MENU

ツルゲーネフ『ルーヂン』あらすじと感想~ロシアのハムレット「余計者」を生み出した名作!

ルーヂン
目次

ツルゲーネフ『ルーヂン』あらすじ解説―ロシアのハムレット「余計者」を創造した名作

ツルゲーネフ(1818-1883)Wikipediaより

『ルーヂン』は1856年にツルゲーネフによって発表された彼の代表作です。

私が読んだのは岩波書店、中村融訳の『ルーヂン』です。

早速表紙のあらすじを見ていきましょう。

二葉亭四迷訳「うき草」の題名によって明治以来わが国に知られて来た名作。女地主ダーリヤの邸に現われた一人の男ルーヂン。人々の前で知識をふり廻すが、しょせんは意志の弱い冷淡な知識人に過ぎず、のちに革命の理想だけを抱いてあえなくも死んでゆく。今日でもなお見られる知識人の一タイプを示す。1855年作。

岩波書店、中村融訳『ルージン』

この作品は『あひびき』と同じく二葉亭四迷によって翻訳され、早くから日本においても知られていた作品です。

この作品の主人公ルーヂンは洗練された立ち振る舞いや圧倒的な弁舌の才によって田舎の人々をあっという間に魅了してしまう魅力的な好男子です。

しかしその正体はなんと悲しきかなや、単なる空っぽな人間だったのです。彼には確固たる意志もなく、社会のどこにいてもうまくやっていけない社会不適合者だったのです。

巻末あとがきに彼の人格の詳しい説明がありましたのでそちらを見ていくことにしましょう。

さて、いったいこのルーヂンとはいかなる人物なのであろうか。田舎の地主邸に偶然現われたこの青年は沈滞しきった古い環境の中では、まるで泥沼に舞いおりた鶴のような颯爽たる感じを与える。縦横に発揮されるその溢れるばかりの才気や、するどい警句や、情熱的な雄弁はすっかり周囲の者たちを感嘆させてしまう。

ことに婦人たちは彼を天才だと思いこむ(事実、作者は最初の草稿にはこの小説の表題を「天才肌」‘‘гениальная-натурa’’とつけていたのである)。

読者も初めのうちは、このような輝かしい人物はさぞかし社会的にも立派な活動をしている人にちがいないと想像する。が、読み進むうちに、実際には彼の生活は失敗の連続であり、この一見すばらしい才気に富んだ男はただ人生の落伍者にすぎないことが分ってくる。
※一部改行しました

岩波書店、中村融訳『ルーヂン』P216-217

ここからがルーヂンの性格で非常に重要な部分です。彼がなぜ口先だけの空っぽな男であるのか、何をやってもうまくいかない社会不適合者なのかが明らかになります。

この人物の大きな欠陥は、現実を直視してこれに適応する能力を欠いていることで、つまり別の言葉で言えば、いたずらに思想や計画を空に弄ぶばかりで、それを正しく実行するための不屈な、強い意志をもっていないことなのである。

このことはやがてラスンスカヤ家の令嬢ナターリヤにも見抜かれて、ついに彼の恋もしりぞけられてしまう。

表面的には、いかにも目から鼻へぬけるような才知にあふれているかに見えながら、その実、それはただ空転しているだけで、おまけに意志が弱く、現実への適応性を欠いたみすぼらしい空想児にすぎない人物―このような型の人物は十九世紀前半期のロシヤには実際にかなり多く見かけられたもので、文学作品についてみても、プーシキンのオネーギン(同名の韻文小説の主人公)、レールモントフのぺチョーリン(『現代の英雄』の主人公)、ゲルツェンのぺリトーフ(『誰の罪』の主人公)などはいずれもその代表者である。

ロシヤ文学史ではこれに「余計者」「無用人」「ロシヤのハムレット」などの呼び名を与えているが、「ルーヂン」はその典型をもっとも平易な、理解し易い形で捉えて、これを主人公の中にみごとに再現した小説と言えるであろう。

即ち、あたら英才を抱きながら、社会からは無用の存在とみなされて、結局は哀れな敗惨者として消えてゆくロシヤの知識人―ツルゲーネフがこの小説の中で描き出そうとしたのは、実にその典型としてのルーヂンの姿にほかならなかったのである。
※一部改行しました

岩波書店、中村融訳『ルーヂン』P217-218

端的に言うと、ルーヂンはものすごく頭がいいのです。抽象理念や概念を云々するなら天下一品です。

つまり、彼は当時若者の間で流行していたドイツ観念論を操り、世の中のあらゆる複雑な現象をたちまち理論化し、単純明快な原理やシステムに言い換えてしまうのです。

すなわち、世の中のどんな難しいことも「つまりね、○○○ということなのさ」、「要するに○○○ということを示しているんだ」と彼は即座に答えられてしまうのです。

その話しっぷりがあまりに見事なものなので聞いている人たちはこの男は只者ではないと驚いてしまうのです。

ですが上の解説にもありますように、彼には現実を見る力がなく、さらには確固たる意志が欠けています。これが彼の悲劇なのです。

頭がいいんだったらなんとかなるんじゃないの?

いや、違うのです。いくら頭がよかろうが現実が見えていなければ全ては頭の中の理論にすぎません。現実は理論通りになどまずいきません。二二が四のような数式とは違うのです。

それでもそこに現実とぶつかってやろうという強い意志があればよかったのですが、彼は現実の壁にぶつかるとすぐにあきらめ、逃げ出してしまうのです。これが彼が何をしてもうまくいかない根本理由なのです。

頭がいいが故にあらゆるものを理論化してしまう。しかしその理論はまったく現実と結びついていない。だから失敗する。うまくいかないから打ちひしがれ、「仕方がないんだ」と逃げ出してしまう。これの繰り返しです。

ツルゲーネフはそういう男をこの小説で鮮やかに描き出したのでした。

この『ルーヂン』に関してはプーシキンの『オネーギン』やレールモントフの『現代の英雄』に出てくるペチョーリンという人物の直系であると言われています。

オネーギン→ペチョーリン→ルーヂンは「余計者」「ロシアのハムレット」の系譜と呼ばれ、「ロシアのハムレット」と言われるように頭の中で考えて考えて悩むも結局行動ができない人間の典型を表すようになりました。

19世紀ロシアには実際にこのようなタイプの人間がたくさんいたようです。それをプーシキン、レールモントフ、ツルゲーネフは敏感にその人物の思想を捉え文学で表現したのです。

余計者の系譜を生み出したプーシキンの『オネーギン』やレールモントフについては以前の記事で紹介しましたので興味のある方はぜひご参照ください。

あわせて読みたい
プーシキン『エヴゲーニイ・オネーギン』あらすじと感想~ロシア文学に巨大な影響を与えた傑作! 『エヴゲーニイ・オネーギン』はプーシキンの代表作であり、ロシア文学史上最高傑作の一つに数えられています。 この作品はドストエフスキーに多大な影響を与え、彼の最晩年のプーシキン講演の中心主題もこの『エヴゲーニイ・オネーギン』でした。
プーシキンの代表作『エヴゲーニイ・オネーギン』あらすじ解説
あわせて読みたい
バイロン『マンフレッド』あらすじと感想~「バイロン的」とは?プーシキンの『オネーギン』とのつながり バイロンは後の作家たちに多大な影響を与えました。プーシキンもその一人です。 そしてそのプーシキンを深く敬愛していたドストエフスキーもバイロンを読み込み、そして『オネーギン』を通してバイロン的なるものへの思索を深めていったのでありました。 こうして考えてみると改めて、あらゆるものは繋がっているのだなと感じさせられました。 『マンフレッド』は近代人の自我の悩みを描いた古典中の古典です。その迫力は今でも色あせないものがあると感じました。言っていることに全然古さを感じさせないです。
「バイロン的」ってどういうこと?イギリスの詩人バイロンの代表作『マンフレッド』を参考に
あわせて読みたい
レールモントフ『現代の英雄』あらすじと感想~ロシア最初の心理的小説!ロシア三大文豪とのつながり 『現代の英雄』は後の作家たちに大きな影響を与えました。 特に、「しかしこのような風俗的亜種を生み出したのも、作品にそれだけ強い毒が含まれているということであって、人間の魂の暗い部分、いわゆる存在の「悪」の意味をドストエフスキイに先んじてつかまえていたこの作品は今日もその新鮮さを失っていない。」とロシア文学者川端香男里氏が述べるのは非常に重要です。
レールモントフ『現代の英雄』あらすじ解説――ロシア最初の心理的小説!ロシア三大文豪とのつながり

感想―ドストエフスキー的見地から

ツルゲーネフはルーヂンというロシアのハムレットを生み出しました。

ツルゲーネフはシェイクスピアを愛読し、特に『ハムレット』に大きな影響を受けたと言われています。彼はハムレットのような、運命に対し煩悶する人間、運命を切り開く行動力を持てない人間に対し強い関心を向けたのです。

ハムレットが実際に行動力のない人間なのかというとこれは難しい問題なのですが、ツルゲーネフは彼に対してそのような印象を受けていたようです。

ルーヂンはとにかく頭が良く、冴えわたる弁舌を持っています。そしてあっという間に多くの人を魅了します。

『ルーヂン』でも滞在先の令嬢がルーヂンに恋し、彼も令嬢に恋をします。

2人はそのまま結ばれるのかと思いきや、いいところで母がこの2人の仲に気付き、根無し草のルーヂンに娘はやれぬと反対します。

ルーヂンは情けないことに「お母さまが反対しているならもう無理だ。あぁ何でこんなことに」とすぐに心が折れてしまいます。

彼女への恋もあっという間にしおれ、女々しい弁解に終始するのです。

ですが、もしこれがドストエフスキーだったらどんなことになっていたでしょうか。

ドストエフスキーの描く恋はたいてい狂気じみた激情の爆発や、どこまでも続く深淵、混沌を描きます。『白痴』の恋も常軌を逸していますし、『地下室の手記』の主人公のひねくれっぷりなどはルーヂンとは似ているようでまったく異なる性格です。

ルーヂンは強い意志を持たないインテリです。しかしドストエフスキーの登場人物は意志の化け物揃いです。狂気に近い激情がそれぞれにあります。

冷静な芸術家ツルゲーネフと激情家ドストエフスキーの違いを感じられて非常に興味深い小説でした。

以上、「ツルゲーネフの名作『ルーヂン』あらすじ解説―ロシアのハムレット「余計者」の創造」でした。

Amazon商品ページはこちら↓

ル-ヂン (岩波文庫 赤 608-3)

ル-ヂン (岩波文庫 赤 608-3)

次の記事はこちら

あわせて読みたい
ツルゲーネフ『ファウスト』あらすじと感想~ゲーテの『ファウスト』に影響を受けた恋愛物語 ツルゲーネフの後半生の作品は憂鬱な気分にさせるものが多いです。そのきっかけとなった時期がまさにこの頃であると言われています。 ここから「あきらめなければ」という諦念がツルゲーネフを強く覆っていくことになります。

前の記事はこちら

あわせて読みたい
ツルゲーネフ『ムムー』あらすじ解説―農奴と子犬の切ない物語 この作品はツルゲーネフ作品の中でもトップクラスにドラマチックな作品なように私は感じます。 ゲラーシムの素朴な善良さ、そしてそれに対置される女地主や執事。 そして何より子犬ムムーとの心温まる日々。 ですが、そんな幸せな日々が女地主の横暴で不意に終わりを迎えます。

ツルゲーネフのおすすめ作品一覧はこちら

あわせて読みたい
ロシアの文豪ツルゲーネフのおすすめ作品8選~言葉の芸術を堪能できる名作揃いです 芸術家ツルゲーネフのすごさを感じることができたのはとてもいい経験になりました。 これからトルストイを読んでいく時にもこの経験はきっと生きてくるのではないかと思います。 ツルゲーネフはドストエフスキーとはまた違った魅力を持つ作家です。ぜひ皆さんも手に取ってみてはいかがでしょうか。

関連記事

あわせて読みたい
ドストエフスキー『白痴』あらすじと感想~キリストの創造~ドン・キホーテやレミゼとの深い関係 「無条件に美しい人間」キリストを描くことを目指したこの作品ですが、キリスト教の知識がなくとも十分すぎるほど楽しむことができます。(もちろん、知っていた方がより深く味わうことができますが) それほど小説として、芸術として優れた作品となっています。 『罪と罰』の影に隠れてあまり表には出てこない作品ですが、ドストエフスキーの代表作として非常に高い評価を受けている作品です。これは面白いです。私も強くおすすめします。
あわせて読みたい
『地下室の手記』あらすじと感想~ドストエフスキーらしさ全開の作品~超絶ひねくれ人間の魂の叫び この作品は「ドストエフスキー全作品を解く鍵」と言われるほどドストエフスキーの根っこに迫る作品です。 ドストエフスキーらしさを実感するにはうってつけの作品です。 有名な大作が多いドストエフスキーではありますが、『地下室の手記』は分量的にも読みやすいのでとてもおすすめです。ぜひ読んで頂きたい作品です。 この作品は時代を経た今でも、現代社会の閉塞感を打ち破る画期的な作品だと私は感じています。
あわせて読みたい
ロシアの文豪ツルゲーネフの生涯と代表作を紹介―『あいびき』や『初恋』『父と子』の作者ツルゲーネフの... ドストエフスキーのライバル、ツルゲーネフ。彼を知ることでドストエフスキーが何に対して批判していたのか、彼がどのようなことに怒り、ロシアについてどのように考えていたかがよりはっきりしてくると思われます。 また、ツルゲーネフの文学は芸術作品として世界中で非常に高い評価を得ています。 文学としての芸術とは何か、そしてそれを補ってやまないドストエフスキーの思想力とは何かというのもツルゲーネフを読むことで見えてくるのではないかと感じています。 芸術家ツルゲーネフの凄みをこれから見ていくことになりそうです。
あわせて読みたい
スラブ派・西欧派とは?ドストエフスキーとツルゲーネフの立場の違い―これがわかればロシア文学もすっき... ドストエフスキーやツルゲーネフ、トルストイの作品や解説を読んでいてよく出てくるのがタイトルにもあるスラブ派・西欧派という言葉。 当時のロシア文学は純粋な娯楽や芸術としてだけではなく、国や人間のあり方について激論を交わす場として存在していました。 彼らにとっては文学とは自分の生き方、そして世の中のあり方を問う人生を賭けた勝負の場だったのです。 その尋常ではない熱量、覚悟が今なお世界中でロシア文学が愛されている理由の一つなのではないかと私は考えています。
あわせて読みたい
ツルゲーネフの代表作『猟人日記』あらすじと解説~ツルゲーネフの名を一躍文壇に知らしめた傑作 『猟人日記』ではツルゲーネフの芸術性がいかんなく発揮されています。彼の自然に対する美的センスは並外れたものがあるようです。 また、この作品は彼の幼少期、虐げられた農奴の姿を目の当たりにしていたことも執筆の大きな要因となっています。
あわせて読みたい
二葉亭四迷で有名『あいびき』あらすじと感想~ツルゲーネフの『猟人日記』に収録された名作 『あいびき』は二葉亭四迷によって日本に紹介され、日本文学界に大きな影響を与えました。当時はドストエフスキーやトルストイよりも、ツルゲーネフがまずロシア第一の作家として日本では流行していました。 おそらく日本において最も知られているツルゲーネフ作品のひとつがこの『あいびき』であるのではないでしょうか。
あわせて読みたい
シェイクスピア『ハムレット』あらすじと感想~名言「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」を生んだ名作 シェイクスピアの演劇というと小難しいイメージもあるかもしれませんが、実際はまったくそんなことはありません。現代人たる私たちが見てもとても楽しめる作品です。その中でも『ハムレット』は特にドラマチックで感情移入しやすい作品となっています。 シェイクスピアの演劇はカッコいい言葉のオンパレードです。 このセリフの格好良さ、心にグッとくる響きがなんともたまりません。
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次