今後のブログ更新について~なぜ今ドストエフスキーを学ぶのか。私は何をしたいのか。

ドストエフスキー 親鸞とドストエフスキー

今後のブログ更新について―なぜ今ドストエフスキーを学ぶのか。私は何をしたいのか。

私は今年(2020年)の4月頃よりドストエフスキーについての記事を更新し続けています。

ドストエフスキーに興味のない方にとっては「???」以外の何物でもないでしょうし、興味のある方にとっても僧侶であり専門家でもない私がなぜここまでドストエフスキーについて記事を書き続けなければならないのかと不思議に思われるかもしれません。

仏教についてわかりやすく、「そもそもそれは何?」的なことを考えていくことをブログ開設当初はお題に挙げていましたが、いつしか仏教がらみの記事も少なくなってしまいました。

ですが、です。

申し訳ありませんが、読者の皆様にはもう少し辛抱して頂くことになりそうです。

私が今こうして自分が読んだものを記事としてアップしているのも、読んで下さる皆様にその本の良さを伝えたいという気持ちがあります。

そして何より、この「記事を書く」ということが自分自身の貴重な学びの場であると私は考えています。

私のわがままではありますが、最近はこのブログという場を借りて私の大切な学びの場とさせて頂いています。

また、次の記事からは『レ・ミゼラブル』で有名なヴィクトル・ユゴーやイギリスの文豪チャールズ・ディケンズなどドストエフスキーに多大な影響を与えた作家の作品を見ていきます。

そう考えていくと、この作業はこのペースで更新していってもやはり今年いっぱいはかかりそうな気配がします。

最終的にはまたドストエフスキーに立ち返り、ドストエフスキー作品の魅力やいかに彼の作品がすごいのか、そしてその意義、作品を読むコツやポイントなどもお話しできたらなと考えています。

そこまでいけばドストエフスキーに興味のなかった方にも、「???」状態から抜け出せるところまでいけるのではないかと信じております。

そのためにも、やはり皆様におかれましてはまだまだ「???」状態が続くかもしれませんが、まだまだ今の更新のスタイルを続けて参りたいと思います。

とは言え、ただ単に本を紹介するだけで終わらせるつもりはございません。

ご紹介するどの作品においても、その作品がいかに素晴らしいか、ドストエフスキーとどんなつながりがあるのかということを、皆様にできるだけわかりやすくお伝えできるよう努力して参ります。

基本的にこれから紹介していく作品はどれも文学の歴史上、名作とされる作品ばかりです。

ユゴーの『レ・ミゼラブル』しかり、ディケンズの『クリスマス・キャロル』しかり、トルストイの『戦争と平和』などなど、傑作中の傑作ぞろいです。

タイトルは知っていてもなかなか本で読むことがないような作品がぞろぞろ出てきます。

私の記事がそんな作品たちとの出会いのきっかけになってくれましたら何よりでございます。

ドストエフスキーを学ぶために海外の作家を読むことは一見遠回りに見えます。

しかしその作業を通すことで、ドストエフスキーに対する見方がまた変わってきます。

あくまでドストエフスキーを学ぶという視点を持った上で他の作家の作品を読んでいく。

それはユゴーを読んではいてもドストエフスキーを学ぶことであり、さらにそこから遡り、親鸞や仏教を学ぶことにも繋がるのです。

「僧侶なら他のものを見ていないでお経の勉強をすべきだ」

それはごもっともなことだと思います。

ですが、お経を読むことだけがお経の勉強ではありません。

目の前にあるあらゆるものがお経であり、仏教の学びになるのです。

一見まったく関係のなさそうなものからでも、仏教を見出すことができるのです。

私はそういう気持ちで日々本を読み、世界を見ています。

もちろん、私自身お経そのものをないがしろにするつもりは全くございません。むしろそこが私の原点であり大切な存在です。その学びを怠ればお坊さんとしての大切なものを自ら捨ててしまうことになってしまうでしょう。

あくまで私は僧侶です。僧侶の目線でドストエフスキーを読み、ユゴーを読み、トルストイを読みます。

ドストエフスキーもユゴーもトルストイも僧侶としての私の学びを支えてくれる大切な先生です。

決して仏教をないがしろにしているわけではないということが皆様に伝わってくれたなら幸いでございます。

以上、「今後のブログ更新について~なぜ今ドストエフスキーを学ぶのか。私は何をしたいのか。」でした。

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