエミール・ゾラという天才の傑作を一冊でもいいのでまずは手に取ってみてはいかがでしょうか。そしてその強烈な一撃にぜひショックを受けてみて下さい。 『居酒屋』や『ナナ』は文庫本でも手に入りますのでぜひおすすめしたいです。
(9)サクレクール寺院からパリを一望~ゾラ後期の傑作『パリ』ゆかりのモンマルトルの丘に立つ巨大な教会
前回の記事ではエミール・ゾラの『ルーゴン・マッカール叢書』ゆかりの地をご紹介しました。 そして今回の記事では『ルーゴン・マッカール叢書』を書き上げたゾラが満を持して執筆した「三都市双書」の最終巻『パリ』の主要舞台となったサクレクール寺院をご紹介していきます。 パリを一望できる絶景スポットとして有名なこの教会ですが、ゾラファンからするとまったく異なる意味合いを持った場所となります。この教会に対してゾラは何を思ったのか、そのことをこの記事で紹介していきます。
(10)『オペラ座の怪人』でお馴染み!パリのオペラ・ガルニエへ~ファントムの5番ボックス席も発見!
パリといえばやはりオペラ座。この記事ではそんなオペラ座ことオペラ・ガルニエについてお話ししていきます。 『オペラ座の怪人』ファンには間違いなくたまらない場所です。この記事ではあのファントムのボックス席についてもお話ししていきます。 もちろん、『オペラ座の怪人』に詳しくなくともこの見事なナポレオン三世様式は必見です これはパリ観光の必須ポイントとして間違いありません。ぜひおすすめしたいスポットです。
(11)ルーブル美術館でドストエフスキーが愛した理想風景画家クロード・ロランを発見。同時代の天才プッサンと共にご紹介
パリといえばやはりルーブル美術館を思い浮かべる方も多いと思います。 ですが、ドストエフスキーに関心を持っている私にとっては実はこの美術館はノーマーク。正直、特にこれといってものすごく見たい作品があるというわけでもなかったのです。「有名なルーブルだし、せっかくだし行っておきますか」くらいのものだったのでした。 しかし実際にここを訪ねてみて、そんな軽率なことを思っていた自分を大いに恥じることになりました。この美術館はやはり評価されるべくして評価されている素晴らしい美術館でした。今さら私がこんなことを言うのもおこがましい話ではありますがあえて言いましょう。「やっぱりルーブルはすごかった!」と
(12)ルーブルの至宝『サロトモケのニケ』が素晴らしすぎた件について~ぜひおすすめしたいヘレニズム彫刻の傑作!
ルーブルの至宝『サロトモケのニケ』。 この作品は1863年にエーゲ海のサロトモケ島で発見された彫刻で、「ニケ」というのは「女神」を意味する言葉です。 そしてこのニケはヘレニズム期の紀元前190年頃に制作されたと考えられています。 この彫刻は私がパリで最も強烈な印象を受けた芸術作品になりました。あまりの美しさに完全に魅了されてしまいました。 この記事ではそんなニケの魅力についてお話ししていきます。
(13)印象派の始まり、モネの『印象・日の出』を観にマルモッタン・モネ美術館へ~私がパリで最も好きになった絵画
モネの『印象・日の出』は本当に不思議な絵です。全体がぼんやりしているものの、それが心地よい。夕陽とその光の反射の描写はまさに天下一品だと思います。なぜか引き込まれる不思議な魅力がこの絵にはあります。これ以上はうまく言葉にできません。 私がパリで最も好きになった絵画は間違いなくこの作品です。 ありがたいことにこの美術館はルーブルやオルセーと違ってそれほど混雑はしません。だからゆっくりと心行くまで好きな作品に没頭できます。ぜひこの美術館もおすすめしたいです。そして『印象・日の出』をじっくりと堪能していた頂ければ何よりです。
(14)パリ郊外メダンのゾラの家へ~フランスの偉大な文豪が愛したセーヌの穏やかな流れと共に
この記事ではパリ郊外メダンにあるゾラの家をご紹介します。 『ナナ』などの大ヒットによって資産を蓄えたゾラが長い年月をかけて完成させたのがこの邸宅になります。 フランスの文豪が愛したセーヌ河畔の静かな住宅地。 小舟を浮かべて時を過ごしたとされる美しきパリ郊外の雰囲気もこの記事では紹介していきます。
(15)パリ滞在を終えてドストエフスキーに思う~なぜラスコーリニコフはラスティニャックにならなかったのだろうか
一週間ほど滞在したパリでの日程もいよいよ終わりを迎えます。 『秋に記す夏の印象』ということでドストエフスキーに倣って私の印象を述べていこうという趣向でありましたが、なかなかドストエフスキー本人についてのことはここまで多くは語れませんでした。 ドストエフスキー自身もパリの名所や芸術などについてはほとんど語りませんでしたが、パリ篇の最後はやはり彼について思ったことを書いていきたいと思います。 この記事のメインテーマは『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフと、バルザックの『ゴリオ爺さん』の主人公ラスティニャックについてです。
(16)ナポレオン敗北の地ワーテルローを訪ねて~ユゴーがレミゼ完成のためにわざわざ訪れた古戦場
パリを出発した私が向かったのはベルギー国内にある古戦場ワーテルローの地。 ここは1815年にナポレオンが最終決戦の末に敗れ、彼の栄光に終止符が打たれた場所として知られています。 そしてここは『レ・ミゼラブル』を書き上げたユゴーにとっても非常に重要な場所でした。 この記事ではそんなナポレオンとユゴーのゆかりの地ワーテルローについてお話ししていきます。
(17)フェルメールの故郷デルフトをご紹介!顕微鏡で有名なレーウェンフックとのつながりも!
この記事ではオランダを代表する光の画家フェルメールのゆかりの地デルフトをご紹介します。 フェルメールは生涯のほとんどをこの町で暮らし、数々の名画を生み出しました。そんなデルフトには今も残るゆかりの地がいくつもあります。 また、フェルメールと全く同じ1632年にこの町で生まれたもう一人の天才レーウェンフックについてもこの記事でお話しします。顕微鏡で微生物を発見したことで有名な彼とフェルメールはご近所さんでした。レンズを通して「見えない世界」を探究した二人の偉人の存在には驚くしかありません。
(18)フェルメール『デルフトの眺望』をオランダのマウリッツハイス美術館で堪能!
フェルメールの町デルフトから電車で30分もかからぬ距離にあるデン・ハーグという街。 ここにフェルメールの代表作『デルフトの眺望』と『真珠の耳飾りの少女』が展示されているマウリッツハイス美術館があります。 私がオランダにやって来たのも、デルフトの町を見てみたいという思いもありましたがやはり1番は私の大好きな『デルフトの眺望』や、フェルメールで最も有名なあの『真珠の耳飾りの少女』を観てみたいというのがその最大の目的でした。この記事ではその『デルフトの眺望』についてお話ししていきます。
(19)フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』のオリジナルは想像をはるかに超えた傑作だった
前回の記事ではフェルメールの傑作『デルフトの眺望』をご紹介しました。 そしてこのマウリッツハイス美術館にはもうひとつ、フェルメールファン必見の名画があります。 それがあの『真珠の耳飾りの少女』です。 実は私はこの絵にそこまでの期待をしていませんでした。私は『デルフト』が一番好きなのであって、この絵には元々あまり興味がなかったのです。 ですが、そうした私の思いはこの日を境にがらっと変わりました。こんなにすごい絵だったとは! この記事ではそんな『真珠の耳飾りの少女』の魅力をお話ししていきます。
(20)いざジョージアへ~なぜ私はトルストイを学ぶためにコーカサス山脈へ行かねばならなかったのか
皆さんの中にはきっとこう思われている方も多いのではないでしょうか。
「それにしても、なぜジョージアまで来なくてはならなかったのか。ドストエフスキーとトルストイを学ぶためと言ってもそのつながりは何なのか」と。
実際私も出発前に何度となくそう質問されたものでした。「何でジョージアなの?」と。 たしかにこれは不思議に思われるかもしれません。ドストエフスキーとトルストイを学ぶために行くなら普通はロシアだろうと。なぜジョージアなのかという必然性が見当たらない。 というわけでこの記事ではそのことについてお話ししていきます。
(21)スターリンの生まれ故郷ゴリへ~スターリン博物館で旧ソ連の雰囲気を感じる
私がジョージアにやって来たのはトルストイを学ぶためであることを前回の記事でお話ししました。 ですが、せっかくジョージアに来たのならどうしても行きたい場所がありました。 それがスターリンの生まれ故郷ゴリという町です。この記事ではスターリンの若き時代やスターリン博物館を訪れた私の体験をお話ししていきます。
(22)ノアの箱舟の聖地アララト山と時が止まったかのような修道院目指して隣国アルメニアへ
はるばるジョージアまでやって来た私でしたが、せっかくここまで来たのだからコーカサス山脈に行く前にどうしても行きたい場所がありました。 それが隣国アルメニアでした。 最古のキリスト教国アルメニア、時が止まったかのような修道院、そして今なお旧ソ連の空気が残る国・・・ 知れば知るほど興味深い国です。この記事ではそんなアルメニアについてお話ししていきます。
(23)アルメニア・マトサヴァンク修道院の圧倒的な廃墟感!時が止まった姿に言葉を失う
アルメニア滞在二日目。 この日は朝から山道を走り、マトサヴァンク修道院を目指します。 この修道院はまさに時が止まったかのような姿で有名です。 私はその修道院を目指してアルメニアの山の中を1時間以上かけて歩いたのでした。 圧倒的な廃墟感漂うマトサヴァンク修道院を目の前にして私は言葉を失ってしまいました。異世界としか言いようのない光景に驚くしかありません。
(24)ホルウィラップ修道院からノアの箱舟の聖地アララト山を一望!聖書の世界に思いを馳せる
アルメニア滞在3日目はあのノアの箱舟が漂着したとされる、『旧約聖書』の聖地アララト山に向かいました。 このアララト山を最も美しい姿で見られることで有名なホルウィラップ修道院から私はその景色を眺めることになりました。 アルメニア人にとってのアララト山、キリスト教についてこの記事でお話ししていきます。
(25)アルメニアのわからなさ、ソ連的どん詰まり感にショックを受け体調を崩す。カルチャーショックの洗礼
アルメニア滞在の3日目、私はノアの箱舟の聖地アララト山や世界遺産エチミアジン大聖堂を訪れました。 しかし実はその前日の夕方から私の身体に異変が生じ、エチミアジンの辺りで完全にダウンしてしまったのです。 これは単に体調が悪くなったで済まされる話ではありません。私とアルメニアという国についての根本問題がそこに横たわっていたのでありました。 私の身に何が起こったのか、この記事でお話ししていきます。
(26)アルメニア最後の目的地アフタラ修道院に感動~しかし思わぬ事態に笑わずにはいられなかった
アルメニア滞在最終日。私はジョージアへ向かう帰路、いくつかの修道院を巡りました。 そしてその中でも最後に訪れたアフタラ修道院が私の心を揺さぶりました。 なぜこの修道院にこんなにも心惹かれたのだろうか。 よくよく考えてみるとまさかの事態に私は笑うしかなかったのでした。 アルメニア滞在は私にとって強烈な印象を残しました。苦しかったですが、来てよかったと心の底から思えます。
(27)いざトルストイも歩いたコーカサス山脈へ!雄大な軍用道路に圧倒される!
アルメニア滞在を終えトビリシに戻ってきた私は1日の休息の後、いよいよこの旅の最大の目的地コーカサス山脈へと出発しました。 首都トビリシからコーカサス山脈へと向かう道は軍用道路と言われ、かつてロシア王朝がジョージア征服のために切り開いた道として知られています。トルストイやプーシキンもまさにこの道を通ってこの地にやって来たのです。 この記事ではそんな軍用道路とコーカサス山脈についてお話ししていきます。
(28)カフカースの絶景「限りなく天国に近い教会」ツミンダ・サメバ教会とエリア修道院へ
カフカース(コーカサス山脈)の拠点カズベキについた私は早速「限りなく天国に近い教会」と言われるツミンダ・サメバ教会へと向かいました。 笑ってしまうほどの悪路を走り教会へ到着。ジョージアの誇る絶景を堪能しました。 また、カズベキの町からすぐそばの絶景ポイント、エリア教会付近も散策し、カフカースの山の迫力を感じました。
(29)山の中のグヴェレティの滝とロシア国境近くのダリアリ渓谷へ~トルストイの鳥瞰図について考える
この日はまず軍用道路をさらに北上し、山中にあるグヴェレティの滝を目指しました。 雄大なカフカースの山を歩き、私はトルストイが出会ったであろう山の民に思いを馳せたのでありました。 そして次の目的地ダリアリ渓谷でトルストイの大きな視点に気づくことになります。 いよいよ私はカフカースで大きな収穫を得始めるのでありました。
(30)ジュタバレーでドストエフスキーの『死の家』を見出す~カフカース滞在で最も印象に残った地
この日の目的地はジュタバレーという、カフカースにおいても特に素晴らしい景色を楽しめることで有名な秘境。 何もかもがどうでもよくなるくらい圧倒的な景色がそこに広がっていました。 トルストイもきっとこんな景色を見ていたのでしょう。 このジュタバレーでの経験はこの旅の最大の収穫となりました。私はカフカースでドストエフスキーの『死の家』を見出したのです。
(31)あとがき~パリ・ジョージアの旅を終えて
「トルストイの原点はカフカースにあったのではないか」そんな仮説を立てて私はここまでやって来ました。 そして実際にトルストイが見たであろう景色や山の民に私は思いを馳せることになりました。 それが結果的にドストエフスキーと結びついたのです。 「ドストエフスキーはトルストイは正反対である。だから一方を学べば他方も学ぶことになる」 まさにその通りでした。 この記事でこのパリ・ジョージアの旅を総括します。これにて私の『秋に記す夏の印象』も完結です。
おわりに
『秋に記す夏の印象』と題しておきながらこの原稿を書き終えたのは1月上旬のことでした。この原稿の多くは11月からの第二次ヨーロッパ遠征中に書かれました。旅をしながらその前の旅についてひたすら書き進めるという作業は何とも不思議な気分でした。この経験を生かして次に進んでいきたいと思います。私はこれからすぐ『ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行』に取り掛かります。私にとってこの旅行記は三年半の集大成となることでしょう。
これからもお付き合い頂けたら幸いです。
以上、「『秋に記す夏の印象~パリ・ジョージアの旅』記事一覧~トルストイとドストエフスキーに学ぶ旅」でした。
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