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なぜ私はインドに行きたくないのか、どうしてそれでもインドに行かねばならぬのか、それが問題だ。

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【インド・スリランカ仏跡紀行】(1)なぜ私はインドに行きたくないのか、どうしてそれでもインドに行かねばならぬのか、それが問題だ。

いよいよ旅が始まる。インドである。あのインドである。

私は無事に帰れるだろうかという恐れから、案の定出発2日前から喉の痛みに悩まされていた。なに、大したことないさと放置したのが間違いだった。慌てて対処したがすでに後の祭りである。

私は弱い。いつもこうなのである。圧のかかる大きなイベントがある時は特にそうなのである。今回は喉に来たがその大半は胃腸系のトラブルと相場が決まっている。そしてそのバリエーションは思い返してもきりがない。

つまり、今度のインドも私にとって「気が進まぬ恐ろしいもの」だったのである。もっとはっきり言おう。私はインドに行きたくないのである。それが症状に出てしまっているのだ。

インドの何が恐ろしいかって?

それは決まっている。病弱な私が悪名高いインドの強烈な衛生状況に耐えられるはずがないではないか!

しかもそれだけではない。インドのカオスぶりはこれまで本やテレビなど様々な媒体で目にしてきた。そしてそれらを実際に現地で体感した場合、私がカルチャーショックを受ける確率は極めて高い。こうなると私が体調を崩すのはもう目に見えているのである。

「何をまあそんなに不安がっても仕方ないではないか」と思うかもしれないが、私には実績があるのである。2019年にキューバを訪れた際は現地の陽気すぎるホストファミリーに面を食らい頭痛で寝込んでしまった。2022年のアルメニアではその旧ソ連的な閉塞感に下痢で行動不能にまで追い込まれたのである。

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だが、それでもインドに行かねばならぬ。私はどうしてもインドを見なければならぬのである。仏教を学ぶためにはどうしてもここを避けては通れない。仏教が生まれたインドという地をどうしても自分の全身で体感したいのである。

こういうわけで、行けば確実に体調を崩すことをわかっていながら私は旅の計画を立て始めたのである。

ここであらかじめお伝えしたいのだが、私のインドの旅は本来、11月のインド中部・スリランカと、2月のインド仏跡の2回であるはずだった。だが、4月半ば頃になって急遽このインド北部のハリドワールとリシケシを訪ねる旅程を付け加えることを思い立ったのである。なぜ私が急に8月下旬にインドに行こうと思い立ったのかというと、それはインドの雨季を見たかったからなのだ。私は山下博司著『古代インドの思想―自然・文明・宗教』の次の一節に痺れてしまったのである。少し長くなるがここに引用したい。

インドの夏は、灼けつくような日射と乾燥とによって、草木の多くは立ち枯れし、生き物はみな息も絶え絶えである。過熱した地表を覆う大気の飽和点は異常に高まり、たまさか雲が現れても、はるか上空をよぎるだけで大地には一滴の恵みももたらさない。

北回帰線が国士の真ん中を走るインドでは、五月に入り乾季も終盤を迎える時節になる太陽がほぼ真上から照りつけ、木々の大半は葉を落とし、樹下といえどもほとんど日蔭ができない。気温は日蔭でも摂氏四〇度を突破し、内陸では五〇度前後にまで達する。外気温が体温をゆうに上回り、一陣の風も涼風から熱風へと一変する。夜間でも室温が下がらず、寝苦しい夜が続く。

このような厳しい乾季の自然条件に耐え忍びながら、出家者たちは日々修行に精進しなけれぱならなかった。(中略)

ところが、インド亜大陸の季節のうつろいのなかで、遍歴遊行者の日常にもっとも大きなインパクトを与えたのは、灼熱の季節よりもむしろ雨季のほうであった。三~四か月に及ぶ雨季の期間は、彼らの遊行の暮らしに大きな影響を及ぼした。移動が難しくなり、一所不住の生活様式に支障が生じる。托鉢も困難になる。さらに、万物の枯渇する長い乾季のあとの慈雨だけに、小虫などの生き物が地上にあふれ、にわかに勢いづいて、遊行置が踏みつぶしてしまう恐れがあったのである。

日本のわれわれですら、春や夏の時季に歩道を歩くときなど、蟻などを踏みつけずに進むことは難しい。雨上がりにはミミズやゲジゲジの類も路上を這いまわる。ましてや雨季のインドでは、地上は生き物にあふれる。ひとたび雨が降りはじめると、砂埃の舞っていた殺風景な景観が数日のうちに緑色に変わり、命のみなぎる世界に一変するのである。「モンスーンの爆発」に続いて起こる「生命の爆発」である。

不殺生を重要な戒めの一つとする仏教修行者にとって、雨季の到来はゆゆしき事態だったに相違ない。しかも、この時季には蚊なども発生し伝染病も蔓延する。こうした状況をうけて、仏教修行者たちは、雨季の間に限って遊行生活を中断し、一定の場所に引きこもることを許容するようになった。これを原語でヴァールシカ(雨を意味する「ヴァルシャ」の派生語)、漢訳で「雨安居うあんご」「夏安居げあんご」または単に「安居あんご」と呼ぶ。スリランカや東南アジアの上座部仏教で今も遵守されているし、日本仏教の「九旬安居くじゅんあんご」(九〇日間の安居)という言葉や制度の起源でもある。

筑摩書房、山下博司『古代インドの思想―自然・文明・宗教』P215-217

インドの出家修行者にとって強烈な乾季と雨季という気候はあまりに大きな影響を与えている。

そして何より、ここで語られた「生命の爆発」

私はこの言葉にすっかりやられてしまったのである。インドの宗教を考える上でこの「生命の爆発」はとてつもない意味を持つことだろう!その土地特有の気候風土を甘く見てはいけない。日本でもそうだ。日本には四季折々の季節がある。この季節の変化が私達の思想や文化、国民性にどれほど大きな影響を与えているだろうか!気候や地理風土は過小評価されがちだが、私達の思考システムにおける重要な構成要素であることは疑いようがない。

というわけで私はこのインドの「生命の爆発」を見たいがために雨季のインドへの渡航を決めたのである。

そしてもうひとつ、この8月の旅には大きな役割がある。

それがインドの視察である。

「視察」だなんて大げさなと思われるかもしれないが私にとっては真面目も真面目、大真面目なのである。

というのも、私のインドの旅の本筋は先にも述べたように11月のインド中部・スリランカと2月の仏跡にある。このふたつは私にとって決定的に重要なものとなる。たった1日たりとも無駄にはできない。しかも日程はかなりタイトでハードだ。途中で倒れては全てが水泡に帰す。絶対に倒れるわけにはいかない。

そんなギリギリのスケジュールを一発勝負で迎えるのはあまりに無謀!私は弱い!そんな私がインドで無事に日程を消化できるのか。いや、そんなギャンブルは私にはできない・・・・!

というわけでインドの気候や雰囲気、食糧事情などの調査も含めて短期間のインド訪問を計画したのである。ここで慣れておけば次のインドは抜かりなし。万全の状態で挑めるだろうと私は考えたのである。

結果としてこのインドの視察は私にとってあまりに重要なものとなった。この時の体験がなければ後のインド訪問も悲惨なことになっていたことは間違いない。

ただ、感の良い皆さんならもうお気づきかもしれない。

そう。私はこの最初のインドで予想通りひどい目に遭うことになったのである。その顛末はまた後でお話ししていくが、こうして私はインドへと旅立ったのである。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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