マルクスの隠し子問題とエンゲルスの明かした秘密とは「マルクスとエンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(45)

マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ

マルクスの隠し子問題とエンゲルスの明かした秘密とは「マルクスとエンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(45)

上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯・思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。

これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。

この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。

当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。

そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。

この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。

一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。

では、早速始めていきましょう。

マルクスの隠し子問題~家政婦と関係を持ったマルクス

前回の記事「1850年代以降、亡命先のイギリスで経済不況を待ち望むマルクス・エンゲルス「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(44)」ではマルクスとエンゲルスの頻繁な手紙のやりとりについてお話ししましたが、今回の箇所はその続きの箇所になります。

この知的、専門的、個人的な資料の宝庫のなかに、エンゲルスが払った最も寛大な犠牲のことで文通が気まずいかたちで途切れた沈黙の時期があった。

「一八五一年の夏の初めに、詳しいことには触れませんが、ある事件が起こりました。それは公私にわたって私たもの悲しみを大いに増したものでしたが」と、イェニー・マルクスはへンリー・フレデリック・デムートの微妙な生い立ちについて示唆した。

その子の母親で、「ニム」と呼ばれたへレーネ・「レンヒェン」・デムートは、住み込みの家政婦として長いことマルクス家の一員となっていた。ソーホーの最も手狭な住まいで暮らしていた時期ですら、一家にはつねにニムのための居場所があった。それどころか、そのあまりの親密さが危機を引き起こしたのだった。

一八五〇年にイェニー・マルクスが家計の金策のために大陸側に旅行をしたことがあり、その留守中にマルクスが二十八歳のこの家政婦に手をつけたのだ。一八五一年六月二十三日に予定どおり、彼らの子であるフレディ・デムートは歓迎されることなくこの世に生を享けた。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P26

マルクスとその妻イェ二ーの強い結びつきはどの伝記でも書かれています。ですが、それほどの仲でありながらも、マルクスは全てが崩壊してしまいかねない事件を起こしてしまいました。

このマルクス最大のピンチにおいても、彼を救った?のはエンゲルスでした。

彼はマルクスの息子であり、出生証明書は空欄のままだったが、非公式に自分の子として認知したのはエンゲルスだった。

マルクスの結婚生活の幸せと、より大きな政治的大義のために(亡命者集団は性的スキャンダルによって敵を傷つけることを何にもまして喜んだ)、エンゲルスはマルクスの息子に自分の洗礼名を与え、その過程でみずからの名を汚すことに甘んじたのだ。

フレディの養育に関することでは、マルクスは許しがたい振る舞いをし、ロンドン東部の冷淡な里親のもとにこの子を送りつけた。フレディはきちんとした教育を受けることもなく、マルクスがほかの子供たちには与えた知的な養育環境―シェイクスピアの観劇やハムステッド・ヒースでの賑やかなピクニック、社会主義者の気軽な冗談―を楽しむこともなかった。

彼は熟練の整備工および旋盤工として、また技術者連合協会の会員として職業人生を送り、政治面ではハックニー労働党の党員となった。

エンゲルスが後年ロンドンに引っ越し、マルクスの死後はニムを自分の家政婦に雇うと、フレディとその息子のハリーは勝手口を使って訪問するようになった。ハリーは「地下」にいた「母親的な人物」を記憶していた。しかし、エンゲルスはそのような折にはいつも、家を留守にするよう心がけていた。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P262-263

マルクスは隠し子フレディの存在を認めず、エンゲルスに全て押し付けました。

マルクスは自分の子どもたちにはブルジョワ教育を施していましたが、フレディだけはプロレタリアートの生活をさせることになりました。こうした矛盾をどう捉えるのか。『資本論』を作り上げるためには仕方のない措置だったのか。これは受け取り手によって様々なものになるでしょう。

エンゲルスの死の間際に明かされた真実

マルクスの娘のエリノア(もしくは「トゥシー」と、このごろには家庭内で呼ばれていた)だけがフレディの窮状に心を動かされたようだった。

「私はとてもセンチメンタル、、、、、、なのかもしれません―でも、フレディは生涯ずっと非常に不当な立場に置かれてきたと思わざるをえません」と、彼女は一八九二年に書いた。

彼女はエンゲルスがほかのあらゆる点ではじつに寛大で、拡大家族的な仲間内のすべての人に思いやりを見せていたのに、自分の息子には敵意あるよそよそしい態度をとっていた理由を見出せなかった。

トゥシーにとっては衝撃的なことに、すべてはエンゲルスの死の床で明らかにされた。アムステルダム社会史国際研究所の書庫に保管された一八九八年のある手紙に、エンゲルスの最後の家政婦で話し相手であったルイーゼ・フライベルガーが、死の間際にエンゲルスがフレディの生物学上の父親の正体をトゥシーに明かした件について書いている。

「将軍[エンゲルス]は私たちに、この情報は自分がフレディを不当に扱ったと非難された場合に限って利用してもよいと許可を与えました。名前を汚されることは望まない、と彼は言い表した。とくに、そうしたところでもう誰も得はしないのですから」。

その後の年月のなかで、トゥシーはフレディと親しく付き合うことで、傷を修復しようと懸命に努力し、フレディは彼女が最も信頼し同情を寄せる文通相手となった。しかし、そのころにはいい加減な父親としてのエンゲルスの悪評は定着していた。この浅ましい逸話は、エンゲルスが友人を守り、社会主義の遅々とした歩みを速めるために喜んで耐えた個人的犠牲を如実に示している。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P263-264

この出来事を二人の友情の美談と取るか、恐るべき関係性と取るべきか、私にはわかりません。

ただ、事実としてそういうことがあったということはマルクス・エンゲルス両者を知る上で重要なことだと私は思います。

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