僧侶が問うコロナ禍の日本―伊藤計劃『ハーモニー』はコロナ禍を予測していたのか~死と病が異常事態になった世界で

仏教コラム

※この記事は2020年10月27日に別媒体で書いたものをこちらのブログで再掲載したものになります。

日々の生活の中で、ふとかつて読んだ本の内容が頭をよぎった経験があったりはしないでしょうか。

ヨーロッパではコロナが再び猛威を振るい始めたというニュースが流れ、日本もこれから冬に向かってどうなるかわからない。そんな暗い空気を感じます。

コロナはそこまでの脅威ではない。このままでは経済が破綻する。そうすればもっと多くの人が苦しむことになる。

こうした意見がある一方で、もしまたコロナがひどくなったらどうするのかという空気が強いのが現状なように感じます。

ただ、確かなことはコロナによって死ぬことよりも、コロナにかかることによって周りから攻撃されることを恐れる世の中になっているということではないでしょうか。

コロナの重症化率や致死率は一体どれほどのものなのか。そして重症化、あるいは亡くなった人はどのような人なのか、そうした情報は見過ごされ、実際に重症化し亡くなった人がいるという事実だけが独り歩きし、恐怖に煽られているように思えます。

このことについてはすでに多くの人が指摘していることですので私が新しくとやかく言うつもりもございません。

ですが、私はこうした世の中を眺めていた時、ふと伊藤計劃氏の『ハーモニー』という小説が頭の中に浮かんできたのです。

この小説のあらすじは以下の通りです。

「21世紀後半、〈大災禍〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、見せかけの優しさや倫理が横溢する”ユートピア”。そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択したーそれから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰に、ただひとり死んだはずの少女の影を見るー『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。」

この作品では〈大災禍〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人間のいのちがあまりに高価になりすぎた時代を描いています。

〈大災禍〉ではあまりに人が死にすぎました。

そのため、数少ない生きている人間は貴重な資源となったのです。

そんなあまりに高価な人間を守るため世界は過保護すぎるほどに彼らを保護し養育します。そんな彼らにはもはや病気も存在せず、けがをすることすら叶わないほど高度なセーフティーネットが張られることになったのです。

しかし、あらすじにもあるようにそれは見せかけの優しさや倫理の横溢でした。

「いのちは大切です。あなたはかけがえのない存在なのです。」

この理念を否定できる人はなかなかいないのではないでしょうか。

しかし、だからこそこの言葉は危険でもあるのです。

私は今まさに日本で起こっていることがこの『ハーモニー』に重なるように思えてしまうのです。

「いのちは大切です」

私はそれを決して否定するつもりはありません。

しかし、人はいつ死ぬかや病にかかるかなど本来わからないものだったのではないかということを思うのです。

私は浄土真宗の僧侶です。真宗寺院の多くでは『白骨の御文(おふみ)』というものをお葬儀の時などに拝読します。

この御文には、

「この世ははかない。この世は人の命などいつ尽きるかわからぬ諸行無常の世界だ。朝に元気な姿でいようと夕べには白骨となっているかもわからぬ。だからこそ今を大切に生きよ」

というメッセージが書かれています。

仏教ではもともと「あなたはいつ死ぬかわからぬ身だ。だからこそ今を生きよ」という教えを説きます。

いつ病に伏せるか、いつ不慮の事故や不幸にあうかもわからない。だからこそ今ある命を大切にし、前を向いて歩めという教えだったのです。

ですがそれがいつしか「いのちは大切です」という言葉だけが独り歩きし、病や死が尋常ならざることとして、ありえないこととして受け止められるようになってしまいました。

本来ならば僧侶こそが「人は死ぬ。病にかかる。だから生きよ」と前向きな言葉を伝えるべきなのではなかったのでしょうか。

ですが、世の中の圧力にどうしても身が縮んでしまう・・・それも痛いほどわかります・・・実際、私もここまで声には出せませんでした。

「人は死ぬ。病にかかる。だから生きよ」

こう言うとたくさんの反論があるかもしれません。

「もしあなたの身内が亡くなったらどう思うのだ!?他人事だからそんなことを言えるのだ!」

「もしコロナで人がたくさん亡くなったらどうする!?責任は取れるのか?」

「いのちを軽視するなんて人として最低だ」

「病気で苦しんでいる人にそんなことお前は言えるのか?」

きっとそれこそ無数の意見があるかもしれません。

ですが改めて言わせて下さい。私はいのちを軽んじてこう言っているのではないのです。

「人は死ぬ。病にもかかる。現実を見よ。恐怖に惑わされるな。正しくありのままを見よ」

これが仏教の根本理念の一つです。

「いのちは大切ですよ」と微笑みながら囁くだけが仏教ではありません。

お釈迦様は「あなたは死ぬ。病にも苦しむ。世の中には苦しみが満ちている。しかしそれを超えて歩め」と仰られました。

お釈迦様は優しさの中にも厳しさがあるのです。

コロナという病はたしかにある。それは事実です。しかしそれに対して私たちができることは、よく言われることではありますが「正しく恐れること」だと思います。

専門家でもない私が何を言っても仕方がありませんが、何が正しくて何が悪いかをデータなどの事実に基づいて冷静に判断しなければなりません。

情報に流され、ヒステリックに反応し他者を攻撃しても何も状況は変わらないのです。いや、むしろますます世の中は「いのちを大切にしすぎるがゆえに」生きにくい場所になっていくことでしょう。

私はそのことを心から憂えているのです。これからの日本が崩壊していくのを黙って見ているわけにはいきません。このままでは私たち同士の信頼感も失われていってしまうことでしょう。

そんな世界に私はなってほしくない。互いに相手を悪者だと決めつけ、疑心暗鬼で監視し合うような世界になどなってほしくない。

私はそう思うのです。

伊藤計劃氏の『ハーモニー』はそんな今の日本に警鐘を鳴らしてくれている作品だと私は思います。こういう時代だからこそ文学の力、言葉の力は私達に大きなものの見方を与えてくれるのではないかと私は信じています。

真宗木辺派錦識寺 上田隆弘

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