(31)あとがき~パリ・ジョージアの旅を終えて

秋に記す夏の印象~パリ・ジョージアの旅

(31)あとがき~パリ・ジョージアの旅を終えて

ジュタバレーでの衝撃的な体験を終え、あとは帰国の時を待つのみとなった私は早速ドストエフスキーの『死の家の記録』を読み込んだ。

宿のカフェからはカフカースの山々を正面に臨むことができた。私はカフカースの山々を眺めながら一心不乱に『死の家』を貪り読んだ。これほどまでに貪欲に本を読んだのは久々だ。ジュタバレーでこの本を見出し、一刻も早くその中身を確かめたい一心だったのだ。

「トルストイの原点はカフカースにあったのではないか」そんな仮説を立てて私はここまでやって来た。

そして実際にトルストイが見たであろう景色や山の民に私は思いを馳せることになった。

それが結果的にドストエフスキーと結びついたのである。

「ドストエフスキーはトルストイは正反対である。だから一方を学べば他方も学ぶことになる」

まさにその通りだった。

宿近くの小川でのんびり過ごした時間も忘れられない

私はアルメニアで体調を崩し、もはや旅の続行は不可能かと思い詰めたものだった。だがなんとかここまでたどり着けた。

その苦しさがあったからこそカフカースでの体験はそのひとつひとつが幸運なものに感じられた。本来体験することすらできなかったはずだったのにこうして一日一日を過ごすことができた。私は持てるかぎりの感性をフル活動させてカフカースを全身で受け止めようとした。

そうして見出したのがドストエフスキーの『死の家』だったのだ。嬉しくないわけがない。泣きたくなるくらい嬉しかった。カフカースでの最後の時間は、そんな気持ちを噛みしめながらの一時だった。

カフカース最終日の朝、そんな私をねぎらうかのようにカズベキ山が真っ赤に染まっていた。

幸い、現地で処方された薬が効いてきてこの頃には体調もかなり回復してきていた。そうなってしまえば、「あぁ、もう少しいたかったなぁ」という気持ちが湧いてきてしまうのも人情である。

しかし悔いはない。やれることはやった。見るべきものは見た。

あとは帰国してこの旅をどう書いていくかである。

私はもう次に進んでいた。

そしてこの旅を終えてから1か月半後には第二次ヨーロッパ遠征が控えていた。実はこちらの方が私の本丸なのである。私の三年半の集大成と言っていい。そこに向けての前哨戦がこの旅でもあったのである。

私には時間が残されていない。今動かなければもう一生行くことはできなくなるだろう。

そういう思いでこの三年半を過ごしてきた。その旅のひとつがこれで終わった。

パリはヨーロッパを考える上でのひとつの基準となるだろう。ドストエフスキーもロシア対ヨーロッパという構図を考えた時にまずはパリとロンドンを念頭に置いている。ドストエフスキーにとってもパリはひとつの基準だったのだ。そういう意味でもパリをじっくりと見れたのはこれからの私にとっても大きな基準を与えてくれるだろう。

そしてオランダでフェルメールを見れたことも大きい。絵画に対する考え方をいい意味で吹き飛ばしてくれた『真珠の耳飾りの少女』は私にとって忘れられない存在となった。微生物の発見者レーウェンフックと光の画家フェルメールとの繋がりを考えながら歩いたオランダは心躍る体験となった。

そしてアルメニア。ここはもう何も言うまい。すでに本文で語り尽くした。だが行ってよかったと心から思える。

ジョージアで過ごした日々は本当に貴重なものだった。ここに導いてくれたトルストイに感謝したい。

『秋に記す夏の印象』と題しておきながらこの原稿を書き終えたのは1月上旬である。この原稿の多くは11月からの第二次ヨーロッパ遠征中に書かれた。旅をしながらその前の旅についてひたすら書き進めるという作業は何とも不思議な気分だった。この経験を生かして次に進んでいきたい。私はこれからすぐ『ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行』に取り掛かる。私にとってこの旅行記は三年半の集大成となるだろう。

ここまで読んで下さった皆さんに感謝したい。マニアックな内容もあったが私の思う所をひたすら述べさせてもらった次第である。これからもお付き合い頂けたら幸いだ。

では、ここで筆を置こう。私の『秋に記す夏の印象』はこれにて終了。皆様、本当にありがとうございました!

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