(5)ナポレオンの墓があるアンヴァリッドへ~知れば知るほど存在感が増すナポレオンというカリスマについて

秋に記す夏の印象~パリ・ジョージアの旅

(5)ナポレオンの墓があるアンヴァリッドへ~知れば知るほど存在感が増すナポレオンというカリスマについて

パンテオンでルソーやヴォルテール、ゾラ、ユゴーのお墓参りをした後に私が向かったのはアンヴァリッド。

ここにはあのナポレオンが葬られている。

パンテオンもそうだったのだが、この建物も元々はキリスト教の教会だった。ルイ9世の遺体を安置するために作られたのがそもそものきっかけで、1706年に完成した。

その建造物がフランス革命後、1840年にナポレオンの墓所として転用されることになったのである。

それにしても、この堂々たる立ち姿にはため息が出るほどだ。これほどの建築物がある意味ナポレオンの墓石なわけである。そう考えるとナポレオンという人物がいかに巨大な人物だったかを思い知らされる。

さすがはフランス王のために建てられた教会。中の空間も厳かで豪華に作られている。正面の祭壇はバチカン、サン・ピエトロ大聖堂のバルダッキーノにそっくりだ。バチカンのバルダッキーノが作られたのは1620年代。時代的にはこれを参考にしていたことは大いにありえることだろう。

そして上の写真で何人かが下を見ているのに気づかれたと思う。ここは地下から吹き抜けになっていて、ナポレオンの墓を上から見ることができる。

柱に立つ女神たちの像に囲まれ、ナポレオンはこのドームの中心で眠っている。その棺はなめらかな色大理石で形どられ、静かな威圧感を感じさせる。

私も地下に降りて行こう。

やはり正面からナポレオンにお参りしたい。

これがあのナポレオンの棺か・・・。恐ろしいほどにシンプル。だが、そこにこそ彼の魅力や個性が感じられるようにも思える。ごたごたした空理空論に時を過ごさず、明晰な頭脳でずばずば決断し、自ら先陣に立って武勲を上げたカリスマ。そのナポレオンらしさがこの無骨な棺からも感じられはしないだろうか。この棺を考案した人物のセンスのよさに驚く。

ダヴィッドサン=ベルナール峠を越えるボナパルトWikipediaより

ナポレオンはヨーロッパの政治経済、軍事、国際情勢にとてつもない影響を与えたが、その影響は文学にも及んでいる。

トルストイの『戦争と平和』しかり、バルザックの『ゴリオ爺さん』しかり、ユゴーの『レ・ミゼラブル』しかり、そして何と言ってもドストエフスキーの『罪と罰』だ。

主人公ラスコーリニコフは人間を世界の大多数を占める凡人と極々少数の非凡人に分け、ナポレオンのような歴史を変えるほどの非凡人はたとえ人を殺そうとも何をしても許されるという思想を生み出す。つまり非凡人=天才には善悪、罪と罰は存在しないという思想だ。

彼の殺人はこうした思想が原因の一つとなって行われたのだ。彼は次のように言う。

ああいう人間はできがちがうんだ。いっさいを許される支配者、、、というやつは、ツーロンを焼きはらったり、パリで大虐殺をしたり、エジプトに大軍を置き忘れ、、、、たり、モスクワ遠征で五十万の人々を浪費、、したり、ヴィルナ(訳注現在リトアニア共和国の首都)でしゃれをとばしてごまかしたり、やることがちがうんだ。それで、死ねば、銅像をたてられる、―つまり、すべて、、、が許されているのだ。いやいや、ああいう人間の身体は、きっと、肉じゃなくて、ブロンズでできているのだ!

『罪と罰』上巻P480 新潮文庫、工藤精一郎訳、平成20年第57刷

本文でさらっと出てくるこの言葉は流してしまいがちだが、ナポレオンが歴史上行ったこれらの出来事を知れば、よりラスコーリニコフの言わんとしているところが見えて来るのではないだろうか。このことについては以下の記事でもお話ししているのでぜひご覧になって頂ければ幸いである。

そしてナポレオンは単にナポレオン・ボナパルト一人にとどまらない。

彼の影響はその死後もフランスで根強く生き続け、1852年からは彼の甥ナポレオン三世がフランス第二帝政を始めることになる。

ドストエフスキーが訪れたパリは、まさにこのナポレオン三世のフランス第二帝政真っ盛りの時期だった。あらゆるものが近代化し、産業や資本主義システムが驚くべき速度で発展していった時代である。シベリア流刑から帰ってきたばかりのドストエフスキーにとってはまさに驚天動地の世界だっただろう。

ちなみに「松村昌家『幕末維新使節団のイギリス往還記―ヴィクトリアン・インパクト』幕末明治の日本人が見たイギリスとは!」の記事でもお話ししたが、ドストエフスキーがパリを訪れた1862年の5年後、あの渋沢栄一がパリを訪れている。ドストエフスキーが見たパリを渋沢栄一も見ていたと思うと私は胸が熱くなる。

そのような大変革の時代がナポレオン第二帝政のパリであり、その時代を余すことなく描き出したのが何を隠そう、エミール・ゾラなのだ。

私はドストエフスキーを学んだ縁からエミール・ゾラを知ることになった。もしドストエフスキーを学んでいなかったらゾラに出会うこともなかっただろう。

エミール・ゾラはフランス第二帝政のあらゆる社会や人々を描き出す。

この時代は私達日本人にも全く他人事ではない。現代人たる私たちのライフスタイルの源流がここにあるのだ。私達の生活がどのような仕組みで成り立っているのかを学ぶのにゾラほど適した人物はいない。彼の著作は一作一作が驚異の分析に満ち溢れている。

ドストエフスキー自身はゾラのことをあまり好いてはいなかったが、どうしても気になる存在ではあったようだ。1876年のドイツ、バートエムスでの療養中にも彼はゾラを読んでいるし、『カラマーゾフの兄弟』に何度も出てくる「ベルナール」という言葉はまさにゾラの文学スタイルに直結するものである。

ゾラについてお話しするとどんどん長くなってしまうので詳しくはこれまで当ブログで紹介してきた記事を読んで頂ければと思う。

これまで述べてきたようにナポレオンはフランスだけでなく、世界全体に大きな影響を与えた。

彼のことを学べば学ぶほど彼の巨大さを感じることになる。ドストエフスキーを学ぶまでは名前しか知らない存在だったが、今やどうだろう。この人物の天才、カリスマにはひれ伏さざるを得ない。

ただ単に戦争で勝ちまくった将軍というだけでは説明のつかない奥深さがこの人物にはある。

フランスが生んだ巨大な人物、ナポレオンはドストエフスキーや文学を学ぶ上では絶対に避けられない人物であることを私は今や感じている。

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