(30)ジュタバレーでドストエフスキーの『死の家』を見出す~カフカース滞在で最も印象に残った地

秋に記す夏の印象~パリ・ジョージアの旅

【ジョージア旅行記】(30)ジュタバレーでドストエフスキーの『死の家』を見出す~カフカース滞在で最も印象に残った地

カフカース滞在もいよいよ最終盤。

この日の目的地はジュタバレーという、カフカースにおいても特に素晴らしい景色を楽しめることで有名な秘境だ。

もはや毎度お馴染みになってしまったが今日もものすごい道を走る。

相変わらず今にも落っこちそうな道を行く。

実際、がけ崩れの危険が高まっているそうで現地でも問題になっているらしい。

ジュタバレー麓のジュタ村に到着。

ここで車から降りる。ここからは馬だ。

この少年が馬を引き、我々を先導してくれる。後ほど私はこの少年に度肝を抜かれることになる。

さあ、馬に乗って出発だ。

村からいきなりかなり急勾配の坂を上っていく。足場も悪く馬もよたよたしてしまうほど。若干不安。この後どうなることやら・・・

第一の坂を上りきると、いきなりジュタバレーが姿を現した。

正面のぎざぎざの山はチャウヘビ山というジュタバレーのシンボル的存在だ。

いやぁ参った・・・もはや言葉にできない。

何もかもがどうでもよくなるくらい圧倒的な景色。

自分が呑み込まれるような感覚。自然とそんな言葉が浮かんだ。

分析し、理解しようとする試みを一切無意味にするかのよう。

ただただぼーっと眺めるしかない。そんな感覚だった。

今からここを歩くというのだ。しかも馬に乗って。

思えば私は2019年に世界一周の旅に出た時もその最後にキューバの大自然の中で乗馬をしている。(「牛車と乗馬体験とツアーの裏側―ガイドさんの語るキューバの現状 キューバ編⑮」参照)

何だろう。特に狙ってやっているわけではないのだがなぜかこうなってしまうのである。不思議なものだ。旅の終りに馬に乗りたくなるらしい。

歩き始めてすぐ、先導の少年が仲間の馬が逃げてしまったので捕まえに行かなければならないとどこかに行ってしまった。仕方ないのでガイドと二人でスタートすることに。まぁ、ジョージアをずっと案内してくれた彼女は乗馬経験も豊富だということで私は全幅の信頼を寄せている。少年がいなくともなんとかなるだろう。

視線を右に向ければ反り立つ壁のような山肌が迫ってくる。ジュタバレーは全体が緑に覆われていて美しい。

そうこうしている内に少年が戻ってきた。思っていたより早い。

そして私は思わず彼を二度見してしまった!

なんと彼は鞍も鐙もなく馬に乗っていたのである!後ろから馬が走ってくる音が聞こえてくるなと思ったら彼だった。鞍も鐙もないのに颯爽と彼はやって来たのだ。

信じられない・・・

ともかく私たちは元の3人体制に戻りトレッキングを再開したのである。

ものすごい景色だ・・・

きっとトルストイもこうした景色を目にしたのだろう。

それにしても鞍も鐙もないのに馬を操るこの少年には驚くしかない。

もしかすると、彼と出会えたことがこの旅で最も印象に残ったことかもしれない。彼は現地で馬の世話をしながらこうしてここを訪れる観光客の先導も務めている。なんと彼はまだ10歳。その年にして立派に仕事をこなし、その立ち振る舞いはまるで大人顔負けだった。

そんな彼の後ろを付いていきながらこの素晴らしい景色を眺めていたのだが、彼への敬意の念が自然と浮かんできた。彼が私を導いて「come」と言った時の声が忘れられない。10歳の少年が言っているとは思えないほどの力強さ、大人っぽさだった。彼を見ていると、自分の非力さを否が応でも感じざるをえなかった。こんな大自然で便利な道具もなく私は生きていけるだろうか。いや、絶対に無理だ・・・!

きっとトルストイもこうしたことに何度も出会ったのではないだろうか。

これほど厳しい山の世界で生きる人々。

モスクワやペテルブルクの貴族の中で生きてきたトルストイにとって、彼らの存在は衝撃だったと思う。

ロシア軍は当時、自らを文明人と自認し、近代的な装備でここにやって来た。だがトルストイが目にしたのは、昔ながらのあり方ながらも見事としか言いようのない現地の人たちだったのではないだろうか。

ロシアは自分たちを文明であると誇り、カフカースの人たちを侮蔑した。しかしここに生きる人たちがなんと力強く生きていることか。トルストイはそのことに感動し、敬意を持ったのではないだろうか。

この少年と出会えたことは私に大きな印象を残している。

トルストイはこんな所を歩いていたのだ・・・!トルストイの巨大な精神がまるでここに現われているみたいだ・・・!そしてそう思った瞬間、ふとドストエフスキーのことが頭をよぎった。なぜか猛烈に『死の家の記録』を読みたくなったのだ。

トルストイがカフカースの圧倒的な雄大さ、広大さの中で人間とは何か、自由とは何かを体感したのに対し、ドストエフスキーは「無限に開けたシベリアの大地」を鉄格子や監獄の中から見ていたのでは?と感じたのだ。

トルストイにとってのカフカース体験に対応するものとしてドストエフスキーのシベリア体験があるのではないか、そう考えると『死の家の記録』がどれだけ大切な作品なのかということをこの瞬間痛烈に感じたのだった。

やはり現地に行って色んなことを直接感じることの大切さを実感した。

私はこのカフカースの山を見てそれこそ猛烈な読書欲を感じた。今読まねば!この山を見ながら『死の家』を読まねばならない!

幸い私はKindleを旅のお供として持参していたので早速注文し『死の家』を読み始めた。

するとこの作品の中にもカフカースの山の民が出てくることに改めて気付いた。しかもドストエフスキーも彼らを好意的に描いていたのだった。ドストエフスキーともこのカフカースは繋がっていたのだ。

今回の旅の最大の収穫はカフカースで『死の家』を見出したことだ。トルストイはここで圧倒的な自然に触れ、そこに生きる人を見、世界観を揺さぶられた。同じようにドストエフスキーもシベリアで「人間」を見た。

自然、あるいは監獄、どちらも環境であり、それそのものによって二人が圧倒されたのではなく、あくまで人。特殊な環境の中で観た「人間」にこそ二人の原点があったのではないかと私はこの旅を通して感じた。

このジュタバレーでの経験はこの旅の最大の収穫となった。私はカフカースでドストエフスキーの『死の家』を見出したのである。

次の記事でいよいよ『秋に記す夏の印象』も最終回である。最後に旅の総括をしてこの旅行記を締めくくりたい。

続く

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