アンデルセン『即興詩人』あらすじと感想~アンデルセンのイタリア旅行から生まれた出世作。森鴎外の翻訳でも有名

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アンデルセン『即興詩人』あらすじと感想~アンデルセンのイタリア旅行から生まれた出世作。森鴎外の翻訳でも有名

今回ご紹介するのは1835年にアンデルセンによって発表された『即興詩人』です。私が読んだのは1960年に岩波書店より発行された大畑末吉訳の『即興詩人』2016年第28刷版です。

早速この本について見ていきましょう。

歌姫アヌンツィアータに思いを寄せる青年詩人アントーニオ。南国イタリアの自然と人物を背景にくりひろげられるアンデルセン(1805‐75)の愛の物語『即興詩人』は、永遠の青春文学として、いつの時代にも読みつがれるだろう。流麗明快なデンマーク語からの原典訳に、作者自身のイタリア旅行スケッチをそえておとどけする。(上巻)

アンデルセンにとってイタリアはつねに憧れの国であった。28歳の時はじめてかの地に旅し、その芸術と美しい自然、素朴な庶民の生活にふれて強い感銘を受けた彼が、「これらすべての印象を再現しよう」として筆を起こしたのが、この『即興詩人』である。アンデルセンの出世作であり、彼の名を世界的なものに高めた小説。(下巻)

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ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805-1879)Wikipediaより

アンデルセンはデンマーク出身の童話作家です。ディズニー映画の原作となった『人魚姫』や『雪の女王』、『親指姫』など数々の名作を生み出してきました。

当ブログでも以前彼のことを紹介しましたが、私にとってそんな彼に対するイメージを決定づけたのは中野京子著『芸術家たちの秘めた恋―メンデルスゾーン、アンデルセンとその時代』という作品でした。

この作品は19世紀ドイツを代表する音楽家メンデルスゾーンと童話で有名なアンデルセン、そしてスウェーデンの歌姫ジェニー・リンドという3人の芸術家の物語です。

メンデルスゾーンはこれまで当ブログでも紹介してきました。

メンデルスゾーンについては以下の解説動画もおすすめです。

そしてもう一人の主人公、アンデルセン。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805-1875)Wikipediaより

アンデルセンと言えば童話が有名ですが、この人物がメンデルスゾーンと同時代人だったというのはこの本を読んで初めて知りかなり驚きました。『醜いアヒルの子』や『マッチ売りの少女』など、その名作たちの存在は知っていてもそれらがいつ書かれていたのかというのは恥ずかしながら全く知りませんでした。てっきりもっと昔の話かと思いきや、19世紀の話だったのですね。これには驚きました。

そしてこの二人を繋ぐ鍵となる女性、ジェニー・リンド。

ジェニー・リンド(1820-1887)Wikipediaより

「スウェーデンのナイチンゲール」と称され、世界中で大人気だった歌姫ジェニー・リンド。彼女は後にスウェーデン紙幣に描かれるほどの国民的大スターでした。

19世紀を代表する作曲家フェリックス・メンデルスゾーン、デンマークの童話作家アンデルセン、スウェーデンの歌姫ジェニー・リンド。これら3人の大芸術家たちが織り成す物語。そして中野京子さんの筆が冴える冴える!とにかく面白い作品です!面白過ぎてあっという間に読んでしまいました。

この作品によればアンデルセンは猪突猛進型でかなり激しい感情の持ち主だったそうです。アンデルセン自身、結局恋は実らず、こんなに真面目に熱烈に愛しているのに報われないという苦しみに悶えていたそうです。そんな感情が彼の童話にも反映されているとも言われています。

たしかにそう言われてみれば『親指姫』に出てくるツバメ君も美しい親指姫に恋をし献身的にお世話をしますが、最後に親指姫は美しい王子様とあっという間に結婚してしまいます。このツバメ君もなんとも切ないんですよね・・・

さて、話は『即興詩人』から少しそれてしまいましたが、この作品はアンデルセンの出世作として知られています。そしてその出世作にして「アンデルセンらしさ」がすでに爆発している作品となっています。どういうことかと言いますと、まさに先ほども申しましたように、美しい女性に恋する真面目で繊細な青年の悲哀がこの作品で描かれているからです。後の童話でも何度も繰り返される真面目で繊細な心優しい主人公の型がすでにこの作品で完成されているのです。

上の本紹介にもありますように歌姫アヌンツィアータに恋した主人公アントーニオ。彼の人物造形は後の童話の原型と言っていいほどアンデルセンらしさ全開です。

「デビュー作にはその作家のすべてがある」とよく言われますよね。私は彼の童話を読んだ後にこの『即興詩人』を読んだわけですが、「あぁ、アンデルセンらしいな~!」と何度も唸ることになりました。それほどこの作品はアンデルセンの作家人生に大きな影響を与えています。

そしてこの『即興詩人』は何より、アンデルセンのイタリア紀行がもとになって生まれた作品です。「イタリア紀行」といえばゲーテの『イタリア紀行』が有名ですが、まさにアンデルセンもこの永遠の都ローマやフィレンツェなどから多大なインスピレーションを受けていたのでした。このことについて巻末の解説では次のように述べられています。

「旅はわたくしにとって精神の若返りの泉である。」アンデルセンは自伝『わが生涯の物語』のなかでこう言っているが、ほとんど旅行に明け暮れしたといってもよいかれの生涯で、旅行は生活のなぐさめであり、詩想の源泉であった。かれの多くの海外旅行のうち、『即興詩人』の舞台となったイタリアは、わけてもアンデルセンのあこがれの国であった。イタリアへは一生のうち四回も行っているが、第一回のイタリア旅行の印象と体験から『即興詩人』は生まれ、この作品によってかれの文名は確立したのである。(中略)

アンデルセンはスイスからシンプロン峠をこえ、『幸福とあこがれの国」イタリアに第一歩を印した。それからミラノ、フィレンツェ等をへて十月十八日ローマについた。そしてスパーニャ広場にほど近いシスティーナ街百四番地の寓居に落ちついた。ここからアンデルセンは、ペッポ伯父のいるスパーニャ広場、バルベリーニ広場、カップチーノ聖堂など、アントーニオの少年時代の思い出の場所を通って毎日のように下町へ出かけては、市内外の聖堂や美術館や古代の遺跡を歩きまわり、またローマ市民の生活を共に体験するのだった。

およそ九か月間のイタリアの旅はアンデルセンの芸術生活にとって劃期的な意味をもっていた。古代文化の跡、ルネサンスの美術、南欧の美しい自然、さては民衆の開放的な素朴な生活、すべてが若いアンデルセンには感傷と感激の種であった。そのころ故国へ送った手紙の一節にそれがよくあらわれている。

「イタリアは夢と美の国です。イタリアは描写することはできません。じかにこの土地を見なければいけません。またこの空気をすってみなければいけません。それはこの上ない至純なロづけです!夕空は火の海です。そのなかにうず緑いろの雲が、かさ松の木の精のようにただよっていきます。ここでは戸外の一日一日がわたくしの生涯の一と月にあたります。一日一日が精神の目を鋭くします。ラファエロの天使と大理石の神々はわたくしの美感に話しかけます。わたくしはただ見て感じるだけで、なに一つ手につきません。ここにはあらゆる材料があります。太陽のなかに立っていてどうして太陽を描くことができましょう。しかし、どうにかなりましょう。今でも、もう、自分がローマで生まれて、ここにずっと暮らしてきたかのように感じられるのですから。それほどあらゆるものが、すべての民衆の生活が、わたくしには旧知のように思われるのです。ろば、、にまたがっている修道士も、オレンジの山を前にした、くだもの売りの女たちも、百姓たちのとっくみ合いも……」

アンデルセンはたえずスケッチブックを手からはなさなかった。イタリアでかいたかずかずの風物画の一端によっても、それがじゅうぶん観賞にたえるものであることがわかる。

「すべては絵画的です。わたくしの見るものは何によらず、たとえば、わたくしの住んでいる家の向かいの食料品店すらもそうです。」(第一部四一頁参照)

岩波書店、アンデルセン、大畑末吉訳『即興詩人』下巻P329-332

『即興詩人』はこうした美しきイタリアの姿がどんどん出てきます。むしろ、その美しきイタリアこそ主人公とすら言えるかもしれません。

上の解説で「絵画的」と表現されていたように、アンデルセン一流の情景描写は見事としか言いようがありません。その中でも古代ローマの遺跡フォロ・ロマーノの描写は特に素晴らしいです。この作品中でも白眉中の白眉です。アンデルセンが実際に見たであろう景色。それは現代のように整備されたフォロ・ロマーノではありません。ほとんど野ざらしで放置されていた遺跡がそこに広がっています。ですがそれがまたいいんですよね。しかも月の光に照らされたコロッセオの描写はもうたまりません。

フランクフルト、ゲーテ博物館所蔵のかつてのコロッセオの絵 ブログ筆者撮影 

この作品を読めばローマに行きたくなること間違いなしです。それほど魅力たっぷりにイタリアが描かれます。

そしてこの作品についてもう1点お話ししたいことがあります。

それが歌姫アヌンツィアータについてです。

絶世の美女であり誰もを魅了するその歌声。当然ローマのトップスターです。そんなアヌンツィアータが舞台で演じていたのが「ディドー」という絶世の美女の役でした。これがまた憎い演出です。アンデルセンのローマ愛がここからもうかがえます。

と言いますのも、「ディドー」はローマの大詩人ヴェルギリウスによる『アエネーイス』に出てくる女性なのです。『アエネーイス』は以前当ブログでも紹介しました。

ローマ帝国建国神話である『アエネーイス』は古代ローマの心そのものです。その作品に出てくる絶世の美女ディドーをアヌンツィアータに演じさせるあたり、アンデルセンのローマ愛が見えてきます。

そしてこの物語は一旦はそのアヌンツィアータと主人公は両想いになったかのように展開します。しかしある事件から二人は引き裂かれ、さらに悪いことに彼女がどうしようもない女たらしと一緒になってしまうのです。

真面目で繊細、心優しいアントーニオはそれこそ絶望します。「なぜあんな男を愛するのだアヌンツィアータ!私ではダメなのか!?」

これはもうまさにアンデルセンワールドそのものです。その後の童話も可憐な花とそれを慕う残念な男という構図がどんどん出てきます。

ただ、この『即興詩人』だけは一味違います。やはり彼の出世作ということでまだアンデルセンは後の境地に至っていなかったのでしょう。アヌンツィアータはその後悲しい運命を辿り、アントーニオはハッピーエンドで終わることになります。

まだまだ若いアンデルセンにとって、『親指姫』のようななんとも切ない物語はまだ早かったのでしょう。

勧善懲悪というわけではありませんが、アンデルセンはアントーニオを手放したアヌンツィアータに復讐するかの如くひどい仕打ちを与えます。

私の個人的な思いですが、アンデルセンの真骨頂は「愛する人の幸せを見送る哀愁」にこそあるように感じています。この何とも言えない寂しさ。報われない愛。これぞアンデルセンだと私は思います。『即興詩人』にはそれがまだありません。

これは後にジェニー・リンドと出会い、まさにその感情を味わいつくしたからこそ生まれてきたのかもしれません。

そう考えると、『即興詩人』のアヌンツィアータが現実に現われたかのような存在がジェニー・リンドで、だからこそアンデルセンはあれほどまでに彼女に惚れ込んだのかもしれません。この恋に関しては上で紹介した中野京子著『芸術家たちの秘めた恋―メンデルスゾーン、アンデルセンとその時代』を読めばそれが感じられると思います。

ジェニー・リンドのことやアンデルセン自身の性格や恋愛遍歴を知ってから『即興詩人』を読むと特に色んなことを考えさせられる作品でした。

『即興詩人』は円熟した哀愁の童話作家アンデルセンになる前の、情熱的でロマンチックな若きアンデルセンを感じられる作品です。今までなかなか手に取ることができなかった作品でしたがこんなに面白い作品だったとは思ってもみませんでした。訳も読みやすく、ストーリー展開もドラマチックで一気に読み切ってしまいました。まさに夢中になって読んでしまったという感覚です。

これはぜひおすすめしたい作品です。ローマやイタリアの魅力がこれでもかと詰まった作品です。これを読めばイタリアに行きたくなります。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「アンデルセン『即興詩人』あらすじと感想~アンデルセンのイタリア紀行から生まれた出世作。森鴎外の翻訳でも有名」でした。

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