トーマス・マン『ドン・キホーテとともに海を渡る』~全読書人に贈りたい「旅と本」についての珠玉の1冊!

愛すべき遍歴の騎士ドン・キホーテ

トーマス・マン『ドン・キホーテとともに海を渡る』概要と感想~ドイツの文豪も愛したドン・キホーテ。旅のお供に最高と絶賛!全読書人に贈りたい「旅と本」についての珠玉の言葉

今回ご紹介するのは1934年にトーマス・マンによって発表された『ドン・キホーテとともに海を渡る』です。私が読んだのは1971年に新潮社より発行された『トーマス・マン全集Ⅸ 評論1』所収の高橋義孝訳の『『ドン・キホーテ』とともに海を渡る』です。

早速この本について見ていきましょう。参考にするのは巻末の解題です。

マンは、前記国外講演旅行ののち、ヨーロッパ各地を転転したが、ようやくその年の秋、チューリヒ近郊キュスナハ卜に定住した。そして翌一九三四年『ヤコブ物語』英訳版の刊行にあたり、アメリカの出版社主アルフレート・A・クノップの招きを受け、五月十七日、第一回のアメリカ旅行に出発した。五月十九日から五月二十九日のニューヨーク着までの船上で、マンは『ドン・キホーテ』を読みすすめた。

本篇は、この航海の印象記であり、最初『新チューリッヒ新聞』(>Neue Zürcher Zeitung<, 5.-15 11. 1934) に分載され、のちに『巨匠の苦悩と偉大』に収録された。

新潮社、『トーマス・マン全集Ⅸ 評論1』P730
トーマス・マン(1875-1955)Wikipediaより

トーマス・マンは1934年にアメリカに渡航することになり、その船中で旅のお供として読んでいたのが何を隠そう、『ドン・キホーテ』だったのでした。

私がこの作品を読んでみようと思ったのは以前当ブログでも紹介した牛島信明著『ドン・キホーテの旅』に次のように書かれていたのがきっかけでした。

ドン・キホーテといえば、ああ、風車に突進するあの騎士かと、誰もがそのイメージを思い浮かべることができる。子供向けの絵本かなにかで一度は出会ったことがあるからだ。そして、われわれは「あいつはドン・キホーテだ」とか、「ドン・キホーテ的企画」といった言い方をよくする。時として、汚職で逮捕された政治家までが、「私はドン・キホーテだ」などと口走ったりする。(中略)

ところが一方でドン・キホーテは、ロシアの文豪ドストエフスキーが、「これまで天才によって創造されたあらゆる書物の中で最も偉大な、最も憂鬱な書物」であり、「現在までに人間の精神が発した、最高にして最後の言葉である」と称えるほどの、なにやら難しそうな小説の主人公でもあるのだ。すなわち、『ドン・キホーテ』は児童書になるかと思えば深遠な哲学書でもありうる、ひどく懐の深い小説というわけである。

また、あらゆる近代小説は『ドン・キホーテ』のヴァリエーションであると言われるほどの、圧倒的な文学的影響力も発揮してきた。たとえば、しばしば十八世紀のイギリス小説は『ドン・キホーテ』の影の下にあると言われるが、そのことを示す象徴的存在はへンリー・フィールディングであろう。彼の名作『ジョーゼフ・アンドルーズ』(一七四二年)には、「『ドン・キホーテ』の作者セルバンテスの作法にならって書かれた」との添え書きがある。同じ時期のフランスでは、大作家マリヴォーが『ファルサモン』という小説に、やはり「フランスのドン・キホーテ」という副題をつけている。

『ドン・キホーテ』の影響を如実に示すこうした事例は世界の文学史上無数にあるが、ここでは、著名な作家にまつわるエピソードをニ、三あげるにとどめておこう。

ナチスの迫害を逃れてアメリカに渡ったトーマス・マンは、船旅の友に『ドン・キホーテ』を選んだ。そして、その旅から生まれたのが、『ドン・キホーテとともに海を渡る』という素晴らしい本である。

中央公論新社、牛島信明『ドン・キホーテの旅』Pⅰ-ⅲ

「ナチスの迫害を逃れてアメリカに渡ったトーマス・マンは、船旅の友に『ドン・キホーテ』を選んだ。そして、その旅から生まれたのが、『ドン・キホーテとともに海を渡る』という素晴らしい本である。」

まさにこれですね。

私はトーマス・マンの『魔の山』が大好きです。この偉大な作品を書き上げたトーマス・マンがあの『ドン・キホーテ』を旅のお供に選び、それについて素晴らしい文章を書き上げたというのですからぜひ読みたくなってしまいました。

そして実際にこの作品を読んでみると、なるほど、牛島氏が「素晴らしい本」と絶賛するのも納得でした。これは素晴らしい作品でした。今回の記事ではこの作品の中から特に印象に残った2つの箇所を紹介したいと思います。

まずひとつ目はこちらです。こちらは作品冒頭に語られた箇所で、「旅と読書」について書かれた名文中の名文です。まさに、全読書人に贈りたい珠玉の言葉です。

旅行の読物―価値の低いものという意味がはっきりと感じとれる概念である。旅で読むものはごく軽い浅薄な「時間潰し」をしてくれる愚劣なものでなければならぬというのが世間一般の考えだが、私にはいまだにこういう気持が解せない。

なぜといって、いわゆる娯楽読物が疑いなく地上における最も退屈な読物だということは不問に付すにしても、なぜ世の中の人がほかならぬ旅というような晴れがましくも厳粛な機会に、自分の精神的習慣を脱ぎすてて、わざわざ低級なところへ身をおとすようなことをやるのか、私にはどうにも合点が行かぬ。

旅行というものの普段とはちがう緊張した生活状態が、普段ほど愚劣なものが苦にならぬような状態に、精神や神経を置くからなのだろうか。

私はさきに敬意ということについて記した。私は、われわれの今度の航海に対して尊敬の念を持っているのだから、旅の伴侶たるべき読物をも敬重するのは、けだし理の当然である。

『ドン・キホーテ』は、世界の書である。―したがって、世界旅行には打ってつけの書物だ。ドン・キホーテという人間を描くということは、大胆な冒険であった。これを読むということの意味する受容的冒険は、今の場合にふさわしい。自分でも不思議だが、これまで一度も、その全部をまとめて読み終えたことがなかった。それをこの船旅でやってみよう。そしてこの物語の海を乗りきってみよう。丁度われわれが十日がかりで大西洋を乗りきるように。
※一部改行しました

新潮社、『トーマス・マン全集Ⅸ 評論1』P344

「私はさきに敬意ということについて記した。私は、われわれの今度の航海に対して尊敬の念を持っているのだから、旅の伴侶たるべき読物をも敬重するのは、けだし理の当然である。」

「『ドン・キホーテ』は、世界の書である。―したがって、世界旅行には打ってつけの書物だ。」

これは旅と本を愛する方にぜひお届けしたい言葉です。

私はこの言葉を読んで心の底からぐっと来ました。

かく言う私も『ドン・キホーテ』を2019年の世界一周の旅のお供にしています。やはり旅といえばドン・キホーテ。移動中や夜ベッドに寝ころびながら読んだ『ドン・キホーテ』は今でも心に残っています。旅の時に読んだ本というのはやはり印象に残りますよね!

トーマス・マンのこの言葉はぜひ多くの方に広まってほしいなと心から願うのでありました。

では、続いてもうひとつの箇所を紹介していきましょう。こちらはトーマス・マンが『ドン・キホーテ』の中で最も好きなエピソードについて語った言葉になります。

獅子を相手の冒険がドン・キホーテのなした数々の「所行」中のクライマックスであることに異論の余地はない。真面目にいっておそらく全篇の頂点だろう。―滑稽な熱情、熱情的な滑稽をもって物語られたこの白眉の一章は、主人公の英雄的痴愚に対する詩人の心からなる感激を如実に物語っている。私は二度続けて読んだ。そしてこの章の、深い滑稽な内容、奇妙に心を動かす内容は、絶えず私の心を占めている。

新潮社、『トーマス・マン全集Ⅸ 評論1』P365
奥で盾を持っているのがドン・キホーテ。檻の中にライオンの後ろ姿が見える

ここでトーマス・マンが絶賛している物語は『ドン・キホーテ』後編の第十七章「ここではドン・キホーテの前代未聞の豪胆さが到達した最高の点、あるいは到達しえた極限が明らかにされ、と同時に上首尾に終ったライオンの冒険が語られる」の章にあたります。岩波文庫ですと『ドン・キホーテ』後編㈠の267ページからになります。

『ドン・キホーテ』を読んだことがない方にとってはこの章題からしてびっくりですよね。とにかく長い!

ですが基本『ドン・キホーテ』はこのようなユーモアある章題がずらっと並んでいきます。慣れるとこうしたところもむしろ味になってきます。

では引き続きトーマス・マンの言葉を見ていきましょう。

「フォン・オラン将軍が陛下のお慰みまでにと宮廷へ献上する」というアフリカの猛獣を載せて、吹流しをつけた荷馬車に出会うということからしてすでに風俗画として興があるし、ドン・キホーテの空に向って示される盲目の気高さに十分堪能した挙句に、連れの人々の驚愕を尻目にかけ、分別ある反対などに「迷わされる」ことなく、獅子の番人に向って、是が非でも檻から怖ろしい獅子を出して自分と一合戦させろと言い張る幾ページかを読むときの緊張―この緊張によって、作者がいつも同じの心理的主題を、手をかえ品をかえてそのつど目新しく生きいきと使いこなす非凡な手並みのほどがはっきり知られる。

ドン・キホーテの暴勇は、決して彼自身がこれを暴勇だとは知らぬほどに気違いじみていないだけに一層驚嘆に価するのだ。彼はあとでこう言っている。

「獅子に向って行くということは拙者のさしおきがたき義務であった。もとより拙者とてこれが暴虎馮河ぼうこひょうかの蛮勇たることを知らぬではない。また勇は怯と蛮勇と申す蔑むべき二つのものの間に位する一つの徳なることはつとに存じておる。とは申せ、勇ある者が力余って蛮勇の域に踏み入るは、一歩退いて怯に陥るに較ぶるときは、さまで咎め立てするには当らぬのだ。浪費を好む者は強欲なる者よりも容易に施しを行うことができるように、怯者が真の勇気に身を高むるよりは、暴勇の者がまことの勇を得るがたやすい」

―何という道徳的な聡明であろう。
※一部改行しました

新潮社、『トーマス・マン全集Ⅸ 評論1』P365

ドン・キホーテはわかった上で無謀なことをしている。ただ狂って奇妙なことをしているのではないというのが『ドン・キホーテ』の非常に重要なポイントです。

こうしたドン・キホーテの真髄を一読して見抜くトーマス・マンはやはりさすがです。超一流の文学者は違いますね。私が『ドン・キホーテ』を初めて読んだ時にはまったく気付けませんでした。(私とトーマス・マンと比較するのはあまりにおこがましすぎますが)

このように『ドン・キホーテとともに海を渡る』では船旅の最中に読んだ『ドン・キホーテ』に関するマンの思いを知ることができます。旅行記としても非常に楽しめる作品で、私もわくわくしながらこの作品を読むことができました。やはり旅行記っていいですよね。しかも文豪トーマス・マンによる旅行記なのですからさらに嬉しいです。

タイトルにも書きましたようにこの作品は「旅と本」を愛する全ての方にお届けしたい珠玉の名作です。

ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「トーマス・マン『ドン・キホーテとともに海を渡る』~全読書人に贈りたい「旅と本」についての珠玉の1冊」でした。

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