『新アジア仏教史03 インドⅢ 仏典からみた仏教世界』~仏伝や経典に説かれる史実はどこまで史実たりえるのだろうか!

新アジア仏教史03 インドにおける仏教

『新アジア仏教史03 インドⅢ 仏典からみた仏教世界』概要と感想~仏伝や経典に説かれる史実はどこまで史実たりえるのだろうか!

今回ご紹介するのは2010年に佼成出版社より発行された奈良康明、下田正弘編集『新アジア仏教史03 インドⅢ 仏典からみた仏教世界』です。

早速この本について見ていきましょう。

経・律・論の三蔵からなる仏典に焦点をあてる一冊。成立の時代も、信仰・実践の背景も異なる仏典の内容を分類、簡潔に解説しながら、ブッダの世界に迫る。また、仏教の開祖釈尊が、後の時代の人にいかに解釈され、受容されていったかを様々な切り口から明確に叙述する。

出版社からのコメント

仏教の開祖釈尊の足跡と教えを知ることができます。そして、釈尊と教えが、後の時代の人にいかに解釈され、受容されていったかをいろんな切り口から明確に叙述しています。 ・カラー写真などの図版を収録。ビジュアル的にブッダ釈尊の宗教世界を理解できる。 ・仏教思想の深まりを平易な言葉で追跡した一冊。 ・研究成果の粋を凝らした5編のコラム。 【目次】 【第1章】 仏伝からみえる世界 【第2章】 初期経典と実践 【第3章】 律と仏教社会 【第4章】 大乗経典の世界 【第5章】 解釈学の進展 【第6章】 思想の深化 【第7章】 儀礼、象徴、テキスト

Amazon商品紹介ページより

今作は前回の記事で紹介した『新アジア仏教史02インドⅡ 仏教の形成と展開』に続く「新アジア仏教史シリーズ」の第三巻になります。

さて今作のタイトルにもありますように、本書では仏教経典からインド仏教世界を見ていきます。

本書について第一章で平岡聡氏による言葉がありますのでそちらを引用します。

創唱宗教の場合、その教祖の持つ意味および位置づけは極めて重要である。一神教であるキリスト教でさえ、人間イエスを「神の子」として、文字どおり「神格化」した歴史が何よりもこれを雄弁に物語っている。では同じ創唱宗教である仏教はどうか。仏教の開祖ゴータマ・ブッダは実際にいかなる生涯を送り、またその生涯が後世の仏弟子や仏教信者たちによってどのように理解され、また解釈されてきたのだろうか。ここでは、その総体を「仏伝」、すなわち「ブッダの伝記」と呼ぶことにする。

仏教は時代的にも地域的にも多様な展開を遂げ、単一の側面のみをもって仏教のすべてを理解したと考えることはできないが、教祖である釈尊の生き方や生涯を理解することは、仏教という宗教を理解する上で、大きな助けとなるであろう。また、本章での視点は、教祖ブッダのみならず、日本における各宗の宗祖や、宗教一般に見られる聖者像や聖人伝を考える上でも資するところがあると考える。では以下、偉大なる教祖の足跡を再確認する作業に取りかかろう。

と大見得を切ったものの、歴史的ブッダの輪郭を明確にするのは極めて困難な作業である。何故か。まずはこの点を整理してみよう。最初に指摘すべきは資料の伝承の問題である。周知の如く、ブッダは悟りを開いてから入滅までさまざまな場所でさまざまな説法を随意おこなったと考えられる。つまり最初から体系だった「教え」や「経典」はなかった。資料によれば、仏滅後に結集がおこなわれ、そこではじめて「ブッダの教え」が「経典」という形で纏められ、さらに整理・体系化が進められていく。しかもこの伝承は「口伝」であり「声」を媒体に伝えられていった。紀元前後になって経典はようやく書き記されるようになり、「文字」を媒体に伝承されるようになる。

ここでの問題は、その伝承の過程において「言い間違い」「聞き間違い」「書き間違い」の可能性が発生するということだ。伝言ゲームに象徴されるように、その間に入る人間が多いほど、原形は変形していく。さらに厄介なのは、この間違いには「意図的」なものと「無意図的」なものとが混在し、それを峻別するのは極めて難しいということである。このように考えると、現在われわれの手元にある経典の記述を鵜呑みにして今から二五〇〇年前の仏教の実像に迫ることは不可能であるし、また客観的・批判的研究のフィルターを通しても、その作業は困難を極める。

仏伝に話を戻せば、ブッダの誕生から入滅までを扱う、いわゆる「体系的な仏伝」が作成されるようになるのは仏滅後かなり時間が経ってからのことであるから、そこには「歴史性」という観点から見れば、大いに問題があると言わざるを得ない。またブッダ自身、自分の生涯を生まれてから死ぬまで編年体的に語った形跡はないから、歴史的プッダの実像に迫ろうとすれば、弟子たちが初期に編纂した初期経典(パーリニカーヤと漢訳阿含経)に散見する断片的な記述をパッチワークし、また初期経典に見られる同様の記述を比較研究することで、朧げにその像を把握しているというのが実情である。

つまり後代の仏伝資料は「体系的」という点では長所を持つが、時代的には後代に作成されているため、〝偉大な教祖〟の神格化が進み、「史実」の信憑性に欠ける。一方、初期経典は他の資料と比較すれば編纂の時期が古いので、そこでの記述は〝歴史的ブッダ〟を反映している可能性が高いものの、体系的ではないという弱点を露呈する。というわけで、どの資料を使っても、一長一短があり、教祖ブッダの歴史的実像に迫るには問題があるということになる。

2010年、佼成出版社、奈良康明、下田正弘編集『新アジア仏教史03 インドⅢ 仏典からみた仏教世界』P14-16

「現在われわれの手元にある経典の記述を鵜呑みにして今から二五〇〇年前の仏教の実像に迫ることは不可能であるし、また客観的・批判的研究のフィルターを通しても、その作業は困難を極める。」

私たちはブッダの生涯をこれまで様々なところで見聞きしたことがあると思います。ですが、ここで語られるように実はブッダの歴史的な事実というのはわかっていないことも多々あるのです。

「資料や経典があるとはいえ、それも絶対に正しいものとは言えない」というのは私達も見落としがちな点であるのではないでしょうか。

これまで当たり前のように受け取ってきた「仏教の歴史」は本当に「正しいものだった」のでしょうか。それにそもそも「正しい歴史」とは何なのでしょうか。

さらに言えば私達僧侶が伝統的に「こうである」とイメージしてきたブッダ像は正しくないものだったのだろうかという問題も起こってきます。

これは僧侶である私にとっても大問題です。それをこの本では経典や資料を用いて丁寧に見ていくことになります。特に本書前半の仏伝に関する解説は私にとっても非常に刺激的なものとなりました。

この「新アジア仏教史」シリーズは読む度に新たな驚きがあります。しかも参考資料なども掲載されているのでこれからの学びの指針も与えてくれます。これもとてもありがたいポイントです。

ぜひぜひおすすめしたい一冊です。

以上、「『新アジア仏教史03 インドⅢ 仏典からみた仏教世界』~仏伝や経典に説かれる史実はどこまで史実たりえるのだろうか!」でした。

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