トーマス・マン『魔の山』あらすじと感想~生命とは何なのか!強烈な個性のごった煮!ドイツ文学の傑作!

魔の山 イギリス・ドイツ文学と歴史・文化

トーマス・マン『魔の山』あらすじと感想~生命とは何なのか!ドイツのノーベル賞作家の傑作長編!

トーマス・マン(1875-1955)Wikipediaより

今回ご紹介するのはドイツの文学者トーマス・マンにより1924年に発表された『魔の山』です。私が読んだのは岩波書店より1988年に発行された関泰祐、望月市恵訳の『魔の山』2012年第34刷版です。

この小説は私にとって非常に大切な作品です。私の「十大小説」を選ぶとすれば『魔の山』は確実にその中に入ることでしょう。それほどこの作品は力強く、強烈なインパクトがあります。とにかくスケールの大きな作品です!

私がこの本を初めて読んだのは大学院生になってからのことでした。人生問題について書かれた重厚な小説を読んでみたいと思っていた私がふと出会ったのがこの作品だったのです。トーマス・マンについては学生時代に『ヴェニスに死す』を読んだことがあったり、ゲーテとの絡みでその名が出ていたりと元々興味のある存在でした。

そしてこの本と出会い、私は忘れられない一節を心に焼き付けることになったのでした。

では早速この本について見ていきましょう。

平凡無垢な青年ハンス・カストルプははからずもスイス高原のサナトリウムで療養生活を送ることとになった。日常世界から隔離され病気と死が支配することの「魔の山」で、カストルプはそれぞれの時代精神や思想を体現する数々の特異な人物に出会い、精神的成長を遂げてゆく。『ファウスト』と並んでドイツが世界に贈った人生の書。(上巻)

理性を尊び自由と進歩を唱導するセテムブリーニ。テロと独裁によって神の国を実現させようとする非合理主義者ナフタ。2人に代表される思想の流れはカストルプの魂を奪おうと相争うが、ある日雪山で死に直面したカストルプは、生と死の対立を超えた愛とヒューマニズムの道を認識する。人間存在のあり方を追求した一大教養小説。(下巻)

Amazon商品紹介ページより
空から見たダボスの町。この小説の舞台になった場所 Wikipediaより

この小説の舞台はスイスの高山療養地、ダボスの結核病院です。ここがいわゆる「魔の山」と呼ばれる恐るべき場所として描かれることになります。巻末の解説ではこの「魔の山」について次のように述べられています。

「魔の山」の舞台はダヴォスのサナトリウム「ベルクホーフ」とその周辺とにかぎられており、人物はドイツ人を主とした世界各国の人々であるが、みんな、贅美なサナトリウム生活の費用を支払うことのできる階級にぞくする人々であって、富んだ市民階級の人々である。

この人々は、マンがダヴォスの三週間の滞在で見たところでは、ダヴォスへきて半年もたつと「体温といちゃつくこと」しか頭になくなる連中であり、この人々の世界は、ハンス・カストルプを見舞いにきて、あやうく魔の山の魔力のとりこになろうとしたジェームス叔父が感じたように、「鞏固な自信の点で下の世界に負けないだけではなく、それをはるかにしのぎもしている世界」である。

そして、この人々は義務と活動の市民社会を軽蔑の気持をもって「平地」と呼んでいるが、この優越感と自信とは、市民社会のきずなと時間の束縛とから「自由」になった人間が、義務と束縛のなかに生きている人々にたいして感じる優越感と自信とである。

マンが「魔の山」のなかで「錬金術的」とか「魔術的」とか呼んでいる教育はといえば、この「自由」にし解放することを意味し、市民社会の規範と道徳とから解放され自由にされた人間を、改めて精錬し向上させる教育であって、マンが「魔の山」を人生の奥義伝授の書であり、人生の秘義探求の書であるといっているのも、この意味からであるし、また、「魔の山」がドイツ文学で教養小説と呼ばれる小説の系列にぞくする作品と考えられているのも、同じ意味からである。
※一部改行しました

岩波書店、トーマス・マン著、関泰祐、望月市恵訳『魔の山』下巻1988年第15刷版

ここで述べられるように「魔の山」は市民社会が営まれる下界とは全く異なる世界です。ここでは一般の道徳や規則は通用しません。そんな特殊な場において「死に至る病」結核を患う人々が共同生活を送っています。

そして上の解説の最後で、『マンが「魔の山」を人生の奥義伝授の書であり、人生の秘義探求の書であるといっている』と指摘されていたのは非常に重要です。

この作品の主人公ハンス・カストルプは非常に平凡な青年です。ある意味無垢と言ってもいいでしょう。ですが彼には人一倍豊かな感受性という特徴がありました。そんな彼がこの異界「魔の山」であまりに特殊な環境、人々、思想と対面していく、その様を私達は見ていくことになります。

この作品はとにかく強烈なキャラクターがわんさか出てきます。トーマス・マンは様々な概念や思想を体現した極端な人物を次から次にハンス・カストルプにぶつけていきます。一度出会ったら忘れられない強烈さが彼らにあります。

彼らは一体何を具現化したキャラクターなのか、たとえば、「冒険、無形式、快楽、病気、永遠、分解、義務、理性、節制、健康、社会主義、自由主義、啓蒙思想、科学、ファシズム、イエズス会、コミュニスト、ニヒリスト・・・」ぱっと挙げただけでも様々な概念、思想が人物として具現化されています。

中でもオシャレで進歩的な民主主義のセテムブリーニ氏と陰鬱な保守主義者ナフタの二人の存在は小説全体を通して凄まじい存在感を放っています。

他にも多数の濃いキャラクター達が登場するのですが、やはり一際異彩を放つのが物語の後半で突如登場するペーペルコルンというカリスマ的人物です。物語内でも「スケールの大きな大人物」と紹介されるこの男ですが、彼の存在はそれまでの「言葉、言葉、言葉」の主義主張を全て無に帰してしまうような強烈なカリスマ性を発揮します。

これまでセテムブリーニ氏とナフタがハンス・カストルプを引き込むために「言葉、言葉、言葉」で互いに自身の主張を戦わせていたのですが、すっかり彼らの存在感が失われてしまうほどの巨大さです。これは読んでみて下さいとしか言いようがないのですが、まさに驚くべき「大人物ぶり」です。

主人公ハンス・カストルプはこうした人物達と比べると無に等しいほど個性に乏しいです。しかしだからこそフラットな視点でこれらの強烈な人物達と相対することになります。はたしてハンス・カストルプは最後、どの人物の思想を選ぶことになるのか、あるいは彼らを通して新たなる思想を見出すのか、そうしたことをトーマス・マンは描き出していきます。

ま~とにかくでかい!この小説のスケールは常軌を逸しています。小説の舞台自体は閉鎖空間たる「魔の山」ですが、私たちの日常を吹き飛ばす異界だからこそ存在する魔力をこの本では体感することになります。

そしてこの小説の中で私が最も印象に残ったのが次の一節です。

生命とはなんだろう?だれもそれを知らなかった。生命が湧きでる、生命が燃えあがる自然的基点は、だれにもわからない。この基点からのちは、生命の世界には偶発的な、もしくは偶発的にちかい現象は一つとして存在しないが、生命そのものはやはり偶発的とみるほかはない。生命についてせいぜいいえることは、生命がきわめて高度の発達をとげた構成を持っていて、無生物界にはそれとすこしでも比肩できるものは一つも存在しないということだけである。生命のもっとも単純な形態と、無機であるために死んでいるとさえいうに値しない自然物とのあいだの距離にくらべたら、脊椎動物と偽足アミーバとの距離など問題にならなかった。なぜなら、死は生の論理的否定にすぎないが、生命と生命のないものとのあいだには、科学が躍起になっても橋渡しのできない深淵が口をひらいているからであった。

岩波書店、トーマス・マン著、関泰祐、望月市恵訳『魔の山』(上巻)2012年第34刷版P472-473

「生命とはなんだろう?だれもそれを知らなかった。生命が湧きでる、生命が燃えあがる自然的基点は、だれにもわからない。」

「生命のもっとも単純な形態と、無機であるために死んでいるとさえいうに値しない自然物とのあいだの距離にくらべたら、脊椎動物と偽足アミーバとの距離など問題にならなかった。」

生物と無生物との違いは何なのか。生命とは何なのか・・・

この一節を読んだ時の衝撃は今でも忘れられません。この一節だけを読めばなんてことのない問いのように思えるかもしれません。これはきっと誰しもが一度は抱いたことのある問いでしょう。ですが『魔の山』という異界に身を置いてハンス・カストルプと共にここまで歩んでくると、この問いは信じられないくらいの重さを持って私たちの前に現われるのです。

私は自分で問わずにはいられませんでした。自分と石ころの違いはなんだろう。石ころと生物を隔てるその究極の一歩は何なのだろう。仮にそれが命だとして、では命って何なのだろう。死者と生者の違いは何なのだろう・・・

こう考えていくと無限に問いが連なり、私たちが日常ほとんど目を向けないであろう根本問題が現れて来ることになります。偉大な長編小説をじっくり読むということはこういうことなのかと私はつくづくその時感じました。同じ一節でも大きな物語の中で語られた一節はそれこそ圧倒的な重みを持つのです。これは読めばわかります。ぜひこの小説を読んでそれを体感して頂けたらなと思います。

私がこの小説を初めて読んでからそれこそ10年近くも時が経ちましたが、それでもこの小説の衝撃は今も強烈に残っています。このブログを初めてから4年以上経ちましたがようやくこの作品を紹介出来ることに喜びを感じています。正直に言いますと、この作品の記事を書こう書こうとだいぶ前から思っていたのですが、いざ書こうとすると何から書いていいのやら迷ってしまい挫折するというのが何度も続いていたのです。それほどこの作品は盛りだくさんな小説です。絞りに絞り、ようやくひとつのまとまった形で記事を書くことができました。

この作品もぜひ学生のうちにおすすめしたい作品です。まさに学生という感受性豊かな時期にハンス・カストルプと共に世界の強烈な人物達と出会うのは非常に貴重な体験となると思います。本を読んでも人と出会うことはできます。本のよい所はここにいながら時と場所を超えて人と出会えることです。ぜひセテムブリーニ氏やペーペルコルンというとてつもないスケールの人物たちと対面してみて下さい。度肝を抜かれること間違いなしです。ぜひぜひおすすめしたい名作です。

以上、「トーマス・マン『魔の山』あらすじと感想~生命とは何なのか!強烈な個性のごった煮!ドイツ文学の傑作!」でした。

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