マルクスは実は貧乏ではなかった?~ブルジョワ的出費と破滅的な金銭感覚「マルクスとエンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(42)

マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ

マルクスは実は貧乏ではなかった?~ブルジョワ的出費と破滅的な金銭感覚「マルクスとエンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(42)

上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯・思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。

これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。

この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。

当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。

そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。

この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。

一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。

では、早速始めていきましょう。

エンゲルスからの送金に頼るマルクス

前回の記事『労働者の搾取によって得たお金で書かれた『資本論』という気まずい真実「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(41)』ではエンゲルスのマンチェスターでの経済状況についてお話ししました。

エンゲルスは父の経営する綿工場に勤めることになり、初任給から300ポンドという高給を取り、後には年収1000ポンドという高所得者となります。この1000ポンドは今日の貨幣基準で10万ポンドとなるそうです。

今日の貨幣価値に換算して10万ポンドということは、円換算で1500万円ほどになります。(※この本が出版された2009年のポンド終値150円を基準。この時代のポンドの価値については諸説あり、著者は現在で1500万円ほどと述べていますが、他の説では1860年代の1ポンドは6,5万円~8万円で推移したというのもあり、これを適用するとエンゲルスの1000ポンドは少なくとも6500万円にもなります。ですのでかなり幅があると考えてよいと思われます。)

これについて著者は脚注で次のような補足も付け加えています。

当時の背景をいくらか説明すると、社会評論家のダドリー・バクスターが、一八六一年の国勢調査を利用して、ヴィクトリア朝中期のイングランドの収入に関する階級分析を行なっている。中流階級に入り込むには、課税対象となる一〇〇ポンド以上の収入を稼ぐことであり、聖職者、陸軍士官、医師、公務員、法廷弁護士などは通常、二五〇ポンドから三五〇ポンドの給与で働いていた。裕福な中流の上の階級に加わるには、一〇〇〇ポンドから五〇〇〇ポンドの年収を稼げなければならなかった、とバクスターは考えた。エンゲルスの裕福さとは対照的に、ヴィクトリア朝時代の別の偉大な作家のアンソニー・トロロープは、郵便局員として日中働いて稼ぐ年収一四〇ポンドで、やりくりしなければならなかった。

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P251

聖職者、陸軍士官、医師、公務員、法廷弁護士などで250~350ポンド、郵便局員で140ポンドと考えるとエンゲルスの年収1000ポンドはかなりの高給というのがわかりますよね。

いずれにせよ、エンゲルスは当時の中上流階級にほぼ近いところの収入を得ていたことになります。

そんなエンゲルスから経済支援を受けてロンドンで生活していたのがマルクスでした。

マンチェスターからロンドンにいるマルクスに送った最初の手紙のなかで、エンゲルスはすでに自分の給与の一部を送ることを約束している。エンゲルスとマルクスのあいだには、綿貿易で彼が稼ぎだすことで、共産主義の大義のためにマルクスが知的労作を生みだす資金を賄うという合意が明確に交わされたことはなかった。

ただ単に二人の共同作業をどう進めるかが暗黙の了解となっていたのである。

そしてその資金は、エンゲルスが仕事に従事した残りの歳月のあいだずっと、春の激流のように南へと流れ込んだ。

エルメン&エンゲルスの現金箱からゴットフリート・エルメンが事務所にいない隙にくすねた郵便為替や切手、五ポンド紙幣や数ポンドの小銭もあったし、給料日になれば、はるかに高額の資金もやってきた。

そのうえ、食べ物がぎっしり詰まった籠や木箱入りのワイン、そして女の子たちには誕生日のプレゼントもあった。

「親愛なるエンゲルス氏」と、イェニーがよく呼びかけていた人物は、彼の年収の半分以上を常時、マルクス家のために割り当てていた。

総計すると、彼が雇用されていたニ〇年のあいだに三〇〇〇ポンドから四〇〇〇ポンド(今日に換算すれば三〇万ポンドから四〇万ポンド)になる。

それでも、お金が潤沢にあったことはなかった。

「この手紙を君に書くくらいなら、自分の親指を切り落としたほうがまだマシであることは間違いない。自分の人生の半分を誰かに依存しているのは、本当に心のつぶれる思いだ」というのが、緊急の融資を請うマルクスからの手紙の典型的な書きだしである。

「私のために君が大いに―どうにか成し遂げられる範囲を超えてすら―尽力してくれたことを考えると、悲嘆の叫びで君を年中うんざりさせなければならないのを、私がどれほど嫌悪しているか言う必要もまずない」と、別の手紙の初めには書かれている。

「君が最後に送ってくれた金と、ほかに借金した一ポンドは、学校の授業料を払うためになくなった。そうすれば、一月にその倍の額を借金することがないからね。肉屋と食料品屋からは、それぞれ一〇ポンドと一二ポンドの借用書を、一月九日を支払い期限にして書かせられた」。

マルクスがとりわけ弱気になっているときは、無心の手紙を妻に書かせた。「あなたにお金の問題で手紙を書かなければならないのは、私にとって心苦しい仕事です。すでに私たちをあまりにもたびたび援助していただいているのですから。でも、今回私にはほかに頼るすべが、まったく何もないのです」と、イェニーは一八五三年四月に懇願した。「何か送ってもらえないでしょうか?パン屋からは、もうパンは掛けでは金曜日までしか売れないと警告されています」
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P250-252

マルクスが受けた経済援助はなんと、

「彼が雇用されていたニ〇年のあいだに三〇〇〇ポンドから四〇〇〇ポンド(今日に換算すれば三〇万ポンドから四〇万ポンド)」

という莫大な金額にあります。

著者の貨幣換算からいくと日本円では最低でも4500万円以上になります。

これだけの額のお金を支援してもらっていたにも関わらずなぜマルクス家は上のような悲惨な貧困に陥っていたのでしょうか。

その理由はあまりに驚くべきものでした。

ブルジョワ的出費と破滅的な金銭感覚~体面を気にしてかさむ出費とやめられぬ贅沢

多くの伝記作家が指摘してきたように、マルクスは貧乏ではなかった。マルクスの伝記を書いたデイヴィッド・マクレランの慎重な判断によれば、「彼の難題は、自分で家計をやりくりできないことに加えて、本当の貧困よりも、外見を保ちたいという欲求から生じたものだった」。

エンゲルスからの援助とジャーナリストとしての活動や出版契約、それに臨時の遺産などを合わせると、年収二〇〇ポンドほどになる。ということは、ソーホーでの困窮した年月のあと、彼の懐具合は多くの中流階級にくらべてはるかに健全だったことになる。

しかし、マルクスは金遣いが荒く(「これまで誰も〈かね〉について、当の現金がこれほど不足しているときに書いたことはあるまい」)、奢侈にふけっては緊縮財政という救いようのないサイクルで饗宴と飢えを繰り返していた。

棚ぼた式の収入があるたびに、一家はより大きな新しい家に―ソーホーからケンティッシュ・タウン、そしてチョーク・ファームへと―引っ越し、それに伴う費用が積み重なって、エンゲルスがそれに対処しなければならなくなった。

「私の家が身分不相応なのは確かだし、そのうえ今年わが家は以前よりもよい暮らしをした」と、マルクスはお洒落なモテナ・ヴィラズへ移り住んだあとでエンゲルスに書いた。

「でも、子供たちの将来を保証することを考え、社会的に地位を確立するには、この方法しかない……単に商売上の見地からしても、完全にプロレタリアの家庭生活を送るのはこの状況では好ましくない」。

そこに難しい点があった。カールとイェニー・マルクスは、自由奔放なエンゲルスには考えられないほど、体裁を保ち、娘たちによい結婚相手を見つけ、礼儀正しい社会に自分たちの居場所を確保すること―つまり、ブルジョワであること―を、はるかに気にしていたのだ。

「子供たちのため」にと、イェニー・マルクスは弁解して、エンゲルスの寛大さに感謝するでもなく説明した。

「私たちはすでに通常のきちんとした中流階級の生活を受け入れていたのです。あらゆることがブルジョワ的暮らしをもたらし、私たちをそれに巻き込むために企まれていたのです」。

予言者的哲学者のマルクスとしては、家族を養うために仕事に就いて、自分を貶めるつもりなどなかった。したがって、会社という踏み車につなぎとめられ、上昇志向の強い彼らの生活様式を支える資金を提供したのはエンゲルスだったのだ。

だからこそ、事態の好転を必死に願う、実在のミコーバー氏(ディケンズの『デイヴィッド・カッパーフィールド』に登場する貧乏人)としてマルクスを描くのは間違っているのである。

エンゲルスのおかげで、彼はいつも事態が好転することを知って、、、いたからだ。「カールは郵便屋がもったいぶって二度ノック、、、するときは、とてつもなく喜んでいました」と、イェニーは一八五四年に彼らの恩人に書いた。

「『ほらフリードリヒだ、ニポンドだよ。助かった!』彼はそう叫びました」。マルクスがエンゲルスのことを陰で、「チッティ氏」と呼んでいたのも不思議ではない(チッティは小切手や借金証書などを指す)。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P252-253

上に出てくるディケンズのミコーバー氏については以下の記事でも詳しくお話ししました。貧しいながらも貧困に耐え、底抜けに楽観的でしかも人情味溢れるミコーバー夫妻はドストエフスキーも好んでいたキャラクターです。

ですが上の引用で語られたように、マルクスは決してミコーバー的な人物ではありませんでした。

共産主義を説いた張本人がブルジョワ的生活を追い求めていたというのは重要な問題であると思います。これはマルクスがどうだという問題を超えて人間そのものの問題なようにも私は思えてきました。共産主義という理想を語って労働者を駆り立てる一方、指導者側はそれとは正反対の生活を謳歌する。

これはまさしくオーウェルの『動物農場』で風刺されたソ連の実態なように思います。

今回の箇所もマルクス・エンゲルスを考える上で非常に重要な箇所であるように私は感じたのでありました。

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