戦後最悪のジェノサイド、スレブレニツァの虐殺の地へ⑴ ボスニア編⑩

ボスニア編

戦後最悪のジェノサイド、スレブレニツァの虐殺の地へ⑴ 僧侶上田隆弘の世界一周記―ボスニア編⑩

強盗に遭った日の夜。

ぼくはショックと緊張でなかなか寝付けなかった。

時間が経てば経つほど、自分が暴力に見舞われたという実感が増してくる。

一度体に刻み付けられた恐怖はなかなか取り去ることはできない。

考えまいとしてもやはり浮かんでは消えていく。

その繰り返し。

サラエボの人たちはこの何倍も、いや何十倍の恐怖を毎日感じていたのか・・・

死の恐怖を何年も味わい続けるということはぼくには想像もできないほどの苦しみなのだろう・・・

ミルザさんの言っていたように、今でもたくさんの人が紛争の記憶に苦しんでいるというのが心の底から納得できた。

翌4月29日、ぼくはミルザさんと二人でスレブレニツァという町へと向かった。

そこは戦後最悪のジェノサイドが起こった地として知られている。

現在、そこには広大な墓地が作られ、メモリアルセンターが立っている。

そう。そこには突然の暴力で命を失った人たちが埋葬されているのだ。

ぼくが強盗という不慮の暴力に遭った翌日にこの場所へ行くことになったのは不思議な巡り合わせとしか思えない。

ぼくは重い気持ちのまま、スレブレニツァへの道を進み続けた。

サラエボからスレブレニツァへは車でおよそ3時間の道のり。

サラエボの街を出るとそこはもう山の中。

ボスニアの国土の大半は山岳地帯。

それが実感できる道のりだった。

山を越えれば小さな村が顔を出す。

木々の深い緑と芝生の黄緑色の世界にぽつりぽつりと赤い屋根の家が点在している。

のどかな風景ではあったけれども、もしここで犯罪が起これば誰にも気づかれず、助けを呼ぶこともできないだろうと感じてしまった。

実際にボスニア紛争ではこういうのどかな村の一つ一つで互いの民族が侵略を繰り返し、残虐行為が行われていたのだ。

ぼくは想像してみる。

いつもと変わらぬ平凡な一日。

そんな平和な日常の中、畑作業をしていると突然山の向こうから武装した男たちが現れ、家に押し入ってくる。逃げ惑ったところで、どこにも逃げ場などない。

抵抗する間もなく男は無条件に殺され、女は民族浄化の名の下に強制的に子を作らされる。

子供も老人も皆殺しだ。

村に残されたのは無数の死体と絶望に打ちひしがれる女性達だけ。

絶望的なまでの憎しみ。なぜ私達はここまでむごい仕打ちを受けなければならないのか・・・!

なぜ・・・?・・・なぜ!?

そうして他の村々も暴力の大波に飲み込まれていく。

ユーゴスラビア全体でこのような民族間の悲惨な戦闘が続いていたのだ。

想像してみてほしい。

もし私達の住む日本で同じことが起こったとしたら、どういうことになるのだろうか。

隣町の人たちがある日急に武装してこちらの町に攻め込んでくる。

「そんなことありえない」という一言で済ますのは簡単だ。

でも、ここではそれが起こったのだ。現実に。

それが起こりうることを、ボスニアは証明してしまったのだ。

スレブレニツァへの道はそんな暗い記憶を醸し出すような道だった。

スレブレニツァメモリアルセンターに到着。

ぼくが来た時にはほとんど人がいない、静かな空気だった。

8372…

これは現在わかっているスレブレニツァでの犠牲者の数だ。

見つかっていないご遺体も数多くあるという。だから「8372…」と表記されている。

数字の左が町の名前。

これらの町からムスリムの男性が連れてこられ、ここで虐殺されたのだ。

少し進むと無数のお墓がある。

墓石の前の土が盛り上がっている。そして、そこだけ草が生えていない。

ここに人が埋葬されている。

ぼくはそれを肌で感じる。

そしてその一つ一つに名前や出身地まですべて刻まれている。

同じ一族や家族がなるべく隣り合うように埋葬されているそうだ。

たしかに、墓碑に近づいて見てみると、同じ姓の名前と村の名前が刻まれていた。

・・・つまり、一族もろとも殺されてしまったということか・・・

サラエボのオリンピック競技場の墓地と同じく、ここには犠牲者の名前が一人一人記されている。

同じ名前が多いのは、同じ一族だということだ。

緑色の墓碑は最近見つかって埋葬されたご遺体のお墓。

紛争から20年以上経った今も、犠牲者の捜索は続けられている。

ここで、お墓を歩きながら説明を続けてくれていたミルザさんがふと立ち止まる。

そしてぼくにこう尋ねてきた。

「すみません、お祈りさせてもらってもよろしいですか」

ぼくは「もちろんどうぞ」と返した。

ミルザさんはその場で目を閉じ、目の前にあるたくさんのお墓に向かって祈りを捧げ、しばらくの間そこで祈り続けていた。

―そうだ。ミルザさんは辛い中こうしてぼくにお話をしてくれているのだ。

ミルザさんは紛争の辛い記憶を、それを学びたいという人のために苦しいながらも話してくれる。

ここはその中でも特に苦しい場所なんだ。

仲間たちの遺体が眠るこの場所はミルザさんにとって特別な場所なのだと、ぼくはその後姿を見て感じた。

そしてぼくもここを去る前にお祈りさせて頂いた。

あまりにも広大なお墓だったのでぼくはどこに向かってお祈りすればよいのかまったくわからなかった。

するとミルザさんが、

「どこがよいということはありません。みんな一緒です」とお話ししてくれた。

ぼくはその一言で涙が出そうになった。

こんなに重い「みんな一緒です」という言葉をぼくはこれまで聞いたことがない。

ぼくは小さな声で「南無阿弥陀仏」と2度唱えた。

そのあと、ぼくは無言で祈り続けた。

ただ無心で祈り続けていた。

墓石に刻まれたひとりひとりの名前が、それぞれの人生が不意に終わりを告げたことをぼくに投げかけてくる。

起こりえないことが現実に起こるのだ。

前日に起こった事件の恐怖を引きずったまま今日ここで虐殺の現場を目の当たりにしたこの体験は、ぼくにとって生涯忘れることのない出来事となった。

ここで感じた重くのしかかってくるような空気の感覚。

そして、微かな風の音しかしない静かな墓地。

どんよりとした空の色、木々の緑、そして墓石の白い色・・・

ここで感じたひとつひとつのものをぼくは心に刻み付けたのであった。

続く

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