佐々木実『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』~日本を代表する経済学者のおすすめ伝記!

資本主義と闘った男 マルクス・エンゲルス著作と関連作品

佐々木実『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』概要と感想~日本を代表する経済学者のおすすめ伝記!

今回ご紹介するのは2019年に講談社より発行された佐々木実著『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』です。

早速この本について見ていきましょう。

その男の人生は20世紀の経済学史そのものだった――。〈資本主義の不安定さを数理経済学で証明する〉。今から50年以上も前、優れた論文の数々で世界を驚かせた日本人経済学者がいた。宇沢弘文――その生涯は「人々が平和に暮らせる世界」の追求に捧げられ、行き過ぎた市場原理主義を乗り越えるための「次」を考え続けた理念の人だった。――ノーベル経済学賞にもっとも近かった日本人 86年の激動の生涯――

今から半世紀も前、優れた幾多の論文によって世界の経済学界を驚かせた日本人の経済学者がいた!彼の人生は、20世紀の経済学史そのものであり、彼の生涯は、人々が生き甲斐をもち、平和に暮らせる世界を創り出すために捧げられた。そしてそれは資本主義との闘いの人生でもあった――。2014年に逝去した経済学者 宇沢弘文の伝記です。伝記でありながら、難解とされる氏の経済学の理論を、時代と絡めながら解説していきます。

Amazon商品紹介ページより
宇沢弘文(1928-2014)Wikipediaより

この作品は日本を代表する経済学者宇沢弘文(うざわひろふみ)の伝記です。著者の佐々木実さんはジャーナリストということで、この本は非常に読みやすいです。経済学を学んだことがない人でも宇沢弘文の桁違いのスケールを体感することができます。

著者は宇沢弘文について「はじめに」で次のように述べています。

私は6年ほど前、日本における「社会の市場化」プロジェクトの最大の功労者である竹中平蔵という経済学者の人生の歩みを追い、『市場と権力「改革」に憑かれた経済学者の肖像』(講談社)を上梓した。小泉純一郎内閣の経済閣僚として「構造改革」の司令塔役を果たした彼は現在もなお、安倍晋三首相のブレインとして活躍をつづけている。

「改革者」の実像に迫ろうとした『市場と権カ』の取材の過程で私は、一抹の虚しさをおぼえるようになっていた。新自由主義が「外来の理論」「外来の思想」であるとはっきりわかったからである。薄々気づきはじめたころ、出会い頭の事故のように遭遇したのが、宇沢弘文だった。

竹中が研究者の駆け出し時代に過ごしたシンクタンクの指導者だったこともあり、宇沢は若き日の彼の行状をよく知っていた。「彼はね、本質的には、経済学者ではないんだよ」。世界的に評価されている経済学者が平然と言ってのけたことに得心しながら、「もっと本質をみきわめなさい」と言外に指摘されたように感じたものである。

それにしても、宇沢はずいぶん謎めいた人物にみえた。70歳代半ばになっても長年ジョギングで鍛えた頑健な体驅にめぐまれ、180センチという実寸より背丈は大きくみえた。胸までのびた白くて長いあご髭が聖者の風貌をかもしていたものの、無類の酒好きで健啖家、なによりおどろいたのは観察眼のたしかさだ。

独特の語り口で、名の知れた経済学者の生態を文化人類学者か精神分析家のように描き出してみせる。解剖のメスはアメリカや日本の経済学者集団にも執刀され、ビールをのみながら、焼酎やワインをかたむけながらの縦横無尽の放談はそのまま学派の栄枯盛衰物語になったり理論の形成史になったりした。

これは経済学が醸成される現場を知る者の目撃証言だった。いや、宇沢自身が経済学の最前線で理論づくりに貢献してきた当事者だった。彼こそが、世界の名だたる理論家たちの共同体、いわば経済学の「奥の院」にいた唯一の日本人だったのである。

講談社、佐々木実『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』P6-7

「はじめに」で書かれていたこの文章を読んだ時点で私は宇沢弘文という経済学者に興味津々になってしまいました。私がこの本を手に取ったのはふとした話の流れから友人が薦めてくれたからでした。彼の話を聞いた時点でこれは面白そうだという予感があったのですがまさに大的中!ものすごく面白い本でした。こんなに刺激的な本は滅多にお目にかかれません!読んでいる最中頭がスパークするほどの衝撃でした。宇沢弘文をもっと知りたい!経済学の歴史をもっと知りたい!と好奇心がこれでもかと刺激されます。

読んでいてこんなにもエネルギーが湧き出てくるのは久々でした!私にパワーを充電してくれた本でもあります。

「はじめに」では宇沢弘文についてさらに次のように述べられています。宇沢弘文が経済学の分野においてどのような貢献をしたか、また彼がどれほどすごい方だったかがよくわかる箇所です。

前に私は、宇沢が「経済学の『奥の院』にいた唯一の日本人だった」とのべた。その意味は、経済学者として顕著な実績を挙げたというだけでなく、1950年代後半から60年代にかけて、アメリカ経済学界の中枢メンバーのひとりだったということである。スタンフォード大学、シカゴ大学で研究をつづけた宇沢は、中堅若手の理論経済学者のなかで一、ニを争う存在と目されていた。

ところが、アメリカ経済学界での評価が絶頂をきわめていたそのとき、宇沢は突如としてアメリカを去り、日本に帰国してしまった。シカゴから東京に居を移したのは、不惑を迎える1968年である。べトナム戦争に動揺しはじめたアメリカから、高度経済成長の余韻さめやらぬ日本へ—場所の移動は、宇沢の経済学を根本から変えることになるのだが、有り体にいえば「Hirofumi Uzawa」はこのころから行方不明となってしまった。アメリカの経済学者たち、世界の経済学者の前から忽然と姿を消したも同然だった。

アメリカを盟主とする資本主義国家陣営と、ソヴィエト連邦が率いる社会主義国家陣営が対峙する東西冷戦体制は、経済学という学問にとっても、陰に陽に思考を制約する条件となっていた。新自由主義の隆盛を東西冷戦構造抜きに説明することはできない。冷戦下の思想の相克を背景に、経済学の「奥の院」では密やかに激しい抗争がつづけられていた。1960年代半ばごろから本格化する闘いの場には、宇沢の姿もあった。

帰国してからの宇沢は、高度経済成長の歪みとしてあらわれた公害や地域開発の問題を重視して、環境破壊の問題を経済学が引き受けるべき課題とみなし、自らが牽引してきた主流派の経済学を厳しく批判するようになった。理論家としては、長い沈黙の時代にはいるのである。

周囲の経済学者が戸惑い反発するほど、経済学への批判は執拗かつ徹底していた。新たな理論を創造するためには、既存の理論体系への否定が欠かせない作業だったのである。

宇沢の沈黙を破ったのが、東西冷戦の終焉だったのは偶然ではない。対抗する理論や思想を喪った、ポスト冷戦時代の資本主義をみすえ、宇沢は社会的共通資本という新たな概念を携えて理論闘争の最前線に戻ってきた。

《社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する》(『社会的共通資本』岩波新書)

社会的共通資本の理論は、分析手法においてはまぎれもなく主流派経済学を踏襲しながら、新自由主義を産みおとした主流派経済学に対抗する理論として構想された。いささかアクロバティックな理論を構築してまで宇沢が問いたかったのは、市場原理が深く浸透する社会で「人間」はどうあるべきか、市場空間のなかで「社会」をつくり維持することは可能なのか、という切迫した問題だった。

グローバリゼーションの猛威によって、市場原理に輪郭を規定されてしまうような「人間」であってはならない。人間の側が、市場システムにあるべき「人間」の姿を可能とするような仕組みを埋め込むことで、真にゆたかな社会をもたらす市場経済をつくりだすことができる。

晩年の宇沢を突き動かしていたのは学問への情熱というより、焦燥にも似た憤りだった。いま、「人間」が資本主義に試されている—そんな危機意識を強く抱いていた。

「アメリカ」から色濃く影響を受けた現代経済学を批判し、工業化と都市化に邁進して自然をないがしろにする日本社会に警告を発し、農業の危機を訴え、地球温暖化の問題を論じる。闘いは重層的なものとならざるをえなかった。教育の問題、医療の問題、都市のあり方、森林や戦線を拡げれば拡げるほど、同僚や教え子の経済学者たちからは敬して遠ざけられるようになった。アメリカ在住の気鋭の数理経済学者として、世界中どこの大学を訪れても研究者たちに固まれ羨望のまなざしでみつめられていた若かりし頃とはまったく別の、経済学者の姿がそこにはあつた。

資本主義を探究しつづけた男は、いまだ帰ってきていない。宇沢弘文は遭難したのではないか。それが本書を執筆する際の、私の仮説だった。彼の思索の全貌はいまだあきらかにされてはいないのだ。資本主義と闘いつづけた男の軌跡をたどれば、そこには明瞭な思想が浮かびあがるだろう。そんな思いを抱きつつ、私は捜索の旅にでることにした。

講談社、佐々木実『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』P9-11

この本を読んで驚くのはその豪華すぎる顔ぶれの登場です。経済学の歴史の本を読めば必ず目にする重鎮中の重鎮たちがずらっと出てきます。しかも宇沢弘文はその重鎮たちからも非常に高い評価を受け、さらには彼自身が後のノーベル賞受賞者たちを育てるという驚異の業績を残しています。あのスティグリッツを育てたのが宇沢弘文だというのですから目が飛び出そうでした。

そんな世界で最高レベルの評価を受けていた宇沢弘文がその世界を捨てて日本に帰国したエピソードも非常に興味深かったです。なぜ彼はそうしなければならなかったのか、それがこの伝記の非常に重要なポイントになってきます。

アメリカ式新自由主義、環境問題、格差の問題を「社会的共通資本」という視点から論じていく宇沢弘文。机上の理論ではなく水俣病の現場に赴きその現実と向き合って闘い続けたその姿・・・

経済学者でありながら現場で実践し続けるその姿にも私は心打たれました。

若い頃の禅寺での体験が生涯に影響を与えていたことも見逃せません。

とにかくあまりに巨大なスケール!

何をどうお話ししていいのか私も混乱しています。それほど強烈な人生を歩まれています。

ぜひ一人でも多くの方に読んでほしい名著中の名著です。読めばきっと皆さんも頭がスパークすること間違いなしです。こんなにすごい方が日本におられたんだと驚くことでしょう!

ぜひぜひおすすめしたい一冊です!

以上、「佐々木実『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』~日本を代表する経済学者のおすすめ伝記!」でした。

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