(59)マルクス『ゴータ綱領批判』概要と宿敵ラッサールとの対決
マルクス・エンゲルスの強敵はバクーニンだけではありませんでした。
バクーニンは「マルクスの共産主義が独裁的な国家権威主義になることを見抜いていた」非常に危険な存在で、マルクス・エンゲルスが利用しようとしていたインターナショナルを消滅させた難敵でした。
今回紹介するラッサールもそれに劣らず彼らにとって厄介な敵なのでありました。
マルクス・エンゲルスの強敵はバクーニンだけではありませんでした。
バクーニンは「マルクスの共産主義が独裁的な国家権威主義になることを見抜いていた」非常に危険な存在で、マルクス・エンゲルスが利用しようとしていたインターナショナルを消滅させた難敵でした。
今回紹介するラッサールもそれに劣らず彼らにとって厄介な敵なのでありました。
マルクス・エンゲルスの最強のライバル、バクーニン。
彼が単に人を惹きつけるだけの存在だったら、マルクス・エンゲルスの政治力にかかれば簡単に失脚させることはできたでしょう。敵をこき下ろし、誹謗中傷、政治的策略を使って孤立させることなど、これまで何度となくやってきたことです。
しかし、真の脅威はバクーニンがマルクス・エンゲルスの思想における決定的な弱点を見抜いていたことにありました。バクーニンは彼らの思想の行く先を正確に見抜いていたのです。その鋭さたるや驚愕するしかありません。
マルクスの娘婿ポール・ラファルグ。
彼は『怠ける権利』という本を執筆し、その作品で労働を拒絶し、高貴で神聖な怠ける権利を主張しています。そしてこの本はマルクス主義者に大きな影響を与えたことでも知られていますが、そのラファルグ本人がどのような生活をしていたかをこの記事では見ていきます。
エンゲルスは経営者を引退した手切れ金を、持ち前のビジネス感覚を利用してさらに増やしていました。 彼は今度は証券取引人として莫大な利益を得ることになったのです。 つまり「矛盾は、工場を辞めた最後の日で終わったわけではなかった」のです。ブルジョワを激しく非難しながらそのブルジョワそのものであるエンゲルス。 エンゲルスはこの矛盾に対してどのように考えていたのでしょうか。彼はこのことに対し驚くべき言葉を語ることになります
エンゲルスの優秀さについてはこれまでもお話ししましたが、マンチェスターでの家業を辞めてロンドンに来てからはその力がさらに遺憾なく発揮されていたのでありました。
エンゲルスは自邸の書斎を拠点に今やヨーロッパ中の社会主義者の動向に目を向け、動かすようになっていたのでした。
やはりエンゲルスの実務能力はずば抜けています。
エンゲルスはおよそ20年勤めたマンチェスターの父の会社を1869年に辞めることになります。
最初は通信員として就職したエンゲルスですがすでに父も亡くなり、今や彼はエルメン&エンゲルス商会の共同経営者の地位にありました。
いよいよ自由の身になったエンゲルス。
彼はマルクスの近くに住み、政治活動をするためにロンドンへと旅立ったのでありました。
エンゲルスの再出発です。彼の活躍はここからいよいよ大きくなっていくのでした。
エンゲルスの薦めによって『種の起源』を知ったマルクス。はまり具合からいけばエンゲルスの方がはるかに熱狂的でしたがマルクスもその進化論には大いに心動かされたものがあったようです。
そしてマルクスはダーウィンに感銘を受け、『資本論』を献本します。それに対してかのダーウィンはどんな反応を見せたのでしょうか。
そのことについてこの記事ではお話ししていきます。
私たちは「マルクスが後に世界中に広まった」という歴史を知った上でマルクスを見てしまいますが、当時の状況はまるで違います。
このままでは無視されかねないと察したエンゲルスはここでその才能を発揮します。
エンゲルスは自作自演も辞さず、次々とメディア戦略に打って出ました。「単なる経済学の書」を超えた、まさしく「あらゆるものの源泉たるバイブル」としての『資本論』を生み出したのはエンゲルスだったのでした。
エンゲルスなくしてマルクスなし!
エンゲルスの参謀としての天才的な能力には驚くしかありません。
マルクスの『資本論』は読むのがあまりにも難しい作品として有名ですが、マルクスの元の原稿はそれどころではない支離滅裂なものだったというのは驚きでした。その解読困難な原稿をかろうじて読める形でエンゲルスが再構成したものが私たちが手にする『資本論』だったのです。
『資本論』第2巻、第3巻がエンゲルスによる編集によって成立したのは有名ですが、そもそも第1巻からしてエンゲルスの多大な貢献があったのでした。
マルクスはアダム・スミスやリカードなど経済学者たちの著作を研究し、そこにヘーゲル哲学を組み合わせることで独自の理論を作り上げていくことになります。
これは経済を専門にする経済学者や、哲学のみを探究する哲学者にはなかなか思いも寄らぬ方法でした。
マルクスは独自に新たな理論を生み出したというより、既存のものをうまく合成することで新たなものを生み出したということができるかもしれません。