「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。」~お釈迦様のことばに聴く

仏教コラム

一四五 他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。

一四七 目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

中村元訳『ブッダのことば』「第一、蛇の章、八.慈しみ p37」

今回読んでいく詩句は「慈しみの節」から選んだ2つの詩句です。

本日はこの詩句を手掛かりに、お釈迦様の思想というより、昨年海外を旅し、イスラエルやボスニアという民族間の紛争地を目にした私自身の思うことをお話ししていきたいと思います。

さて、お釈迦様のことばの、「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ」

ここで重要だと私が思うのはお釈迦様が「全ての人が幸せであれ」と述べているのではなく、わざわざ「一切の生きとし生けるものは幸せであれ」と仰っているところです。

「全ての人が幸せであれ」には弱点があります。

たいていの場合、ある秘密の言葉が密かにこの文に挿入されています。

それが「私たちの集団内の」という言葉です。

つまり「全ての人が幸せであれ」という言葉は実際にはどうしても「(私たちの集団内の)全ての人が幸せであれ」ということになってしまうのです。

「私たちの集団内」というのは家族であったり、グループや国家であったり、または自分自身の幸せであったり、様々な形があります。

様々な形がありはするものの、突き詰めてみればやはり自分たちの集団の内と外という区別がどうしても出てきてしまいます。

なぜなら世界には限られた量のものしか存在しないからです。

お金も水も食料も土地も資源も高度な知識も、あらゆるものには数限りがあります。

それを平等に分け合えたなら何も問題はありません。ですが当然のように、物事はそう簡単にはうまくいきません。

いや、そもそも人間の数に対して圧倒的に足りていないものをどう分け合うというのでしょうか。

「あそこの土地が手に入れば我々の暮らしは困らないぞ・・・さあ我々の平和で幸せな生活のためにいざ参ろう」

そうして争いが起きます。

パレスチナの分離壁
ボスニア紛争下のスレブレニツァの虐殺の犠牲者のお墓

その結果がイスラエルとパレスチナの紛争であったり、ボスニア紛争の悲惨な結末へと繋がっていったわけです。

もちろんイスラエルもボスニアも、足りないものを得るために戦いが始まったという単純な話ではありません。しかし人は必ずそうして集団の内と外を作り、自分たちの幸せのために、平和のために身を捧げて争います。

それに世界の全ての人々と平等に分け合うことが大切だと言ったとしても、なぜ自分たちの住む土地のものを無条件にどこの誰とも知らない人間に分け与えなければならないのでしょうか。平等に生きるのは大切なことだとわかっていても、突き詰めてみればそんな疑問だってどうしても起きてきます。

そうです。もはや考えれば考えるほどどつぼにはまっていくしかありません。

このまま何もしないでいたら自分の愛する人たちが外敵に無残に殺されてしまう、そんなときあなたならどうしますか?

相手に譲歩したらこれから先の50年、水も食べ物もほとんど手に入れることが出来なくなるとしたらどうですか?愛する人が日に日に衰弱し、食べるものもなく餓死していく様をどんな気持ちであなたは見つめますか?その人を救うためにあなたはどうするでしょうか。

もはや私にもどうしたらいいのかわからないのです。どんなに避けようとしても避けられない問題があるのです。

お釈迦様はそういう人間の醜い争いの世界をどう考えたのでしょうか。相手の幸せまで願えば自分達が虐げられ殺されてしまう世界で、なぜお釈迦様はそれを超えて「生きとし生けるものは幸せであれ」と仰るのでしょうか。

お釈迦様は単にきれいごとや机上の空論でものを申される方ではありません。

むしろ極めてリアリスティックに現実を直視しようとなさる方です。

そこには何らかの意味が込められていると考えた方が自然です。

そこで私が思うに、お釈迦様の生まれた境遇がここに関係しているのではないかと想像しています。

お釈迦様は出家される前は王子様でした。

そうです。お釈迦様はそのままいけば国王になっていたはずのお人だったのです。

しかしその立場を捨てて国を飛び出し、恐ろしいまでに過酷な修行を経て仏教を開かれたというお方なのです。

お釈迦様の生まれた国はインド北部にあるコーサラ国という小国でした。

その隣にはマガダ国という強国が控えています。

お釈迦様の父である国王は幼き頃から才気あふれるお釈迦様に国王の立場を継いでもらおうと期待していました。

そうすることで国力を盤石にし、コーサラ国の平和と繁栄を願っていたのです。

しかしお釈迦様はそれを断り、家を、国を棄てました。

そして結果を見れば、お釈迦様が国を離れた後、コーサラ国は大国マガダ国に呑み込まれていくことになってしまうのです。

これはお釈迦様のせいなのでしょうか。お釈迦様がいればその運命は避けることができたのでしょうか。

いえ、私はそうとは思いません。

たとえお釈迦様が王となっても、その運命は避けられなかったことでしょう。ひとりの王の力だけではあまりにも巨大な戦力差を埋めることは極めて難しい。

きっとお釈迦様はそれを痛いほど王子時代から感じていたのではないでしょうか。

強い者が弱者を食い物にして平和を享受する。(幸福は自分たちの中にあるのだ)

世界は根本的に残酷であり、悪や苦しみに満ちている。

お釈迦様の基本的な世界観は「一切皆苦」という教えにはっきりと示されています。

「世の中にあるものはすべて苦しみである」

究極のリアリストであるお釈迦様の目から見れば、世の中のあらゆるものは苦しみの元に過ぎないということになってしまうのです。

お釈迦様は世の中の現実を痛いほど直視していました。

だからこそ「全ての人が幸福であれ」とは言わないのです。

その言葉に危険な毒が含まれていること、致命的な弱点があることをお釈迦様は実体験から感じていたはずです。

「自分たちの幸せを求めて他者と争う」という人間の本質を直視したからこそ、それを乗り越える方法をお釈迦様は必至で探し求めたのではないのでしょうか。

平和は大切です。戦争はいけません。それは私も大いに同意します。

しかし、なぜそもそも戦争は起きるのか。そこを突き詰めて考えていかない限り、人間は同じことを形を変えて繰り返すことになることでしょう。

お釈迦様の教えを聴くことはその手がかりを与えてくれることになると私は信じています。

実は今回の詩句の「生きとし生けるものは、幸せであれ」というのは一般的には「人間はもちろん、動物や植物も含めてあらゆる命を大切にしましょうね」という文脈で語られることが多い言葉です。

しかし、今回私はあえて違った視点からここまで話してみた次第であります。

そして「生きとし生けるものは、幸せであれ」が具体的になぜ「全ての人が幸せであれ」いう論理を超えていくのかは今回はお話しできませんでした。

いや、私にはまだお話し出来ないというのが正直なところであります。

イスラエルやボスニアで感じた人間の不条理。

自分たちの幸せを願うことそのものが他者を虐げる結果につながるという悲劇。

絶句し立ちすくむことしか出来ないほどの重圧をそれぞれの場で感じたことを強く記憶しています。

スレブレニツァの強制収容所跡
薄暗く、死のような静寂の中、コンクリートに打ち付ける雨垂れの音だけが響く。
ここで感じた全身にまとわりつくような黒い重圧は忘れることが出来ません。

この問題は生涯かけて考え続けるほかないのかもしれません。

私自身、お釈迦様のことばを聴き、これからも学び続けていきたいと思っています。

今回は重いテーマとなってしまいましたが、本日はこれまでとさせて頂きます。

本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました。

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