『ドン・キホーテ』はなぜ名作なのか~『ドン・キホーテ』をもっと楽しむためのポイントを解説 スペイン編⑫

スペイン編

『ドン・キホーテ』はなぜ名作なのか~『ドン・キホーテ』をもっと楽しむためのポイントを解説 僧侶上田隆弘の世界一周記―スペイン編⑫

前回の記事では小説『ドン・キホーテ』のあらすじと風車の冒険についてお話しした。

あらすじと小説のハイライトである風車の冒険を知って、いよいよ読んでみたいなと思われた方もおられるかもしれない。

だが、『ドン・キホーテ』という巨人は一筋縄ではいかない。

おそらく、読んでみても頭の狂った変なおじさんが行く先々でトラブルを引き起こし、ひどい目に遭わされるという印象以上のものを受け取ることはなかなか難しい。

ぼくが初めてドン・キホーテを読んだ2年前もそうだった。

たしかに1冊目はくすっとしてしまう面白さがあるのだけれどもそれ以降はあまりそういうシーンもない。

ただただドン・キホーテがトラブルを引き起こし、それに怒った人々がドン・キホーテたちをボコボコにするという展開が続く。

正直、全て読み終えた直後はなぜこの小説が世界最高の文学と呼ばれているのかさっぱりわからなかったことを覚えている。

だがそれもそのはず、先の記事でも述べたが作者のセルバンデスは一見不思議で愉快な冒険の中に裏のメッセージをふんだんに忍ばせるという手法を用いている。

つまり、小説の裏に潜む隠れたメッセージを読み取れなければ単なる狂人ドン・キホーテのトラブル冒険記を延々と読むことになってしまうのだ。

となるとこの小説の何がすごいのかさっぱりわからないというのも当然のこと。

これでは読むのもなかなか辛い。

と、いうわけで、『ドン・キホーテ』を読むときはあらかじめ解説書を読んでおくことをおすすめする。

その中でも特におすすめは中公新書から出版されている牛島信明著『ドン・キホーテの旅 神に抗う遍歴の騎士』という本だ。

様々な『ドン・キホーテ』の解説書を読んでみたがこの本が1番読みやすく、そして何よりわかりやすい。

さて、ここからはかなりざっくりとではあるがこの本を参考に『ドン・キホーテ』の隠されたメッセージとセルバンデスの手腕についてお話ししていきたい。

まず第一に『ドン・キホーテ』という作品はパロディと風刺のオンパレードであるということについて。

作者のセルバンデスは持ち前のユーモアのセンスを生かして、ありとあらゆるものをパロディ化していく。

実はドン・キホーテという主人公そのものが何重ものパロディとして生み出されたキャラクターなのだ。

ドン・キホーテを主人公にして冒険させることで、表向きには狂人のドタバタ劇ではあるものの実はその裏で世界をチクリと風刺するのがセルバンデス流。

ドン・キホーテを通して彼は架空の存在たる騎士道物語を風刺し、さらにはスペインの現状まで彼は飄々と風刺してしまう。(16世紀前半に黄金時代を迎えたスペインが16世紀末には落ちぶれてしまっていたことを彼は風刺した)

さらに、驚くべきことにその時代では絶対にタブーであったキリスト教への風刺までやってのけてしまう。

そして先の記事でも述べたように、人間の世界の見方へのメッセージもドン・キホーテの狂気を通してパロディ化し暗にほのめかしてくる。

セルバンデスははっきりとは言わない。

あくまで彼はこっそりとほのめかしてくる。

それも彼特有の言い回しによって絶妙に棘が抜いてある。

絶妙なユーモア感覚というオブラートに包まれた彼の風刺は、それに目を向けぬ者には絶対に感覚しえないものだ。

だからこそ解説を知らずに読むと何がすごいのかさっぱりわからないということになってしまうのだ。

そして第二にぼくが挙げたいのは『ドン・キホーテ』が冒険と人生哲学の書であるという点だ。

その一例を挙げてみよう。

ドン・キホーテは作中、次のようなことを語りだす。

「拙者みずからについては、遍歴の騎士になってからというもの、自分が勇敢で慎み深い、寛大で育ちのよい、気前がよくて礼儀正しい、大胆不敵にして穏やかな、辛抱強い、そして艱難にも束縛にも魔法にも耐え得る人間になったと申し上げることができますよ。『ドン・キホーテ 前篇㈢』 p325-6」

いきなりこの言葉を目にすればドン・キホーテはどれだけ自惚れ屋さんなのかと思ってしまうかもしれないが、実際に読み進めてみてここまでたどり着けばドン・キホーテの人柄はまさしくこのような人間に間違いないことが頷ける。

一言で言えば、ものすごくいい人なのだ。ドン・キホーテは。

突飛な行動をして周りを困らせてはしまうが、愛さずにはいられないキャラクターなのだ。

ドン・キホーテは騎士道本に出てくるアマディス・デ・ガウラという騎士に憧れて忠実に彼を真似、遍歴の旅に出た。

そして彼を真似て行動するうちに、自らの内に彼と同じような長所が自分の中に芽生えてきたとドン・キホーテは言うのだ。

これをそんなのありえない話だと一笑に付すことは簡単だ。

しかし高潔な理想を実践する者は高潔な精神を宿していくということまで否定できるだろうか。

セルバンデスは裏でそれを問うてくるのだ。

狂人のドン・キホーテが自分で自分のことを言ってしまうから滑稽であり浮世離れしてしまうが、セルバンデスはその影に大事な問いを巧妙に隠し、同時にほのめかしてくる。

『ドン・キホーテ』にはこうした人生の問いとも言うべき重大な問いかけが随所に仕掛けられている。

これがまたあまりに巧妙に仕掛けられているためこの小説の名声はさらに高まっていくことになったのだ。

ドン・キホーテは高潔な理想を掲げ、そしてそれを実践するために遍歴の旅に出た。

そして行く先々でひどい目に遭うものの不屈の精神で立ち上がり冒険を続けていく。

理想を生きるということはそういうことなのだ。

理想を生きるということは困難な冒険へと漕ぎ出し、どんなに惨めな目に遭っても忍耐し続けることなのだということをドン・キホーテは伝えてくる。

だからこそ世界中の文豪は『ドン・キホーテ』を世界最高の文学と評価し、彼ら自身旅のお供としてもこの書を大切にしていたとされる。

牛島信明氏によればロシアの文豪ドストエフスキーが、

『「これまで天才によって創造されたあらゆる書物の中で最も偉大な、最も憂鬱な書物」であり、「現在までに人間の精神が発した、最高にして最後の言葉である』(『ドン・キホーテの旅 神に抗う遍歴の騎士』 中公新書 p ⅱ より)

と称えたそうである。

他にも世界的な文豪が『ドン・キホーテ』に贈る賛辞は枚挙にいとまがない。

そして以上に挙げた2つの点だけではなくこの小説には名作たる秘密がごろごろ隠されている。

シンプルに冒険物語として完成度が高いだけではなく、その裏に隠された膨大なメッセージとそれを絶妙にストーリーと絡ませるセルバンデスの手腕。

それこそこの小説が世界最高の文学作品と称賛される所以なのだ。

『ドン・キホーテの旅 神に抗う遍歴の騎士』には今回紹介しきれなかった『ドン・キホーテ』の魅力がわかりやすく紹介されている。

興味のある方はぜひ手に取ってみてほしい。

さて、ここまで『ドン・キホーテ』がなぜ名作のなのかということについて考えてきたがいかがだっただろうか。

なんだか逆に難しく感じてきたという方もおられるかもしれない。

だが、安心してほしい。

「読めばわかります。

読めばその読みやすさ、面白さが伝わってきます。」と、ぼくは声を大にして伝えたい。

哲学的な難しいことがあったとしても、セルバンデスはそれすらパロディ化して面白おかしくぼくらに見せてくれるのだ。

古典と言えば小難しくて眉間にしわを寄せて読むものだというイメージもあるかもしれないが、『ドン・キホーテ』においてはまったくの逆。

ぼくは元気を出したいときや明るい気分になりたいときに『ドン・キホーテ』を読む。

理想に燃えて突進し、辛い目にあってもへこたれず明るく前に進み続ける。

そんな『ドン・キホーテ』を読んでいると不思議と力が湧いてくるのだ。

今回の旅でもぼくは『ドン・キホーテ』をKindleに入れて旅のお供にしていた。

そしてボスニアで強盗に遭い、辛い気持ちになっていた時に力をくれたのは何を隠そう、『ドン・キホーテ』だったのだ。

「ドン・キホーテはあんなにも大変な目にあってるんだ。それならぼくだって大変な目に遭うのも当然じゃないか!旅に出て何かに挑もうとしたならば、辛い目に遭うのも当たり前なんだ。むしろそれこそ遍歴の騎士道において大切なことなのだ!ぼくだってまだまだやれる!ドン・キホーテを真似て、自分も前向きに旅を続けよう!」

と勇気づけられたのを鮮明に覚えている。

ぼくの中で『ドン・キホーテ』が決定的に重要な書物になった瞬間だった。

『ドン・キホーテ』は旅の時にこそ読むべきものなのかもしれない。

いや、何かに挑戦し困難な壁にぶつかった時こそ読むべきものなのかもしれない。

きっと人それぞれに『ドン・キホーテ』と出会う縁があると思う。

だが『ドン・キホーテ』はどんな時でも読む人を惹き付け、勇気づける不思議な力があるようにぼくは思う。

ぼくにとってはこれこそこの本が世界最高の文学である所以の一つであるように思えるし、何よりぼくが『ドン・キホーテ』を愛する最大の理由なのだ。

長々とお話ししてしまったが『ドン・キホーテ』の魅力が少しでも伝わってくれたなら幸いに思う。

続く

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