ショーペンハウアー『幸福について』あらすじ解説―仏教に強い影響を受けたショーペンハウアー流人生論

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ショーペンハウアー『幸福について―人生論』あらすじ解説―仏教に強い影響を受けたショーペンハウアー流処世術

『幸福について―人生論』は1851年にショーペンハウアーによって書かれた『筆のすさびと落穂拾い』という書物の中の『処世術箴言』を全訳して『幸福について』というタイトルで日本で出版されたものです。ショーペンハウアー自身の作品としては『幸福について』という作品はありません。

私が読んだのは新潮社、橋本文夫訳の『幸福について―人生論―』です。

早速あらすじを見ていきましょう。巻末の訳者解説より引用します。

本論文は哲学専門家ならぬ人たちに人生の意義を説き、人の求める幸福ははたしていずこにあるか、真の幸福とは何かを教えたものである。俚諺りげん、格言、詩文を至るところに引用し、ユーモアと諷刺をまじえ、肩もこらずに全編を一気に読破させる文章の旨味はただただ感嘆するばかりである。

幸福は人間の一大迷妄である。蜃気楼である。だがそうは悟れるものでない。この悟れない人間を悟れないままに、幸福の夢を追わせつつ、救済しようというのである。人生はこの意味で、そのまま喜劇である。戯画である。ユーモアである。したがってこれを導く人生論も諷刺的、ユーモア的たらざるをえないではないか。著者の説く一大哲理の背後に、ぺロリと出した著者の舌を見のがさないでいただきたい。
※適宜改行しました

新潮社、橋本文夫訳『幸福について―人生論―』P363

幸福は蜃気楼である。迷妄である。『幸福について』というタイトルから「人生を幸福なものにするための方法」を教えてもらえるのかと思いきや、いきなり幸福など幻に過ぎぬとばっさり切ってしまうあたりショーペンハウアーらしさ全開です。

この本ではショーペンハウアーが人々の信じる幸福の幻影を木っ端みじんにし、どう生きればよいのか、真の幸福とは何かを語っていきます。

彼の代表作『意志と表象としての世界』と違って、話も短く具体的でとても読みやすくなっています。ショーペンハウアー入門として最適です。

そしてこの本で述べられることはかなり仏教に近いです。というのも、ショーペンハウアーはインド思想や仏教の影響を強く受けた哲学者です。その影響がこの本ではかなり強く出ています。これから紹介する文章を読んで頂ければそれを感じて頂けると思います。

今回の記事ではそんなショーペンハウアーの人生論をいくつか紹介していきたいと思います。

ショーペンハウアーの語る人生論

普通の人間は、事、人生の享楽となると、自己の外部にある事物を頼みにしている。財産や位階を頼みにし、妻子・友人・社交界などを頼みにしている。こうしたものの上に彼にとっての人生の幸福がささえられている。

したがってこうしたものを失うとか、あるいはこうしたものに幻滅を感じさせられるとかいうことがあれば、生の幸福は崩れ去ってしまう。このような人間の重心は彼の外部に落ちる、というような言い方で、この関係を表わすことができよう。

だからこそその人の願うところ動揺常なく、気まぐれである。資力の許すかぎり、別荘を買ったり馬を買ったり、宴を張ったり旅に出たりして、とにかくすごい贅沢をしようとするのは、何事によらず外部からの満足を求めるからだ。

健康と体力との真の源泉が自己自身の活力にあるにもかかわらず、衰弱した人間が野菜汁や薬剤などで健康と体力をつけようとするのと同じである。

新潮社、橋本文夫訳『幸福について―人生論―』P55

私達人間は幸せというと、地位や名誉、財産、恋、結婚、家庭などが満たされている状態を想像します。しかしショーペンハウアーはそんなものは幻想だと言います。それらはあくまで外的な要因であり、真の幸せはそれぞれの内面にこそあると言うのです。

それに気付かないから人は外的な幸せを求め、ものを買い、豪華な別荘を建て、宴に浮かれて自分の空虚を満たそうとするのだと述べるのです。

いうまでもなく人間の幸福なあり方、いや、人間の生き方全体にとって主要なものが、人間自身のなかに存するもの、人間自身のうちに起きるものだということは明らかである。ここにこそ内心の快不快が直接宿っているわけだ。というのは内心の快不快は、ともかく、人間が感じたり意欲したり考えたりする働きの結果だからである。

これに反して外部にあるいっさいのものは、何といっても間接的に内心の快不快に影響を及ぼすにすぎない。だから人間が同じ外部的な推移ないし事情によって触発される具合も各自各自で全く異なっているし、同じ状況のもとにあっても各自の生きる世界は別々である。

なぜかといえば、各自が直接に交渉をもつのは、自己のいだく観念とか、感情とか、自己のおこなう意志活動とかいうものだけであって、外界の事物は、ただこうした観念や感情や意志活動を引き起すものとして、各自の上に影響を及ぼすにすぎないからである。

各自の生きる世界は、何よりもまず世界に対する各自の見方に左右され、頭脳の差異によって違ってくる。頭脳次第で、世界は貧弱で味気なくつまらぬものにもなれば、豊かでおもしろく味わい深いものになる。
※適宜改行しました

新潮社、橋本文夫訳『幸福について―人生論―』P12

私達が感じる幸せは私たちの内部で感じる快不快によって決まります。つまり、私達が外部のものをどう感じるかによって幸せかどうかは決まるのです。ですので外的要因たる財産や地位、恋そのものには幸せは宿らないと彼は述べます。

幸福と享楽にとって、主観的なものが客観的なものよりも比較にならぬほど重要だということは、空腹にまずいもの無しとか、青年を惑わす女菩薩もどこ吹く風かと見過す老人の心境とかいうようなことから、天才や聖者の生き方に至るまで、事々に実証される。

ことに健康はいっさいの外部的な財宝にまさること万々であるから、まこと健康な乞食は病める国王より幸福である。

完全な健康と身体の好調から生れる落ち着いた朗らかな気質とか、闊達自在で明敏な狂いのない透徹した知性とか、中庸を得た温和な意志とか、ひいては一点やましからぬ良心といったようなものは、位階も富も取って代わることのできない美点である。(中略)

才知に富む人間ならば、全く独りぼっちになっても、自分のもつ思想や想像にけっこう慰められるが、愚鈍な人間であってみれば、社交よ芝居よ遠足よ娯楽よと、いかに引っきりなしに目先が変っても、死ぬほどつらい退屈は、どうにも凌ぎがつかない。

善良で中庸を得た温和な性格は、環境が貧弱でも、満足していられるのだが、貪欲で嫉妬深い邪悪な性格は、巨万の富をいだいても、満足はしない。けれども精神的に優れた非凡な個性を絶えず楽しむ人ともなれば、一般人の求める享楽の大部分は、全く無くもがなの享楽であり、むしろ煩わしくうるさいばかりである。
※適宜改行しました

新潮社、橋本文夫訳『幸福について―人生論―』P16-17

そして彼はこう結論します。

したがって、人生の幸福にとっては、われわれのあり方、、、、すなわち人柄こそ、文句なしに第一の要件であり、最も本質的に重要なものである。(中略)

人柄は運命に隷属したものでなく、したがってわれわれの手から奪い取られることがない。

新潮社、橋本文夫訳『幸福について―人生論―』P18

ショーペンハウアーは「われわれのあり方、人柄」こそ幸福の根本要因であると述べます。

そしてそれは外的な環境要因、運命に隷属するものではなく、根本的に自由であり、誰からも奪い取られることもないと言います。だからこそ人柄、人生のあり方を大切にせよとショーペンハウアーは私達に告げるのです。

「ふむふむ、ショーペンハウアーの言いたいことはわかった。でも、具体的に私たちはどうしたらよいのか。私たちは幸せになりたくて悩んでいるのに、『幸せなんて外にない。あなたの人柄が幸せの条件だ』と言われても何の解決にもならないではないか」

そんな疑問が浮かんでくるかもしれません。

ですがご安心ください。ショーペンハウアー先生は私達が何をすべきかをこの後しっかり教えてくれます。

次の記事ではショーペンハウアーが実際に私たちが幸福のために何をなすべきかを述べた箇所を見ていきます。

引き続きご覧ください。

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