吉田謙一『法医学者の使命「人の死を生かす」ために』~突然死は驚くほど私達の身近にあった

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吉田謙一『法医学者の使命「人の死を生かす」ために』概要と感想~突然死は驚くほど私達の身近にあった

今回ご紹介するのは2021年8月に岩波新書から発行された吉田謙一(※「吉」の漢字は下が長いのですが変換できなかったので失礼ながらこちらの漢字で表記致します)著『法医学者の使命 「人の死を生かす」ため』です。

早速この本について見ていきましょう。

異状死の死因を解剖・検査を通して究明し、法的判断の根拠を提供するのが法医学者の役割だ。その判断はどのように行われるのか。死因を見誤らないために、どこに留意すべきか。冤罪を生む日本の刑事司法・死因究明制度はどこに問題があるか。数々の事件の鑑定を手がけた法医学者が実際に起きた事件を題材に訴える。

Amazon商品紹介ページより

私がこの本を読むことになったのは偶然のことでした。

本屋さんで前回の記事で紹介した末木文美士編『死者と霊性―近代を問い直す』の隣に陳列されていたのがこの本だったのです。そしてタイトルの『「人の死を生かす」ために』という言葉や、「突然死がどのように起きるのか」という帯の言葉に惹かれて手に取ったのでした。

私は僧侶です。ですので月に何度もご遺体と対面することになります。そして様々な形で命を終えられた方をお見送りすることになります。

私たち僧侶は多くの方より死と向き合うことが多い仕事です。これは医療関係者、警察・消防関係者、葬儀関係者の方もそうだと思います。ですが日本のほとんどの方にとってご遺体と相対することはめったにないのではないでしょうか。もしかするともう何年もそういう場面がないという方も多いかもしれません。

そして最近、コロナ禍によって自宅での急死のニュースが広がった影響で、突然死のリスクが急に目に見えるようになってきました。

しかし、私の実感ではコロナ禍の前からずっと、人は突然亡くなることがあり、予想もしていなかったお別れということが多々あったのです。

ですが、現代は死が日常から遠ざけられている時代です。しかも最近は葬儀も縮小化し、他者の死と関わる機会すらなくなってきています。それに、そもそもかつてより勤め先との関係も希薄化し、さらには高齢化も進み社会の様子はまったく変わってきています。

そうした中でメディアでコロナによる突然死が取り上げられるようになりました。普段「死」というものをまったく遠いものだと感じていた方にとってはそれはショックも大きいと思います。

ですが、突然亡くなったり、若くして亡くなってしまう方はこれまでもたくさんいたのです。その方達のことを全く考慮せず、今突然そうした死が増えているという報道の仕方には私は疑問を持ってしまいます。私たちはかつても今も、死と身近に生きていたはずなのです。

私がこの本を見て惹き付けられたのは、そんな私の思いがあったからこそなのだと思います。

前置きが長くなってしまいましたが、この本の中身を見ていきましょう。

正直、私はこの本のはじまりから衝撃を受けてしまいました。きっと皆さんも驚くと思います。

二〇二〇年六月、米国で白人警察官が、一人の黒人男性を拘束するため、頸部を一〇分近く踏みつけている動画が世界に配信され、世界的な人権擁護運動と警察批判に火をつけた。死因は、誰もが頸部圧迫による窒息死と思ったであろうが、注意を要する。米国の警察官は、ネックホールドという柔道の締め技のような逮捕術をよく使う。V字型の腕で、気管を圧迫せずに、左右頚動脈を圧迫することで、脳血流を一時的に遮断し、失神する(落ちる)と圧迫を緩め、窒息を避けるので安全と考えられている。しかし、薬物等の影響下、興奮し暴れている人に使うと急死する事例が少なくなく、身体拘束による突然死(拘束関連突然死)として知られている。したがって、頸を絞めている時に急死したからといって死因は窒息死とは限らない。また、身体拘束と同様、暴行、事故、過労、医療等の〝行為〟が〝心理ストレス〟を生じ、これが急性心筋梗塞等による突然死の〝誘因〟となることがある。

しかし、頸部圧迫による窒息死の死体所見は、急死全般の死体所見と、専門家でも区別できないことがあるため、法医鑑定や刑事裁判において、しばしば、窒息死と突然死が混同されている。このように、科学的根拠から正しい法的判断を導くためには、様々な疾患や病態が、どのようなストレスにより、どのように突然死を惹起じゃっき(ひき起こす)するか、どのような法的問題を生じるか、について理解する必要がある。その理解を助けるのが、本書の第一の趣旨である。

岩波書店、吉田謙一『法医学者の使命 「人の命を生かす」ために』 Pⅰ-ⅱ

昨年のあのニュースは多くの方の目に焼き付いていると思います。私もあの事件がまさしく窒息による死であると思っていました。

しかし実際には本当に窒息死であるかは厳密な検死が必要であり、パッと見てわかるようなものではないというのです。

これには驚きでした。心理ストレスによって突然死が誘発されるというのには度肝を抜かれたと言ってもいいです。

この本では実際の事例をもとに法医学者の吉田氏がこうした突然死と死因の問題をわかりやすく解説してくれます。読めばきっと驚くと思います。私たちの「常識」が覆されるかもしれません。

この本には皆さんに紹介したい箇所がそれこそ山ほどあるのですが、この記事ではその中の一つを紹介したいと思います。これはコロナという未曽有の国難に苦しむ私たちにとって非常に重要なお話だと思います。少し長くなりますがじっくり見ていきましょう。

ストレスで人は死ぬか?

震災やテロ事件の後、ストレスが原因とみられる心筋梗塞を含む虚血性心疾患等による心臓突然死や心イべントが増加するということが繰り返し報告されてきた。心イべントとは、心疾患によって患者が倒れるが、自然に、あるいは、治療により回復することを指す。例えば、東日本大震災後四週間の急性心筋梗塞リスクは、前年同時期の約二倍であり、心イべントは震災後最初の一週間に増加のピークがあり、その後、平常に戻った(図)。

二〇〇一年九月一一日の世界貿易センタービルのテロ事件後の三〇日間において、ニューヨークから遠いフロリダにおいて、埋め込み式除細動器が作動した心室細動・頻脈の発生頻度は、事件前の三〇日間の発生頻度三・八%のニ・八倍((一一%)にまで増加した。これらニつの研究は、震災及び、テロによる心理ストレスが、心筋梗塞や致死性不整脈による心臓突然死を増加させること、そして、東日本大震災直後、〝震災関連死〟がなぜ増加したかを示している。

一般に、心臓突然死の誘因となる心理ストレスは、肉親の死亡、夫婦間のトラブル、介護ストレス、ハラスメント、そして、労働に関連する不満(努力・報酬の解離等)等の慢性ストレスである。いっぽう、法医解剖の対象事例では、暴行、事故、医療行為、異常な出来事等による急性の心理ストレスが虚血性心疾患等、心血管系疾患による突然死を誘発したと判断される事例が多い。ストレスが突然死を誘発するメカニズムを理解することが、そのようなケースで死因を決定し、法的判断を行う上で鍵を握る。このような知識は、法医、法律家、警察官の実務に活かせるばかりでなく、一般の人が、身の回りの人に突然死が起きたときの理解、納得にも役立つと考えられる。

岩波書店、吉田謙一『法医学者の使命 「人の命を生かす」ために』 P 31-33

そして著者はこの後、実際にストレスで人は死ぬのかという事例を紹介します。これも見ていきましょう。

心理ストレスで突然死が起こる

警察は、明らかに犯罪と関係ない死体の解剖は、あまり行わない。一九九五年、中年の兄弟が続けて亡くなった事例の司法解剖を依頼された。「心理ストレスでヒトが突然死するのだろうか?」という疑問に答えてくれるこの事例に出合えたのは、検視官の突然死研究者である私に対する気遣いの賜物かもしれない。

ケース9・10(兄弟連続突然死) 酷寒の夜、土木作業から帰り、炬燵で休んでいた中年男性(弟)が卒倒した。近くに住む兄(船員)が駆けつけ、馬乗りになって胸骨圧迫(心マッサージ)や人工呼吸をしていたところ、約一五分後に弟の上に覆い被さるように倒れた。解剖の結果、弟には、冠動脈狭窄部を閉塞する血栓、心筋に凝固壊死(写真左)・白血球浸潤(いずれも、急性心筋梗塞の所見)、肺には、急性心不全を示す鬱血水腫を認めたので、急性心筋梗塞による急性心不全と診断した。兄には、冠動脈の硬化や血栓はなく、心筋収縮帯(写真右)・波状走行を認めたが、心肥大あるいは冠動脈硬化・血栓は認めなかった。心筋収縮帯は、交感神経系刺激による心筋過収縮を反映し、波状走行は、過収縮の周辺における心筋の過伸展(伸び過ぎ)を示す。心筋収縮帯と波状走行は心臓突然死の一つの根拠と考えられていた(後述)。ニつのケースは外因死の可能性が除外された内因性の急死であり、ケース9(兄)は、典型的な、心理ストレスによる心臓突然死、ケース10(弟)は急性心筋梗塞と診断し、循環器に関する英文雑誌に症例報告として掲載された。現在なら、兄は、不整脈疾患の可能性について遺伝子診断をしなければ、論文採用されないだろう。

肉親が死亡することは、心理ストレスの中でも最強のストレスといわれる。兄は、弟を死の淵から救おうとして、最強の心理ストレスを伴う強い身体的ストレスにも暴露された。私は、高齢の夫が首を吊っている真下で倒れていた妻の解剖を行ったところ、冠動脈硬化、心筋線維化を認め、外因死の可能性を否定でき、虚血性心疾患と診断した経験もある。

岩波書店、吉田謙一『法医学者の使命 「人の命を生かす」ために』 P 34-35

私はこの箇所を読んでハッとしました。

私はこれまで、古典の悲劇や物語を読んでいて、どうしても不思議に思っていたことがありました。

それは登場人物が怒り、あるいは悲しみのあまりすぐに死んでしまうというシーンが多々あるという点でした。いわゆる憤死とか悲嘆死とでも言えるものでしょうか。

「いやいや、そんなに簡単に人は死なないでしょ。そんな怒ったり悲しんだりですぐに死んでしまったらそれこそ大変だ」と思っていたのですが、実際に人は心理的ストレスで急速に死にうるということが明らかになったのでした。

なるほど、古典の世界で起きていたあの感情的な死は本当にありうるのだなと仰天してしまいました。

さて、文学の話に逸れてしまいましたが、ここで語られることはコロナ禍において非常に重要な示唆を与えてくれると思います。

今、「コロナによる死」と言われているものも、本当にコロナで亡くなったかどうかは検死して入念に調べないと本来はわからないものです。もちろん死の前、あるいは死後にPCR検査で陽性だったからこそ「コロナ死」とされるのですが、厳密に言えば死の原因というのは極めて複雑でわかりにくいものなはずです。それを世界的に「PCRで陽性=コロナ死」でざっくりとくくり死者数を積み上げていくのは、死の本質を見失うことになるのではないかと私は思ってしまいました。

また、人はストレスで体調が悪化し、死に直結するという事実。

人間の体調、生死においてストレスの影響を過小評価している世の風潮も気になります。

コロナにかかると、それこそ罪人であるかのように自分を責めてしまう。これは特に匿名性の少ない地方では顕著なものがありました。もし外出した先でコロナにでも罹ったらそれこそ罪人扱いされてもおかしくありません。(そして実際に罪人扱いされています)

もしコロナにかかったら生活が崩壊してしまう・・・そんな恐怖が常にあります。

コロナによる死よりも社会的な死を恐れてしまう。周りに迷惑をかけてしまうことへの恐怖。

こうしたストレスは計り知れないと思います。

しかも病院やホテル、自宅などで待機するにも、行動制限がかかり一歩たりとも出られない。何もすることがない。食事も満足に取れない。そんな中で時間があればどんどん考え込み、塞ぎ込んでしまうのは当然です。運動不足にもなりますから身体的にも負荷がかかることになります。身体が調子悪くなればメンタルもさらに落ち込んでいきます。そしてどんどん鬱的に落ち込み、自分がまるで罪人であるかのように考えてしまったり、今後の生活に絶望してしまうかもしれない。さらに言えば、いつ急激に悪化するかもしれないという死の恐怖を味わうことになります。こうなった場合の心理的ストレスはいかほどのものでしょうか。

仮に死に至るほどではなくとも、うつのような症状になってもおかしくありません。うつの身体的な辛さはすさまじいものです。コロナの後遺症としてリストアップされるもののほとんどに当てはまるのではないでしょうか。

もちろん、私はコロナの後遺症を軽んじているわけではありません。しかし、正しく恐れる必要はあると思います。

私はコロナにかかることが罪であるかのような社会風潮の中で隔離される心理的負担は計り知れないものがあると考えるのです。そしてそうした風潮を作っているのは私たち自身だということです。皆さんはどう感じますか?

私たちにとって死の恐怖は根源的なものです。

しかし、だからといって誰かに言われたことを鵜呑みにし、恐怖を煽られ冷静さを失ってしまったらそれこそ危険です。そして誰かを責め、感情的になり、本当に考えなければならないことを見逃してしまう。さらにはそうしたことを議論する場さえ失われてしまう。

今の日本はまさしくそうした状況なのではないかと私は感じています。

この本では直接コロナについての言及はほとんどありませんのでこのことに関してはあくまで私の感想です。ですが、私はコロナについて連想し、そのように思ってしまったのでした。

著者はこの本で突然死や予期せぬ死の事例を豊富に挙げ、法医学者としての仕事や見解を私たちに伝えてくれます。

そして後半では冤罪を防ぐためにはどうしたらよいのかということをテーマに語っていきます。「おわりに」では次のように書かれています。

本書は、死因究明の第一線で四〇年あまり働いてきた経験を振り返り、どうすれば、法医学が、故人や家族の安心、事故や事件の再発防止等の公益に役立つか、そして、冤罪被害をなくせるか、具体的なヒントを提供できればと願って書き始めた。「はじめに」に本書の目標、読者に知っていただきたいことを記した。どれ位、目標が達成できたか、読者の率直な意見をうかがいたい。

岩波書店、吉田謙一『法医学者の使命 「人の命を生かす」ために』 P 199

先ほども申しましたが、著者が「 どうすれば、法医学が、故人や家族の安心、事故や事件の再発防止等の公益に役立つか、そして、冤罪被害をなくせるか、具体的なヒントを提供できればと願って書き始めた。 」と述べるように、この本はコロナとは距離がある作品です。

ですが、私はこの本からいかに突然死が私たちの身の周りにあるのかを知りました。

そして誰しもがそうなりうる可能性があること。人は精神的なストレスで突然死にうるということに驚くことになりました。

そして豊富な実例を見ていくことで特に実感したのが、死因の特定の難しさでした。私たちは見かけ上の印象で死因はこうだと決めてしまいがちですが、厳密にどのように死に至ったかというのは非常に複雑だということでした。

そして事件性が関わる場合には診断結果によって加害者、被害者双方にとてつもない影響をもたらすことになります。

日本の刑事司法システムでは冤罪を防ぎきれない脆弱さがあり、そこについて著者は厳しく指摘しています。実際の事例を見ていてもそのことはとても頷けるものでした。

私たちが普段知ることのない世界、視点をこの本では学ぶことができます。

前回の記事で紹介した 末木文美士編『死者と霊性―近代を問い直す』では、コロナ禍だからこそ、死について考え直さなければならないということをお話ししました。

そしてこの 『法医学者の使命「人の死を生かす」ために』では、まさしく私たちがいつ死ぬかもわからない存在であること、そして実際に多くの人が毎年突然死で亡くなっているということを学ぶことになりました。

コロナ禍において、この本が果たす役割は相当大きなものがあると思います。著者の意図するところとはずれてしまうかもしれませんが、私はこの本に強烈なインパクトを受けました。

ぜひぜひおすすめしたい作品です!

以上、「吉田謙一『法医学者の使命「人の死を生かす」ために』突然死は驚くほど私達の身近にあった」でした。

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