カーライル『過去と現在』あらすじと感想~『共産党宣言』に巨大な影響!マルクスの「現金勘定」はここから!

マルクス・エンゲルス著作と関連作品

カーライル『過去と現在』あらすじと感想~マルクス『共産党宣言』に巨大な影響を与えた作品

今回ご紹介するのは1843年にトマス・カーライルによって発表された『過去と現在』です。私が読んだのは2015年に日本教文社より発行された上田和夫訳の『カーライル選集3 過去と現在〈デジタル・オンデマンド版〉』です。

早速この本について見ていきましょう。

カーライルの社会批評。十二世紀の修道院長サムソンの奇跡を書きしるした年代記を読んだことが契機となり、「過去」との対照において「現代」の社会的危機を痛切に指摘したもの。(このシリーズのオンデマンド版では元本よりひと回り大きいため、文字も少し大きくなっています。)

Amazon商品紹介ページより
トマス・カーライル(1795-1881)Wikipediaより

カーライルはスコットランド出身のイギリスの歴史家です。

1843年という産業革命真っ盛りの時期に書かれた『過去と思索』がどのような作品なのか、訳者あとがきで次のようにまとめられています。

カーライルが一八四二年の秋サフォークの旅で見たものは、まさしくこのような時代の象徴的すがたの一つであった。かれは現実目前に、時代の病弊によって悲惨な状態に陥りいまにも窒息させられんばかりになっている労働者をみる。かれらをとりまく失業と貧困はすでに絶望的な段階に立ちいたっている。

一方、有敗した支配階級は狩猟にふけるばかりで為政者としての責任をはたそうともしない。そしてかれらにとってかわり支配階級にのしあがりつつある商工業級階のイデオロギー、べンタム流の功利的快楽説は、あらゆる人間関係を損益哲学にもとづき「現金勘定」化する時代風潮をかもしつつあった。このような時代閉塞的な「現在」のまえに立たされて、カーライルが改革の必要を痛感させられたのも当然のことであろう。

カーライルの『過去と現在』にはこのような改革への熱情、エネルギーが渦まいている。それは当時の閉塞的なイギリス社会を攻撃する弾丸、社会改革としてのエネルギーであるばかりでなく、また同時にそうした社会改革をなしとげるべき新らしい人間像の建設、すなわち精神革命のエネルギーでもある。
※一部改行しました

日本教文社、トマス・カーライル、上田和夫訳『カーライル選集3 過去と現在〈デジタル・オンデマンド版〉』P429-430

カーライルについては「イギリスの歴史家トーマス・カーライル~エンゲルスがイギリスで尊敬した唯一の知識人「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(23)」で紹介しました。

カーライルの思想はマルクスの『共産党宣言』にも非常に強い影響を与えています。

『共産党宣言』の中の有名な一節、

ブルジョア階級は、支配をにぎるにいたったところでは、封建的な、家父長的な、牧歌的ないっさいの関係を破壊した。かれらは、人間を血のつながったその長上者に結びつけていた色とりどりの封建的きずなをようしゃなく切断し、人間と人間とのあいだに、むきだしの利害以外の、つめたい「現金勘定」以外のどんなきずなをも残さなかった。(中略)

ブルジョア階級は、家族関係からその感動的な感傷のヴェールを取り去って、それを、純粋な金銭関係に変えてしまった。

岩波書店、マルクス エンゲルス、大内兵衛、向坂逸郎訳『共産党宣言』2020年第104刷版P45

『「現金勘定」以外のどんなきずなをも残さなかった』

この強烈な言葉はマルクスが資本主義の仕組みを痛烈に批判した言葉としてよく知られていますが、実はこの言葉はすでにカーライルが『過去と現在』の中で述べていた言葉だったのです。

今回の記事ではその『過去と現在』からマルクス・エンゲルスに大きな影響を与えたであろう箇所を2つ紹介していきたいと思います。

拝金主義の天国と地獄

「地獄という言葉は」とザウエルタイクはいう、「イギリス人のあいだで、いまなおひんぱんに用いられている。が、わたしは、かれらがどんなつもりでそれを用いているのか、確かめるのは容易ではなかった。

地獄は一般に、無限の恐怖をあらわす。人が無限におそれ、震えおののき、ひるみ、全身全霊をあげてそれから逃がれようと懸命になるものである。そこで、考えてみるに、人間の生活の全段階、宗教的その他の発展において、人間に伴なう一つの地獄があるように思う。

しかし、個人と国民とでは、その地獄は著しく異なる。キリスト教徒にとって、正義の審判者である神の前で罪を認められることは、無限の恐怖である。古代ローマ人にとっては、思うに、それはほとんどかれらの関心をよばない、死の国の王にたいする恐怖ではなく、道徳的に価値のないこと、正しくないことをなす恐怖だった。つまりそれは男らしくないことだったのだ。

そこで、近代イギリス人の偽善的な言葉、しばしばくり返されるその風説、みずから崇拝などと称しているものをうがってみるならばーかれらが、じっさい、無限におそれ、全く絶望してながめるものは、いったいなにか?いろんなまことしやかな風説をしばしばくり返すけれど、その地獄はなにか?

わたしは、ためらい、驚きながら、こう言おう、それは〝成功せぬこと〟にたいする恐怖、金をもうけず、名声も得ず、あるいは世に知られぬこと―とりわけ、金をもうけぬことにたいする恐怖である、と!なんと一風変わった地獄ではないか?」

そうだ、ザウエルタイクよ、それは全く変わっている。もし「成功」しないならば、われわれは一体、なんの役に立つのだ?シナの皇帝の言葉のように、「恐懼」するがよい。そこに底知れぬ暗黒の恐怖が、ザウエルタイクのいわゆる「イギリス人の地獄」がある!―だが、じつのところ、この地獄はもちろん拝金主義の福音に伴なうのであり、それはそれで、またそれに相応する天国がある。

なぜなら、たくさんの幻影のなかにも唯一の真実が、われわれがじっさい真剣になる唯一のこと、すなわち金をもうけることが、そこにあるからである。働く拝金徒たちは、狩猟だけを事としている道楽者たちと、世界を二分している。―たとえ拝金主義でも、われわれが真剣になれるものがあることは、ありがたい!怠惰は一番悪いのである。怠惰のみ、希望はない。とにかく何でも真剣に仕事をするがよい。そうすれば、しだいに、ほとんどすべての仕事をおぼえるだろう。たとえ金もうけの仕事でも、労働には無限の希望がある。
※一部改行しました

日本教文社、トマス・カーライル、上田和夫訳『カーライル選集3 過去と現在〈デジタル・オンデマンド版〉』P210-211

「地獄はなにか?わたしは、ためらい、驚きながら、こう言おう、それは〝成功せぬこと〟にたいする恐怖、金をもうけず、名声も得ず、あるいは世に知られぬこと―とりわけ、金をもうけぬことにたいする恐怖である、と!なんと一風変わった地獄ではないか?」

産業革命に沸くイギリス経済。自助努力が全て。勤勉な努力をしない者は取り残される。そうした風潮が支配的な中、実際はどんなに努力しても這い上がれないような格差がどんどん進んでいました。そうした実態をカーライルは「拝金主義」という切り口から語っています。

拝金主義の福音と「現金勘定」~マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』に巨大な影響を与えた主張

なるほど、今日、われわれが、拝金主義の福音によって、奇妙な結論に達していることを、認めざるをえない。われわれは社会とよぶが、全くの分離、孤立を公言してはばからないのである。われわれの生活は、相互に役立つというものではなく、むしろ、「公正な競争」とかなんとかいう名前をつけられた、正当な戦争法規におおわれた相互敵視であるといってよい。

われわれは、「現金勘定」が唯一の人間関係でないことを、いたるところで、すっかり忘れてしまった。われわれは、なんの疑いもなく、「現金勘定」が人間の契約のいっさいを解除し一掃するものと、考える。

「飢えかかっている労働者だって?」と金持の工場主は答える、「おれは、やつらを正当に市場でやとったではないか?契約しただけのものを、何からなにまで、やつらに払っているではないか?これ以上、やつらをどうしなければならないというのか?」―まさに、拝金主義とはゆううつな宗旨ではないか。

力インは、自分一個のために、アベルを殺して、「弟アべルは、どこにいますか?」と問われたとき、「わたしは弟の番人でしょうか」と、かれもまた答えたのであった。わたしはわたしの弟に、かれが当然受けとるべき労賃をはらってやったではないか?
※一部改行しました

日本教文社、トマス・カーライル、上田和夫訳『カーライル選集3 過去と現在〈デジタル・オンデマンド版〉』P211-212

「われわれの生活は、相互に役立つというものではなく、むしろ、「公正な競争」とかなんとかいう名前をつけられた、正当な戦争法規におおわれた相互敵視であるといってよい。
われわれは、「現金勘定」が唯一の人間関係でないことを、いたるところで、すっかり忘れてしまった。われわれは、なんの疑いもなく、「現金勘定」が人間の契約のいっさいを解除し一掃するものと、考える。」

これはまさにマルクス・エンゲルスの『共産党宣言』の言葉と重なってきます。先程も引用しましたがもう一度その箇所を見ていきましょう。比べて見ると一目瞭然だと思います。

ブルジョア階級は、支配をにぎるにいたったところでは、封建的な、家父長的な、牧歌的ないっさいの関係を破壊した。かれらは、人間を血のつながったその長上者に結びつけていた色とりどりの封建的きずなをようしゃなく切断し、人間と人間とのあいだに、むきだしの利害以外の、つめたい「現金勘定」以外のどんなきずなをも残さなかった。

かれらは、信心深い陶酔、騎士の感激、町人の哀愁といったきよらかな感情を、氷のようにつめたい利己的な打算の水のなかで溺死させた。かれらは人間の値打ちを交換価値に変えてしまい、お墨つきで許されて立派に自分のものとなっている無数の自由を、ただ一つの、良心をもたない商業の自由と取り代えてしまった。一言でいえば、かれらは、宗教的な、また政治的な幻影でつつんだ搾取を、あからさまな、恥知らずな、直接的な、ひからびた搾取と取り代えたのであった。

ブルジョア階級は、これまで尊敬すべきものとされ、信心深いおそれをもって眺められたすべての職業からその後光をはぎとった。かれらは医者を、法律家を、僧侶を、詩人を、学者を、自分たちのお雇いの賃金労働者に変えた。

ブルジョア階級は、家族関係からその感動的な感傷のヴェールを取り去って、それを純粋な金銭関係に変えてしまった。

岩波書店、マルクス・エンゲルス、大内兵衛、向坂逸郎訳『共産党宣言』P45

「かれらは、信心深い陶酔、騎士の感激、町人の哀愁といったきよらかな感情を、氷のようにつめたい利己的な打算の水のなかで溺死させた」という表現はもはや詩的というほど感情を揺さぶりますよね。

マルクスのこの『宣言』は苦しむ労働者にその苦しみの原因を教え、それに対する感情を爆発させるように書かれます。これがこの本が圧倒的に人を動かした根本要因にあるように思えます。

カーライルは上の文章の最後の箇所でカインとアベルという旧約聖書の有名なエピソードを持ち込みました。

マルクス・エンゲルスも同じように、単に労働者の窮状を語るだけでなく、さらにスケールの大きな物語を持ってきて語りました。

こうした手法もカーライルから参考にしていたのではないかと思われます。

マルクス、エンゲルスは猛烈な勉強家でした。彼らも先人達の思想や言葉に学びそこから自らの作品を作り上げていったということがうかがわれます。完全なる無から突然すばらしい作品が生まれてくるということはありえないのです。偉大なる天才がいきなり閃いて思想を生み出したという単純な話ではなく、彼らもそれまで積み重ねられてきた思想の上に立って歩みを進めていたことを感じさせられました。

カーライルの『過去と思索』はそれ自体でもすさまじい作品ですが、マルクス、エンゲルスのことを考えながらこの本を読むとさらに興味深いものがあると思います。

以上、「カーライル『過去と現在』あらすじと感想~『共産党宣言』に巨大な影響!マルクスの「現金勘定」はここから!」でした。

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