ドイツ

マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ

(29)反抗息子エンゲルスの家庭問題~地元ドイツ・バルメンで居場所を失うエンゲルス

地元バルメンでひとり大人しくしていれば大事にはならなかったでしょうが、エンゲルスはそのような男ではありません。彼は共産主義を広めるための講演会を開きました。

当然当局からも目をつけられ、エンゲルスは政治犯・要注意人物となってしまいます。

こうなってしまうとバルメンの名士として生きてきたエンゲルスの父ももう我慢なりません。

父の逆鱗に触れたエンゲルスはお小遣いを減らされる憂き目に遭ってしまったのでした。

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(28)マルクス『聖家族』~青年ヘーゲル派、ブルーノバウアーとの決別。エンゲルスとの最初の共同作業

マルクスとエンゲルスはかつての仲間であったビール知識人たちと完全に袂を分かつことになりました。

そしてふたりの記念すべき初めての共同作業となる『聖家族』を発表します。

この記事ではそんな『聖家族』執筆のエピソードと、マルクスの驚くべき遅筆に早くも苦しめられるエンゲルスの姿を紹介していきます。

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(27)マルクス・エンゲルス、パリでの運命の再会!2人の共同作業の始まり~マルクスの「第二バイオリン」になったエンゲルス

パリに来てから自身の思想の方向性が変わり始めていたマルクス。

そんな時にちょうどパリにやって来たのがエンゲルスでした。

ついに機は熟したのです。

今や二人はヘーゲル哲学から脱皮した、政治経済、共産主義の闘士。

彼らの思想は驚くほどの一致を見たのでした。そして彼らの確信の揺るぎなさたるや!

パリの酒場で10日間語り合ったマルクスとエンゲルス。

これからの生涯全てを捧げての共同作業が始まった瞬間でした。

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(26)『共産党宣言』『資本論』にも大きな影響を与えたエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』

この作品の強みはエンゲルスの実体験に基づいたリアルな語りにありました。

しかもそれだけでなく、彼が夢中になって学んだヘーゲル哲学の素養がそこに生きてきます。

哲学的ジャーナリスト・エンゲルスの特徴がこの作品で示されているのでありました。

労働者の悲惨な生活を描くエンゲルスの筆はもはや作家の域です。

この作品は後のマルクスにも非常に大きな影響を与えました。

マルクスはマルクスのみにあらず。

やはりエンゲルスがいて、二人で共同作業をしたからこそのマルクスなのだなと思わされます。

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(25)マルクスを唸らせたエンゲルスの小論「国民経済学批判大綱」とは

彼はこれまで学んできたヘーゲル哲学を政治経済と結びつけました。この結合が後のマルクス・エンゲルスの思想に決定的な影響を与えることになります。

そして1843年に書かれた「国民経済学批判大綱」は、もう後のマルクスの言葉と言ってもわからないくらいです。

ギムナジウムを中退し、商人見習いをしていた23歳の青年がここまでのものを書き上げたというのは並大抵のことではありません。

マルクスという大天才の陰に隠れて目立たないエンゲルスですが、彼も歴史上とてつもない天才であるのは間違いないのではないでしょうか。

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(23)イギリスの歴史家トーマス・カーライル~エンゲルスがイギリスで尊敬した唯一の知識人

イギリスの歴史家カーライルの思想はマルクスの『共産党宣言』にも非常に強い影響を与えています。

その本の中の有名な一節、(資本主義は)「人間と人間とのあいだに、むきだしの利害以外の、つめたい「現金勘定」以外のどんなきずなをも残さなかった。」という強烈な言葉はマルクスが資本主義の仕組みを痛烈に批判した言葉としてよく知られていますが、実はこの言葉はすでにカーライルがその著作で述べていた言葉だったのです。

この記事ではそんなカーライルとマルクス・エンゲルスについて見ていきます。

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(22)イギリスの労働運動「チャーティスト運動」を間近で見るエンゲルス

前回の記事でも紹介しましたが、1830年代まで根強い人気のあったオーエン派の活動も最後には衰退していってしまいます。

その大きな原因となったのがイギリスの新たな政治運動である「チャーティスト運動」でした。

今回の記事ではそんなイギリスの歴史に非常に大きな影響を与えたチャーティスト運動とエンゲルスについてお話ししていきます。

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(21)空想的社会主義者ロバート・オーエン~労働環境の改善に努めたスコットランドの偉大な経営者の存在とは

エンゲルスに空想的社会主義者と呼ばれたロバート・オーエンですが、彼は明らかに他の二人(サン・シモン、フーリエ)とは異質な存在です。

結果的に彼の社会主義は失敗してしまいましたが、その理念や実際の活動は決して空想的なものではありませんでした。

後の記事で改めて紹介しますが彼の自伝では、彼がいかにして社会を変えようとしたかが語られます。19世紀のヨーロッパにおいてここまで労働者のことを考えて実際に動いていた経営者の存在に私は非常に驚かされました。

彼のニューラナークの工場は現在世界遺産にも登録されています。

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(20)憎きブルジョワに自分がなってしまったという矛盾に苦しむ若きエンゲルス

若きエンゲルスは自身の矛盾と向き合わざるをえませんでした。

自身が激烈に攻撃していたブルジョワに自分自身がなっている。

マルクスにもその心情を吐露していますが、彼はこの後もずっとそうした矛盾を抱え続けることになります。

ですが後には開き直って堂々とブルジョワ的な行動をするようにもなります。マルクスもそうです。マルクスもブルジョワ的な生活に憧れ、実際にそうしたお金の使い方をしては金欠に苦しむという、矛盾をはらんだ生活をしていたのでした。

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(19)産業革命の中心地マンチェスターの地獄絵図~エンゲルスはそこで何を見たのか

エンゲルスは1年間のベルリンでの兵役を終えた1842年、イギリスへ旅立ちました。

その旅の途中、ドイツの共産主義者モーゼス・ヘスから直接指導を受け、熱烈な共産主義者となったことまで前回の記事でお話ししました。

エンゲルスがなぜマンチェスターを訪れたかといいますと、彼の父が共同経営者となっている「エルメン&エンゲルス商会」がそこにあったからでした。彼の父は哲学にのめり込み急進的な言動を繰り返す息子を商人として鍛え直すために、エンゲルスをマンチェスターに送ったのでした。(もちろん、会社経営の面でも必要でしたが)