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はじめまして。当ブログの管理人上田隆弘と申します。 このブログは、ブログタイトルにもありますように自問自答をモットーに日々の生活の中の様々なことに目を向け言葉を綴ってみようという私の試みから始まりました。
この記事では当ブログ内の大まかなご案内をしていきます。 当ブログへ初めて来られた方や何を読むべきか迷った方はまずこちらの記事をご覧ください。
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2022年8月中旬から九月の中旬までおよそ1か月、私はジョージアを中心にヨーロッパを旅してきました。
フランス、ベルギー、オランダ、ジョージア・アルメニアを訪れた今回の旅。
その最大の目的はトルストイとドストエフスキーを学ぶためにジョージア北部のコーカサス山脈を見に行くことでした。
この記事では全31記事を一覧にして紹介していきます。『秋に記す夏の印象』の目次として使って頂けましたら幸いです。
「トルストイの原点はカフカースにあったのではないか」そんな仮説を立てて私はここまでやって来ました。
そして実際にトルストイが見たであろう景色や山の民に私は思いを馳せることになりました。
それが結果的にドストエフスキーと結びついたのです。
「ドストエフスキーはトルストイは正反対である。だから一方を学べば他方も学ぶことになる」
まさにその通りでした。
この記事でこのパリ・ジョージアの旅を総括します。これにて私の『秋に記す夏の印象』も完結です。
この日の目的地はジュタバレーという、カフカースにおいても特に素晴らしい景色を楽しめることで有名な秘境。
何もかもがどうでもよくなるくらい圧倒的な景色がそこに広がっていました。
トルストイもきっとこんな景色を見ていたのでしょう。
このジュタバレーでの経験はこの旅の最大の収穫となりました。私はカフカースでドストエフスキーの『死の家』を見出したのです。
この日はまず軍用道路をさらに北上し、山中にあるグヴェレティの滝を目指しました。
雄大なカフカースの山を歩き、私はトルストイが出会ったであろう山の民に思いを馳せたのでありました。
そして次の目的地ダリアリ渓谷でトルストイの大きな視点に気づくことになります。
いよいよ私はカフカースで大きな収穫を得始めるのでありました。
カフカース(コーカサス山脈)の拠点カズベキについた私は早速「限りなく天国に近い教会」と言われるツミンダ・サメバ教会へと向かいました。
笑ってしまうほどの悪路を走り教会へ到着。ジョージアの誇る絶景を堪能しました。
また、カズベキの町からすぐそばの絶景ポイント、エリア教会付近も散策し、カフカースの山の迫力を感じました。
アルメニア滞在を終えトビリシに戻ってきた私は1日の休息の後、いよいよこの旅の最大の目的地コーカサス山脈へと出発しました。
首都トビリシからコーカサス山脈へと向かう道は軍用道路と言われ、かつてロシア王朝がジョージア征服のために切り開いた道として知られています。トルストイやプーシキンもまさにこの道を通ってこの地にやって来たのです。
この記事ではそんな軍用道路とコーカサス山脈についてお話ししていきます
アルメニア滞在最終日。私はジョージアへ向かう帰路、いくつかの修道院を巡りました。
そしてその中でも最後に訪れたアフタラ修道院が私の心を揺さぶりました。
なぜこの修道院にこんなにも心惹かれたのだろうか。
よくよく考えてみるとまさかの事態に私は笑うしかなかったのでした。
アルメニア滞在は私にとって強烈な印象を残しました。苦しかったですが、来てよかったと心の底から思えます。
アルメニア滞在の3日目、私はノアの箱舟の聖地アララト山や世界遺産エチミアジン大聖堂を訪れました。
しかし実はその前日の夕方から私の身体に異変が生じ、エチミアジンの辺りで完全にダウンしてしまったのです。
これは単に体調が悪くなったで済まされる話ではありません。私とアルメニアという国についての根本問題がそこに横たわっていたのでありました。
私の身に何が起こったのか、この記事でお話ししていきます。
アルメニア滞在3日目はあのノアの箱舟が漂着したとされる、『旧約聖書』の聖地アララト山に向かいました。
このアララト山を最も美しい姿で見られることで有名なホルウィラップ修道院から私はその景色を眺めることになりました。
アルメニア人にとってのアララト山、キリスト教についてこの記事でお話ししていきます。