FAMA『サラエボ旅行案内 史上初の戦場都市ガイド』~ユーモアたっぷりに語られるボスニア紛争下の生活とは

ボスニア紛争とルワンダ虐殺の悲劇に学ぶ~冷戦後の国際紛争

『サラエボ旅行案内 史上初の戦場都市ガイド』概要と感想~ユーモアたっぷりに語られるボスニア紛争下の生活とは

今回ご紹介するのは1994年に三修社より発行された、FAMA編集、P3 art and environment訳 『サラエボ旅行案内 史上初の戦場都市ガイド』 です。

この本は前回紹介したヤスミンコ・ハリロビッチ著『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』の中で紹介されていた本になります。この本の訳者角田光代氏はその本の中で次のように述べていました。

2013年、テレビの仕事でサラエボを訪れた。きっかけは、1冊のガイドブックだ。たまたま手にとった『サラエボ旅行案内ー史上初の戦場都市ガイド』(三修社 著・FAMA訳・P3 art and enviroment)というタイトルの本は、まさに戦時下のサラエボの町を紹介している。驚くのは、町が戦場となっていることだ。ふつうの人々が暮らす町が敵に包囲され、ふつうの人々が標的にされる。それはあたかも渋谷や新宿が封鎖され、通行人や買い物客が狙われているようなものだ。それなのに、町や暮らしを紹介する文章はアイロニカルで、ユーモアに満ちている。攻撃にさらされている町で、コンサートも演劇もサッカーの試合も催されていると書いてある。

なんなんだろう、この町は。そう思った。戦争は20年近く前に終わっているが、その町を見たい、その町に暮らす人々に会ってみたい。そう思って出向いたのである。いろんな人に会った。くだんのガイドブックを企画した女性コンサートを開き続けたバイオニスト、戦争で子どもを失った母親たち、当時子どもだった女の子。本書を偏集したヤスミンコくんにもそのときに会った。

集英社インターナショナル、ヤスミンコ・ハリロビッチ著、角田光代訳、千田善監修『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』 P 4-5

訳者の角田光代氏が衝撃を受けた『サラエボ旅行案内 史上初の戦場都市ガイド』という本をぜひとも読んでみたい。そんな思いで手に取ったのがこの作品でした。

では、早速この本について見ていきましょう。この本の「日本語版によせて」の文章がこの本の特徴をわかりやすく紹介してくれているので、少し長くなりますが引用していきます。

1994年夏のサラエボには、過去、現在、遠い未来、私たちとは異なる様々な文明から生まれた文化、戦争直前の過去、そして(それが訪れるとして) 21世紀末が同時に存在している。サラエボは激変を生きのび、現在、激変後を生きている。

文明―電気、水、電話、暖房、学校、商店、劇場、交通、食糧―は徹底的に破壊された。人的な面でも、人びとが徹底的に殺害され、街には罠が仕掛けられ、封鎖され、砲撃兵と狙撃兵の手ではかりしれない打撃を受けている。あらゆるものが標的にされ、どの方向からもねらい撃ちされる。そこでは、人びとは個人的に抵抗することでしか、身を守ることはできなかった。

特筆すべき生活様式、つまり日に1000回におよぶほどの砲撃を受けながら、演劇、展覧会、コンサート、誕生日、書籍の出版、大学の講義、スポーツ・トレーニング、私営ラジオ局の開設、新聞の発行……、それらがすなわち文化であった。ハード・ウェアが破壊され、ソフト・ウェアが生き延びたのだ。

ユーモアや知性や「労働」は本来、抑制をうける種類のものだが、人びとにとっては「生き延びる」ための大切ななにかだった。もし誰も存在しない世界の果てにいるとするなら、”地獄の13階”に住んでいるとするなら、あるいは同じ日に葬式と結婚式をとり行うとしたなら、せめて冗談を言うほかなにができるだろうか。死はつねに日常以外のなにものでもない。

サラエボ市民はこうした悪夢の中で、しかしある満足感を抱いている。叡知により、ひとりひとりがテロにたいする勝利をおさめるからである。人びとは日々の暮らしを、知性や都市型の文化によって「生き延びる」ことができた。残存する文明のひとかけらから、なにか新しいものが作り出された。激変のなかで、ありうべき生活の形態が生まれた。このような状況のなかで「労働」はまったく新しい概念となる。水、食糧、電気、燃料を求めるといつ生物学的生存(サバイバル)のための戦い以外に、人びとは精神的生存(サバイバル)のためにも戦ったのだ。

人びとはつねに砲撃兵や狙撃兵の標的とされながら、紙やぺン、電話、暖房、電気もない、摂氏マイナス26度の職場に出かけることによって、完全に変えられてしまった生活を、ある水準に保とうとした。ろうそくの灯りで行われる催しに出かけることで、たがいに勇気づけられもしたのである。

サラエボ市民は包囲下の「自由」と「生存」を「勝ち」とった。人びとがおのずと発見したモデルは「再建」と称される新たな時代に、未来を切り拓く「モデル」になり得る。

三修社、FAMA編集、P3 art and environment訳 『サラエボ旅行案内 史上初の戦場都市ガイド』P97

あらゆるインフラが破壊され、水や食料も不足し、いつ狙撃されるかもわからない生活。死が日常となった世界でサラエボ市民はいかにして生き延びていたのだろうか。

この本はそのことを明らかにしていきます。

そして、この本で最も特徴的なのは「ユーモア」を強調しているという点です。悲惨な生活の中でユーモアがどんな意味を持っていたのか、そのことをこの本では強調しています。

このことについて池澤夏樹氏による巻末解説がありますのでこちらもご紹介します。この解説もものすごく重要です。

絶望とユーモア

平穏な日々をのんびりと暮らしている人は、ユーモアというのは人生の表面の飾りだと思っている。なければないで済むけれどあれば楽しいぐらいに考えている。しかし、本当に生きるか死ぬかの窮地に追い詰められた者にとって、ユーモアは最後のよりどころ、命綱、緊急脱出装置になる。

そういう場合、大事なのは自分が置かれた立場を客観視することだ。自己にしがみついているかぎり、身に迫る危険ばかりが視野を占領して、周囲との関係は見えなくなる。この金縛りの状態を抜け出すために、自分を笑うという姿勢は役に立つのだ。

目隠しをされて一本のロープにぶらさがっている自分を想像してみるといい。ロープの下は千尋の谷、手を放したら命はない。しかし、(例えば映画の一場面として)他人の目から見ると、実は足の下30センチのところに床があるのだ。目隠しをされた本人はそれを知らないから脅えきって、冷や汗をかき、まさに懸命にロープにしがみついている。これは他人にとっては充分に笑える光景ではないか。そして、この他人の視点をロープにぶらさがった状態で自らのうちに用意することがユーモアなのだ。始末が悪いのは突然の死ではなく、突然の死を予想して身がすくんでしまうことである。立っていても踊っていても銃弾が当たる確率は同じだとすれば踊ったほうがいいと考えるのがユーモア。

この本は、戦車と迫撃砲と機関銃に包囲された都市に生きる人々の恐怖と悲哀に満ちた生活の記録である。だが、それを悲劇として書くのではなく、ミシュラン風のガイドブックに仕立てるという見事な逆技法で優れた本になっている。実際この方法にはいくつもの利点がある。

第一はこの極限的な状況が長期に亘るものだという点を雄弁に伝えられること(3日間の砲撃は悲劇だが、1年を超える砲撃は日常であり、時として喜劇に転化する)。

第二は他人の惨状に馴れてしまった現代人に悲劇の現実の何たるかを伝える説得力を得られること(今やマスメディアは悲惨に満ちており、それを訴えるジャーナリストの言葉には限界がある)。

第三は、先に書いたとおり著者たち自身が自分の置かれた事態を余裕をもって正確に把握する助けになること(これこそユーモアの威力である)。

東ヨーロッパは絶望のユーモアの本場である。戦後数十年の長い歳月の間、ソ連の圧政の下で無数の秀抜なアネクドート(逸話)を生み出して笑いによるサバイバルを実行してきたからこそ、実際に砲弾が降ってくるようになってもまだまだユーモアの備蓄がある。いや、事態が悪くなればなるほどユーモアの生産量は増すのだ。これが人間の叡知であり、想像力であり、文化の本当の底力というものだ。

大砲を撃つには何の想像力もいらない。むしろ砲弾が落ちる現場を想像しない方が大砲は発射しやすい。だからこそ、最後には、砲弾を浴びる側、死と隣り合って生きる側、「同じ日に葬式と結婚式をとり行う」側の方が勝つのではないか。それが、いささか大袈裟な表現を許してもらえれば、人間の栄光というものではないだろうか。

三修社、FAMA編集、P3 art and environment訳 『サラエボ旅行案内 史上初の戦場都市ガイド』P99

ユーモアの意義がとてもわかりやすく解説されていますよね。ロープのたとえ話は私も「なるほど!」と思わずうなってしまいました。

この本はまさしく紛争の真っ最中に書かれた本です。そんな極限状態の中でも、上の解説にもありますように、まるでミシュラン本のように人々の生活が紹介されます。

当時の人々は何を食べ、どんな生活をしていたのか。普通なら絶望に沈んでしまうであろう中、ユーモアたっぷりに彼らの生活が語られていきます。

サラエボ市民がいかに過酷な生活をしていたかがものすごく伝わってくるのですが、このユーモアのおかげで不思議と重苦しさを感じません。

むしろサラエボ市民の力強さを感じさせられます。

特に後半で語られる文化や芸術活動の紹介には驚いてしまいました。生活物資もなく、いつ狙撃されるかもわからない極限状態の中で「精神の自由」を求めて人々は闘っていた。その姿をこの本では知ることができます。

本のタイトルにもありますように、この本はガイドブック風に書かれていますのでとにかく写真も豊富です。当時の様子をたくさんのカラー写真で見れるのはとてもありがたいです。

現在この本は絶版になっておりなかなか手に入りにくい状態となっています。大きな図書館には置いていると思いますのでぜひ手に取って頂ければなと思います。

以上、「FAMA『サラエボ旅行案内 史上初の戦場都市ガイド』~ユーモアたっぷりに語られるボスニア紛争下の生活」でした。

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