トルストイ『わが信仰はいずれにありや』概要と感想~トルストイの真理探究とその結末にニーチェを感じる

ロシアの巨人トルストイ

トルストイ『わが信仰はいずれにありや』概要と感想~トルストイの真理探究とその結末にニーチェを感じる

今回ご紹介するのは1884年にトルストイによって書かれた『わが信仰はいずれにありや』です。私が読んだのは河出書房新社より発行された中村白葉、中村融訳『トルストイ全集14 宗教論(下)』1974年初版の『わが信仰はいずれにありや』です。

早速この本について見ていきましょう。

いわば新たなキリスト教の創造という一大建造物は、以上のようにして『懺悔』にはじまり、『教義神学の批判』、『要約福音書』によってその大半が築かれたが、その仕上げともいうべきものが大作『わが信仰はいずれにありや』で、これ『懺悔』の続編もしくは結語と考えてよかろう。

前にもちょっと触れたように、これは、数世紀にわたって俗塵にまみれた教会キリスト教を虚偽の理解からひき離してこれを浄化、脱皮せしめ、キリスト教本来の姿を具現しようと試みた仕事の一つであるが、その結果、これがいかなる形、彼の前に発掘されたかをおどろくべき簡潔さで示しているのがこの労作である。すなわち、山上の垂訓の中に彼は五つの単純、明快な戒律、つまり、個人的行為の規範(そのうちの主なるものは―悪に抗するに暴力をもってするなかれという戒律である)を見出し、この礎石の上にトルストイはキリスト教についてのおのれのすべての理解をうち立てたのである。

河出書房新社、中村白葉、中村融訳『トルストイ全集14 宗教論(下)』1874年初版P454-455

この作品はトルストイの信仰とはいかなるものかということを知るのに非常に重要なものとなっています。上の解説にもありますように、これまで紹介してきた『懺悔』『教義神学の批判』『要約福音書』のトルストイ宗教論文のまとめとも言うべき作品です。

トルストイはこの作品でも教会が語るキリスト教を徹底的に批判します。そしてトルストイが聖書を読み込んで見出した新たなるキリスト教をこの作品で示します。

その内容については上の解説にありますように、かなりシンプルです。

ですが私はこの作品を読んで、「あること」を感じることになりました。

それが記事タイトルにもありますように、「トルストイにニーチェを感じる」ということでした。

ニーチェといえば『ツァラトゥストラ』が有名ですが、私はこの作品を読んでニーチェの孤独を感じたのでありました。

そしてニーチェはキリスト教団を徹底的に批判し、「私こそ真理を発見したのだ」と宣言します。

ですが、キリストに勝負を挑み、「神は死んだ」と宣告したニーチェは後に発狂します。神を倒し、自らの思想でそれに成り替わろうとする試みはこうして敗れたのでありました。(このことについては以下の記事「ニーチェとドストエフスキーの比較~それぞれの思想の特徴とはー今後のニーチェ記事について一言」でも触れていますのでご参照ください)

私はトルストイの『わが信仰はいずれにありや』を読み始めてすぐ、うっすらとではありますがこうしたニーチェ的なものを感じたのでありました。

そしてそのうっすらとした予感は確信へと変わることなります。

トルストイは教会を批判し、自身の信仰、思想を開陳していくのでありますが、その中で次のような言葉を語ることになります。

存在していないものを存在していると考え、存在しているものを存在していないとする考えのみが、かような愕くべき矛盾を招来しえたのである。そしてかようなあやまった考えを私は千五百年間も説きつづけられてきている偽キリスト教のなかに見いだしたのだった。

河出書房新社、中村白葉、中村融訳『トルストイ全集14 宗教論(下)』1874年初版P72

もしも私だけがキリストの教えを理解し、これを理解もしなければ実行もしない人々のなかにあってただ一人、これを信じたとしたら、私はどうすべきであろう?

私はなにをすべきか?みんなと同じように生きるべきか、それともキリストの教えに従って生きるべきか?私はキリストの戒律のなかにある彼の教えを理解した。そして、この戒律を実行することが私にも、世界のすべての人々にも幸福をもたらすものであることが分かっている。私は、これらの戒律の実行が、私の生活もそこから生じたところの万物の根本の意志であることを悟った。

のみならず、たとえ何をなそうとも、もし私が父なるひとのこの意思を実行しないようならば、私は周囲のすべての人々とともに、無意味な生と死によってかならず滅ぼされてしまうということや、この意志を実行するところにのみ救いの唯一の可能性のあることを悟ったのである。

河出書房新社、中村白葉、中村融訳『トルストイ全集14 宗教論(下)』1874年初版P94

「私は見いだした」

「もしも私だけがキリストの教えを理解し、これを理解もしなければ実行もしない人々のなかにあってただ一人、これを信じたとしたら、私はどうすべきであろう?」

「私はキリストの戒律のなかにある彼の教えを理解した」

「この意志を実行するところにのみ救いの唯一の可能性のあることを悟ったのである」

いかがでしょうか。私はこれらの言葉に、自らの理性によって真理を掴み、それにより自己完成を目ざさんとするニーチェ的な感性を感じたのでありました。

もしこれらがニーチェの言葉だと言われても、きっと皆さんも違和感は感じないのではないでしょうか。

トルストイは理性を重んじ、合理的にキリスト教を分析していきました。そしてこの作品で語られるような戒律を実践することこそ救いであると述べます。

また、トルストイの徹底した教会批判もニーチェと共通しています。

そしてさらに興味深いことに、こうした真理探究の行き着く先も二人は似ています。

先に述べたように、ニーチェは精神的に追い込まれ最後は発狂してしまいます。そしてトルストイも精神的な危機に陥り、最後は家出したまま亡くなってしまいました。

絶対の真理を追い求め、「私こそが真理を発見した」と述べていた二人。

しかしその最後は二人とも悲劇的なものとなってしまいました。

そしてさらに驚くべきことがもう一点あります。

ニーチェは最晩年にドストエフスキーに感銘を受けていたと言われています。そのことについては以下の記事でもお話ししました。

そしてトルストイも最後の家出の際、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』をそのお供にしていました。

トルストイはかつて、ドストエフスキーの作品をあまり評価していませんでした。シベリア流刑を題材にした『死の家の記録』だけは高く評価していましたが、混沌たる人間模様を描いた後期の長編はトルストイには受け入れがたいものだったようです。

ですがそのトルストイが最後の家出の時にわざわざ持ち出したのがあの『カラマーゾフの兄弟』だったのです。この書こそまさしくドストエフスキーの信仰のエッセンスが詰まった作品です。

自らの理性によって神を理解し、新たなキリスト教を創立せんとしたトルストイ。

そのトルストイが最後に『カラマーゾフの兄弟』を手に取った。

これほど意味深いものはそうそうありません。私はこの出来事にとてつもない重みを感じています。

なぜなら、ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』でそうした理性によって神を理解しようという試みを退け、大地にひれ伏すことを説いたからです。

つまり、彼の信仰はトルストイとは真逆の信仰なのです。

このことについてはお話すると長くなってしまうのでここではお話し出来ませんが、ニーチェにせよトルストイにせよ、最後の最後、自らの信念に破れた先に行きついたのがドストエフスキーだったというのは私にとって強烈な印象をもたらしたのでありました。

トルストイが本当に最後の最後でドストエフスキーに行きついたのかというのは厳密に言えば正しいかどうかはわかりません。ただ単に読みたかっただけかもしれませんし、自分の信仰の正しさを確かめるために手元に置きたかったのかもしれません。

ですが、ひとつ言えることは最後の家出という重大な事件の中でも、ドストエフスキーの信仰が気になる存在であったということです。

やはりトルストイとドストエフスキーはロシアの二大巨頭であることに間違いありません。両者を比べてみることで見えてくるものが必ずあるように感じました。

この作品を読めてよかったなと心から思います。

以上、「トルストイ『わが信仰はいずれにありや』概要と感想~トルストイの真理探究とその結末にニーチェを感じる」でした。

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