シューマッハー『スモール・イズ・ビューティフル』~仏教経済学を提唱!経済成長至上主義の現代のあり方に警鐘を鳴らした作品

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シューマッハー『スモール・イズ・ビューティフル』概要と感想~仏教経済学を提唱!物質中心主義の現代のあり方に警鐘を鳴らした作品

今回ご紹介するのは1986年に講談社より発行されたE・F・シューマッハー著、小島慶三・酒井懋訳の『スモール・イズ・ビューティフル』です。

早速この本について見ていきましょう。

一九七三年、シューマッハーが本書で警告した石油危機はたちまち現実のものとなり、本書は一躍世界のベス卜セラーに、そして彼は〝現代の予言者〟となった。現代文明の根底にある物質至上主義と科学技術の巨大信仰を痛撃しながら、体制を越えた産業社会の病根を抉ったその内容から、いまや『スモール・イズ・ビューティフル』は真に新しい人間社会への道を探る人びとの合い言葉になっている。現代の知的革新の名著、待望の新訳成る!

Amazon商品紹介ページより

この本はボン生れの経済学者シューマッハーによる作品です。本の内容に入る前に著者のプロフィールを簡単に紹介します。

シューマッハー(1911-1977)Wikipediaより

E・F・シューマッハー

1911年ボン生まれの経済学者。オックスフォード大学に学ぶ。戦後英国に帰化。英国石炭公社顧問として早くから石油危機を予言。その「スモール」の経済哲学は、物質至上主義の現代文明へのもっとも鋭い批判として注目されている。1977年没。

講談社、E・F・シューマッハー著、小島慶三・酒井懋訳『スモール・イズ・ビューティフル』

シューマッハーはイギリスを拠点にした経済学者で、際限なく拡大する経済に警鐘を鳴らし、自然との共存を前提とした経済に移行することを提唱しました。

訳者のまえがきでは彼について次のように述べられています。

彼は第二次大戦後西ヨーロッパ経済の復興の要をなした石炭産業に身をおくこと二十年、その体験を通じてきたるべきエネルギー危機の本質をつかみとった。同時にそれは、化石燃料を動力として成長をつづける現代工業文明のあり方への根底的な批判に彼を導いた。そして、その批判を通じて、現状を変革する方途を中間技術の開発に見いだし、今日世界の最大の問題の一つである発展途上国の開発にこれを適用する実践にまで乗りだしたのである。本書は、こうした幅広い思索と実践から生まれたものである。

講談社、E・F・シューマッハー著、小島慶三・酒井懋訳『スモール・イズ・ビューティフル』P5-6

そして次の箇所では彼の実践家としての側面と、私たちにとっても驚きの素顔が語られます。

シューマッハーは経済理論家であると同時に、それにも増して実践家であった。だが、その根底にはつねに思想の形而上学的基盤を問い、宗教をめざす志向が強く働いていた。第二作の“A Guide for the Perplexed”という、きわめて宗教的・哲学的な著作をみずからの「全生涯の結晶」と呼んでいることからからも、それはわかる。

しかし、実践家として世故にたけていた彼は、第一作に経済問題を扱った『スモール・イズ・ビューティフル』を選んだ。現代という時代には、いきなり哲学・宗教を語るよりも、身近な経済問題からはいるほうが人びとに訴えるとみたからである。

彼の判断の確かさは、この本がベストセラーになったことで十分に実証された。だが、この本を読みすすんでいけば、経済を論じるシューマッハーの哲学者・宗教家としての声が強く響いてくるのを聞くだろう。第一部第四章の「仏教経済学」という標題からして、すでにその予感がある。
※一部改行しました

講談社、E・F・シューマッハー著、小島慶三・酒井懋訳『スモール・イズ・ビューティフル』P7

なんと、シューマッハーは「仏教経済学」なるものをこの本で説いているのです。仏教的な世界の見方を通して持続可能な経済を求めていく。そうした説を彼は提唱するのです。

なぜ彼が仏教に関心を持つようになったかは巻末の「シューマッハの人と思想」では次のように書かれていました。

若いときから、東洋文化に関心の深かったゲーテ、ショーペンハウエルやニーチェの書に親しみ、この頃(※ロンドンで石炭公社に勤めていた1853年頃 ブログ筆者注)からガンジーの思想に影響されたこともあって、東洋への憧れが復活する。折も折、五五年には、ビルマ大統領の強い要請により、その経済顧問として赴任。在来の大型技術の代わりに身の丈の中間技術を、という彼の助言は採用されなかったが、仏教についての理解を深め、自ら仏教徒と名乗るにいたる。物質文明の反省に立った「仏教国における経済学」はこのときの所産である。五九年のロンドン大学、また六一年のインぺリアル・カレッジでの連続講演では、幅広い角度から経済学の講義がなされている。

講談社、E・F・シューマッハー著、小島慶三・酒井懋訳『スモール・イズ・ビューティフル』P390-391

ゲーテ、ショーペンハウアー、ニーチェ、ガンジー、そこからビルマとの関わりによってシューマッハーは自らを仏教徒と名乗るほどになったというのは驚きですよね。

実際、この本では仏教的な観点から経済が語られていく箇所が多々出てきます。

欲望を無限に追い求めていく経済のあり方への批判や、世界と自分は一体であり共生していくという思想はこうしたところがベースとなっています。

この本では紹介したいことが山ほどあるのですが記事の分量上それも叶いません。ですので私が特に気になった箇所をひとつだけ紹介したいと思います。

経済成長だけを目指すあり方をやめて、新しく出直そう

民主主義、自由、人間の尊厳、生活水準、自己実現、完成といったことは、何を意味するのだろうか。それはモノのことだろうか、人間にかかわることだろうか。もちろん、人間にかかわることである。だが、人間というものは、小さな、理解の届く集団の中でこそ人間でありうるのである。そこで、数多くの小規模単位を扱えるような構造を考えなければならない。経済学がこの点をつかめないとすれば、それは無用の長物である。経済学が国民所得、成長率、資本産出比率、投入・産出分析、労働の移動性、資本蓄積といったような大きな抽象概念を乗り越えて、貧困、挫折、疎外、絶望、社会秩序の分解、犯罪、現実逃避、ストレス、混雑、醜さ、そして精神の死というような現実の姿に触れないのであれば、そんな経済学は捨てて、新しく出直そうではないか

講談社、E・F・シューマッハー著、小島慶三・酒井懋訳『スモール・イズ・ビューティフル』P97

化石燃料や自然を無制限に消費し、経済成長を追い求めていく現代のあり方では必ず限界がくる。そうしたあり方をベースとして作られた数値には果たして本当に意味があるのか。シューマッハーはそれを「無用の長物」とすら述べます。

そして「精神の死というような現実の姿に触れないのであればそんな経済学は捨てて、新しく出直そうではないか」と締めくくります。

ここは彼の思想が端的にまとめられた箇所であるように私は思います。

シューマッハーは抽象的な大多数の人間や数値ばかりを追いかけるのはなく、ひとりひとりの人生、精神性にこそ本質があると考えます。ひとりひとりが精神的な充足し、そして自然環境とも共存できるあり方、これを彼は追求していきます。ここに彼の特徴があります。

初めてシューマッハーの本を読んだ時は仏教的な視点から経済を考えていく彼の言葉に衝撃を受けました。

もちろん、仏教だけですべてを解決させようとしているわけではなく、幅広い知見から彼は世界経済を見ていきます。この本が発表されたのは1973年と、冷戦の真っただ中ですが、特定のイデオロギーの問題として見ることもなく、人間そのものの問題として経済を扱っている点も素晴らしい点だなと思いました。

昨今、世界経済の行き詰まりや環境問題はさらに危険な域に達しています。

日本も毎年のように災害が起こり、世界中でも大規模な洪水や山火事などが頻発しています。環境と経済の問題はまさしく今問われている大問題です。

もともと日本人は自然と共存してきた歴史があります。そして仏教的な土壌によって少欲知足の精神も私たちの文化に根付いていたはずです。

西欧的なやり方だけが絶対ではありません。アメリカやヨーロッパが主導するやり方があたかも絶対的なものとして受け取られがちですが、東洋には東洋の英知があるのです。私たち日本人にも世界に誇る文化があるはずです。「西欧がそう言っているのだからそれはいいものなんだ」と鵜呑みにするのではなく、様々な選択肢がある中で自分たちは何をすべきなのかを考えていくことが大切なのではないかと思います。

西欧をまるまま「理想視」する傾向が未だに強いように感じる昨今、こうした問題提起を与えてくれる本書はとても貴重なものなのではないでしょうか。ぜひおすすめしたい一冊です。

以上、「シューマッハー『スモール・イズ・ビューティフル』仏教経済学を提唱!経済成長至上主義の現代のあり方に警鐘を鳴らした作品」でした。

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