19世紀ロシア正教の姿を嘆く農村司祭の悲痛な叫び I・S・ベーリュスチン『十九世紀ロシア農村司祭の生活』

ドストエフスキーとキリスト教

本日は中央大学出版部出版の白石治朗訳、I・S・ベーリュスチン『十九世紀ロシア農村司祭の生活』をご紹介します。

著者のI・S・ベーリュスチン(1820年頃~1890)はロシア正教の司祭の家庭に生まれ、自身も司祭職に就きました。

この本は1855年頃から書かれ、1858年にライプツィヒ、パリで出版されました。ロシアでは検閲があるので教会への厳しい批判を含むこの書は出版を意図していませんでした。そもそも彼は国外でも出版を意図していなく、ノートの形で知人の歴史家にこの書の原稿を渡したところ無断で出版されてしまったという経緯がありました。

案の定、この出版によりロシア正教の宗務院が調査に乗り出し、ベーリュスチンには厳しい処分がなされ、この本もロシアで日の目を見ることはありませんでした。

訳者あとがきを見ていきましょう。

「本書では、十九世紀ロシアの農村社会における聖職者階級の驚くべき現実が生々しく描かれている。神学校の暴力教員、怠惰な神学生たちの遊興生活、空虚な授業、神学校や教会の内部における賄賂のやりとり、聖職売買、持参金めあての司祭の結婚、司祭職にありつくための婿入り、下層聖職者たちのあいだの醜い争いと憎悪、司祭と農民とのあいだにおける冷ややかな人間関係、司祭をまるで虫けらのように扱う主教たちの横暴な態度と金銭欲、正教会を軽蔑しきった分離派教徒たち、司祭の生活苦と献金集め、貴族地主たちの放蕩三昧の生活等々。

読者は、これが一体「聖なるロシア」なのかと、首を捻りたくなるだろう。絢爛たる聖堂、荘重な典礼、威厳にみちた聖人たちのイコン等に囲まれた華やかな教会生活の表面からはとても想像もできない、聖職者たちの暗澹たる内面と実生活が、教会の裏側の世界がここにはある。訳していて、気が塞ぐ思いであった。」P202

この本はとにかく強烈です。ロシアの農村の教会がここまでひどい状況にあったのかと目を疑いたくなってきます。

そしてなぜそうなってしまったのかを著者は語っていきます。

訳者解説にうまくまとめてあるのでそちらから引用します。

「近代のロシア正教会は、国家の操り人形になっていた。このために、これを熟知していた民衆は教会を無視し、教会は民衆の尊敬を勝ちとることができなかった。カトリック教会は社会を支配しようし、プロテスタント教会は社会との調和を図ったが、ロシア正教会は社会から孤立し、そっぽを向かれ、非社会的な存在になっていたという。

司祭の根本的な矛盾は、彼が国家機関のなかに組みこまれた組織に属し、国家の手先となって活動し、そして国家の保護をうけ、人頭税の免除というような教会の特権を享受しながら、それでも経済的自立を達成できず、生活費の大部分を教区信徒の献金に仰がざるをえなかった点にあった。このため彼は、国家にも信徒にも頭があがらず、それでいて自尊心が旺盛であり、この惨めなジレンマから抜け出すことができなかった。

国民が国家の犠牲者なら、教会もまた国家の犠牲者になっていた。そして結局のところ、国家も教会も国民を無視したがゆえに、最後には両者とも国民から突き放され、また君主政体は教会からも見放され、ロシア革命の危機を乗りこえることができなかった。

しかし、なぜ、そういう結果になってしまったのか。恐らく、ロシアの貧困が最大の原因であったと思われる。

もちろん、ロシアにおけるキリスト教の影響力は、絶大であった。それは、多くの聖人、神学者、芸術家たちを生みだし、ロシアの文化と民衆の精神生活の根底にあって、大きな支えになっていたのである。」P152-153

著者の言うようにたしかに19世紀のロシアの宗教事情は悲惨な状況にあったのかもしれません。ドストエフスキーもまさにこの時代を生きています。

もちろん、すべての教会や修道院、聖職者が堕落していたわけではありません。こういう厳しい状況の中にあっても、環境の劣悪さに屈しない偉大な精神を持った聖職者もたしかにいたのです。

だからこそ、以前紹介したオプチーナ修道院のようなロシア全土から尊敬を集める高名な修道院が輝きを放っていたのでしょう。

ドストエフスキーやあのトルストイまでもが信頼を寄せたこの修道院の存在はロシア人の希望の光だったのかもしれません。

この本を読むことでいかにオプチーナ修道院が重要な場所であるか、ドストエフスキーにとってキリスト教というのはどういうものなのかということがより見えて来るような気がしました。

ドストエフスキー自身も「私はなにも小さな子どものようにキリストを信じ、キリストの教えを説いているのではない」と言っています。

ドストエフスキーはたくさんの現実を見た上で、キリストを信じているのです。

普通なら信仰を捨ててしまうようなロシアの現実をドストエフスキーは見ていたはずです。ですがそれだけが全てではない、偉大な精神はたしかにあるとドストエフスキーは信じていたのではないでしょうか。

最後に本書の序から著者自身の血を吐くような嘆きの言葉を引用してこの本の紹介を終えようと思います。

「わが国の農村の聖職者たちが、ひどく品位をおとし、打ちのめされている様子をみるのは、なんとも悲しく、つらいことである。さらに一層悲しく、つらいのは、彼ら自身がこうした状態に責任があり、また、彼らにはキストのためにすべてを耐えているのだと考えてみずからを慰める資格がないことである。(中略)

一体どうして、こんなことになったのか。どこに弊害があるのだろうか。(中略)

農村の聖職者がこんなに堕落したのは、彼らがうけた教育のせいである。もちろん、このような教育をうけても、まったく異なった環境のなかでは、違う結果になっていたかもしれない。しかし、農村の聖職者たちが置かれた生活環境は、悪が育ち、はびこり、その苦い果実を実らすために、まるでわざと準備されたかのようなものである。

私は、ためらわず、すべての真実を、それも唯一の真実を語るであろう。たとえ一口でも嘘言を述べるなら、神よ、最後の審判において私を裁き給え。」P5-6

ドストエフスキーが生きた19世紀のロシアの宗教事情を知るには非常に興味深い本です。

以上、 I・S・ベーリュスチン『十九世紀ロシア農村司祭の生活』 でした。

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