愛人メアリー・バーンズの死~エンゲルス・マルクスの友情の最大の危機「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(49)

マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ

愛人メアリー・バーンズの死~エンゲルス・マルクスの友情の最大の危機「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(49)

上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯・思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。

これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。

この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。

当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。

そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。

この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。

一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。

では、早速始めていきましょう。

エンゲルスの愛人メアリー・バーンズの死

1863年の冬、エンゲルスはムーア(マルクスのあだ名)にある手紙を送りました。今回の箇所はその手紙から始まります。

親愛なるムーア、
メアリーが死んだ。昨晩、彼女は早く床に就いたのだが、リジーが真夜中少し前に寝ようと思ったときには、すでに息絶えていた。なんとも突然のことだ。心不全か脳卒中だろう。僕も今朝はまだ知らされていなかった。月曜の夜は、彼女もまだかなり元気だった。僕がどんな気持ちでいるかは、とても伝えることはできない。あの可哀想な娘は僕を心底から愛してくれた。

まだ一八六〇年の不調から回復しきっていないところに、メアリーの突然の死は手痛い打撃となった。女遊びにふけり、派手な外見ではあったが、彼はメアリーには献身的なパートナーだった。青年ヘーゲル派の若者が初々しい顔で初めてマンチェスターにやってきて、ソルフォードの工場で仕事をしていた時代以来、彼らはニ〇年にわたって―くっついたり離れたりしつつ―付き合ってきた。

木綿都市コットンポリスの下層社会に彼が入るきっかけをつくったのは彼女であり、エンゲルスが最もくつろげるのは彼女やその仲間といるときだった。エンゲルスにとって彼女の死は「自分の青春の最後の名残を葬った」かのように感じられた。

同じくらい不安な気持ちにさせたのは、メアリーが永眠したことにたいするマルクスの反応だった。彼はお悔やみの手紙を礼儀正しく次のように書きだした。「メアリーの訃報に、私は動揺したのと同時に驚いた。彼女はじつに気立てがよく、機智に富み、君にぴったりと寄り添ってきた」。

そこで咳払いをしてから、彼は自分自身の不運―高額な授業料や家賃の急き立て―について、完全に場違いな冗談半分の陰気な口調で、きわめて自己中心的に長広舌を始めた。

「こんなときにこのようなひどい話を君にする私は、恐ろしく利己的だ。しかし、これは同毒療法ホメオパシーなんだ。何か悪いことがあれば、別の悪いことからは気がそらされる」と、彼は書いてから陽気に「それでは!」と結びの挨拶をして署名した。

おそらくメアリーを一度も社会的に同等の人、もしくは〈将軍〉にふさわしい連れ合いとして認めていなかったせいで、マルクスは彼女の死を些細な出来事だと考えたのだ。

エンゲルスはその冷淡さに愕然とし、この手紙は二人の友情に最大の亀裂をもたらした。「このたび僕自身の不幸と、それにたいする君の冷ややかな態度ゆえに、これ以上早く返事を書くことがまるで不可能であったことは、君もしごく当然のことと思うだろう」と、彼は五日ほど置いてから返答した。エンゲルスの「俗物の知人たち」―長年、彼がメアリーの存在を隠しつづけてきた人びと―のほうが、彼の大の親友よりも多くの同情と愛情を示していた。「君はそれを自分の〈私情をはさまない気質〉の優越性を主張するのにふさわしい場と考えたのだ。よろしい!」

マルクスは当然ながら恥じ入った。「君にあの手紙を書いたのは、私がひどく間違っていた。手紙を送ってすぐに後悔したよ。しかし、そうなったのは決して薄情さゆえではない」と、彼は一週間後に返事を書いて、彼の家庭の悲惨な状況を言い訳にした。

ぎこちない頭の下げ方ではあったが、マルクスはここで珍しく詫びており、傷心のエンゲルスはそれを即座に受け入れた。「率直に言ってくれてありがとう」と、彼は返答した。「一人の女性と何年間もずっと暮らせば、その死によって恐ろしい打撃を受けないはずはない……。君の手紙が届いたとき、彼女はまだ埋葬もされていなかった……。今回の手紙はその埋め合わせとなり、メアリーを失ったあげくに、僕のいちばん古い親友まで失わずに済んだことをうれしく思う」。

口論は終わり、二人の友情を再確認するために、エンゲルスはエルメン&エンゲルス商会から一〇〇ポンドをくすねてマルクスを救済した。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P295-296
メアリー・バーンズ(1823-1863)Wikipediaより

メアリー・バーンズとエンゲルスの関係については「エンゲルスの最初の愛人メアリー・バーンズ~エンゲルスに貧民街を案内した女工の存在「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(24)」「マルクス・エンゲルスのイギリス研究旅行とエンゲルスの愛人問題「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(30)」の記事で紹介しました。

この2人の関係性についてはこの記事ではお話しできませんが、上の引用にありましたように、メアリー・バーンズがある日急死してしまったのです。

急な別れにショックを受けるエンゲルス。

ですがそれに対してマルクスが発した言葉がなんと思いやりのないことか・・・

上の引用にも書かれていましたようにマルクスからすれば正式な結婚もしないで遊び歩いていたエンゲルスがそんなにもメアリー・バーンズを愛していたとは思いも寄らなかったのでしょう。

もしこの時二人の関係性が回復していなかったら『資本論』が世に出ることはなかったでしょう。歴史に「もしも」はナンセンスですが、よくエンゲルスは許すことができたなと思います。やはりそれだけマルクスに期待するものがあったのか、これまでの付き合いから思うことがあったのか真相はわかりませんが、エンゲルスの心の広さをここで感じたのでありました。

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