中野孝次『ローマの哲人 セネカの言葉』~セネカ入門におすすめ!暴君ネロの教師にして後に自殺させられたストア派の哲学者とは

ローマ帝国の興亡とバチカン、ローマカトリック

中野孝次『ローマの哲人 セネカの言葉』概要と感想~暴君ネロの教師にして後に自殺させられたストア派の哲学者とは

今回ご紹介するのは2003年に岩波書店より発行された中野孝次著『ローマの哲人 セネカの言葉』です。

早速この本について見ていきましょう。

2千年前に、こんなにも生き生きとした思想家がいた!

人生、貧困、死など、誰もが一度は突き当たるテーマをとりあげ、真に自由に生きることを説くセネカ。その文章は無類の魅力をもち、悩める人を力強く励ます。今まで日本ではあまり知られていなかったセネカの世界を、中野孝次が一挙に書き下ろす、現代人のためのセネカ入門。

Amazon商品紹介ページより
ルキウス・アンナエウス・セネカ(前1頃-65)Wikipediaより

今回ご紹介するストア派の哲学者セネカは時代的には以前の記事「A・エヴァリット『キケロ もうひとつのローマ史』古代ローマの哲学者キケロのおすすめ伝記!」でも紹介した哲学者キケロよりちょうど100年ほど後の世代になります。

セネカはローマ帝国を代表する哲学者で、あの暴君ネロの教師を務めていたという驚きの経歴の持ち主です。

意外なことにあの暴君ネロも皇帝となってすぐの5年間は善政を行い、良き君主としてローマ帝国を治めていたのでした。その善政の背後にセネカの教育があったと言われています。

しかしネロが実の母親を殺害するという事態に発生してからはまさに暴君としての顔が表に出てくるようになります。その時からセネカはネロから距離を置くようになったのでした。そして最終的にセネカはネロによって自殺を強要されることになるという悲劇的な最期を迎えたのでありました。

そんなセネカについての格好の入門書が本書『ローマの哲人 セネカの言葉』になります。

この本について著者は「まえがき」で次のように述べています。少し長くなりますがこの本の雰囲気を感じることができますのでじっくりと読んでいきます。

わたしがセネカの言葉を今の日本に紹介しようと思い立ったのは、何よりもわたし自身が現在セネカを読んで面白くてならないからだ。セネカを読みだして以来わたしはすっかり彼の文章の魅力に引きこまれ、なぜいままでこんな面白いものを知らないで来たのだろう、と悔やんだ。二千年も昔にこのようにいきいきした考え方をし、それをすばらしい言葉で表現した思想家・文学者がいたのかと驚き、その思想と文章は現代日本人のためにこそあるような気がした。以下わたしが紹介するセネカの言葉を読まれれば、読者もきっと同じ思いを抱かれるだろうと思う。

セネカは、総じて日本ではほとんど知られていない哲学者だ。これは、明治以来の日本の思想界が、哲学といえばプラトンやアリストテレスの古代ギリシャ哲学か、カント、へーゲルなどの近代ドイツ観念論のみを挙げ、帝政ローマ時代のセネカ、エピクテートスなどストア派の哲学はそういう形而上学にくらべればとるに足らぬ人生哲学ぐらいにしか見てこなかったせいだ。要するにセネカは「論語」などと同じ古くさい道徳論で、近代哲学から見れば取上げるに値しないものと見做されてきた。愚かにもわたしも、実物を知らず漠然とそういう空気に染まっていたのだ。

ところがあるとき岩波文庫の『人生の短さについて』に載っている三つの論文(表題のほかは「心の平静について」と「幸福な人生について」)を読み、何よりもその文章の力と、そこに説かれているセネカの生き方についての考えに、たちまちに引きこまれた。実に力強く、いきいきし、説得力がある。わたしは、そのとおりだ、そのとおりだ、と心の内でうなずきながら読んだ。セネカはわたしにとって何よりもまず文学者であり、その文章の力に魅了された。(中略)

わたしはプラトンやアリストテレスの古代ギリシャ哲学や、近代ドイツの観念論にはあまり魅力を感じないけれども、セネカの人生哲学には現にそこに生きている叡知を感じた。

セネカの文章はすべて誰か特定の人物にあてた書簡のスタイルで書かれている。最初の論文、子を失った悲しみから立ち直れぬ母親を慰める「マルキアへの慰め」から、最後のルキリウスにあてた百二十四通の「道徳についての手紙」までどれも、一人の人に話しかけるスタイルなので、読む方は自分自身がセネカに語りかけられているように感じ、説得されるのだ。

しかも取上げるテーマはみなきわめて具体的な、死、貧乏、富裕、快楽、自然、幸福、運命、友情、生の不安、自由といったような、誰の人生にも必ず問題となるような事柄ばかりである。そういう日常的な話題を取上げては、そこから力強く、人のあるべき生き方、徳へと誘ってゆく、その文章の魅力と力強さは無類である。それはだから哲学というより文学と呼ぶべきで、のちのモンテーニュやアランにつながってゆく人生哲学・文学の源泉はここにありしか、とわたしは思った。どちらも哲学の体系を展関するのでなく、「人間になる術」を求め、説くのだ。

岩波書店の山口昭男氏とは、前々から、わたしが人生で出会った言葉のアンソロジー、といった種類の本を書く約束をしていた。が、一昨年秋からいろいろやってみたが、どうもうまくいかない。これは自分の人生体験を語るという物語と、言葉の意味を探ることとが、水と油を一緒にするように異質な作業で、その性質からして不可能なのだとわかった。

その後もいろいろ試みたがどれもうまくいかず、それではいっそ自分が現在最も熱中しているセネカの語録を作って、それを世に紹介してはどうかと思いついた。これなら自分の集中している関心事だから、書くことはいくらでもある。自分がその時まさに必要とする糧を求めて読むことが著者を理解する唯一の正しい方法だ、というアランの言葉があるが、わたしはまさにそのとおりに、自分がいま必要とする精神の糧を求めてセネカを読んだ。だから、これは自分だけのセネカであるけれども、ここに取上げたセネカの言葉は、生き難い現代日本に生きる人たちにとって、励ましとも、カづけともなり、生をみちびく助けになるだろうと信じている。

そこで山口氏にあらためてその案を示したところ、氏も大いに賛成し、このようなものを試みることになった次第。これはセネカ要約でもあり、その語録の紹介でもある。これがわたしの期待どおり、今を生きる日本人へのよき助言になってくれれば、それにまさる喜びはない。
※一部改行しました

岩波書店、中野孝次『ローマの哲人 セネカの言葉』Pⅴ-ⅸ

いかがでしょうか、セネカという人物に何だか興味が湧いてきますよね。しかもこの本を読めばわかるのですが、セネカは『論語』や仏教とも共通するような思想の持ち主でした。これは僧侶である私にとっても非常に興味深いものがありました。

この作品はローマの偉大な哲学者、人生の先達とも言えるセネカの入門書としてぜひおすすめしたい作品となっています。

この本の前半ではセネカの生涯が簡単に語られ、彼がどんな人生を生きたのかを知ることができます。

そしてその上でセネカの作品から著者が選んだ名句を一緒に読んでいくことになります。

著者は現代日本に対してかなり思う所があるようで、セネカの言葉と共に現代人のあり方を厳しく批判していきます。

これから先日本はどうなってしまうのかと憂いていることが本気で伝わってきます。

最近こうした言論が大っぴらに語られることはかなり少なくなってきたような気もしますが、古代の偉人の言葉から私達現代人の生き方を問い直すというのは実に大切なことだと私は思います。

セネカや著者の主張に同意するかどうかは人それぞれですが、真っ向からその言葉と向き合うこと。そのこと自体が非常に大切な読書体験になるのではないでしょうか。

この本もぜひおすすめしたい作品です。

以上、「中野孝次『ローマの哲人 セネカの言葉』~セネカ入門におすすめ!暴君ネロの教師にして後に自殺させられたストア派の哲学者とは」でした。

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