ニーチェ『反キリスト者(アンチクリスト)』あらすじ解説ードストエフスキー「大審問官の章」や仏教とのつながりについて

ニーチェとドストエフスキー

ニーチェ晩年の傑作『反キリスト者(アンチクリスト)』あらすじ解説ードストエフスキー「大審問官の章」や仏教とのつながりについて

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今回ご紹介するのは1888年にニーチェによって発表された『反キリスト者(アンチクリスト)』です。

私が読んだのはちくま学芸文庫版、原祐訳『ニーチェ全集14 偶像の黄昏 反キリスト者』所収の『反キリスト者』です。(※参考書等では『反キリスト者』を『アンチクリスト』と訳しているものが多いので以下この作品については『アンチクリスト』のほうで記載していきます)

早速この本について見ていきましょう。ニーチェ晩年の思想を解説した西尾幹二著『西尾幹二全集第五巻 光と断崖ー最晩年のニーチェ』では次のように述べられています。

私がかねてから最後の時期のニーチェの傑作と見ているのは、通説と違って『この人を見よ』ではなく、『アンチクリスト』なのだが、なぜこの一作に限って、語り口のトーンがきわめて高いままに客観的で、説得的で、形式上も完結性を具えているのか、久しく疑問を抱いていたその理由が解け始めたのである。ニーチェはいよいよ最後の段階で、あの最高の価値の問題にけりをつけようとしたからなのだ。そしてそのために、劇的に効果のある、よく引き緊まったキリスト教批判の一書を世に問うことにした。(中略)

事実、『アンチクリスト』は他の彼の著作と違って、統一テーマを畳み掛けるように論じて行く、説得調の展開が際立っている。論の組み立て、構成もしっかり計算されているし、読者に訴え掛ける劇的な語り口も秀抜である。彼は伝達のための何かを発見したのだ。文学形式に一つの新境地を拓いたのだと言ってもいい。

国書刊行会、西尾幹二『西尾幹二全集第五巻 光と断崖ー最晩年のニーチェ』P29-30

ニーチェ研究者の西尾幹二はこの作品を晩年の傑作とし、ニーチェの対キリスト教思想における最重要の作品と見なしています。

西尾幹二はこの作品の中心テーマについて次のように述べます。

『アンチクリスト』の中心テーマは、次の短い一文にいわば要約されている。

……私はキリスト教の本当の、、、歴史を物語ることにしよう。―すでにキリスト教という言葉が、一つの誤解だ。―つき詰めていけば、キリスト教徒はただ一人しかいなかった。そしてその人は十字架につけられて死んだのだ。《福音》は、十字架上で死んだのだ。この一刻を境にして、以後《福音》と呼ばれたものは、すでに、この人物、、、、が身をもって生きたものの反対物であった。(第三十九節)

ニーチェがイエスの神聖さを認めていたか否かは別として、イエスが身を以て生きたような生活、その模範的な死に方、ルサンチマンの感情をことごとく超え出た自由感、超越感に、彼が一目置いていたことは紛れもない。一目置いていた、というより、イエスの比類のない実行を、既成のあらゆるキリスト教的解釈から切り離してどう理解するかが、『アンチクリスト』の最も重要な主題の一つであったと言える。

そしてもう一つの重要な主題は、これとは反対に、弟子たちがイエスを誤解し、福音とはまるきり正反対のものから教会という権力組織を築き上げた必然性を、犀利な心理的洞察をもって描き出すことであった。

イエスがすでにわが身をもってけりをつけ、自分の背後に片づけたと感じている同じものを、人類は「教会」の概念において神聖視しつづけて来たのだ、とニーチェは見る。この意味においてキリスト教の歴史は、イエスが示したような福音の根源的意義を、一歩一歩しだいに粗雑に誤解して行くプロセスに外ならなかったという。

パウロ以後、事態はひどくなる一方である。ニーチェはパウロがイェルサレムの原始キリスト教教会のユダヤ主義を克服して、異邦人のためにキリスト教を普遍化し、世界宗教に仕立てたという説―キリスト教史のいわば常識的前提―を、まるきり頭から信じない。歴史的キリスト教を弾劾する点において、彼はじつに容赦がない。
※適宜改行しました

国書刊行会、西尾幹二『西尾幹二全集第五巻 光と断崖ー最晩年のニーチェ』P32-33

キリスト教徒はただひとりしかいない。しかもその人は十字架で死んだというニーチェの説はなかなかに衝撃的ですよね。「神は死んだ」という言葉とはまた違った衝撃があります。

ニーチェはこの作品でキリスト教教団がいかにして成立し現在まで続くかを心理的、歴史的に考察していきます。その切れ味は凄まじいほどで、これをぶつけられたら教団側も何と答えるのだろうかとこっちが固唾を飲んでしまうほどです。

そしてドストエフスキーという観点からニーチェを読んでいる私にとってはどうしてもこの『アンチクリスト』の主題が『カラマーゾフの兄弟』の大審問官の章と重なって見えてきます。

ドストエフスキーもカトリック教団の歴史と疑問点をイワンの口を通して極限まで突き詰めていきます。ニーチェもドストエフスキーも極限まで探究せざるをえない狂気の思索家でした。こうした2人の特徴が『アンチクリスト』を通して見えてくるように思いました。

また、ニーチェはこの作品を書くにあたり、ドストエフスキーの『悪霊』を参考にしていたことが彼の遺稿から明らかになっています。グロイター版を底本にした白水社版『ニーチェ全集第十巻(第Ⅱ期)』のその箇所を見てみると、『悪霊』のかなりの部分が抜き書きされていることがわかります。西尾幹二もこうしたドストエフスキーとのつながりを指摘しています。

そして個人的にこの作品で興味深かったのが、仏教とのつながりです。この作品ではキリスト教に対して容赦ない攻撃を浴びせかけますが、仏教に対してはかなり好意的です。本文をそのまま引用すると難しくなってしまうので西尾幹二による解説を引用します。

第二十―二十三節は「仏教とキリスト教」という原題を持っていて、ニーチェはキリスト教を断罪する一方において、仏教を「老成した人間のための宗教」と呼んで大いに持ち上げている。仏教はキリスト教に比べ「百倍も冷静で、誠実で、客観的」な宗教、神という概念に出現当時すでに始末をつけている「百倍も現実主義的レアリスティッシュ」な宗教だと規定し、興味深い比較宗教論を展開している

国書刊行会、西尾幹二『西尾幹二全集第五巻 光と断崖ー最晩年のニーチェ』P38

ニーチェはショーペンハウアーの影響を受けていたこともあり、仏教思想にも関心を持っていました。

そのことについては以前紹介した上の本にも書かれていましたが、『アンチクリスト』では明確に仏教についてのニーチェの見解が示されています。これは僧侶である私にとっても非常に興味深いものでした。

『アンチクリスト』は西尾幹二が述べるように私もニーチェ作品の中でも特に優れた作品であるように思えます。何より、読みやすい!そしてその思想の強烈たるや!この本はニーチェ作品の中で私の一番のお気に入りの作品です。ドストエフスキーが好きな方には特におすすめしたい1冊です。

以上、「ニーチェ晩年の傑作『反キリスト者(アンチクリスト)』あらすじ解説ードストエフスキー「大審問官の章」や仏教とのつながりについて」でした。

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