葬儀でのエンゲルスの演説とマルクスの神格化のはじまり「マルクスとエンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(62)

マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ

葬儀でのエンゲルスの演説とマルクスの神格化のはじまり「マルクスとエンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(62)

上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯・思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。

これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。

この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。

当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。

そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。

この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。

一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。

では、早速始めていきましょう。

11人の会葬者しかいないマルクスの寂しい葬儀

「ヨーロッパとアメリカ双方の戦うプロレタリアート、および歴史科学は、この人物の死によって、計り知れない損失を被りました」と、エンゲルスは一八八三年三月十七日の朝、マルクスが妻のイェニーと並んで、ハイゲートの傾斜地の東区画の墓地に葬られたとき、陰鬱な見解を述べた。

ゴシック様式の大規模墓地と木立のなかの曲がりくねった小道が四方に広がるこの「ヴィクトリア朝時代の戦死者の館ヴァルハラ」は、今日では、一九五〇年代に建てられたマルクスの墓碑に引き寄せられる観光客や思想家たちが、定期的に訪れる場所となっている。

この墓地の周辺部は共産主義者の砦として賑わっており、イラクや南アフリカの、あるいはユダヤ人の社会主義者たちが、彼らの最初の予言者の陰にみな埋葬されている。

一八八三年には、そこはもっと寂しい場所だった。会葬者は一一人しかいなかった。

トゥシーと、マルクスの娘婿であるポール・ラファルグとシャルル・ロンゲが、科学者のE・レイ・ランケスターとカール・ショールレマー、昔からの共産主義仲間のヴィルヘルム・リープクネヒト、フリードリヒ・レスナーとともに、墓の傍らに固まっていた。

弔電がフランス、スペイン、ロシアから寄せられ、『デア・ゾツィアルデモクラット』と共産主義労働者教育協会からは花輪が送られてきた。しかし、葬儀の中心となったのは、エンゲルスの短い、宗教色を排した追悼の言葉だった。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P335-336

後に数え切れないほどの人たちに影響を与えることになった大人物マルクスの葬儀に参列したのはたったの11人・・・

これには驚きました。

巨大な思想家が不遇のまま生涯を終え、死後になってようやく評価されるというのは歴史上多々ありますが、マルクスもその一人ということなのでしょう。生前と死後の受け取られ方の違いは凄まじいものがあったというのがここからうかがえます。

逆に言えば、ほとんど世の中に知られていない、あるいは評価されていなかったマルクスがここからいかにして世界中に旋風を巻き起こしていったのかというのは気になるところでありますよね。

となると、ここからあの男がいよいよ存在感を増してくることになります。

エンゲルスの働きがここからいよいよ大きなものとなっていくのでした。

マルクスとダーウィンを並べたエンゲルスの名演説~イデオロギー上の伝説がここから始まる

マルクスの結婚生活や子供たちにはほとんど触れず、四〇年にわたる二人の友情に無駄な時間を費やすこともなく、エンゲルスはすばやく話題を変えて、マルクス主義が実際に何を意味していたかをまとめた。

それはともに葬儀に参列した人びとに向けてというより、各国に移住しているヨーロッパの共産主義者に向けられた演説だったのであり、イデオロギー上の伝説を構築するためには感情の入り込む余地はなかった。

「ダーウィンが有機的自然の発展法則を見出したように、マルクスは人類史の発展法則を発見しました……。しかし、それだけではありません。マルクスは今日の資本主義の生産様式と、この生産様式が生みだしたブルジョワ社会を支配する特別な運動の法則も発見しました……そのような科学の人だったのです」と、エンゲルスは熱く語った。

マルクスを失い、ひどく寂しくなるだろう、と。「彼は―シべリアの鉱山からカリフォルニアまで、ヨーロッパとアメリカのあらゆる場所で―革命を目指す何百万もの労働者仲間から愛され、敬われ、嘆き悲しまれながら永眠しました。彼には多くの論敵がいましたが、個人的な敵はまず一人もいなかったと、思い切って申しあげましょう。彼の名は時代を超えて残り、彼の業績もまた然りでしょう!」
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P362

エンゲルスはマルクスの思想をダーウィンが見出した自然法則のような科学的なものだと宣言し、マルクスの偉大さを宣伝しました。当時ダーウィン主義は絶大な影響力を持っており、そこと比肩するものとしてエンゲルスがマルクスを描いたのはまさに慧眼でした。

マルクス・エンゲルスとダーウィンについては以下の「『種の起源』に感銘を受けたマルクス、ダーウィンに『資本論』を献本。その反応やいかに「マルクスとエンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(53)」の記事でもお話ししていますのでぜひこちらもご参照ください。

マルクスのブルドック、エンゲルス

こうしたマルクスの遺産の死後の神聖化は、ハイゲート墓地の小道で終わったわけではない。

数週間後には、エンゲルスがイタリアの共産主義者アキレ・ロリアを、マルクスの功績を厚かましくも誤解し、彼の評判を傷つけたとして、ロを極めて非難している姿が見られた。

「亡き友人の性格を中傷する資格は、あなたにはないし、僕はそれをほかの誰にも決して許すつもりはない」と、エンゲルスは断言してから、「あなたにふさわしい限りの敬意を込めて」と、ロリアへの手紙を締めくくった。

「マルクスが死去したとき、彼[エンゲルス]が何より心を砕いたのは、その思い出を守ることだった」と、政治理論家のハロルド・ラスキはそれについて述べている。「自分の卓越性を差し置いて、同僚の偉大さをこれほど熱心に証明しようとする人間は、これまでほとんどいなかった」

死後も生前と同様に、エンゲルスはマルクスのブルドッグとしての役割を受け入れ、友人の政治的遺産を是が非でも守ろうと決意を固めていた。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P362-363

エンゲルスはハイゲート墓地での葬儀後もマルクスの宣伝に奔走します。

ですが、エンゲルスのこうしたやり方はマルクスの思想を歪め、ソ連をはじめとした恐怖政治の原因となったと後の研究者に批判されることになります。著者はこの批判に対してどのように答えるのでしょうか。引き続き見ていきます。

マルクス主義の「犯罪」はエンゲルスのせいなのか?著者の見解

死後も生前と同様に、エンゲルスはマルクスのブルドッグとしての役割を受け入れ、友人の政治的遺産を是が非でも守ろうと決意を固めていた。

それでも、葬儀のあとの年月におけるエンゲルスの努力を、歴史家はしばしば懐疑的に見てきた。なかには彼が意図的に共同研究者の作品の意味を書き換えたと主張する人もいた。

エンゲルスが墓地でダーウィンの進化生物学やニュートンの運動の法則と対比させたことは、エンゲルスの思考に科学的傾向があり、マルクスの思想を科学の厳密さと関連づけたいと考えていたことを示唆する。その結果、エンゲルスはマルクス主義を誤った方向に再形成したと非難されてきた。

彼自身の科学的情熱によって、マルクス本来の真の人間主義的衝動を抑え込み、友人の死後に、社会主義がもたらす感動的な希望のない、機械論的政治学にそれを置き換えた、というものだ。

一部にはその結果、エンゲルスはスターリンのソヴィエト連邦の公式イデオロギーと、マルクス-レーニン主義の恐怖政治を生みだした責任があるとされてきた。

これは都合のよい非難―それによってマルクス主義の「犯罪」からマルクスをうまいこと免除するもの―だったが、それはマルクスとエンゲルスの共同研究の本質を誤解するものだ。

この時代の際立って貪欲な知識人であったエンゲルスが、十九世紀の科学の進歩に魅了され、マルクスとともに、自分たちの社会主義を科学的変動の時代のなかに据えようとしたのは確かだ。

マルクスの後押しを得て、彼は友人のイデオロギーの正典、、を、一般向けの理路整然とした理論に体系づける手助けをしたのである。それがヨーロッパの社会民主主義を根本的にマルクス主義の方向へと移行させるのに一役買うことになった。

大衆の政治運動としてのマルクス主義は『資本論』とともに、あるいは頓挫した第一インターナショナルとともに始まるのではない。それはエンゲルスの大量の小冊子と一八八〇年代の宣伝活動によって始まったのだ。亡き同志にたいする彼の大いなる貢献は、マルクス主義を人類史において最も説得力と影響力のある哲学の一つに変貌させたことだった。イテオロギーに忠実でありつづけながら、二人がともに発展させたものである。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P363-364

「エンゲルスはスターリンのソヴィエト連邦の公式イデオロギーと、マルクス-レーニン主義の恐怖政治を生みだした責任があるとされてきた。

これは都合のよい非難―それによってマルクス主義の「犯罪」からマルクスをうまいこと免除するもの―だったが、それはマルクスとエンゲルスの共同研究の本質を誤解するものだ」

著者はエンゲルスに全ての罪をなすりつけて「マルクスは無罪だ」としてしまうのは都合のよい非難だと述べます。

ここまでこの本で見てきたように、マルクスの思想はエンゲルスとの共同作業によって作られてきました。そのことを無視してエンゲルスのみの責任にしてしまうことの問題をここで指摘しています。

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