(14)パリ郊外メダンのゾラの家へ~フランスの偉大な文豪が愛したセーヌの穏やかな流れと共に

秋に記す夏の印象~パリ・ジョージアの旅

【パリ旅行記】(14)パリ郊外メダンのゾラの家へ~フランスの偉大な文豪が愛したセーヌの穏やかな流れと共に

ゾラについてはこれまでもお話ししてきたが、いよいよこれからパリ郊外のメダンにあるエミール・ゾラの家を紹介していきたい。

ゾラの家があるメダンまではパリのサン・ラザール駅から電車に乗車して向かうのが一番行きやすい方法だ。

サン・ラザール駅はゾラの『獣人』でもその舞台となり、印象派の画家モネがこの駅を描いたことでも知られている大きなターミナルだ。

最寄りの駅「Villennes-Sur-Seine」まではおよそ30分弱。

駅に到着。ここからは徒歩。ナビ上ではおよそ25分くらいで到着だそうだ。バスやタクシーは基本的にこの駅からは期待しない方がいい。覚悟を決めて歩きましょう。

メダンはパリ郊外の高級住宅地ということで静かな雰囲気。しかも私が訪れた8月はバカンスということで特に人がいないようだ。

それにしても人がいない。10分以上歩いてもまだ誰ともすれ違っていない。車すらほとんど来ない。歩いていて段々不安になってくる。スマホのナビも機嫌が悪く、もはや勘で歩いている。

不安な気持ちのまま歩き続けておよそ20分。ようやくそれらしき看板を発見。ゾラの家は近い。

この公園?にはゾラのプライベートな写真が数多く展示されていてとても興味深かった。

歩き始めて30分ほど。少し道に迷ったのでロスもあったがまあ許容範囲だ。ついにゾラの家に到着。

早速敷地に入り入場手続きを済ます。ゾラの家は個人では入ることができない。必ずサイトから直接グループツアーに申し込まなければならない。私は英語ツアーを申し込んでいたのだが、急にそのツアーが中止になり、やむなくフランス語のツアーに入ることになった。もう何を言っているかは全くわからないが中に入れるならばそれだけでもよしとしよう。

こちらがゾラの家の全景。さすがフランスの誇る文豪。立派な邸宅である。バルザックと違ってゾラは非常に堅実な人だった。彼は『ナナ』で爆発的な売り上げを叩きだし、そこから本が出版される度に少しずつ敷地を買い足し今のような立派な家に住むことになったのだ。

さて、ツアーが始まる。私達はフランス人ガイドさんの後をついてゾラの家に入っていく。

さすがゾラ。入ってすぐの客間の段階でとてつもなく豪華。そして知的雰囲気を感じる。これぞまさに芸術・文化に造詣が深い文豪といった部屋だ。

この家に多くの文学者や知識人たちが集まり、ひとつのサロンとなっていた。そしてその中でも有名なのがモーパッサンで、彼の『脂肪の塊』もこの集まりから生まれたとされている。ゾラは自分だけではなく、未来の作家達の活躍も願っていた。そうした文学者たちの熱い議論がこの部屋でなされていたのだろうと思うと、私もぐっと来た。

そして部屋を見まわしてみると、この陶器に目が行った。ここに書かれているのは日本のものではないか?

ゾラは日本に関心を持っていたことでも知られている。こちらのゾラの肖像画を見てほしい。

マネエミール・ゾラの肖像》 1868年 Wikipediaより

右上に書かれているのは明らかに日本人だ。左の屏風のようなものも日本のものかもしれない。

まさかゾラの家に入ってすぐに日本とつながりのあるものが見れるとは思っていなかった。

私たち参加者はガイドの後をついてゾラの家の様々な部屋を見ていった。そしていよいよ私が最も見たかったゾラの書斎へとたどり着く。

おぉ~、これはなんともはやまあ・・・!

ゾラ大先生・・・格好良すぎます・・・文豪の書斎の圧力にわたしはもはや語彙力を失ってしまった。

机の向こうには壁一面の巨大な窓。外の光がまぶしいくらいに入ってくる。ゾラはパリ郊外の自然豊かなセーヌ河畔を愛した。その景色を観ながらゾラはここで執筆していたのだ。パイプ椅子がなければもっといい写真だったのにと今少し後悔している(笑)

机の後ろは二体の僧の彫刻だろうか。こちらもゾラの日本趣味、東洋への関心がうかがわれる。あのヨーロッパを代表する文豪がここまでこちらの文化に興味を示している。このことは日本人として、東洋人として誇りに思えた。

そして写真でも写っているこの部屋の上部は書庫となっていて、ゾラの蔵書がここに収められていたようだ。

憧れのゾラの書斎を見ることができて感無量だった。パリでバルザックの書斎を見た時も感動したが、やはり尊敬するゾラ大先生の書斎となるとその喜びもひとしおだ。もう大満足のゾラの家だった。

さて、ここまでゾラの家の内部をご紹介してきたがぜひもう一つお話ししたいことがある。

私は、「(4)パンテオンでフランス人の雄弁をからかうドストエフスキー~そして私はゾラとユゴーの墓参り」の記事でドストエフスキーがフランス人の雄弁癖を観察するシーンをご紹介した。

私はドストエフスキーが語ったフランス人の雄弁のシーンが大好きで、読む度にくすっとしてしまうのだが、私はまさにここゾラの家でそれを目撃することになったのである。

この写真の左側に映っている薄いピンク色のシャツを着た女性が私たちのガイドだった。先に述べたように、私は本来英語ツアーのはずだったのだが急遽フランス語ツアーに編入されることになった。私はフランス語がまったくわからない。だから最初から解説はあきらめていたのだが、この女性がとにかくすごかった。

何がすごかったのかというと、まあ喋るわ喋るわ、まったく止まらないのである。

ガイドの女性はまるでオペラを歌うがごとく抑揚豊かに語り続ける。そして舞台役者のごとく身振り手振りも自在に駆使し、語りの最後は必ず決め顔で締めるという完璧ぶり。

これぞまさに雄弁への愛そのものではないか!ドストエフスキーが言っていたことは本当だったのだ!

この女性はツアーの1時間中ずっとこの調子で歌い続けた。

我々が見たかったのはゾラの家だ。だが私たちが見せられたのはなんと、彼女の雄弁だったのである!

我々は彼女の雄弁に釘付けになり、その後のわずかな移動の時間で急いで部屋の細部を眺めまわすのであった。

彼女が話しているうちに見ればいいではないかって?

いやいや、そんな野暮なことを言ってはいけない。

彼女が主役なのだ。主役から目を離すなど無礼にも程があるではないか。

彼女は明らかに我々を見ている。我々が彼女を見ている以上に、彼女が我々を覗いているのだ。そんなよそ見などできるはずがないではないか!

彼女の見事な雄弁をこちらも満面の笑みで受け止めなければならぬ。これは観客としての使命なのだ。

私たちはゾラの家には目もくれず、こうして彼女の歌うがごとき雄弁を堪能したのであった。

ちなみに、ゾラの家の隣の建物はドレフュス博物館となっている。

ドレフュス事件はフランスを揺るがした巨大な汚職事件で、今年日本でもこの事件を描いた『オフィサー・アンドスパイ』が公開された。

ゾラもこの事件解決のために、まさに自身の命をかけて戦った。このことについては以下の記事でお話ししているのでぜひ参照して頂きたい。

ドレフュス博物館ではこの事件にまつわる様々な展示がなされている。

ゾラに関心のある方はぜひこちらも一緒に拝観することをおすすめしたい。

私はゾラの家を見終わった後、そこから少し下って、ゾラが小舟を浮かべて過ごしたというセーヌ川まで歩いてみた。ゾラが愛した風景だ。これだけは自分の目で見ておきたい。

ありがたいことにすぐそこに川面まで下りられる階段があった。

川の流れは穏やかで、もし川を流れる微かなゆらぎや光のきらめきがなければ本当に流れているのかと疑うほどだっただろう。

聞こえてくるのは遠くの木々の葉たちがかすれる音だけ。夏の暑さを忘れさせるような爽やかな風が心地よい。

静寂。なんという静寂。ゾラはこの景色を愛したのだ!

私にとってのセーヌはここだ。パリのセーヌは私のセーヌではない!

ゾラが愛したこのセーヌこそ、私のセーヌなのだ!

私にとってこの川面で過ごした時間は忘れられないものとなった。

続く

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