映画でも有名!『ホテル・ルワンダの男』アフリカのシンドラーと呼ばれた男の物語

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映画でも有名!『ホテル・ルワンダの男』~アフリカのシンドラーと呼ばれた男の物語

今回ご紹介するのは2009年にヴィレッジブックスより発行されたポール・ルセサバキナ著、堀川志野舞訳『ホテル・ルワンダの男』です。

早速この本について見ていきましょう。

緑豊かな丘に囲まれたアフリカの小国、ルワンダ。しかし、長年つづいていた民族間の諍いが、1994年、大量虐殺に発展した。わずか100日の間に80万人以上が昨日まで隣人だった人に殺された。子供も女性も年寄りも見境なく―。

のちに「20世紀最大の悲劇」と呼ばれるようになるこの事態を国際社会は黙殺しようとし、国連さえもルワンダを見捨てかけた。そのとき、一人の名もなきホテルマンが、持てる知恵とわずかな人脈だけをたよりに殺戮から逃げてきた人々をホテルにかくまって、1200人以上を救った。

家族思いの平凡な男がどうやって虐殺に立ち向かったのか。これは自らの体験をつづったものである。

ヴィレッジブックス、ポール・ルセサバキナ、堀川志野舞訳『ホテル・ルワンダの男』

この本は映画『ホテル・ルワンダ』のモデルになったポール・ルセサバキナが自らの体験を綴った作品です。

映画では作品制作の都合上脚色などもあり、事実そのままではありませんが、彼が1200人もの人を危険を承知で匿い、その命を救ったのは事実です。

この本ではそんな彼の体験が詳しく語られることになります。

ここで彼のプロフィールを改めて見ていきましょう。

ポール・ルセサバキナ

1954年、ルワンダの農家の息子として生まれる。神学を学んでいたが、観光業の道へ進み、ルワンダの首都キガリのホテルで支配人を勤める。1994年、大量虐殺が起こったとき、逃げてきた人々を自らの判断でホテルにかくまい、1200人以上の命を救った。その後、ベルギーに亡命。本人の体験をもとにした映画『ホテル・ルワンダ』は、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞などにノミネートされ、国際的にも高い評価を得た。


ヴィレッジブックス、ポール・ルセサバキナ、堀川志野舞訳『ホテル・ルワンダの男』

このプロフィールにもありますように、著者は神学者への道を歩みながら観光業への道に進み、ホテルの支配人となる一風変わった経歴の持ち主です。

この本ではそんな著者がどのように幼少期を過ごし、そこから成長していったかということから始まっていきます。当時のルワンダの状況や、著者がなぜ後に命がけで多くの人を救おうとしたのかの背景をここで知ることになります。

そこから1994年に突如始まった大虐殺と彼がいかにしてホテルを守ったのかということが語られます。敵対者と暴力や憎しみで向かい合うのではなく、言葉を尽くして相手と話し合い、妥協点を探り穏便に切り抜けるその機転や精神力には読んでいて驚くしかありません。

この本も一気に読んでしまいました。この本もルワンダの虐殺を知る上で非常に貴重な一冊です。

そしてこの本の中で特に印象に残った箇所があります。

少し長くなりますが重要な箇所ですのでじっくりと見ていきます。

私が何よりも重要だと思うことについて説明させてほしい。

虐殺の初日に自宅から一歩外に出た時のことを、私は決して忘れないだろう。通りには七年前からつき合っていた隣人たちの姿があった。わが家で時々開く日曜のバーベキューパーティーに参加していた人々である。彼らは市民軍から支給された軍服に身を包んでいた。手には鉈を握り、ツチ族として知られる者や、ツチ族の身内を持つ者、あるいは殺戮への参加を拒む者の家に侵入しようとしていた。

仮にピーターと呼ぶひとりの男のことは特に印象深い。彼は三十歳ぐらいで若い妻がいて、卜ラックの運転手をしていた。ピーターをひと言で表現するのにぴったりのアメリカ英語がある―〝いかしてるクール〟。ピーターはとにかくいかした男だった。子供に優しく、思いやりがあり、軽口も叩くが、笑えない冗談は言わなかった。その朝、私は彼が軍服を着て血の滴る鉈を手にしているのを見た。自分の隣人のこんな変貌を目のあたりにするのは、夏の青空があっという間に紫色に変わるのを目にするようなものだった。私を取り巻く世界全体が狂気へと転じていた。

このような事態を引き起こす原因となったものは何か?答えは単純―言葉だ。


ヴィレッジブックス、ポール・ルセサバキナ、堀川志野舞訳『ホテル・ルワンダの男』P16-17

なぜ人々はあっという間に虐殺者に変わってしまったのか。

彼はその原因を「言葉」だと言います。さあ、これはどういうことなのでしょうか。

鉈を握った人々の親たちは、自分たちがツチ族に比べて知能も外見も劣ると再三言い聞かされてきた。容姿の面でも国政を司る能力の面でも、ツチ族を超えることは決してできないのだ、と。それはエリートの権力をより強化する意図のもとに考えられたレトリックだった。フツ族は政権を奪取すると、自分たちが聞かされてきた悪意に満ちた言葉をロにすることで、過去の恨みを煽り立て、抑えのきかない心の闇を刺激した。

ラジオ局のアナウンサーによって発せられた言葉が暴力の最大の引き金となった。ラジオは一般市民に対して、ツチ族の隣人宅へ押し入り、その場で住民を殺害することを公然と奨励していた。そうした指示は誰にでもわかるような暗号で表現された。「背の高い木を切れ。近隣を清掃せよ。義務を果たせ」標的の住所と名前が電波の上で読み上げられた。逃げ出す者があれば、それが実況放送され、聴衆はスポーツの試合のようにラジオの向こうの追跡劇に耳を傾けた。

民族的優位を称え、為すべき仕事を果たすよう人々に訴えかけた数々の言葉は、三ケ月間にわたってルワンダに信じがたい現実を作り上げた。狂気が正当なものに見せかけられ、暴徒との意見の相違は死をもたらした。

ルワンダはひとつひとつの段階で失敗を重ねていた。それはヨーロッパの支配者たちの、民族の差異を利用した、分断と統治という戦略の失敗からはじまった。それに続いたのは、民族間の分裂を乗り越えて、真の連合政府を形成することができなかったルワンダ人の失敗だった。次は充分な証拠があったにも関わらず介入しようとせず、大惨事を防ぐことができなかった西欧諸国の失敗だった。ジェノサイドという言葉を使おうとしなかったアメリカの失敗もあった。平和維持組織としての責務を果たそうとしなかった国連の失敗もあった。

これらのすべての失敗は、言葉の使いかたを誤ったことに原因があった。私が強調したいのはそのことだ。人類の兵器庫の中で、言葉は命を奪うのに最も効果的な武器である。


ヴィレッジブックス、ポール・ルセサバキナ、堀川志野舞訳『ホテル・ルワンダの男』P17-18

私はこの箇所を初めて読んだ時、鳥肌が立ちました。

私は伊藤計劃さんの『虐殺器官』を連想してしまったのです。

言葉が人々を虐殺に導いた・・・

ラジオ局から流れる虐殺の言葉が人々を駆り立てた。

伊藤計劃さんがこの本を読んでいたかどうかはわかりません。ですが、『虐殺器官』ではこうした虐殺が何度も語られることになります。

いずれこのブログでも伊藤計劃さんの作品については紹介していく予定ですが、私にとってはこの『ホテル・ルワンダの男』はかなりの衝撃でした。

とてもおすすめな1冊です!

以上、「映画でも有名!『ホテル・ルワンダの男』アフリカのシンドラーと呼ばれた男の物語」でした。

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