戦後最悪のジェノサイド、スレブレニツァの虐殺の地へ⑵ ボスニア編⑪

ボスニア編

戦後最悪のジェノサイド、スレブレニツァの虐殺の地へ⑵ 僧侶上田隆弘の世界一周記―ボスニア編⑪

スレブレニツァのお墓をお参りした後、ぼくたちが向かったのはスレブレニツァメモリアルホール。

メモリアルホールといっても、外観は古びた工場といった趣。

だが、古びた工場というのもあながち間違いではない。

実はここはかつて実際に工場として使われていた建物で、紛争中この工場をセルビア軍は強制収容所として転用していたのだ。

そしてここに近郊のムスリム男性が収容され、多くの人が虐殺されることになった。

その時の犠牲者のご遺体がついさっきまでお参りしていたお墓に埋葬されているのだ。

入り口からして重たい空気が漂う。

今にも雨が降り出しそうな暗い灰色の空模様と相まって、より恐ろしい雰囲気を醸し出している。

恐る恐る中へ入っていくと、打ちっぱなしのコンクリートで作られた空間が広がっていた。

シーンと静まり返り、一定の間隔で落ちてくる雨垂れの音だけがこの空間に響いている。

ここに入った瞬間、全身に冷たい何かがまとわりつき、押しつぶされるような圧迫感を感じた。

頭上から黒い、何か暴力的な力が鋭い刃物のようにぼくを刺し貫いていくような感覚。

アウシュビッツで感じた恐怖とは明らかにちがうものをぼくはここで感じたのだ。

暗く、重たい工場跡。

まるでここだけ時が止まってしまったかのようだ。

この建物には記念館ということだけあり、多くの写真が展示してあった。

上の写真は、紛争が終結しこのスレブレニツァのお墓が出来上がった時の式典のものだ。

他にも、紛争直後に強制収容所が開放された直後の写真も数多く展示されていた。

犠牲者のご遺体の捜索
発見された遺体は一旦この工場跡に安置された

ここでは掲載できないような写真も多々展示されていた。

目を背けたくなるような凄惨な写真。それでもぼくは心を決めて直視し続けようと試みた。

「ぼくは人の死と関わる生き方を選んだのだ。目を反らしてはいけないのだ」と念じながら・・・

そのとき見た写真は、今でもぼくの中に鮮明に記憶に残っている。

そしてぼくがこの記念館の展示で一番印象に残ったのはこのパネルに示されていることだった。

みなさんはこの写真を見て何を想像するだろうか。

体のそれぞれの骨と地図上の点が結び付けられているこのパネル・・・

そう。これはセルビア軍が遺体の存在を隠蔽するために体のそれぞれを離れた場所に隠したことを示しているのだ。

アウシュビッツでは火葬し灰にして撒くというやり方で犠牲者の存在を隠蔽しようとした。

しかしここではそこまでの設備を作る時間と資金の余裕もなかったのだろう。

セルビア軍は遺体を分割して埋めることによって犠牲者の身元や正確な数を隠蔽しようとしたのであった。

しかしセルビア軍の狙いは外れ、紛争後に多数の国の力も借りて各地で犠牲者のご遺骨を捜索し、そしてそのご遺骨をひとつずつ丁寧に集め、DNA解析して身元を判別していったそうだ。

アウシュビッツとの違いがここにある。

アウシュビッツと違って、なぜスレブレニツァでは一人一人のお墓を作ることができたのか。

それはご遺体が残っていたということもあるが、何よりテクノロジーの進歩によってDNA解析が可能になったからというのが大きい。

第二次世界大戦時にはそのような技術は存在しなかった。

もしご遺体が残されていたとしても、そこから身元を判別することは極めて困難だっただろう。

現代のテクノロジーはそれを可能にしたのだった。

だが、そうは言ってもこの作業がどれほど大変なものなのかは想像するのも困難だ。

ご遺体は一つの場所にあるわけではない。

どの腕が誰のもので、どの脚が誰のものかはまったくわからないのだ。

それぞれが別の場所に埋められていたため、一体の完全な形で残されたご遺体を調べるのとはまるで次元の違う作業だったのだ。

無数にあるご遺骨の一つ一つを解析し、そしてそれをつなげていく・・・

あまりに途方もない作業。

ミルザさんも「本当に大変で難しい作業です。ですが、私達にとって本当に大切なことなのです。困難な作業をしてくださっている方達には本当に感謝しています」とお話ししてくれた。

そうか・・・そういうことだったのか・・・

ぼくはここスレブレニツァの無数のお墓を目の前にして、言葉にできないような大きな衝撃を受けた。

ぼくにはそれがなぜなのか、すぐには答えが出せなかった。ただただその光景に呆然とするのみだった。

だが、ここでミルザさんのお話を聞いている内に、お墓の存在と個人の身元ということに気が付いたのだった。

ひとりひとりのお墓があること。

そのことが持つ意味は計り知れないものがある。

ひとりひとりの人間が生き、そして死んでいったことの証がお墓には込められている。

ひとりひとりの人生の重みがぼくの心を打ったのだ。

アウシュビッツとの最大の違いはここにあったのだとぼくは感じた。

アウシュビッツでは150万人の人が亡くなったとされている。

だが、アウシュビッツで実際にぼくが目にしたのは、追悼のモニュメントと犠牲者の数を表す数字だけだった。

数字からはひとりひとりの人生が浮かび上がってこない。

まして150万という想像もできないような膨大な数。

やはり数字だけでは伝わらないものがあるのだ。

アウシュビッツでももちろんぼくは大きな衝撃を受けた。

でも、ここでの衝撃はそれをはるかに上回るものだった。

ここでの経験は絶対に忘れることはできないだろう。

続く

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