西尾幹二『ニーチェ 第二部』大学教授、看護兵、高校教師ニーチェの意外な素顔とは

ニーチェとドストエフスキー

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今回ご紹介するのは、1977年に中央公論社より発行された西尾幹二著『ニーチェ 第二部』です。この本は前々回に紹介した西尾幹二著『ニーチェ 第一部』の続編に当たります。

早速この本について見ていきましょう。

内容(「BOOK」データベースより)

可能な限り主としてドイツでの基礎資料および文献を調査し整理して、緻密かつ新鮮な解釈を提示した画期的なニーチェ研究。本書第二部では、学者となったニーチェが、単なる文献学を越えて、『悲劇の誕生』をもって古典学界に一大波紋を引き起こすに至る教授時代に光をあてる。

Amazon商品ページより ※ちくま学芸文庫版

『ニーチェ 第一部』では21歳までのニーチェが語られましたが、この第二部では彼の教授デビューや巨匠ワーグナーとの出会い、処女作『悲劇の誕生』の成立過程について語られていきます。

第一部も非常に興味深い内容が満載でしたがこの第二部も負けていません。意外な事実がどんどん出てきます。

私がまず驚いたのはニーチェが24歳で教授に抜擢されたという事実でした。今もそうですが教授になるというのはそう簡単なことではありません。それを24歳で実現させてしまったニーチェ。当時としても異例の抜擢だったようです。それだけニーチェは優秀だったとのことでした。

こうしてスイスのバーゼル大学の教授となったニーチェでしたが、1869年、25歳の年にスイス国籍を取得しています。ニーチェと言えばドイツ人というイメージがありましたが、これ以降彼は生涯スイス人として生きていくことになったのです。これも私にとっては意外な事実でした。

また、ニーチェは1870年に勃発した普仏戦争に志願兵として従軍しています。彼は看護兵として戦場に自ら赴いたのでした。

僅かな期間だが、実際の戦場は、ニーチェに容易ならぬ、重苦しい、厳粛な経験をもたらした。(中略)

負傷者や瀕死の病人たちを看病しながら、彼は各地の野戦病院や病院車をわたり歩いた。その間彼がロには言えないどんな経験をしたか、はっきりした記録は残っていない。「気の毒な負傷兵たちの呻きや嘆きを訴える苦悶の叫びが、なお数ヵ月彼の耳には聞こえた。それについて語ることは、最初の数年間というもの兄にはほとんど不可能であった」(EJ 267)と妹は書いている。たいぶ時を経てあるとき妹が看護兵としての兄の経験をまだ少ししか聞いていないと不平を洩らすと、ニーチェは苦しそうな表情をして、「そんな話が出来るものか。それは不可能だ。そんな記憶は追い出すように努力しなければならないのだ!」(ibid.)と憮然として語ったという。

当時の戦争は国を挙げての総力戦とはいえなかった。まだのどかな雰囲気を多少は残している時代の戦争ではあったが、それでも彼は戦場でなにか言い難いものにぶつかったのであろう。行動するということは、たしかに事前の反省や思索をまったく無効にしてしまうなにかをもたらすのである。

中央公論社、西尾幹二『ニーチェ 第二部』P224-225

おそらくニーチェは戦争の生々しい現実に直面し、言葉にできぬ思いを胸に抱いたものと思われます。普仏戦争はフランスの文豪エミール・ゾラが『壊滅』という作品で描いています。

この作品でまさに負傷兵を収容する病院の描写が出てきます。この描写が寒気がするほどのリアルさなのです。おそらくニーチェはこういう体験をしたのだろうなということを想像させられます。作品としても超一流の面白さなのでゾラの『壊滅』は非常におすすめです。

ニーチェは単に机上の哲学者ではなく、行動する意志を持つ哲学者であることもこの本では明らかにされます。

最後にこの本でもう一つ紹介したいのは高校教師としてのニーチェです。

大学教授としての仕事をする一方、大学当局からは高校教師の職も任せられることになっていたニーチェ。

ニーチェと言えば難解な哲学や攻撃的で強烈な言葉のイメージがありますよね。そんなイメージからすると、さぞ恐い先生だったろうと思ってしまいますが、実際はその逆だったそうです。

ニーチェは生徒の道徳心を高めるのが眼目で、めったに叱ったり咎めたりはしなかったという。彼は綽名をつけられなかった稀有な教師で、こわがられている一方かと思えば、意地悪な教師ではなかったから、若い人たちの信頼心を自然にかき立てずにはおかない一面ももっていた。成績の悪い生徒が少しでもいい成果をみせると、喜びが顔に現われたともいう。優しさがみじんもなかった先生ではない。試験は厳格で、点数はからかったが、学校当局に提出された授業報告の中では、生徒たちの熱意を賞讃する善意の言葉がくりかえし述べられている。(中略)

彼が鞭を用いないでも若い人々を魅きつけておく独特な魅力を具えていたのは、なによりもまず、生徒たちを一人前の人格として扱ったせいではないかと思う。彼は相手を見くださず、過大の期待を彼らにかけ、生徒たちに能力以上を要求した。それでいて、学校当局への報告書の中では、生徒たちに対する賞讃を惜しまず、また期末の成績表にはかえってかなり甘い点をつけていたというような処置に自然に現われる彼の隠れた優しさが、あるいは魅力の秘密の源泉であったのかもしれない。

中央公論社、西尾幹二『ニーチェ 第二部』P245-246

また、次のようなエピソードも残っています。

「後年牧師になったある男が私に語ってくれたのだが、当時彼は内気で、おそらく精神的にも怠惰な少年であったのだと思う。有能な生徒たちとほとんど歩調を合わせられそうもないという気持に圧倒されていた。(中略)ある時間に先生がソクラテスの審判と判事の前の弁明を感動的な言い廻しで描き出し、それから生徒たちに向かって、教壇の所へ出て来て、ソクラテスの弁明を復誦するよう要求したとき、彼は先生にやさしく勇気づけられながら、胸を鳴らしつつやってみることに決心した。それは成功し、先生は完全に満足し、彼にやさしく微笑みかけた。《あの日に》とこの老牧師は私に語ってくれた。《私は自分自身を見出したのだ。私の臆病はなくなった。それはニーチェ先生のおかげである。彼は私という臆病な少年を選んで教壇にあげ、眠っていた能力を呼びさますのを心得ていた人なのだ》」

中央公論社、西尾幹二『ニーチェ 第二部』P246

ニーチェの教育者としての姿が鮮明に浮かび上がってくるエピソードですよね。

人間味溢れるニーチェの姿を感じることができました。

西尾幹二の『ニーチェ 第二部』ではこうしたニーチェの姿をもっともっと詳しく知ることができます。大学教授となったニーチェの生活、ワーグナーとの運命的な出会い、デビュー作『悲劇の誕生』の成立過程が詳細に語られます。今回の記事ではその一部を紹介しましたが、興味深い事実が満載です。

非常におすすめな1冊です。ニーチェに対する見方が変わるほどの作品です。ぜひ手に取って頂ければと思います。

以上、「西尾幹二『ニーチェ 第二部』大学教授、看護兵、高校教師ニーチェの意外な素顔とは」でした。

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