F・シャムー『ヘレニズム文明』~古代ローマや仏教とも繋がるヘレニズム文明とは何かを知るのにおすすめな解説書!

ローマ帝国の興亡とバチカン、ローマカトリック

フランソワ・シャムー『ヘレニズム文明』概要と感想~古代ギリシア文明の次に来たコスモポリタンな文明とは。仏教との繋がりも

今回ご紹介するのは2011年に論創社より発行されたフランソワ・シャムー著、桐村泰次訳の『ヘレニズム文明』です。

早速この本について見ていきましょう。

アレクサンドロス大王の大帝国建設からプトレマイオス王朝がローマ共和国によって滅ぼされるまで。東地中海から中東・エジプトに築かれた約三百年間のヘレニズム文明の歴史を展望する。

論創社商品紹介ページより

この作品は前回の記事「F・シャム―『ギリシア文明』~ローマ帝国に巨大な影響を与えたヨーロッパ文明の源泉を学ぶのにおすすめの解説書!」で紹介した『ギリシア文明』の続編になります。

ヘレニズム文明はギリシア文明の後、アレクサンドロス王の治世(前336年)からローマ帝国のアウグストゥス帝の治世開始(前31年)までのおよそ300年間の地中海・西アジア世界に広がった文明のことを指します。

ヘレニズム文明で有名なものといえば次のものがあります。

ルーブル美術館所蔵の『ミロのビーナス』や『サモトラケのニケ』など、美を極めた彫刻が生まれたのがこのヘレニズム文明になります。

ガンダーラ仏(紀元1~2世紀)Wikipediaより

またヘレニズム文明は仏教にも影響を与えたことでも知られており、ガンダーラ仏はその代表例として有名です。

このように世界の文明に大きな影響を与えたヘレニズム文明。

ですがその名前を聞いたことはあっても、実際にヘレニズム文明とはどんな文明なのか、いつどこでどのように生まれてきた文明だったのかということになるとほとんどわからないというのが実際の所ではないでしょうか。私もその一人でした。

そんな私にとって今作『ヘレニズム文明』は最高に刺激的で興味深い作品となりました。

そして今回ぜひ紹介したいのが巻末の訳者あとがきです。

この作品とヘレニズム文明について非常にわかりやすくまとめられていて、読んでいてゾクっとした鳥肌を感じたほどです。それほど素晴らしい解説となっています。この本の雰囲気も感じられる名解説ですので少し長くなりますが、じっくり読んでいきます。

ギリシア文明とへレニズム文明―この二つは、不可分の関係にある。

一般的には、「へレニズム文明」は「ギリシア文明」に含められていることが多く、しかも、その「ギリシア文明」の衰退期として扱われている。したがって、「へレニズム文明」というタイトルの本を探しても、滅多に見つからないのが実情である。執筆したフランソワ・シャムー氏も、序文に断っておられるように、本書を前著「ギリシア文明」のいわば続編としている。アルトー社の本シリーズ《大文明》は、巻ごとに執筆者が替わっているが、「ギリシア文明」と「へレニズム文明」は、同じシャムー氏の執筆である。

このように、「へレニズム文明」が一人前だか半人前だか分からない扱いを受けてきたのは、なぜか?

愚考するのに、一つは、その実態が充分に判明してこなかったことに一因があるのではないか。ギリシア文明の主な舞台が、西欧の歴史学者や考古学者に親しみやすいバルカン半島のギリシャ本土とエーゲ海の諸島、小アジアであるため、早くから調査が行なわれてきたのに対し、へレニズム文明の場合は、右の地域だけでなく、東はインドとの境界地帯にまで及ぶ中東、南はエジプト、北アフリカにまで広がった広大な世界が舞台である。

これらの地域は、十九世紀には大英帝国の領土に組み込まれ統治されてきたものの、政情は不安定で、学者たちが腰を落ち着けて調査できる状況ではなかった。パレスティナからアフガニスタンにいたる中東地域は、二十一世紀に入っても、ますます混迷の度を深めている。

遺跡の場所は特定されていても、学術調査団による精査は容易に進まず、へレニズム時代の歴史の概要は、幾つかの書によって分かっていても、裏づける調査が遅々としているのである。本書でシャムー氏が、一時期進んだ二十世紀に入ってからの調査報告を裏づけとしてたびたび引用しているのは、そのためである。
※一部改行しました

論創社、フランソワ・シャムー、桐村泰次訳『ヘレニズム文明』P561-562

ヘレニズム文明がなぜそこまでメジャーではないのかというのはこういう背景があったのですね。そもそも調査研究が未だに進んでいないというのは驚きでした。

そしてさらに訳者は続けます。ここからはいよいよ「ヘレニズム文明とは何か」が語られていきます。

とはいえ、こうして判明している「ヘレニズム文明」は単に「ギリシア文明」の続編ではなく、それ自体として研究されてしかるべき偉大さを充分に有している。それは、前述したように、この文明が栄えた領土的規模の大きさだけでなく、生育した土質の違いに関係していると私は考える。

前著でも示されているように、「ギリシア文明」の舞台も、西は南フランスやスペイン、北は南ロシア、東は小アジア、南はアフリカの北海岸にまで広がっており、けっして狭いものではなかった。

しかし、ギリシア本土とエーゲ海諸島、小アジア沿海部以外のこの文明圏の周縁部は、ギリシア人たちが食糧や資源を確保し、工業製品を売るための通商圏あるいは本土の文明を移植した植民地であって、周辺の原住民との交流のなかで独自の文明を築いた世界ではなかった。周辺民族はあくまで《蛮族》であって、文明の発展に寄与することはなく、ギリシア人たちが自らの文明を押し付けたにすぎなかった。

それに対し、へレニズム文明圏は、ギリシア文明にとっては先輩であるメソポタミア文明やエジプト文明、ヒッタイト文明をはるか以前から生み出していた世界で、そこに住む住民たちは、《蛮族》などではない。そうした先輩文明の人々を臣民として包含したのが、アレクサンドロス大王によって築かれた帝国であり、その後継である君主たちの王国であった。そこでは、「ギリシア文明」の一方的押し付けでは済まず、かえって土着の人々の持っている文化に吸収される可能性さえあった。そこに、へレニズム文明がコスモポリタン的文明に変わらざるを得なかった理由がある。

こうして、へレニズム文明の土台である社会がギリシア人だけでなく、オリエント人、エジプト人、インド人、アフリカ人、ガラタイ(ケルト)人、さらには南ロシアや今の東欧の当時の住民(そこには、スラブ人も含まれていたはず)も含んだ社会であったことから、哲学や科学、芸術も、そうした多様な人々に受け入れられる普遍性を帯びたものに進化したと考えられる。その違いを端的に示しているのが、こんにち、私たちが「ギリシア芸術」を代表するものとして真っ先に思い浮かべる『ミロのヴィーナス』や『サモトラケのニケ』などの芸術作品が、いずれも年代は不詳ながらへレニズム時代の作品であって、古典期やましてアルカイック期の作品ではないという事実である。

もちろん、これらが私たちに馴染みであるのは、パリのルーブル美術館に所蔵され展示されているという《地の利》に恵まれていることもあるが、なんといっても、その美が違和感なく素直に受け入れられるコスモポリタン的な特質を帯びていることにある。

それに較べて、古典期の芸術を代表するパルテノン神殿のフリーズやデルフォイの地中から発掘された御者像などは、ギリシア宗教の投影が強すぎる。おそらく、古典期の彫刻作品は、礼拝のためにせよ信仰心を喚起するためにせよ、宗教上の小道具であって、スタンダールが言っているように、その美的価値は突起部にすぎなかった。したがって、信仰心の篤い当時のギリシア人からすると、古典期の神々の像のほうが圧倒的にすばらしかったのであり、ヘレニズム期の作品は「堕落」と感じられただろうことは充分、想像できる。

ギリシアの狭いポリスに生きた人々と違って、へレニズム時代のコスモポリタン的な人々にとっては、宗教性よりも審美性を表にした芸術作品のほうがすばらしいと感じられたのであろう。それだけに、遥かな極東の人間である私たち日本人にとっても、古典期の彫刻よりもへレニズム期の作品のほうが親しみやすいしインパクトも大きいのである。つまり、宗教的厳かさよりも、美という普遍的価値において訴えかける力をもち、とくに、その傑作中の傑作である『ミロのヴィーナス』や『ニケ像』という、たんにギリシア芸術の宝ではなく、人類の宝というべき価値をもつ作品を生み出したへレニズム文明は、ギリシア文明とは別の存在価値をもつものとして見られるべきであろう。

ヘレニズム芸術が、多民族で構成されるコスモポリタン的世界のなかで普遍的な美を追求していったように、学問も、アリストテレスの諸学に見られるような実学的方向に発展していった。ユークリッドの幾何学も、本来、測量という実学と結びついていたし、アルキメデスの学問は、さまざまな道具や器械の発明につながっていた。ヒポクラテスの医学や薬学が病人の治療という実践と一体化していたことはいうまでもない。
※一部改行しました

論創社、フランソワ・シャムー、桐村泰次訳『ヘレニズム文明』P562-564

なぜ私たちは『ミロのビーナス』や『サモトラケのニケ』にこんなにも心惹かれるのか。そこにはヘレニズム文明のコスモポリタン的性格があったのです。これは大きな発見でした。皆さんもいかがでしょうか。この解説を読むとヘレニズム文明に興味が湧いてきますよね。

そしてさらに著者は続けます。ついにここでヘレニズムと仏教との繋がりが出てきます。

これは、私の想像であるが、東方インドにおける仏教の世界で、現実社会に生きる人間大衆の救済をめざす大乗教が興隆したのも、こうしたへレニズム文明の影響があったのではないだろうか?少なくとも、原始仏教においては仏足跡でしか存在を示されなかったブッダが、ガンダーラ地方を舞台に、仏像として具象化されるようになった。この時代のブッダの容貌や容姿にへレニズム芸術の影響が見られることは、すでに周知のとおりであるが、それだけでなく、仏教信仰が大衆の間にひろがっていった結果であり、あるいは、広がっていくために、ブッダを具象的に表現する必要性が高まったと考えられるのである。

論創社、フランソワ・シャムー、桐村泰次訳『ヘレニズム文明』P564-565
仏足石、ガンダーラ、1世紀(東京都世田谷区の善養密寺蔵)Wikipediaより

初期の仏教では仏足石だけだったのに対し、ヘレニズムの影響が入ったことで仏像制作への流れができたというのは非常に興味深い指摘です。さらに本文では有名な『ミリンダ王の問い』についても言及されます。

日本に仏教が入ってくるはるか前の仏教とヘレニズム文明の関係を知る上でもこの本は大きな刺激を与えてくれる作品でした。

いや~面白い!他にも紹介したい内容が盛りだくさんなのですが記事の分量上それもかないません。ギリシア文明、ヘレニズム文明を学ぶと「歴史と文化」の大きな流れを知ることができます。私達が生きる現代社会の土壌を作ったのがこれらの文明です。そのことを学ぶことは現代を生きる私たちにとっても大きな意味があるのではないでしょうか。

前回紹介した『ギリシア文明』とセットで読むことを強くおすすめします。ものすごく面白いです。これは名著です。自信を持っておすすめできます。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「F・シャムー『ヘレニズム文明』~古代ローマや仏教とも繋がるヘレニズム文明とは何かを知るのにおすすめな解説書!」でした。

次の記事はこちら

前の記事はこちら

関連記事

HOME